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『第五章~前を向いて生きていくことを、我々はお薦めします』

 世界史と古文を終えた昼休み。当たり前のように久作の机の周りに全員が集まり、机を寄せて弁当を広げる。

 リカちゃん軍団の三人は毎日弁当を持参していたが、久作は、惣菜パンだったりコンビニ弁当だったり、日によって違っていた。食事に関してかなり無頓着なので、そういったものを炭酸飲料で流し込むこともあった。久作ほどではないが、須賀も食事にはあまり関心がないようで、なかなかの見栄えの弁当の中身など見ず、箸で適当につまんで口に放り込むという動作を繰り返すだけだった。

「須賀、その唐揚げ、一つくれないか? 今日は手抜きされたみたいでさ」

「肉でも野菜でも、勝手に取れ。アヤくん、水筒の中身はお茶かい? 何でもいいんだが、分けてくれないかな?」

「だったらあたしもチキン一つゲッツ!」

 アヤから差し出された水筒のフタ兼コップを口に当て、そこで須賀は止まった。

「須賀くん? アヤ、またジュースでも入れてきたの?」

 リカが口に手をやってアヤに迫る。リカの弁当は小さく、しかしなかなかに華やかだった。

「いんや、お茶だよ? 緑茶。安物なんだけど、これがなかなか美味しくてね。たまたまスーパーで見かけた特売だったんだけど、お茶の味って値段で決まるかと思ってたからビックリよ? なあ、須賀恭介?」

 須賀が動き出し、アヤが美味いというお茶を音もなくすすって、「ああ」とだけ返した。何やら考え事をしているらしい。お茶の味などその脳に伝わっていないに違いない。

「パンパカパーン! パパパ、パンプキーン! アヤちゃーん! ホラ、かぼちゃソースのカニクリーム・コロッケ! スゴく偉い人ー!」

 レイコが嬉しそうに、フォークに突き刺したカニクリーム・コロッケをアヤに見せた。

「おー、レーコ! そいつはかなり地位が高そうだな? 実際どうなのか、あたしが確認してやるよ」

「とか言って、レイコ、アヤに取られる前に食べちゃいなさい」

 そんな調子で唐揚げだとかカニクリーム・コロッケだとか、パリパリのウインナーだとかが弁当箱を行き来した。まるで食料輸出入みたいだ、久作は惣菜パンだったと思う何かを飲み込み、炭酸飲料で流し込んだ。

「速河は相変わらずのジャンクだな。栄養バランスもへったくれもありゃしない」

 方城が呆れた調子で久作を眺めていた。バスケ部の、それもエースともなれば体調管理だとかで食事メニューにも注意するのだろうが、当面そういったことに縁のなさそうな久作は、そのまま炭酸飲料を飲み干した。

「いいんだよ、僕の場合は適当で。第一、そういうことを考えてたらキリがないし」

「食事は大切よ? 久作くん」

 リカがまるで諭すように言う。

「栄養バランスだとかそういう話を抜きにしても、食事って一種の娯楽なんだから。美味しいものを食べれば、それだけで幸せな気分になれるし、別に高級なものじゃなくても味わえばそれなりだし。そういう部分がスッポリと抜けてるのは、何だか勿体無いわよ?」

「僕はこうして、みんなでワイワイやってれば、パンだろうと弁当だろうと、それだけで楽しいけど?」

「人はパンのみで生きるにあらず、主観の相違だな」

 アヤから借りている水筒のフタを高らかに持ち上げ、須賀が言った。唐揚げを口に方城が返す。

「須賀、話を難しくするのは止めてくれよ」

「難しくもない。食料さえあれば生きていけるというわけではない、という格言は、食事が娯楽にまで昇華されるかどうかは個人次第だと、それだけの話だ」

「あたしは美味しけりゃ安物でもいいぞぅ」

 アヤのお茶を飲み干した須賀が、にやりと口元をあげた。

「そうか。アヤくんをデートに誘おうと思っていたが、随分と安上がりなディナーで済みそうだな、助かった」

「……それは違ーう! 実はあたしは食通で、今時期だと三ツ星レストラン的デリゾイゾのDTMコース以外は胃が受け付けないの! ジャンクフードなんて論外だ!」

「食事でいいように操られるアヤ……まるっきり単細胞だな、こいつは」

 方城が笑いをこらえて言い、リカがうなずく。ちなみにデリゾイゾとは市街地アーケードにあるパスタ専門店で、DTMはそこのデリシャス・トマト・ミックス・スパゲティのことだ。

