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『第八章~レクイエムといきたいところだけど、僕はスローなのが苦手なんだ』

 久作と奈々岡とレイコは、保健室の外で待機していた方城と合流し、二階の音楽室に向かっていたのだが、途中に通信が二つ入ったので、廊下で止まった。

 一つは奈々岡のケータイに宛てられた、アヤのメール。

 もう一方は、久作のケータイ。通常通信で、番号表示は知らないものだった。

「速河です、どちらさまで?」

「電話でははじめましてだな。伊達{だて}だ。世界史の教師、といえばわかるかな? もしくは、ボクシング部の顧問。きみたちの勝ちだ。かなり誤解があるようだから、ゆっくりと話がしたい。どこに行けばいい?」

 無線機が鳴った。

「ホークアイよりボギーワン。状況は変わらず、オーバー」

「伊達先生、音楽室でいかがでしょうか? 僕以外にも何人か同席することになりますけど」

「構わんよ。音楽室だな、すぐに行く。では、後ほど」

 ケータイが沈黙した。

「速河、黒幕はボクシング部顧問の伊達って奴か?」

 データリンクで会話を聞いていた方城が尋ねると、奈々岡が驚いて久作を見た。

「黒幕という表現はどうだろう。リンさん。アヤちゃんからのメール、読ませてもらえるかな?」

「え? ええ、当然」

 奈々岡は自分のケータイを久作に渡した。


『僕にボクシングの素質があるといわれて、とても嬉しいのですが、大好きなピアノとボクシングを掛け持ちすることは出来ません。本当にすいません。お世話になりました。時野雄一 ――ホークアイ』


 久作はそのメールを方城のケータイに転送した。ピアノマン・時野雄一、奈々岡鈴のかつてのボーイフレンドの最後の言葉。これを胸にピアノマンは、中等部音楽室で首を吊った。奈々岡の表情は冷静だった。文面はおそらく暗記しているだろう。久作はケータイを奈々岡に返し、音楽室へ歩いた。二階、高等部二年のクラスが並ぶフロアにある音楽室に先客はなく、久作、方城、奈々岡、レイコは順に防音扉をくぐった。

「リンさん。時野さん、彼はピアノとボクシングを両立することはできなかったのかな?」

 言いつつ久作は、音楽室の片隅に置いてある自分のギターケースから、青いストラトキャスタータイプのエレキギターを持ち出した。

「たぶん無理ね。彼は一つのことに集中する、方城くんのようなタイプだったから。第一、ピアニストにとって指は命よ? それを傷めるボクシングと両立なんて、誰にもできなと思うのだけれど――」

 ズギャーン!

 突然の轟音に奈々岡は飛び上がった。久作の指にあるハードピックが頭上に掲げられている。

「鎮魂歌{レクイエム}といきたいところだけど、僕はスローなのが苦手なんだ」

 ピックアップ・セレクターをフロントにして、小さなアンプは最大ヴォリューム。激しいリズムラインが音楽室を震わせた。ベースを思わせる重低音のハイスピードなロックンロールはしかし、どこか悲しくも聞こえる。奈々岡のかつてのボーイフレンドに向けたそれは、同時に久作の感情の爆発でもあった。保健室での奈々岡の号泣と同じ匂いがするそれは、六弦がはじけ飛んで切れても続き、二弦がはじけたところで止まった。あっという間に削れたピックを久作は、窓に向けて力一杯投げつけた。

 久作のただならぬ様子に方城が声をかけようとしたが、防音扉が開いたので、方城は椅子に腰を落とした。音楽室入り口にスーツ姿の男性が立っている。

「伊達だ。見ての通り丸腰で、一人だ。入ってもいいか?」

「どうぞ」

 世界史の伊達教師が音もなく音楽室を歩き、指揮者台そばの椅子に腰掛け、久作、奈々岡、方城、レイコと真向かいになった。元ヘヴィー級プロボクサーだと聞いていなければ、プロレスラーだとも見える伊達は、ネクタイを外して浅い溜息をついた。

「どこから話そうか。……まず、メールと剣道部の連中。あれは俺が相沢に頼んだものだ。相沢の剣道部の一人にパソコンの類に達者なやつがいてな――」

「ホークアイより各機、状況をアップデート。プラウラー、敵に接近。ボギーワンはチャンネル2をオープン。データリンクは継続、オーバー」

「――奈々岡を監視して、警告するようにと、俺が頼んだ。一年前の時野の自殺。あれを奈々岡は教師の、俺か誰かの体罰が原因だと思っているようだが、そうじゃない。警察は暴力がどうとか言っていたが、あれはスパーリングによるものだ。勿論、ヘッドギアとマウスピースを着けて、レフェリーもいてゴングもある、ボクシング部の通常練習の一つだ。警察にも説明したし、時野の遺族にもこれはきちんと伝えている。いや、伝わらなかったから体罰だと思われているのか。ボクシング部の連中の身体はアザだらけだ、当然だがな。これを体罰や、いじめだと言われたら、ボクシングはこの世から消えてなくなる」

