『第三章~棺桶を踏み台に、彼は学年成績を高く踏み上げていった』
「男子学生自殺の裏に、指導と称した体罰の影。教育倫理を問われる学園の本音と建前」
――中等部三年のTさんの遺体の発見状況から、警察は自殺だとすぐに断定した。中等部二階にある音楽室の入り口で首を吊ったTさんのブレザーから遺書とおぼしきものが発見されたからである。自殺案件なので司法解剖に回されることはなかったが、Tさんの身体に暴行の形跡があったと聞いた遺族は、学園に対して、いじめや体罰はなかったのかと追求したが、学園側はそのような事実はないと返答した。
学園の対応にTさんの遺族は、いじめ、もしくは体罰の可能性があると警察に捜査続行を訴え、それに警察が応じたことはあまり前例のない事だった。しかしながら、暴行の形跡と遺書との関連性を軸に捜査をするにしても、案件が自殺であることには変わりなく、結局、捜査は形式的なもので打ち切られた。唯一、遺族の無念に警察が応えた点があるとするなら、遺書と暴行痕跡が科捜研に回され、遺書がTさん自身の筆跡であることと、暴行の痕跡が大人か、大人と同じ体格を持つ人間によるものだという事実、この二点だろう。
Tさんの自殺は法的手順にのっとって処理されたが、残された遺族にとっては法的手順などはどうでもよく、Tさんの自殺の原因が遺書に記述された以上の何かであった可能性、この点こそ、遺族と、何よりTさんの無念だといえよう。
遺書の文面は伏せられたままだが、暴力の痕跡から、いじめ、もしくは体罰があったと想像するのは容易く、それが科捜研の鑑定から大人によるものだという点から、遺族は、学園教師による体罰があり、それを学園が隠蔽しているとして強く学園上層部に迫った。
しかしながら学園の対応は、そのような事実は一切ない、と変わらず、学園内部で調査委員会のようなものが設置されることもなかった。これに対して遺族が更なる捜査をと地方裁判所に申し出るが、証拠不十分として却下された。
このような事例は昔から全国各地で頻繁に発生している。
学校という閉鎖された一つの社会において、生徒と教師との関係性が重要視される昨今。改善された点は少なからずあるとはいえ、根幹の部分は古い体質のままだと言っていいだろう。学校社会における未成熟な生徒と、それを統率・牽引する役目を持つ教師。その関係にあってはならない歪みが生じた際、Tさんのような事例が発生する。
繰り返してはならないこの体質を覆す方法を、現代教育は未だ獲得していない。そして、これこそ教育倫理においてもっとも重要視すべきことだと、教育関係者は自覚すべきであろう。
(奈々岡)
「なあ、須賀。速河が完全に固まっちまってる。どうする?」
夕刻、1‐Cの後方。険しい顔で新聞を読む男子生徒の彫刻が置かれていた。久作である。方城と須賀が久作の後ろからその手にある新聞、奈々岡鈴の記事を読もうとするが、久作の頭が邪魔でよく見えない。
「俺が思うに……速河、お前が気になっているのはこの記事内容もそうだが、その日付なんじゃあないか?」
「そうだ」
彫刻と化した久作が短く応えた。
「日付って、これは去年の新聞だろ? つまり一年前、とっくの昔の話だ」
方城が桜桃新聞の上端、日付部分を指差して言う。久作の机から少し離れた位置で、アヤとレイコがキャーキャーと叫んでいた。
「とっくの昔、まあ、部外者ならそう思うだろうが、速河はそうは思っていない。リカくんはどう思う?」
久作の前に座って新聞の別面を読んでいたリカは、うーんと唸った。
「何というのか、凄く複雑よ? 方城くんのいう、とっくの昔って、私たちが中等部三年の頃でしょう? そして、そのTさんという人も中等部三年。つまり、同級生ということよね?」
須賀が立ち上がり腕を組んで窓を見る。外は既に薄暗い。
「そう。だから速河は、この、奈々岡といったか? 彼女の書いた記事を他人事だと切り捨てられないでいるんだろう。俺はこの桜桃新聞というのは殆ど読んだことはないが、事件については記事内容程度なら知っている。それを同級生である速河が知らなかったということ、こちらも速河を困らせている要因なのだろう」
ぴくりと久作が動き、ゆっくりと新聞が机に置かれた。