「お食事中に失礼。ノックしたのだけれど返事がなかったから入らせてもらったわ。これ、よかったらみんなで食べて」

 とても丁寧に、奈々岡鈴が現れた。何やら小さな箱が差し出されている。受け取ったのは、須賀だった。

「やあ、スズくん! ノックに気付かなかったのは大変失礼した。差し入れとは、気を使わせてすまんね、ありがたく受け取ろう。それにしても随分と早いが、もう昼食は済ませたのかい?」

 須賀が立ち上がり、椅子を一つ持ち出して久作の隣に置き、それに座るように促した。何だか須賀はとても嬉しそうだった。

「差し入れ? 中身はなんだ! リンリン!」

「プチトマト」

「DTM!」

「デリシャストマトマン大好きー!」

 アヤが須賀の手にあった箱を奪い、レイコが鮮やかなプチトマトを素早く口に入れる。ファーストコンタクトは見事なほどの失敗に終わった奈々岡鈴と面々だが、四度目の今では、すっかり打ち解けているようだった。といっても、奈々岡は何かしら工作したでもなく、プチトマト一箱を持ってきただけなのだが、アヤとレイコにはそれで十分らしい。奈々岡が須賀に言われるまま、久作の隣に座った。

「お昼は今からなの。話が、急ぎのがあったから、食べながらで悪いのだけれど」

 奈々岡はもう一つ箱を持ち出し、そこからドーナツを取り出して、手で割った欠片を口にした。

「ジャーナリストは常に時間との戦いだ。食事マナーなど気にしていたら取材もままならんだろう。俺はリカくんほどマナーにうるさくないから気にしなくてもいい。ピアノマンの時野雄一{ときの・ゆういち}氏も大目に見てくれるさ」

 ごほっ! 奈々岡が大きな咳でうずくまった。久作は慌てて奈々岡の背中をとんとんと叩き、アヤの水筒をひったくると、フタに緑茶を注いで、咳き込む奈々岡に渡した。

「奈々岡さん! 大丈夫?」

「……ええ、ありがとう、リカコさん」

 リカがハンカチを差し出したが奈々岡はそれを断り、自分のハンカチで口を拭った。久作から渡された緑茶をぐいと飲み、深呼吸を一つ、どうにか落ち着いたようだった。

「須賀恭介くん、アナタって一体何者なの? 私、今朝から授業そっちのけで冷静に考えてたの、久作くんとアヤちゃんの助言をね。それで、やっぱり初対面の他人を巻き込むのはダメだと結論を出して、それを伝えようとここに来たのだけれど……」

 久作と須賀。方城とリカ。そしてアヤとレイコ。奈々岡鈴の記事や依頼に関してそれぞれ情報量が違い、奈々岡と本題で深く接しているのは手伝いをと依頼された久作と、それに反対姿勢だった須賀だけだといってもいい。まだそういう状態だからこそ奈々岡は、お願いを取り下げようと決めたのだろう。しかし、須賀だ。

「俺は見ての通りの、どこにでもいる高等部一年その一で、ついでに知っての通りの冷徹人間だ、スズくん。きみが速河への依頼……扱うものが事件だから依頼と呼ぶのが最適だろう、それを取り下げるという選択はとても良いものだ。とても良いのだが、何故だか俺と速河はそれだと困るんだ、なあ? 速河?」

 僕が困る? 久作は思案しようとしたが止めて、発声でそれをした。

「えーと、困る? ……そうだね。須賀はどうだが知らないけど、少なくとも僕はそうだ。理由は二つ、まず」

 言葉を切り、久作はリカを見た。

「ん? 私がどうかしたの?」

 弁当の最後の一口をもぐもぐとやっていたリカが少し驚いて、弁当箱をチェック柄の布でくるんで、カバンにいれた。

「食事の席での話題にはどうかと思っただけだよ。で、続きだけど、理由の一つは、リンさんの記事内容が同級生だった人だってこと」

「あーー! あーー! 危険な匂い察知! レーコ! エマージェンシー! 聞いたらダメだ!」

 アヤが両耳を塞いで立ち上がり、その場でくるくると回る。二つに束ねた金髪が新体操のリボンのように輪を描く。

「アヤ? 何?」

 リカが問うが当然アヤには聞こえていない。リカはくるくる回るアヤを強引に椅子に落とした。

「何だか知らないけど、別に話くらい聞いてもいいじゃないの?」

「いや、アヤちゃんの言うとおりなんだ、リカさん」

 アヤを両手でがっしりとつかんでいるリカが――両手の自由を奪っているのだ――どうして? と視線を返す。

「同級生だった人の自殺、教師らしき人物からの暴行の形跡、そして学園側による隠蔽。こんな危ない話に率先して首を入れるなんて無謀すぎる。僕らは警察でも探偵でもないのに、記事が真相に近いなら相手は間違いなく複数で、ついでに手馴れてる。危険で、同時に勝負にすらならない」

