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目を開けると、また一つ色が消えていた

空も、白かった

普段から白い病室が、今日はさらに無機質に思えた


――


最初は白内障だと言われた

年齢的に仕方がないと、医者は淡々と告げた

だが、消えていく色があまりに多すぎた

大病院に紹介され検査を受けたが、出てきた答えは曖昧だった

「脳のなにかしらの異常でしょう」


色は確かに消えていっていった

けれど、それは脳の異常という感覚は無かった

もっと大きな、世界そのものが何かを失っていくような……そんな不思議な感覚だった


――


入院が続くある日、不思議なことが起きた

看護師たちが騒ぎ始めたのだ「色が消えた」と

最初は自分の病状に過剰反応しているのだと思った

だが違った 世界中の人々が、灰色が白に見えるという

「私の脳の病気が伝染したというのか……」

皮肉交じりに呟いたが、不安は募った

「私はまだ灰色が見えるが……」

病室の天井 虫食いのような柄の吸音材を見ながら思う


病院中が慌ただしくなっていく中で、思考がまとまらない

騒がしい廊下、頭のぼんやりとした感覚――やはり脳がやられてると死期が近いのか?


――


「今日、天気いいよ 空、めっちゃ青かった……おじいちゃんには青見えないか」

「いや、見えるよ 空の【青】は覚えてるからな」

少女は少しだけ笑って、窓際の椅子に腰を下ろした

「この前ね、ちょっと変なことがあったの」

「ほう?」

「緑色が消えたんだけどさ、日本の信号だけ消えなかったの それで先生の話し思い出してさ」


「……それは緑が見えなかったんじゃなくて【緑だと思えなかった】のかもしれんな」

少女は首をかしげた

「【思えない?】 見えないじゃなくて?」

「色は心が決めるんだ 人は、見たいものを見て、信じたいものを色として認識する」

少女は、感心したように目を丸くした

そして、わざとらしく両手を広げて笑ってみせる

「さすが元先生 深い~」


短い沈黙が訪れた

外から風の音がうっすらと届く

やがて少女が口を開いた

「その時ね ちょっと怖かったの 今まで色が消えてるのは世界の終わりで仕方ない」

窓の外を見た

「と考えていたんだけど、これは日本人の感覚で【私が世界を終わらせてしまってるんじゃないか】って」

老人はゆっくりと、彼女の方を向いた

「世の中にはどうにもならない事も多い まだ若いから1人で抱え込まずに相談に来ただけ賢いよ」

少女は少し目を伏せて、照れくさそうに笑った

「うん 先生の教えが良かったからかな?先生と家族になれて良かった」

本当の孫とおじいちゃんのよう微笑み合う


「でも色が消えて行くのはちょっと怖い 緑色に気づいたとき……私の中で何かが壊れた感じがしたの 自分の存在理由も……全部の色が消えて、もし世界が終わったら私は何だったんだろうって」

ベッドに顔を埋める孫の肩をポンポンと叩く

「私も、同じことを思っているよ……何を残せたのか 人に教えていたのに最後まで分からなかった 教えるとは何だ? 人を育てるとは何だ?……助けられなかった子も、いた」

少女は何かを言いかけて、やめた


彼女がドアノブに手をかけて少しだけ振り返る

「……また来るね 色が元に戻るまで」

老人は、再び静寂の中に残された


「赤の次は緑……次はきっと青だ」

誰が決めたのでもないはずなのに、まるで順番があるみたいだ

何かを試されているような、不思議な感覚が胸の奥に残った


――


「何もないな……」

ふと、そんな言葉が漏れる

いや、違う

「何も無い」のではない――これは「白い」のだ

すべてを失い、すべてを宿す色


黄、赤、緑、青、黒

「……色が消える順は、わしの目と同じか……」

色を、色の持つ意味を失って行く


窓に顔を向けて、ぽつりと呟いた

「もう一度……世界を見てから死にたいものだな」

その瞬間だった



窓の外に広がる青空

校庭の木々は深い緑

点滴が鮮やかに輝く

一年前には当たり前だった景色が広がる



世界中の人が――ほんの一瞬、呼吸を忘れた



廊下を歩く看護師が、立ち止まり目が悪くなったのかと眉間を押さえる

病室の子供が、スマホを落とす

「……うそ 色が……」

誰もが思った

「なんて美しい世界なんだ」



老人は目を開ける

変わらず白だった

「もう世界を見ることは叶わんか」

呟いた声は、誰にも届かない

世界は再び、白く沈んでいった


――

夢を見た


住宅地の交差点

人の気配も車の音もない

風も吹かず、葉も揺れない

まるで世界の終わりのような静けさだった


アスファルトには赤い血が流れ

女性と子どもが倒れている

不自然にねじれた手足

靴だけが離れた場所に転がっている

――救命士が駆け寄ってくる

その顔に見覚えがある

「……息子……か?」


男は泣きながら救護をしていた

通りの向こうから、もう一人の男が歩いてくる


灰色のスーツに灰色のネクタイ

彼の靴音だけが、世界の沈黙を切り裂いていた

影すら落とさず、ただ存在だけがそこにあった

彼だけがこの世界の存在ではない

そんな疎外感を感じた


ふとこちらを見るような気配があった

だが、目線は交わらなかった

「……灰色の男」

声に出した瞬間――すべてが白に呑まれた


再び目を開けると

病室の天井はいつも通り、白に灰色のボツボツだった

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