春一番
「君はカップ麺を待つ時間はぴったり守るのに、会議の時間は守らないのだね」
ボスの意味の分からない皮肉を聞き流し、私は席に着いた。
「さて、佐伯君、遅れてきたものがいるが、始めから話す時間はないので続けてくれ」
「分かりました。では、ここ最近、琵琶湖畔に現れた謎の機械のことですが。大きさは人が三人ほど入れるくらいの大きさで、ドアらしきものが見られます。前日には無かったことを思うと、移動するものだと思われます」
議題はここ数日同じ事に関してである。先日、年も明けてまだ世間様は家で惰眠を貪りつくしているころ、琵琶湖畔に謎の物体が現れたという知らせを受け、私たちは少し早い仕事始めとなってしまった。地球防衛軍などという少しふざけた名前であるが国家公務員なのである。逆らうことは許されない。まったく迷惑な話である。今年も初詣に行けなかったし、お笑いも見られなかった。
「武蔵野君。聞いているのかね!」
あれこれ考えているとボスの怒鳴り声が聞こえた。
「すみません。今回の件で考え事をしておりまして」
「全く、仕事熱心なのはいいが、今も仕事中だ。君は現場に行って、その物体を見てきたのだろう。そのことを話してくれと言っているのだ」
こいつは嫌みの一つは言わないと、どうも話ができないらしい。
「は。私めが現場を見てきたところ、ここ数日間は全く動きがなく、物体に近づく人物もいませんでした。物体の周りは少しばかり暖かく、近づくのは危険かと思われます。」
「分かった。君はもう下がっていい。滋賀に戻り引き続き見張りを頼む。君にかかっているのだよ」
「適当なことを言いやがって、このハゲ!」という言葉は飲み込んで、私は滋賀に戻ることにした。
日が経つにつれ、例の機械は少しずつ温かくなり始めたらしく、周りの気温も少し暖かくなっていた。近くのコテージで待機している私にはありがたい話であり、機械の周りにも少しずつ植物が芽吹き始め春を感じるようになった。
その頃には近くの町の人たちと話すようになり、子供たちと遊ぶようにもなっていた。やはり、私の仕事にあこがれを持つ子供も多いのだろう。
「毎日、こうやって機械を見て、遊んでいるだけで金がもらえるとは嬉しいね。ボスの嫌味を聞かなくて済む。ずっと何もなく、あの機械があり続けたらいいのに」
「武蔵野君。調子はどうかね」
「はい。物体が現れてからひと月は経ちますが動きはありません。前から報告している通り、少しずつ温かくなっているだけです」
「分かった。引き続き頼むよ」
「はい!喜んで!」という言葉はやはり飲み込んで、ボスからの電話を切った。
「おじさん!誰と電話してたの?」
さすがの私でも子供たちとサッカーをしているときにボスから電話がかかってくると焦ってしまう。
「怖いおじさんとだよ。ははっ」
「やだねぇ。一緒にオニはソトしないとね」
そうか、今日は節分か。この仕事に就いてから、節分などのイベントは全く関係ないところで暮らしていたから懐かしい。
『こちらは地球。経度三五度一九分二四秒。緯度一三六度一分一三秒。春をお知らせします。春をお知らせします』
突然、機械の方から大きなアナウンスが聞こえてきた。
「君たちは、家に戻るんだ」
子どもたちにそう言い放ち、私は急いで機械の方へ走った。
「浮いている」
大きな機械が二階ぐらいの高さに浮かんでいた。火なども出ておらず、音もなく浮いていた。そして、機械から強風が吹いていて、先程よりも周りが暖かくなっていた。
「おじさん。これなに?」
「な、家に戻るように言ったじゃないか。あぶないだろ!」
「おじさんも危ないじゃないか。いっしょだよ」
今更、追い返しても危ないだろうし。なにより、ぎゅっと裾を握られてそう言われると追い返せない。
「一緒ではないと思うが、まあいい。離れるんじゃないぞ」
機械から吹く暖かい風がどんどん強くなっていた。しばらく見ていると、機械はゆっくりと上昇していき、やがて空へ消えていった。
温かい風が頬をかすめる。
「おじさん、暖かいね」
「そうだな。春一番だ」