 リカが固まった。アヤが「ほらみろ!」と抗議しているが、それがリカに届いているかは怪しい。

「久作くんの言うとおりよ、だから――」

 奈々岡がドーナツを手にしたまま継ごうとしたが、久作がそれを制した。言葉を継いだのは、須賀だった。

「もう一つの理由というのは、いかにも速河らしいもので、俺にはそれはない。依頼の取り下げに応じる理由なら一つで足りるだろうに」

「あのさ、俺、この会話に入ってもいいのか?」

 方城が、難しい、何とも言えない表情で須賀に尋ねる。須賀がうなずいたが、方城は言葉に悩んでいるようだった。

「えーと、アンタ、じゃねーや、リン? スズ? どっちかに統一しておいてくれよ、速河。俺は新聞とかジャーナリズムってのか? そーいう話は解かんねーんだけど、リンは、その、速河が依頼? それに手を貸してくれなくても一年前の事件を追っかけるんだろ?」

「そうなるわね。正確には私と広報部なのだけれど、広報部でもこの件に積極的な人間はいないから、たぶん私一人でしょうね」

「その……遺族、だからか?」

「遺族のようなもの、詳しい話は現時点ではしないけれど、迷惑をかけるからね? 私はかなり個人的な事情であの事件を追ってるの。久作くんの言うもう一つの理由というのは、もしかするとそれを止めなさいということかしら?」

「余計なお世話だと思われるかもしれないけど、その通りだよ。で、リンさんはたぶん僕の助言を聞いてはくれても、やっぱり動く。ジャーナリストである以上に遺族のようなものだから、理性ではわかっていても感情がそれを許さない」

 方城は、事件と奈々岡に関してはほぼ久作と同じ情報を持っていたが、残念ながら久作ほどの分析能力を持っていない。しかし、野生の勘だかバスケットスキルだかで、久作と同じ結論には達していた。

「リン、解かってるのなら止めろ。こんな俺でもリンがかなり危ねーって解かるんだ、実際は俺の想像なんか超えたほど危ねーぞ、それって。だろ? 速河?」

「それも解かるわ。後半戦、残り時間四十秒。八十対七十七、三点差で負けていて、チームメイトの全員が体力の限界という状態。この試合に負ければ地区予選敗退が決定。さあ、方城護くん、どうする? アナタの体力も当然限界を超えている」

 突然、奈々岡の描いたコート風景に、方城が止まる。久作も想像してみた。

 残り時間はたったの四十秒だが、三点差ならばワンプレイ、いや、ツープレイは可能かもしれない。

 スリーポイントを狙いたいところだが、おそらく精度は低いだろう。それでもシューティングガードに打たせる。リング下に方城がいるからだ。リバウンドを取り、まず二点返して相手ボール。残り時間は三十秒。相手ボールがコートに入るが、二つ目のパスを方城がスティールして、そのまま切り込む。

 レイアップの前にディフェンスが二枚。しかし方城の滞空時間はまるでそこに浮いているようで、ディフェンスが落ち、ゴール。リバウンドと単独ドライヴの四点でホイッスル。一点差で試合を引っくり返し、方城チームが勝利した。

 方城だからこその勝利。方城以外では相当に難しい。奈々岡が誰でもない、久作に依頼を持ち込んだ。これに何か意味があるだろうか? 考えるが何も浮かばない。

「そうだな、三点差で体力ゼロでも、残り四十秒もあれば……気合で勝てる! どうせ体力がないんなら、身動き取れなくなるまで走る。そうすりゃ勝てるさ」

「地区予選よ? 次の試合はどうするの? アナタ、ボロボロじゃないの。次はもう試合にならないわよ?」

「次? んなこと考えてたら全力出せないさ。次のことは次に考える、目の前の試合に集中。でなきゃ勝てる試合も落としちまう」

「……その通りよ、解かったでしょう?」

 方城が、あっ! と声を上げ、久作とアヤを見た。最後は気合、というのがいかにも方城らしい。そして、方城に負けないほどの気合が奈々岡にはある。つまりはそういうことだ。

