色欲
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その男は、色欲に溺れた。
男は、年をいくら経ようと劣ることのない猛きリビドーを持て余していた。だが、どうして、ふくよかで、怠惰で、手癖の悪い墓守に女が寄ってこようか。そんな男に、彼女などできようはずがないことは明らかだろう。しかし、男は、彼女ができない原因が自分自身にあるとは微塵も考えなかった。必然、男の性処理はアダルトビデオによって為されることとなる。仕事終わりにDVDのレンタルショップへと通うことが男の日課であった。
男の通うDVDレンタルショップは、全国チェーンの割に品ぞろえの悪い店であったが、男はそこを気に入っていた。男の住むアパートから近かったということもあるが、それだけが理由ではない。その店は、男にとって思い出の店でもあったのだ。男が子供のころから、その店はビデオのレンタルショップであった。しかし当時は、まだ全国チェーンではなく個人経営の店だった。店の一角には、当時はやっていたストリートファイター2の筐体がおかれ、男は毎日のように通いどこのだれとも知らぬ少年たちの対戦を横目に眺めていた。
いつしか、店の主とともに内装も明るくきれいな物へと変えられ、ゲームコーナーも撤去された。しかし、変わったといっても元の建屋をそのまま利用しているためか、ふと気づくと以前のかび臭い佇まいが思い起こされるのだ。全国チェーン店となって、棚の配置が変えられたとしても、それは同じだった。店の入り口の位置はもちろん、店の北側にあるトイレ、フロアの中央に立つ明らかに邪魔な柱、その柱が死角となることを防ぐための防犯カメラ、そしていつの時代も店の最奥に設えられたアダルトコーナー。何が起ころうと、何十年経とうと変わらないその店の持つ安心感が、男を優しく包み込むのだ。
だが、かつての思い出も男の無限に沸き上がる猛りを抑え込むことはできなかった。その日も、男はアダルトコーナーへと赴き今晩の供となる円盤を物色していた。棚の前に、仁王立ちで陣取り、棚に並べられたDVDのタイトルをじっくりと眺める。しかし、長年通い続けてきたせいか、DVDのタイトルを見るだけで、男はそのDVDの内容を完全に脳内で再生することができた。男は、まだ出会っていないDVDを求めて別の棚へと移る。だが、どういうことだろうか。男がいくら探そうと、男が見たことのないAVは見つからなかった。
それもそのはず。男は、既にその店に存在するすべてのAVを鑑賞しつくしてしまっていたのだ。男は、人目をはばからずにアダルトコーナーで声をあげて泣いた。本物の女だけでなく、AVまで俺を裏切って逝ってしまうのかと。他の店にAVを探しに行けばいいだけの話だが、悲しみに暮れる男に、そんな通常な思考ができる冷静さは残っていなかった。男の性欲は、AVの枯渇をきっかけに完全に決壊し、その全てが開け放たれたのだ。男は、「俺だって本当は、AVなんかじゃなくて本物の女を抱きたいんだ」と店内に響き渡る声で泣き叫んだ。しかし、男の心からの叫びに応えてくれる女性など居はしなかった。それどころか、この世界には、はた迷惑にも泣きわめき続ける男に寄り添おうという者は、老若男女を問わず誰一人としていないであろう。
なぜなら、この世界は、たったひとつの病原菌のせいで、その一人の男を残して全て滅んでしまっていたのだから。