「そう、須賀の言うとおりだ。僕はこんな事件は知らない。僕が中等部時代に周囲に関心がなかったからだとしても、明らかにおかしい。確かに僕は相当に無関心な人間だったけど、同級生の自殺を他人事と割り切れるほど大人じゃあない」
「それで、久作くんは、つまり……どうしたいの?」
真正面のリカがゆっくりと尋ねる。何やらリカの表情に陰りがあるが、それが窓の外の日射量によるものかどうかは解からない。
「どうって言われても、どうもこうもないよ。奈々岡さんの記事どおりなら、事件はもう終わってる。どう思おうと僕は部外者だ、何を言う権利もない」
「そこまで解かっていながら、お前はこの記事から目が離せない」
須賀が久作の言葉を促した。
「そうなんだ。同級生、イニシャルになってるけど、もしかすると僕はこの人と面識があったかもしれない。その彼が自殺をして、遺書もある。でも、暴行の痕跡もある。科捜研の鑑定結果でそれをやった人間を絞り込むことはそれほど難しくないはずなのに、この彼は何かしらの理由で自殺した、と終止符が打たれている。須賀、どう思う?」
普段の久作は、どちらかといえば軽薄な印象を与える。アルカイックスマイル、意図的に笑顔でいるので、なかなかの美男子が今日もご機嫌だ、といった感じだろう。それが女子に受けているとアヤが言っていた。そんな久作がいざ本気で何かを考え出すと、その印象は全く違うものになる。レイコの言っていた格闘家、これがもっともふさわしい形容だろう。
須賀は、そんな久作とは対照的だった。常に何かしら考え込んでいるような顔をしており――実際、考え事をしているのだが――須賀の表情をにこやかに崩すことは、親しくない人間にはかなり困難だろう。久作は須賀を「ハードボイルド探偵」と内心で勝手に形容しているのだが、あながち間違いでもない。
「一年前の事件、同級生の自殺に暴行の形跡があり、捜査は終わった。これをどう思うかという質問はナンセンスだ。俺はどうも思わない。仮にその彼が俺のクラスメイトだったとしても、それは過去の話だ。死者をないがしろにするつもりは一切ないが、それでもやはり俺は生者を重要視する」
バシャッ! 一瞬、教室が明るくなった。アヤとレイコの騒ぎが止まり、リカと久作は真横を向いた。教室後方の入り口に人影があった。
「須賀恭介くん、アナタは同じ科白を遺族の前でも言えるの?」
奈々岡鈴が一眼レフを構えて、ゆっくりと久作たちに迫ってくる。
「奈々岡鈴くん、だったね? それは論点がズレている。きみが扱った自殺記事と、俺の人生観は関連はあるが直結はしない。無論、同じ科白を遺族の前で言うなんて真似はありえない、説明不要だろう?」
須賀の意見は正しい。須賀が先の科白を遺族の前で言うなどという真似は絶対にありえない。須賀ほど言動に慎重な男はおらず、口が滑るといったこともまずない。
「言っていることは解かるわ。アタナがそうやって、ある人の人生を過去のものにしてしまう人間だってことも、よーく解かるわ」
奈々岡のハーフフレームが鈍く光っている。前髪のせいで表情は読み取れないが、須賀をにらみつけていることだけは解かった。
「きみの言うことは正しい。俺はそういう人間だ。しかし、きみの言葉に明らかな敵意がある、ここが解からない。俺の人生観や哲学がきみに迷惑をかけたとは、現時点では思えないからだ」
「遺族という言葉の意味は知っているでしょう? もしかするとこの単語には、アナタなりの別解釈があるのかしら? 例のカニ社会だとかみたいに?」
久作には、奈々岡の言葉の意味が解からなかった。いや、正確に言うと、言葉に乗せた感情が読み取れなかった。奈々岡は表情と同じに、言葉にも何重ものフィルターをかけているように思えた。
「単語の定義など人それぞれだが、きみの質問はつまり、自分が新聞の彼の遺族だと、そう聞こえるが、どうだろう?」
えっ? とリカが小さくつぶやく。久作の表情も知らず険しくなる。
「厳密には違うのだけれど、おおむね正解といったところね。つまり、アナタは遺族の前では決して口にしないといった科白を、ついさっき、言葉に出したということ。これについてはどう思うのかしら?」
奈々岡が一歩踏み出すと、須賀と殆ど密着するようになった。奈々岡の濃紺の瞳が上向きになり、身長差を無視して須賀を貫いている。須賀は十秒ほど思案してから、普段と同じ調子で喋る。