「リンリン、言いたいことは解かるけどさー、それって一種の誘導尋問じゃねーの?」

「そう? 私はあるシチュエーションを設定してみただけよ? そしてただ、どうする? と尋ねただけ」

 全く大した業物の持ち主だ、久作は内心で奈々岡の会話センスに拍手を送った。

「速河、そして方城もだが、その点に関しては諦めるんだな。スズくんはスズくんなりの信念と決意を持って行動している。部外者がそれに異を唱えたとしても、スズくんのそれは変わらんさ。しかし、と俺は言う。時野雄一氏がそれを良しとするか、ここをスズくんはもう一度冷静に考えるべきだ、とな」

 奈々岡が勢いよく立ち上がり、須賀を呆然と眺める。方城に向けていた知的さが崩れており、両手でドーナツを持つ姿が滑稽にも見えた。

「それよ! 須賀恭介くん! アナタ、どうしてその名前を?」

 須賀は少し面倒そうに欠伸を一つ、大したことでもないと手を振った。

「驚くほどでもないだろう? ローカル新聞の一枠になった事件だ。少し情報網を散歩すれば名前などすぐに出てくる」

「……いいえ、違うわね」

 久作はどうにも二人の会話に付いていけてなかった。須賀は既に、奈々岡と出合ってまだ一日で彼女の扱った事件の深部に近付いているように見えた。須賀と久作は確か、同じ程度の情報しか持っていなかったはずなのに、である。

「名前は解かるとして、アナタ、ピアノマンと言ったわよね? 報道情報が漏洩していたとしても、時野くんがピアニストだったなんてことは、関係者でも知らないレベルのことよ? 桜桃学園の情報管理はほぼ完璧で、私と会って数日、いえ、まだ一日だったかしら? それでそこまで知っているなんてあり得ない!」

「言っただろう? 散歩をしたと。情報管理などという――」

 ピンポーン、玄関チャイムが鳴った。

 何だ? 久作は辺りを見回す。ピンポーン。ここは高等部一年の教室であり、当然呼び鈴などない。

「……あ、メールだ。音消すの忘れてたー、ごめんねー」

 レイコがぺこりと頭を下げ、ケータイを開いた。昼休みなのでケータイが音を立てても別段迷惑ではないが、それにしてもどうして呼び鈴なのか、久作はレイコの真っ赤なケータイを見つつ、悩んだ。