「私を監視していたのは、思い込みの暴走でありもしない体罰を作り上げて、世間を、いえ、学園を騒がせるから、ですか?」

 奈々岡の言葉には普段の理性があった。

「そうだな。俺が直接、奈々岡にきちんと説明していればよかった。相沢に頼んだりするから話がややこしくなった。相沢に監視や警告をと頼んだのは、そうすれば奈々岡が諦めてくれると思ったからなんだが、剣道部が盗聴だとか直接手を下すだとか、そこまでやるとは思っていなかった。相沢にはきつく言い聞かせておく。もっとも、剣道部の連中はそこの方城に返り討ちにあったから、連中はもう相沢の言うとおりには動かないだろう」

「時野くんが自殺した動機――」

「ホークアイよりボギーワン。クイーンを止めろ」

 久作は奈々岡の肩を叩いた。

「時野さん、彼が自殺するほど追い詰められていた、ここに何か心当たりはありますか?」

「正直、解からん。もしかすると俺がボクシングを続けるように熱心だったから、それがあいつを悩ませたのかもしれん。そういう意味では俺が犯人だな。だが、あいつの素質は本物だったんだ。お遊び感覚程度のシャドウだったが、中等部三年であれほどの逸材は十年に一人だと確信したよ。ピアノをやりたいと言っていて、俺はそちらの世界のことは詳しくないが、あまりにも勿体無い。素質、才能なんてものはどれだけサンドバックを殴っても身に付かない。それをあいつは持っていた。ピアノと掛け持ちでもいいと俺は言ったんだが、それは出来ないと断られたよ。どちらも中途半端になってしまうとな。そんな話の数日後だったか、あいつは死んだ。俺の誘いを考えてくれて、ピアノと掛け持ちできないかと悩んだのか、他に理由があるのか今でも解からんが、死ぬくらいなら俺のところに来て欲しかった」

 方城とレイコの顔は暗かったが、奈々岡の比ではない。淡々と説明している伊達教師の表情も暗く険しかった。重い沈黙が音楽室を支配している。

「ボギースリーよりホークアイ。Tの現在位置を知らせ」

 須賀がどこからか言ったが、久作には意味が解からなかった。T、時野氏の現在位置は、当然、墓地だろう。須賀がそれを知らないはずもなく……。

「こちらホークアイ。Tの現在位置はリングの下、オーバー」

 死んだ人間はリングに立つことはできない。そういう意味では確かに時野氏はリングの下にいる、ともいえる。久作の思考が加速する。須賀は何を知りたがってるんだ? 伊達との会話を聞いているであろう須賀。時野氏の現在位置は、墓地。自殺現場は中等部音楽室。当時の担任、名前は渡瀬といったか。現在は1‐Aの担任で科目は英語Ⅰ。……待てよ。

「時野さんはボクシング部を退部したんですよね? それがいつだったか、覚えてますか?」

「自殺する数日前、三日前だったかな?」

「ホークアイより各機、状況をアップデート。接見は終了。ボギーワン、敵を解放せよ。ボギースリーを除く各機はポイントE2Mにてグレイハウンドを待て……うわっ!」

 何だ? アヤの悲鳴に久作はぎくりとした。声が出なかったのは幸いだが、何事かがアヤに起きた。と、左耳から声が聞こえた。チャンネル2、無線機からイヤホンが伸び、ヘッドセットの下につけられているのだ。

「速河久作! 聞こえてるな? コンピ研が襲撃された! 電源回路に直接スタンガンだ! 異常高電圧回避装置{サージバスター}なかったらOSから全部、オシャカになるところだ、あぶねー! 想定被害金額は二百万。請求先は当然、目の前、オーバー」

 伊達の告白で事態は収束に向かっているようだったが、実際はこれだ。相沢と剣道部が暴走している……違う。

「話はだいたい解かりました。ところで、相沢先生のお陰でぼくらはケータイだとかパソコンだとかを買い換えなければならなくなったんですが、請求書は伊達先生宛てでいいでしょうか?」