「きみがノックも挨拶もなしにこのクラスに入ってきた、という点を差し引けば、俺に若干の軽率さがあったのかもしれん。ここは強く言っておくが、ただそれだけ、だ。俺の意見は全く変わらん。それをきみがどう思うかは、それほど興味はない」
「ねぇ、ちょっと、須賀くん。それは少し言いすぎなんじゃない?」
須賀と奈々岡との間のただならぬ様子に痺れを切らしたリカが、か細く割り込む。須賀はリカをチラリと見ただけで、視線を奈々岡のハーフフレームに戻した。一方の奈々岡は、しばらくリカを見て、何か言おうとしたが止め、再び須賀をにらみ上げた。
「須賀恭介くん」
奈々岡がゆっくりと切り出した。
「久作くんもだけれど、アナタの評判は聞いていたわ。教員にも一目置かれるかなりの切れ者で、二枚目。常に沈着冷静で的確なアドヴァイスを出し、成績はおそらく卒業までずっと一位だろうと、ほぼ完璧な人ね。それでいて死者を冒涜し遺族をないがしろにする哲学を持つとなると、二枚目にミステリアスな要素も含まれて、女性には大人気なのでしょうね?」
「ちょっと待てよ! アンタ!」
奈々岡の口から、まるで芝居の科白のようにスラスラと言葉が出てくる。しかし、さすがにこれには方城が黙っていなかった。方城は小学生からずっと須賀の親友であり、奈々岡の芝居じみた科白は、その親友をメッタ打ちにしている。ややこしい会話が苦手とはいえ、方城にだってそれくらいのことはすぐに解かる。
「さっきから、何なんだよ! そりゃ、須賀には冷たいところはあるよ。でもな、アンタの事情は知らないけど、フツーそこまで言うか? 第一、殆ど初対面でアンタは須賀のことなんて、全然知らねーだろ? 広報部だかジャーナリストだか何だか知らねーけど、そーいう無礼はOKなのかよ、新聞作りってのは?」
「アンタじゃなくて、奈々岡鈴。何度も言わせないで、方城護くん。確かに私は須賀恭介くんのことは伝聞でしか知らないわよ。そんな私の態度が無礼なのは、その伝聞での須賀恭介くんが私をそういう態度にさせたから。配慮の欠片もない言葉でね。ジャーナリスト志望としては須賀恭介くんの冷徹さ、いえ、冷静さかしら? ぜひともお手本にしたいところね。人の死を過去のものとしてアルバムに丁寧に収めて綺麗サッパリ忘れて感情を消す。客観性を求めるときにこれはとても重要なことだから」
方城が続けて何か言おうとしているが、言葉が出ないようだった。リカも同じくで、しかし両者とも、未だに奈々岡による須賀への攻撃が終わっていないことは察知していた。当人である須賀は、奈々岡の長科白を聞いて、腕を胸の前で組み、二つほど頷いて、やはり普段と同じ調子で返した。
「さすがはジャーナリストだ、初対面から二度目で俺がどういった人間なのかを正確に把握している。速河が何やら新聞の記事、きみの書いたものに関心を示し、速河自慢の頭脳でこいつなりにあれこれと整頓していた。俺は意見を求められ、繰り返すが、死者よりも生者を重視すべきだと、遺族だと言うきみの前で言った。そして、こちらも繰り返しだが、俺の言葉にきみがどう思うかなど、俺には全く興味はない。俺の主張や哲学を曲げろと言うのならその努力はしてみてもいいが、どうやらそうではないらしいから、俺ときみとの会話はこれで終わりだ。最初にインタビューだとか言っていたが、俺に関してはこれで十分足りるだろう、新聞記事を書く程度にならな」
「そうね。須賀恭介くんの特集を組めそうよ。噂の沈着冷静さは自殺者の遺族の前においても変わらず。棺桶を踏み台に彼は学年成績を高く踏み上げていった。こんな見出しはどうかしら?」
「見事だ。ジャーナリストというよりも詩人だ。ぜひとも俺の特集記事を組んで欲しいものだな。写真はもうたっぷりとあるだろう? 他人の昼食時間を無視してご自慢のカメラを連写していたからな。その、最低限の礼儀作法も知らない機械のメモリーのどこかに俺の顔も入っているから、遠慮なく使ってくれたまえ」
水と油、奈々岡と須賀はまさしくそれだった。
桜桃学園の生徒として他人事とは言い切れない奈々岡の一年前の記事に、久作はどう接すればいいのか悩んでいたが、須賀は接しないという立場を取り、それは遺族かもしれないという奈々岡が出現しても全く揺らがない。それを軽蔑する奈々岡の言葉は、リカや方城が抗議しても取り下げられる気配はなく、こちらも全く揺るがない。話題が、同級生の過去の自殺という陰惨なものであるにも関わらず、両者はその持論や哲学を一切曲げる気配がない。