「うん? 何だろコレ? 変なの。リンちゃん宛てのメールだよ? なんか難しいこと書いてて、あれ? 私の住所が乗ってる? 私宛? 間違いの間違いメール?」

「レイコ、何? 今は奈々岡さんと須賀くんが――」

 チリリリリン。電話が鳴った。

「やだ、私もマナーモードにしてなかった、ごめんなさ……何これ? 迷惑メール? 違うわね。奈々岡さん宛てのようで、何? 私の住所?」

 メール着信に呼び鈴や黒電話の音を設定するのはどうかと思うのだが、まあ趣味は人それぞれ……。

「レーコ! リカちゃん! 貸して!」

 突然叫んだアヤが、二人のケータイをもぎ取った。

「ひゃー!」

「ちょっと! アヤ!」

「シャラップ!」

 文句を言おうとしたリカにアヤがびしりと言い放つ。奈々岡が「どうしたの?」と尋ねるが、こちらは無視。二つのケータイ画面から目を離さない。

「……須賀恭介! お前はパソコン、あんまり得意じゃないだろう?」

「基準がアヤくんだと言うのなら、俺は初心者だな。ダブルクリックの意味が解かる、その程度だ」

「ピアノマン情報は、アングラ掲示板からだろ? でもって、桜桃学園裏サイトにも入ったな?」

 アヤの言葉には、かなり鋭利な棘があった。

「さすがはアヤくん。しかし前言撤回で、俺はパソコンやネットに関しては素人以上ではある。セキュリティに関しても――」

「シャラーップ!」

 アヤが大声を上げて、二つのケータイ画面を須賀と奈々岡に向けて言った。

「ブラックメールって知ってるか? 知らないだろ? 殆ど都市伝説みたいなもんだから知らなくてもいいけど、これがそのブラックメールだ!」


『奈々岡鈴さま

 友達は多ければ良いというものではありません。辛い過去よりも、前を向いて生きていくことを我々はお薦めします。――親切なアドバイザー

 〒******* **********』


「何だこれは? スズくん宛てのメールが、レイコくんやリカくんのケータイに? イタズラにしては――」

「イタズラじゃねー! ブラックメールだ! 須賀恭介! 失態だ! ヤバいぞー!」

 久作と方城も文面を読んだが、特に感想は出ない。内容がないからだ。自身をアドバイザーと称していて、まあそのような文章だとも読めるが、末尾にレイコとリカの住所が掲載されているのが解からない。宛先が奈々岡だからだ。

 須賀が、時野雄一……誰だか知らないがその彼がピアノマンだという情報をネットから拾ってきたらしい。しかし、桜桃学園裏サイトというのは初耳だ。どこかの学校にそういうものがあると久作も聞いたことはあったので珍しくもないが、アヤが、どうしてそこに須賀がアクセスしたのかを知ったのか、そしてブラックメール……全くお手上げである。

「アヤちゃん、私もインターネットだとかにはあまり詳しくないの。良ければ説明してくれないかしら?」

 奈々岡が久作を代弁した。しかしアヤは、待った! と手で制して、教室後方に走った。後方には生徒用ロッカーが備え付けられている、全学年共通である。自分のロッカーからアヤは、カバンを一つ持ってきた。

「まずはレーコとリカちゃんのブラックメールをこっちに貰う」

「いいよー、んじゃ、転送する――」

「ダメダメ!」

 アヤはレイコの手から再びケータイを取り上げた。アヤがにらむと、リカは自分のケータイをアヤに差し出した。

「えーと、レーコのはこれでいいけど、リカちゃんは会社違うから変換ケーブルで、あった! よしよし。まずはレーコのと、あたしのスクランブルケータイをケーブル接続と……」

 アヤは、普段手にしている黄色で派手なスライドケータイを久作の机に置き、もう一つのケータイを持ち出して、レイコの真っ赤なケータイとそれをカバンから出したケーブルで繋いだ。

 アヤのもう一つのケータイはブラックで、キーボードがスライドで出てくるタイプのものだった。しかし、久作が店頭で見たことのあるものとはかなり違う。まず、かなり大きくて分厚い。キーボードが二枚収納されており、それを左右に展開させると小さなパソコンのようになる。少々窮屈だがパソコンのキーボードと同じ感覚でタッチタイプできるかもしれない。側部に様々な形のスロットがあり、各種データメモリ媒体にも対応しているようだった。

「アヤちゃん、そっちのケータイ、凄いね?」

「速河久作、解かる? さすがだなー。こっちのはね、スクランブルケータイ。文字通りで緊急用のハイパースペック&カスタマイズケータイ。よし、転送終了。次はリカちゃんの、変換ケーブルで、ほいっと。スクランブルケータイはあたしの自慢の品その一で、ついでに必殺技その一なの。そのうち見せびらかそうと思ってたんだけど、まさかマヂでコイツの出番がくるとは思ってなかった。備えあればって奴? うーんと、そろそろ……」

 バババババン! 銃声がして、久作の机の上にあったアヤの普段の黄色いケータイが震えた。着信が銃声とは、これを趣味と呼ぶのはどうにも無理があった。

「久作、開いてみて、たぶんブラックメールだ」

「え? 触ってもいいのかな? その、人のケータイって、何だか抵抗があって……」

「そっちはいいの。重要メールとかアドレス関連は全部バックアップ取ってるから」

 言われて久作はアヤの黄色い、小さなケータイをスライドさせた。メール着信、開くと、レイコとリカのケータイにあったものと全く同じ文面と、最後にアヤの住所。

「同じだよ、アヤちゃん」

 アヤは指をパチンと鳴らし、リカにケータイを返すと、自分の黄色いスライドケータイと、スクランブルケータイとやらをケーブル接続した。

「方城護、このケーブルをLANジャックに繋げ。そこの柱んとこにあるから」

 方城に青いケーブルを渡し指示を出すと、アヤはカバンからノートパソコンを持ち出した。起動画面は久作の自宅のパソコンと同じくウインドウズだったが、画面の細部はかなり違った。

