くまがかわいそう
あの知事はいいこと言ったと思いますよ
その男は猟師である。
山を観察し、罠を作り、銃を撃ち、鳥を、鹿を、猪を、熊を撃ち、その自然の恵みに感謝し生計を立てる猟師である。
そして妻を愛し、子を愛す、猟師である。
彼の妻も同じ猟師であった。
彼女も夫と同様に生きる猟師であり、二人で子を育てていた。
ある日のこと、彼女は命を落とした。
死因は狩猟中に熊に襲われたことだった。
夫である猟師と、その子は大いに悲しんだが、熊を恨むことはなかった。自然の命を頂いている以上、逆もありうることを理解し、覚悟していたからである。
猟師は男手一つで子を育てた。住んでいる町は田舎であるが、それ故に人里へ熊が現れることも多く、その対応をするメンバーでもある彼とその家族は町では敬意を持って愛され、子は恙無く育っていった。
子は大学生となり、学力に恵まれていたこともあり都内の国立大学への進学を果たした。
地方から出てきている学生などは珍しくもない環境で、子は親の生業を殊更に声高に喧伝したことはないが、完全に隠してもいなかった。
そこで一つの悲劇が起きる。熊の人里への襲来が多発し、社会問題となって都会でも話題になった。そして、自らは決して襲われないと確認している都会の者共は暴走した。
「くまがかわいそう」
「くまを殺すならお前も死ね」
「!!!!!(号泣)!!!!」
熊の被害に苦しむ自治体へのクレームが殺到した
くまはハチミツ食べてる黄色いクマとか、ピンクの風呂敷かぶっている寒がりのシロクマとか、後ろにチャックのついているリラックスできる子といったフィクションの存在しか知らない者たちの暴走である。
熊と言えば確かにハチミツも食べるが、二つ名を持つと凄まじい大音量の咆哮で狩人の動きを拘束する恐ろしい熊がいることをわかっている者もいたが、残念ながら少数派だった。
そしてその暴走は、あの猟師の子にも襲いかかった。
別に当該のニュースで熊を射殺したのは、子の親の猟師ではなかったが「殺人鬼の子」と呼ばれ、人を殺してないといっても、ならと「殺人キノコ」とあだ名がつけられた。
また、みんなの見ている前でお前から親に抗議をしろ、猟師を攻め立てろと強要もされた。
しかし子は親を誇りに思っている、いかに強要されようとも、侮蔑されようとも親と、そして猟師全体への敬意を決して捨てなかった。
後から思えば、フリでもいいから折れておけばよかったかもしれない。逃げてもよかったかもしれない。だが、親子の絆が強すぎたことがさらなる悲劇を呼んだ。
前述の「くまを殺すならお前も死ね」をとうとう実行してしまった輩が現れた。
その輩は本当なら子を自殺をさせたかった。だが、決して折れぬ心に業を煮やし自殺に見せかけて殺害した。その輩にとっては社会正義の実行だった。
親子は連絡をとっていた。親は子の環境の悪化を認識し、帰宅を促しており、子も帰ろうと思っていた矢先であった。残念だが一足遅かった。
なので親は子の自殺を決して信じず、また子は死の直前にメッセージの送信に成功していた。
親は犯人を知ることができた。
親は警察への連絡をした。だが、犯人は捕まらなかった。犯人の親が有力者だったため、揉み消されたのである。
それでも子を殺された親は足掻いた。だが、権力と財力の壁に阻まれた。
親である猟師は愛する宝を全て失った。
妻は、ある意味覚悟してたことである。
だが、子はただ真っ当に生活していただけである、
決して許せなかった。犯人も、無責任にクレームを挙げる者も、他人事と思って囃し立てる者も。
……その日を境に猟師は姿を消した……
そして時は流れた。自殺を装って殺された子が、もし生きていたならば人の親になっていただろうほどの時が流れた。
子の不幸な死はもはや風化していた。犯人すらも忘れているだろう。だがそれは同じ不幸がもう起きなかったことを意味していない。
自治体へのクレームは激しさを増し、「人間よりも熊が最優先」「人間が他に引っ越せばいい」「そんな田舎に産業はないのだからそこの人間が皆殺しになっても熊が大事」
「くまがかわいそう」に集約される暴論は激しさを増した。
「クレームには、『では住所教えろ、熊送るから』と返す」と、自治体の部下を守るために気骨ある発言をしてくれる自治体トップも現れたが、それでも大きな流れは変えられなかった。
その結果多くの悲劇が生まれた。それでも身近に熊のいない人間は決して自分事とはとらえなかった。
そう、身近に熊のいない人間は……
また熊が人里に現れる季節になり、ある大手サイトの、会員同士が質問に答え合うところに「くまがかわいそう。スプレーで撃退すればいいのに殺すなと思いますがどう思いますか」という投稿がされた。