須賀恭介と奈々岡鈴が、そろって怒っているということにかなり遅れて気付いた久作は、聞こえないように舌打ちした。
「あのさ! リンさん!」
保健室で露草が彼女をそう呼んでいた。久作の欠点の一つ、人の名前を覚えるのが苦手ということは、実害はないが、コミュニケーションを妙なものにすることがあった。
「リンさんって……久作くんと私、ナナオカ・スズってそんなに親しかったかしら? 私をそう呼ぶのはごくごく親しい、古くからの友人だけなのに、私の勘違いかしら?」
本来は須賀に向けられるであろう棘があちこちにあったが、久作は気付かないフリをして続ける。
「まあ名前はほら、伝わればいいだろう? リンさんも僕を久作と呼んでたから、何となく親しいような気がしたんだよ、たぶん」
とっさの切り替えしだったのだが、奈々岡は、ふぅん、とだけ返した。どうやら彼女の感情を刺激することはなかったらしい。
「須賀はさ、何ていうのか、ちょっと難しい奴なんだよ。でも、全然悪い奴じゃあない、僕が保障する。リンさんだって須賀の悪い評判なんて聞いたことはないよね? 会話とか言葉とかに須賀はこだわりがあるんだよ。それがまあ、誤解を生むことは多々あるんだけど、あくまで誤解だからケンカするほどのことでもないんだ。そもそも、この話題で喋っていたのは僕が始めたことで、須賀とは殆ど無関係なんだよ」
最後に、ねえ? とリカに同意を求めて、久作はまくし立てた。奈々岡がそれを吟味して口を開くより先に、須賀が一言。
「速河、無理に俺をいい人にしなくてもいい。誰が何と言おうと俺は俺だ」
「須賀! 今は黙ってろ! 速河、続き、ヨロシク」
方城が須賀を強引に止め、久作にアイコンタクトを送る。
「速河久作くん。アナタはアナタで評判どおりの人なのね? こんな冷徹偏屈人間なんてほったらかしにしておけばいいのに」
「その通りだ、放置してくれて構わない。ジャーナリストが盲目なのは今に始まったことでもないしな」
「だから今は黙れって!」
奈々岡の視線が須賀のそれと衝突する。ほぼ密着して一方は見上げ、もう一方は見下し。これで腕を絡ませていれば、さぞかしドラマチックなシーンだろうが、会話内容に至っては民族紛争の如くである。
「ほ、ほら! こういう難しい感じが、須賀の、えーと、須賀らしさみたいなものなんだ。こんな奴、他にいないだろう? こういう変わった会話センスが須賀の……魅力、そう! 魅力なんだよ!」
方城のディフェンスをかわしてくる須賀なので、殆ど力技だった。どうして自分が須賀をここまでかばう必要があるのか、と一瞬だけ考えたが、須賀本人に全く譲る気配がないので仕方がない。奈々岡鈴の会話力は方城ではとてもではないが歯が立たない。かといってここでリカを巻き込むのも違う。まさかここでアヤを出すわけにはいかない。またカニ権だの何だの意味不明なアサルトライフルが炸裂して、事態が深刻化するだけだ。そんなアヤが未だに遠くでレイコと鼻歌で小躍りしているのは、幸いだった。
「それでリンさん! えーと、僕の評判って? 見ての通りの地味な奴だよ、僕は。誰かの話のネタになるほどの逸話もなければ、陰口を叩かれるほど他人と接しているでもない、どこにでもいる高等部一年男子。新聞記事ともたぶん無関係な、退屈な暇人だよ」
須賀が余計なことを言わないように素早くだったので言葉を選ぶ暇がなく、久作は自分がとてもつまらない人間だと自分で強く主張しているような格好になっていた。まあその程度でこの険悪なムードが消えるのならお安い、とも思っていたのだが。
「久作くんはどこかの誰かさんと違って、凄く謙虚なのね。アナタの評判は良い意味で不思議よ?」
「不思議?」
「そう。成績は冷徹無愛想人間に続いてて、運動はエースさんの次くらい。ミス桜桃の三人ととても仲が良くて、一時は、あちらの加嶋玲子さんと付き合ってるなんていう噂も聞いたけれど、実際のところは不明。軽いだとか、いつも呆けているだとかも耳にしてて、軽くて呆けてる男子を女子連中がどうして騒いでいるのか不思議だったのだけれど、実物を見れば納得ね。でも、何だか三枚目にも見える、ここが不思議なところで、でも、おおよその察しはつくわよ?」