「そうか、そうだな。全て俺の責任だ、俺が負担するよ」

「では、数日中に三百万円の請求書がそちらに届くと思いますので――」

「さ、三百万! ちょっと待て! 速河! その……負担はするが、金額が大きくないか?」

 伊達教師の表情がこわばっているが、久作は変わらず澄ましたままだった。

「ケータイが八台にパソコンが十六台。ケータイ一台が二万円、パソコンが二十万円として、合計で三百二十万円。二十万オーバーですが、まあ安い店を探せばどうにかなります。相沢先生と分割で百五十万にすればどうです? 部活の経費で、いや、それは無理ですね。メール傍受やケータイ盗聴は犯罪ですから、教師による犯罪被害にあった機器の弁償なんて学園が許可するはずがない。どちらが負担するにせよ、とりあえず請求書は、桜桃学園高等部世界史担当・伊達さまとしておきますから、後はローンでも何でも、そちらで自由に処理して下さい。僕からの話は以上です。もうお引取りになっても結構です」

「いや! しかし! 速河の言うとおりなんだが、百五十万なんてポンとは出ない! 勿論、どうにか工面するよう努力するが……」

「努力して下さい。実行犯は相沢先生みたいですから、そちらに全額負担をお願いするという手もあります。ああ、そうだ。ついでなので、相沢先生にこれ以上は止めておけと釘を刺しておいたほうがいいですよ。そうしないと被害金額が倍の六百万になりますから」

 ギャーン! 久作のストラトが叫び、伊達が飛び上がった。久作が再び「もういいですよ」と言うと、伊達は口をパクパクさせながら音楽室から姿を消した。入れ違いでリカが現れた。

「さっきの、世界史の伊達先生よね? 会話は聞いていたけど、あれで決着ということ? 最後がお金の話というのは何だか後味が悪いけど、もう奈々岡さんが危ない目には合わないと思えば、あれでいいのかしら」

 リカが黒いバッグを机に置いて、うーんと唸った。久作はストラトのヴォリュームを絞って、適当に弦を弾いていた。

「リカさん。僕が新聞を読まない理由、覚えてる?」

 レイコの隣に座ったリカが、きょとんとしていた。

「えーと、確か、一方的な情報の押し付けに信頼を置いていない……だったかしら?」

「そう。で、リンさん。今、どう思ってる?」

 レイコと並んで座っている奈々岡が、じっと久作をみつめる。

「どうと言われても、伊達先生と相沢先生が私を止めようとした理由は理解できるわ。私の思い込みが事件を大袈裟にして、余計な騒ぎになるのを止めさせようとした。方法は過激で危険だけれど、あちらもそれだけ必死だったということかしら? ボクシング部で体罰はなく、それどころか伊達先生は時野くんを大事に思ってくれていた。……何と言うのか、少し楽になったわ」

 久作はこくこくとうなずいてから、再びリカを見た。

「ちなみにリカさん。僕がテレビを見ない理由は?」

「何だか難しいことを言っていたわよね? えっと、スポンサード意向の情報操作の危険性、とか何とか」

「方城?」

 とてつもなく難しい顔をしていた方城が、唸り声を返した。

「ケータイにアヤちゃんからのメールがあるはずだ。読んでくれ。それ、何だと思う?」

 言われた方城はケータイを開き、ざっと目を通して一言。

「何って、退部届けだろ?」

「え!」

 方城の一言に、奈々岡が声を上げて飛び上がった。方城のケータイをもぎ取り、文面を確認している。

「違う! これは時野くんの遺書よ?」

「はあ? だって、ここにほら「お世話になりました」ってあるじゃねーか」

「そうだけど! 自殺した時野くんのブレザーにはこれと全く同じ文面の遺書があったの! 遺書じゃなければ何だっていうのよ!」

 奈々岡は立ち上がって方城に怒鳴っていた。怒鳴られている方城は「意味不明」といった表情だ。リカと、その隣のレイコは遺書の文面を読んでいないので、方城以上に意味不明、呆けている。と、ヘッドセットから声が聞こえた、データリンクだ。

「こちらボギースリー。敵司令部に到着。途中で敵機二機に遭遇、排除した。これより敵施設を破壊する」

「ホークアイよりボギースリー、状況をアップデート。プランC、E型装備の使用を許可、指示したとおりに使用せよ。敵オペレータはウィザードに連行、アンノウンと共に処遇を一任、オーバー」

「ボギースリー、了解。二分で終わらせる」

 須賀とアヤの辞書には「手加減」という文字はない。露草にもない。まあ、そんなものは不要だろう。久作はストラトをギターケースに戻した。

「これでチェックメイトだ。変な悪あがきをしないでくれるといいんだけど」

 ねえ? とリカに言ったが、リカの顔は「ハテナ?」といった様子だった。久作はケータイを通話状態にした。

「伊達先生ですか? 速河です。先ほどの件でお話があります。今、どちらに? ああ、ボクシング部ですか。では今からそちらに向かいます」

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