現実的な熊の脅威を説く有識者へ攻撃的な返答をする典型的な炎上質問であった。
そんなある日、都内の住宅地、緑など最低限の公園しかないような都会の住宅地にて、その数少ない公園に一組の親子がいた。ごくありふれた光景である……がそこに突然熊が現れた。熊は子に襲いかかり、その体に食らいついた。父親は絶叫し、助けを求めたが周りに人はいない。警察、救急車双方に連絡して助けを呼んだが、人が駆けつけた頃には子は原型を留めておらず、熊は姿を消していた。
父親は自分の子が食い殺される姿を座して見るよりなかった。逃げ出すほどには臆病ではなかったが、素手で熊と戦おうとするほどの勇気もなかった。
父親は泣いた。熊の暴虐を訴えた。
だが、先の炎上質問の主がこの父親との明確な証拠が各報道機関のみならずSNSにまで流れた。
父親が集めたのは同情ではなく非難であった。
同情を得られたら熊の駆除隊を派遣してもらおうと思っていた父親は失意のうちに自宅で最も大きな包丁を持ち熊が消えたと思しき山に入った。
その後の足どりは報道されていない。返り討ちにあい、死体も残らず捕食された末路は報道されていない。
ある家族が臨海のキャンプ場にてBBQを楽しんでいた。埋立地にあり、山から遠く離れた地である。
熊の脅威を縁遠いところである……はずが、熊が突如現れた。
BBQというある意味食材豊富な地で、なぜか熊はその家族の父と、二人の子供に襲いかかった。
母親は助けを求めた。近くに交番もある、警備員もいる。せめて命はと助けを求めた。
猟友会こそは距離ゆえに来なかったが、拳銃を携帯する警官も、刺股をもつ警備員も駆けつけた。
駆けつけた、駆けつけたが……
「お腹一杯になれば帰りますよ」
「熊が最優先です」
そう言って、周りの避難誘導するのみだった。
母親は絶叫にも等しい声で助けを求めた。熊の駆除を求めた。
だが最後まで警察も警備員も熊に対して行動を起こすことはなかった。
そして、熊は満腹になった、父と子らという糧を得て……
母親は熊の被害のみならず周りの対応も訴えようとした。だが、その前に母親が「熊に危害を加えるな、お腹いっぱいにさせてあげればいい、少しくらい人間が犠牲になってもいいだろう」というクレーム電話を挙げていた証拠が映像付きで公開された。
「人間が犠牲になってもいいのだろう? 自分の家族ならダメとかいうのか、誰もが誰かの家族なんだ」と自分が上げようとした非難の声に倍する非難に晒された。
都心の高級住宅地の一角にある幼稚園がある。
その日は運動会があり、全園児とその家族が園の庭にてイベントを楽しんでいた。
有り得ぬことに、そこに熊が現れた。
そして園児に襲いかかった。
その時は保護者と園児が離れており、園児の避難は教諭の手に委ねられたが、避難できた園児と襲われた園児とが明確に分かれた。
保護者は財力と権力を持つ者たちばかりである。あらゆる伝手を使って助けを求めた。そうして集めた救援部隊はライフル銃すら所持する者もいた。
そしてまず、ハチミツつぼを投げ入れた。
……好物を投げれば人間なんか襲わないわ!……
アロマを炊いた。
……私が飼って一緒に寝てあげるわ……
……危害を加えちゃダメ!……
当然、熊は止まらない。
「何しているの!? 射殺して!?」
叫ぶ保護者に応えて……麻酔銃を撃った
……殺さなくても麻酔銃を撃てばいいじゃない!……
麻酔銃は命中した、だが、熊は止まらない。当然である体重の計測もしてないのだ、適量がわからない。そして「決して殺してはいけない」以上、少なめにしないといけない。それ以上に、撃ってすぐ効くことなどない。
避難の遅れた園児全員を食い尽くしたあと、熊は悠然と姿を消した。
今度は被害者多数、何よりいわゆる裕福層、非難の声、訴えは通る……ことはなかった。
避難の遅れた園児には共通点があった。避難できた園児とそうでない園児には違いがあった、とも言い換えられる。
避難の遅れた園児の保護者は全員熊の殺処分に激烈なクレームを挙げていたのだ。
また、保護者の内の一人は自身の大学時代、「くまがかわいそう」との歪んだ正義感で罪のない猟師の子を自殺を装い殺害し家の力を借りて揉み消していたことまで暴露された。
子を目の前で奪われた悲劇、自らの過去の正しいはずの行いでの非難、自分のみならず家族も財力と権力を失った現実、それに打ちのめされてなお、こう発言したことが記録されている。
「自分が襲われないなら熊を優先して何が悪いのか? 自分や家族が危ないなら熊よりを自分を優先して何が悪いのか?」
では自分や家族が襲われている熊被害に遭う人が熊を殺して何が悪いの?