「よし、ブラックメールの吸い出し、完了と。こっからがアヤちゃんの腕の見せ所……って待て待て!」

 見たこともないブラウザでネットに接続したアヤが、キーボードから手を離す。

「どうしたの、アヤちゃん? 僕はその桜桃裏サイトっていうの、興味あるんだけど?」

 その場にいた全員が、久作に同意、うんうんとうなずく。

「あぶねー! ノリでそのまま突っ走るところだったよ! 速河久作、須賀恭介、それとリンリン」

 言われた三人は頑固な教師と接するように、アヤを眺める。

「トキノだかピノキオだか知らないけど、その事件の時はあたしは桜桃にいなかったから……リンリン、あたしは高等部からの編入なのだ、だから完全に他人事なの。自殺だか他殺だか知らないけど教師の体罰があって、まだ未解決。リンリンがジャーナリズムでそれを追ってるのか個人的な事情でかは別で、敵は三人の動きをもう捉えてて、先制攻撃がいきなり強烈なブラックメール。ここまではいい?」

 三人がうなずく。

「よろしい、続き。今ならまだ止められる。事件追うのを止めれば、ブラックメールを無視ってもOK」

「アヤちゃん? 私は久作くんへのお願いは取り下げようと、そう思ってたのだけど……」

 奈々岡が恐る恐る言うのに対し、アヤは「シャー!」と猫の威嚇。

「ブラックメールはリンリンじゃなくて、あたしらリカちゃん軍団に届いたの! リンリンのケータイ、着信ないっしょ?」

「ええ、ないわ」

「これがどんだけ強烈な警告か、須賀恭介、解かるか?」

 須賀が険しい表情で腕を組み、自分の顎をつかむ。

「俺の迂闊な行動で皆に迷惑をかけてしまい――」

「いや、そこんところは多分違うと思う。あたしがもしリンリンの話聞いてホンキだしたら、まずは桜桃裏サイトにアクセスすっから。単純にPC環境の差ってだけ。須賀恭介、リンリン。アカウント、いくつ持ってる?」

 奈々岡と須賀が顔をあわせて、殆ど同時に返した。

「一つだが? 家族とも共用していないからな」

「アカウントって、メールアドレスだったかしら? 一つよ?」

 その返答にアヤは「アウチ!」と自身のおでこを叩いた。

「速河久作?」

「オフィシャルとプライベート、あと海外をうろつく用で、合計三つだね」

「三つ?」

 奈々岡と須賀が同時に声を上げた。アヤの隣、方城がリカに「アカウントって何だ?」と質問していた。

「まあ、速河久作のが最低限レベルだな。ちなみにあたしは六つ。最低限の三つにコンピ研用オフィシャル&プライベートと、このアヤちゃんスペシャルノート専用。こいつにはあたしの機密がギッシリと納まってんの。まあそれはいいや。速河久作が言ってたけど、敵はプロかプロレベルだぞ? そいつらが止めろって警告してきてる……リンリン、まだやるっていうんなら、気合とか事情とかじゃなくて、まずは装備だ。そこんところ、どうすんのさ?」

 奈々岡が止まっていた。悩んでいるというより、困惑している。事態が飲み込めていない、そんな様子だった。

「アヤくん。相手がプロレベルだという根拠は?」

「ブラックメール」

 須賀に一言で返して、アヤは黙った。率先して沈黙するアヤを始めて見た。つまり、アヤにとってかなりの状況だということだろう。

「良ければ、それが何なのか教えて欲しい。俺はブラックメールという単語すら聞いたことがない」

「ホントのところは、ハッカーとかクラッカーに対する警告メールね。CIAとかNSAとかのサーバにハッキングをかけて遊んでる連中の誰かが、多重プロテクト破って機密に近寄ったら、即効でそいつんところにメールが届くの。そのハッカーの本名から住所、銀行口座番号、社会保障番号とかが書かれてて、一言「それ以上近付くな」って。それでハッカーはそれ以上は何もしない。相手に社会保障番号まで握られててハッキング続けるバカはいないからね。レーコとリカちゃんのケータイに届いたブラックメール。経路はたぶん、須賀恭介のPCアカウントからケータイ。ケータイのアドレス帳からレーコとリカちゃん、てな具合なんじゃないかな? つまり須賀恭介はハッキングされたってこと。ああ、あたしのケータイにも届いてたっけ? まあ、あっちはオフィシャルケータイだし全部バックアップあって、スクランブルケータイあるからどーでもいいんだけどね。だいたい解かった?」