久作はほっと胸をなでおろした。自分の噂の内容はどうでもいいとして、ようやく奈々岡の矛先が須賀から離れた。須賀もおとなしくしている。久作の心中に遅ればせで気付いたからか、あるいは単に飽きたからか。
「公言はされていないけれど、久作くん、アナタが空手部主将の三年生をやっつけた、それもものの数秒で、そういうソースがある。広報部の情報網もあながち捨てたものではないのよ。空手部主将といえば、ここ桜桃学園では最強の男子生徒といっても過言じゃあないわね。他に格闘関連の部活動があるけれど、取材するほどの成果をあげているのは空手部くらいのもの。まあ、実績はそれほどでもないのだけれど、それにしても主将には違いない。そんな人を数秒でやっつけるなんて真似を、軽くて呆けているだけの人間、アナタのことよ? そんな人間に出来るわけがない。でも幾つかのソースはそういったことがあったと明言している。つまりそれは事実であり、速河久作という人物は、どうやら三枚目を意図的に演じている節がある、と。まだここまで、とても記事にはならないから裏付けを取りたかったっていうのが、私の目的の一つ」
矛先を無理矢理自分に向けさせた久作だったが、奈々岡鈴の目的とやらは、何やら久作を洗いざらい暴露しようとしている感があり、しかし久作には特別隠しておくような過去などなく、妙な違和感を覚えた。空手部だとか格闘技だとかという部分はどちらかというと隠しておきたい。そもそも久作は格闘家ではなく、単に、ある種の格闘技を我流で扱えるというだけで、その道に進むつもりなど微塵もないからである。また、そういったことを吹聴してまわった挙句にどうでもいいことに巻き込まれるのも断じて避けたい。久作が三枚目を演じているのは……つまり奈々岡の指摘したとおりなのだが、それは単純に、自分を取り巻く日常を退屈で平凡な位置でキープしておきたいから、それだけの理由からだった。退屈がイヤになれば、その時になって何か楽しいことを始めればよく、そのタイミングは自分でコントロールしたい、単純な理由である。
「私のもう一つの目的は――」
現時点では平凡で退屈な一年男子である久作は、特に興味もなかったのだが、何だろう? と大袈裟にゼスチャーしてみせる。
「――そんな久作くんの力を借りたいと思ったから。当然、私が知っている通りの人物ならば、という前提でね」
……あれ? 何だ? 話が突然、妙な方向に飛んだ。
「はぁ? 何だそりゃ? アンタ、ええと、スズって言ったっけ? リン? どっちでもいいけど、速河にインタビューとか言ってなかったか?」
「うん、私もそう聞いたわよ。だから奈々岡さんはカメラを持って、久作くんをパシパシと撮影してたんじゃないの? 桜桃新聞の記事を書くために」
奈々岡の科白が意外だったのは方城とリカも同じだったらしい。言われた奈々岡が、少しだけ照れたようなしぐさを見せた。初対面からこちら、ずっと怒鳴りあいや冷ややかな抗論だったので、その柔らかいしぐさは、久作をどきりとさせた。女性版・須賀恭介、そんな奈々岡の女性らしい部分が垣間見えたからである。
「インタビューはするわよ。記事は、まあ書くつもりだけれど、実際に仕上がるかどうかは自分でも見当が付かないの。というのも、そのどちらもが久作くん次第だから」
久作と目が合うと、奈々岡はあからさまに照れて、ハーフフレームを忙しく上下させた。どうして奈々岡が照れているのかは知らないが、そういう態度はつられるもので、久作も何やら妙な違和感にムズムズしてしまう。先ほどまでの流暢な会話はどこにいったのか、奈々岡はぎくしゃくしだして意味もなく一眼レフをいじったりしている。そうすると久作もまた、視線のやり場に困り、オレンジの軍用時計だとかハーフフレームだとかに忙しく泳がせる。
「頼みごとをしに来た人間だとはとても思えん登場の仕方だったな。さすがは一流ジャーナリストだ」
「アナタに言われたくない! この独裁者!」
何とも奇妙な間合いを、須賀が一言でぐしゃぐしゃにした。
久作たちの遥か遠くでアヤとレイコが互いの手を取り合い、くるくると回っていた。創作ダンスだか何か知らないが、あちらは相当に平和なようであった。