「貧乏人と上級国民の命の価値は違う」
では君ももう貧乏人だから死んでもいいね
「…………」
これらは一部に過ぎない「くまがかわいそう」に連なる発言をした者の家族が、その報いを受ける事例が多発した。
もちろん偶然ではない。あの日姿を消した猟師が、同じ悲劇に襲われた人々、またそれに心痛める人々と結びつき、力を付けたのだ。
熊を操ること、IT関連の情報力、末端の警察、警備員、教諭への息のかかった者の派遣。
財力と権力に敗北した彼は表立っては行使できないものの大きな力を手に入れ、復讐の一歩を歩んだのである。
「くまがかわいそう」と自治体や猟友会などに醜悪なクレームをあげる映像と、家族を殺されて熊への復讐を叫ぶ映像、この双方を同時に晒されてその変節を責められたクレーマーたちはほぼ例外なくその社会的地位を失った
だが、それでも「くまがかわいそう」の声を挙げるクレーマーは依然湧いてくる。しかし少しだけ流れが変わった。クレーマーはその匿名性に守られることがなくなり個人情報が晒されるようになった。
そして、そのクレーマーに対して最大の攻撃をしたのは、元クレーマーたちであった。熊の被害、家族の被害を訴え、今のクレーマーたちを攻撃したのである。
結局こいつらは何かを攻撃したいだけで、本気で「くまがかわいそう」などと思っているわけではない。手軽に攻撃できるものがいればいいのである。
……その変節、元クレーマーの現クレーマーへの攻撃も晒されるのだが……
ある日ある居酒屋で
「フィクションだって熊は怖いよな」
「ア◯アシラとかね」
「ニュースでやってる、あのクレームで号泣してるのってどういう神経なの? 全く理解できない」
「ほんと可哀想なのは住民であり、自治体の人たちだよ」
「ふるさと納税に税金の使い道あるじゃん、"熊の駆除"ってあればそれ選ぶよ」
「流石にその欄はなかったけど、俺ふるさと納税したよ、頑張れって思って」
「俺も俺も」
「でも俺らの上司が狂ってんじゃん、この前仕事中にクレーム電話してたよ、熊が可哀想って」
「仕事してくれよ……」
ほどなくその上司は姿を消した、家族を熊に襲われて。
そしてこの時飲んでた彼らは少しだけいい部署に異動になり、少しだけ待遇が改善した……
「こわい! こわい! くま怖い!」
「大丈夫だよ、◯ーさん、だよ、黄色くないだけだよ、抱っこしてもらえるよ」
「こわい! こわい!!」
小学校低学年ぐらいの女の子が幼稚園くらいの女の子を引きずっていた。
その先には熊が入った檻があり、まだ小さい彼女たちなら入れそうな程度の隙間があった。
(せっかくだからまず自分が抱っこしてもらいなよ)
声が聞こえた気がした。
周りには自分たち以外誰もいないが、それもそうだと思い、小さい方の子の手をはなし自分で檻に入る……と、熊に腕を引きちぎられた。
「ぎゃー! たすけて!」
周りを見るといつの間にか小さい方の子の姿は消えていた。
結局その子は右腕と左足を失い、顔に大きな爪痕が残った。
また時が流れた。
都市伝説のまとめサイトにて取り沙汰されはじめた新たな都市伝説がある
曰く「『くまがかわいそう』とクレームを挙げると熊が送られてきて家族が殺される、熊を正しく恐れ、被害に遭う人たちやそれに対応する猟師に敬意を払う者には小さな幸運が訪れる」
…………
「はぁ、くだらない都市伝説! じゃー電話してやるよ! もしもし!? おい!くまがかわいそうだろう! 熊を殺すんじゃねぇ、腐れ田舎者どもが! どーだ!」
……その男の後ろには黒い影が……
くまがかわいそう 完
号泣する気持ちはどうしてもわかりません。
今年、全然活動できてなかったけど、これが今年最後になります。
来年もよろしくお願いします。