母様の残した言葉
『ギルドシリウス黒姫伝』のリンのお話しです。
5話程の予定です…多分。
深く静まり返った森の中、不吉な影に怯えるように木の陰に身を潜める小さな影。
風の無い新月の暗い森の中、漂う濃密な血の匂い、そして倒れ伏した女。
子供…銀狼と呼ばれる、この地で一番勢力の大きい部族の子供。
殺されたのは、この小さな女の子の母親であった。
人狼の集落とは明確な掟の下に形成されている。強き者が弱き者を従えるのだ。
闘い争う事は日常の一部。
しかし、同族殺しは掟破りであった。
母は強かった。その母を殺せる者など部族では数名しか居ない。
傷口は明らかに人狼の爪による物だ。疑う余地はなかった。
母の荒振る気を感じ取り、駆け付けた時には血塗れで虫の息であった。
母は優しく女の子を抱き寄せ、最後の別れをする。
『リン…私の子…青き月の娘…赤い…月に……』
それが、母の最後であった。
リンと呼ばれた女の子は、母の最後の言葉の意味は解らなかったが、深く胸に刻み込んだ。
『母様の匂い…』
リンは事切れた母の胸に寄り添い、次第に失われて行くその温もりを感じていた。
『…母様…母様…』
そして、包み込む様な母の匂いに、微かな死臭が混ざり込んできた時、穴を掘って母を埋めた。
『赤い月…母様を殺した、赤い月!』
リンは生まれて初めて怒りを感じた。
それは暴れる龍の如く激しく全ての理性を破壊して、リンの心を赤く赤く染めようとする。
リン…青き月の娘…
心に清き水を満たし
荒振る焔を鎮めなさい
リン、私の娘…
水は鏡 全てを映し返す
思い出して
立てられた波紋は薄く拡がり
静寂の水面は保たれるのです
心に優しく響いてきたその言葉…それは、生前の母が子守唄の様にいつも語ってくれていたものであった。
「…わかりました、母様。」
心に清き水を満たし…
静寂の水面を…
リンは、赤く染まりかけた己の心が閉じて行くのを感じた。
新月の黒い光の中で、リンの銀色の毛並みは純白へと変わっていく。
そして、母の墓前に手を合わせたかと思うと、その姿はもう闇に溶けて消えていたのであった。