貪食
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その男は、貪食の限りを尽くした。
若かりし頃の男は、整った顔立ちにスリムなシルエットで世の女性を惹きつける魅力を持っていた。しかし、今となっては男の腹は目いっぱいに膨れ、節々に肉が余る、見るも無残な肉袋と化していた。
何が原因かと問われれば、それは男が自身の食欲にひたすらに従順であったからだと言えよう。
それがいつ何時であろうと腹が減れば食べる。深夜であろうが早朝であろうが、仕事中だろうが、布団の中であろうが。いざ食欲が湧けば、時と場所に分け隔てなく欲望を解き放つ。いつからだったろうか、それが男の常となっていた。
男の食事は、量や時間以外にも異常があった。そのほとんどは冷凍食品や缶詰、乾きもの、漬物といった保存食が占め、とてもバランスの良い食生活を送っているとは言えなかった。
当然、男のありとあらゆる内臓はズタボロとなっており、時折襲い来る痛みに声も出せずのたうち回るようなこともしばしばだ。だがしかし、それでも男は自身の貪食癖を抑えようとは思わなかった。
男は、特にあんこをこよなく愛した。
その力強く頭を穿つような甘さはもちろんのこと、舌に馴染む柔らかさ、黒く艶やかな色彩、その全てをただひたすらに慈しみながら日毎食した。
時に、自身であんこを作ることもあった。大きな寸胴鍋に大量の湯と小豆を放り込み、ぐつぐつ煮立て冷まして灰汁を抜き、再び煮立てたら砂糖、水飴、塩を加えるのだ。出来上がった大量のあんこは、男が一人で食すにはあまりに多く。毎度、おはぎとなって男の管理するほぼすべての墓に供されるのだった。
ある朝、男は大量のおはぎをその腕に抱き、墓園の中にある実家の墓に向かった。墓石には、祖父母と両親、それと若くして亡くなった兄の名が刻まれている。
男は手を合わせながら、いつしか自身が家族と同じ墓に入るという期待に胸を膨らませた。決して、仲の良い家族とは言えなかったかもしれない。しかし、それでもなお在りし日の思い出は男に安心を与えてくれるのだ。いつの日か死んだ家族と再会し、幸せな食卓を囲むことが男の夢であった。
祖母の作るサバずしは、絶品だった。母の作るカレーは、謎の苦みと臭いを発する唯一無二のものであった。父がよく連れて行ってくれたコッテリが売りのラーメン屋。祖父が買ってくれたソフトクリーム。兄と奪い合った、自生のアケビ。
思い出すだけで、男の腹はぐううと音を鳴らす。だが、どれも今となっては手に入らない物ばかりだ。だから男は、かつて味わった家族との食事に思いを馳せ、せめてもの慰みにと今日も愛しいあんこに手を伸ばすのであった。