囚われた真紅の歌姫
「マリア、ごめんね」
騙す気はなかったのだとその男は言った。
艷やかなアッシュゴールドの長い髪を後ろで揺らし、淡い薄紫色の瞳を細める。
ああ、嫌だ嫌だ。
どこにでもある三流芝居に出てきそうなその場限りの色男が決まって言うであろう逃げ台詞をまさか自分がこのタイミングで耳にするとは思わなかった。
こういう展開にはどんな歌声を贈ったって無意味なものだ。
ああ、反吐が出る。
これだから、顔の良い男は嫌いだ。
「本当の理由は何だい?」
ことによってはただではおかない。
「お、おまえ、殿下に向かってなんて口のきき方を!!」
「……くっ」
左右から両方の腕を押さえつけてくる男たちにさらに力を込められ、地面に押さえ込まれる。
「もういい。マリアを離してくれ」
「で、ですが……」
天井が高く、これでもかと言うほど綺羅びやかで無駄の多い装飾が施された広い一室で玉座のごとく整えられた椅子に堂々たる態度で腰掛けた男がわざとらしく立ち上がり、押さえ込まれているあたしの前までやってくるとそのまま周りの静止を押し切り、跪いた。
「マリア、怖い思いをさせたね」
ただそこにいるだけで発光して見えるその男の名はルイ。あたしの相棒だった男だ。
そして現在、あたしを取り囲み、抑え込んでいる男たちからは殿下と呼ばれている。
「怖い?」
思わず口角が上がる。
「冗談だろう。誰に言っているんだい?」
「そうだね。君ならこれしきのこと、ひとりでなんとでもしてしまうんだろうね」
「ルイ、君が望むのなら、すぐにでもここにいるむさ苦しいやつらを全滅させたっていい」
そうだな、一分あれば十分だ。
「こ、この女……」
さらに手首に力を入れられるが、柔らかな表情を浮かべた男は、ただひとり諦めたように「離せ」と小さく告げた。
「彼らはわたしの大切な騎士たちだ。傷つけられたら困るからね」
これがこの男の本当の姿か。
今日はいつものように『俺』と言わないのだな、などと思いながらもしぶしぶながら弱められた力に自由を取り戻す。
考えてみたら、いろいろと感じられた違和感に合点がいった。
「マリア、君の力を貸してほしいんだ」
「ここまで手荒くしておいて、これが王族が人にものを頼む態度なのかい、ルイ? いや、ルイス殿下と言ったほうがいいのか」
今の君は……。
「さすがだね、マリア」
いつもと変わらない穏やかな笑みを浮かべたその男は、一切の否定をしないため、そのとおりなのだろう。
ああ、本当に本当に反吐が出る。
「単刀直入に言おう。君の二年間をわたしのために譲り受けたい」
「……断る、と言ったら?」
美しくて麗しい花が満開を迎えるであろう大切な二年間を、何が楽しくて王族に捧げなくてはならないというのか。
「二年間も王族とともに過ごす気はない」
ましてや、こんな卑怯な手を使う人間たちとだなんて、冗談じゃない。
「快い返事がもらえないと、代わりに君の妹君をここへ連れてくることになるだろう」
完全に断る余地を残していないということか。ため息すら出てこない。
「まったくもって笑えないね」
脳裏に『お姉様』と微笑む可憐で愛らしい少女の姿を思い出し、唇を噛む。
「ごめん……」
「……ああ、本当に残念だよ。心から自分の見る目のなさを嘆くことになるなんて」
思ったよりも強く掴まれていた手首はじんじん痛むし、今宵は完全なる厄日のようだ。
「要件を聞こう」
手短に頼む、と答えると、ネイデルマーク国第二王子は申し訳なさそうに頭を下げた。