 須賀がうなずき、隣の奈々岡が卒倒しそうになっていた。久作もまた、眩暈を覚えていた。

 ケータイ宛てにブラックメールというのも凄いが、それに完全に対応しているアヤ、こちらが凄い。ケータイを二台持ち、ロッカーからは変換ケーブルとノートパソコン。コンピュータ研究部とそれと自宅とでアカウントを六つ。相手、アヤは敵と言っていたが、そちらがプロレベルならば、アヤもまた同じくだ。

「私は既に相当の迷惑をかけていて、事件は追うべきではない……結論は出てるのね」

 久作の隣の椅子に座った奈々岡の手には、まだ食べかけのドーナツが握られていた。言葉に感情は乗っていない。須賀は沈黙している。

「なあ、方城?」

 久作は、蚊帳の外にいた方城に声をかける。

「今の状況をバスケに例えると、どんな感じだろう?」

「はぁ? 俺にお前らの会話内容が解かるとかホンキで思ってねーだろ? 俺はパソコンは苦手なんだよ」

「だからこそだ。外側にいる方城からはどう見える?」

 勘弁してくれ、と方城は頭を振って、たどたどしく言葉を発する。

「とりあえずピンチだってのは解かる。で、チームとしての力量が違いすぎる。相手がインターハイ常連で、こっちが一回戦敗退組ってところか? ブラックメールってのが強烈なカットインだとしたら、それやったフォワードは超一流だな。そんな奴がいるチームだ、ガードもセンターも相当なもんだろう。当然、チーム機能、連携もバッチリ阿吽の呼吸って奴だ。リンがもしスモールフォワードだとして、こいつはダブルチーム組まれてて身動きとれない。ボールを持ったはいいが、超一流の二枚ディフェンスだ、ボールキープだけで精一杯。須賀にパス出したらスティールされて、そっからブラックメールのカットインって感じか?」

「そんなところだろうね。リカさんがもしチームのヘッドコーチなら、どうする?」

 えっ? とリカ。自分に話を振られるとは想像していなかったようだ。

「私がコーチ? えーと、奈々岡さんからのパスは須賀くんには通らないのよね? だったら、アヤ? アヤにパスを出す。というか、アヤがボールを持ってれば、久作くんにも須賀くんにもボールが出せるんじゃないかしら? 相手が一流? だったらそうね、こちらも一流、方城くんを投入。アヤ、久作くん、方城くんの連携なら、どうにかなるんじゃないかしら? コーチってこういう感じなの?」

「ちなみに方城。最初から負けると解かっている試合を、お前はどうする?」

「負けるかどうかなんて、やってみなけりゃ解からん! チームのみんなが俺をエースだって信頼してくれてるなら、それに応えてガンガンに点を取る、それがスコアラーの仕事だ。そしてエースってのは、チームを勝利に導くもんだ! って、言わなくても知ってるだろう?」

「それでアヤちゃん……」

 アヤが立ち上がり、金髪ツインテールをぶんぶんと振った。

「誘導尋問だー! 速河久作! ブラックメールのヤバさを知ってて言ってるだろ? ここであたしが、負ける試合があったっていいって言ったら、ブーイングの嵐じゃんか! ホントにヤバいのに、これだから格闘家はイヤなんだよ! テメーの命をなんだと思ってるんだって話だよ、なあ? レーコ?」

 列席しているが話を聞いていたか不明なレイコなので、場を和ませる相槌でも出るかと思ったが、かなり違った。

「アヤちゃん! このブラックメールはね、リカちゃん軍団に対する挑戦状なのだ! 私とリカちゃんとアヤちゃんに挑戦状! うー、アチョー!」

 レイコの拳がビシッと空を切り、アヤががっくりとうなだれた。

「ああー、ダメだー。絶対ヤバいのにー、感情に流されちゃダメって時もあるのにー」

 アヤは差し入れのプチトマトを三つ口にほおばって、もごもごと顎を動かしつつ、スクランブルケータイの文面を読み返していた。

「……あの、つまり、どうなったのかしら?」

 奈々岡が心底不思議そうな顔で、アヤと久作を交互に見る。それに応えたのは須賀だった。

「俺を含めたこの面子で、挑戦状を叩きつけられて逃げる人間は一人としていない、そういうことだな、速河?」

「攻撃は最大の防御っていうのは、案外正論かもしれない、そう思っただけだよ」

 昼休みの終わりのチャイムが、まるでアヤの泣き声のように聞こえた。

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