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④流され方

恋愛も死も、自ら飛び込むにはエネルギーの消耗が激しい

精神力の鍛錬は厳しいですね


 

  太陽は、誰かの悩みや絶望を知る由もなく沈もうとしていた。

 気にするはずも気になるはずもないのだが、容赦なく宵闇と入れ替わる瞬間に胸がざわめいた。

 私を、特定の誰かを中心に世界や地球が回っていたら、生命は滅亡するだろう。そんなことくらいわかっている。独裁者になりたい、と思える輩がほんの少しだけ眩しい。

「ねぇちゃん、学校行ってくる」

  ベッドから出てこない私を気遣ってか、レンが扉の向こう側から話しかけてきた。

「遅刻だね」

  定時制高校の夜間部とはいえ、日が暮れてから授業が行われるわけではない。

「今日は大丈夫デーだから、行ってきます」

  レンが居なくなった気配を感じ、私はようやく起き上がった。バニラには2回餌を与えていたが、レンは構ってない。好きに食べるよう書き置きと千円札を1枚、ダイニングテーブルに用意していただけだった。

 保護者失格だ。


  衝動的に死ぬことを選ぶ人。

  助けを求めながら「死にたい」と苦しむ人。

  死ぬために予定を組んで、準備を進める人。


 私は後者だ。

 昨夜は、【とにかく消えたい衝動】にかられた。でも、レンを高校に通わせ、ウサギを飼い、身体障害者2級の母親を放置しての死に逃げはできない。そのための処置をそれぞれ考え、実行してからでなくては無責任過ぎて死ねないのが、直ぐ死なない理由だ。

  もしかしたら、生きるための理由を作っているのでは、と錯覚することもある。


  ピンポーン♪

  ピンポン、ピンポンピンポンピンポンピンポン!!


「はーい」

 この鳴らし方は、99.9%あいつだ。

 出なければピンポンを2、3分は連打され、ドアを叩かれ、また呼び鈴を鳴らし続けられる。

 着替えて出るべきなのだろうが、今はとにかく怠くて面倒くさい。

 寝室を走り回っていたバニラをケージに入れ仔ウサギたちを1羽ずつ撫ぜていたら、またピンポンを連打されてしまった。

「うざっ」

  ワンフロアが完全1世帯タイプの低層マンションなので、他の住民に迷惑はかからない。とはいえ、鬱々でどん底気味の私の神経には、爆竹が鳴り響く横浜中華街の旧正月に二日酔いで放置された気分だ。

「ヒロ、ぶっ殺す」

  扉を開けると同時に、口を吐(つ)いて出た言葉。それを気にするでもない児玉宏基(こだまひろき)は、がっしとハグをしてきた。背丈も肩幅もあるこのダブり大学生は、元同人誌仲間でストーカーのような存在だ。本人にストーカーの自覚がなくても、学校やバイト帰りに路線の全く違う我が家へわざわざ押しかけてくるのだから、こちらとしては迷惑以外の何者でもない。

「今日はいたんだね」

  勝手に玄関のドアを後ろ手で締め、私を押しやりながら靴を脱いで上がり込む笑顔の宏基に、ため息も出なかった。レンは何も言っていなかったが、つまりは、日曜にも関わらず昨日も来たということか。

 彼はダイニングの椅子に座り、当たり前のような顔でくつろいだ。

「そこでレンちゃんと会ったんだけど、スルーされたよ。女子高生は気難しいなぁ」

  他人の都合を考慮しない自由さ加減に付き合っていたら遅刻するだろうし、そもそもレンはオマエが大嫌いなんだ! と言えない自分が嫌になる。

「ご飯食べた? まだだったら一緒に食べよう」

  飲みかけのミネラルウオーターが1本、テーブルの端にあった。彼はそれを手に取りキャップを開け、違和感なく飲み干した。きっとレンが飲んでいたものだろう。

「何食べる?」

  頼むから、所沢の家に帰って両親と食べてくれ。

「作ってくれればそれが一番なんだけど、駅前あたりで軽く飲みながら食べようか」

  彼の中では決定事項らしい。否定すれば、ピザや中華料理をデリバリーしてでも帰らない履歴の持ち主なのだ。私は自分の部屋へ行き、ダメージジーンズを履き、ワッフル地の白いシャツに着替えた。昨日のカナリア色の服とは真逆で、シンプルそのものだ。

「レンが学校から戻ったら帰ってよ」

「ツレないなぁ」

「嫌なら即刻立ち去れ」

「さーて、何食べようかな」

スニーカーを履いた宏基は、散歩をせがむ黒いラブラドールのように玄関の扉が開くのを待っていた。

 そんな彼を放ってはおけず、結局ふたりで軽く飲みながら食べることとなってしまう。

 私は【NO!】といえない低俗なイキモノなのだ。

 その基礎を作り上げたのは、私の中でどこの国らのトップよりも権力のある【母(ママ)】だ。主治医は私の一方的な語りの母親像から『ファウスト的衝動を子どもに託した毒親』と呼んだ。その呪縛から逃れる術を知らない私を、アダルトチルドレンの代表のように言う。毎週の通院で、AC離脱のリハビリも組み込まれている。ママが激怒する格好をし下劣な言葉を使い優等生を辞めるーー母親の傀儡ではない自分作りの初歩。まさか30を過ぎて、愚者紛いな行動を強制され、過去の自分を否定されるとは思いもしなかった。自己の形成以前から刷り込まれてきた【完璧な人間たれ】との行いを、1、2年で払拭はできなくても、清く正しく生きない道に逸れるのは難しくなかった。

 とはいえ、夫の自殺で姑らに精神を破壊されなければ、自分がACと呼ばれる存在であることもADHDだったこともわからずにいた。確かに【周囲から浮いている】という程度の認識はあったが。

「とりあえず生」

「玉乃光の冷や」

  飲み物の注文をして直ぐ、私は掘りごたつ式の足元で、宏基の脚を両脚で捕まえて関節技を決めた。体重も体力も回復してきてはいたが、まだまだ筋力は弱かった。

「こないだのこと、やっぱり怒ってるんだ」

  上から目線の物言いと、軽く払われてしまった脚。悔しさと、あの日の戦慄がまざまざと蘇った。

「恨んでるのはヒロでしょ。回りくどいマネはやめて」

「憎んでた奴は死んでくれた。オレが欲しいのは皐月(サツキ)さんだけ」

  しらっと告げる宏基の股間を蹴りあげると、「お待たせしましたー!」と飲み物が置かれた。タイミングを見計らい、宏基が「唐揚げと冷やしトマト、茄子の浅漬け、湯葉のお刺身、あと梅茶漬けお願いします」と早口で注文をする。股間を蹴ったつもりが、さり気なくかわされていた。

  間合いがおかしい。

  体調が良くないのではなく、何かが引っ掛かって、テンポがズレるような感覚とでも云うべきか。

  よく冷えた純米吟醸酒を手酌し、乾杯を無視して喉を潤した。

「オマエにlike以上の感情を持つ日はこないね」

「いやぁ、あの日はつい飲み過ぎてさ」

「気持ちが大きくなって、ついつい本音が出ちゃったってか?」

  やんわり返し、すぐさま手酌したガラスの杯をクッと空ける。

「お茶漬け食べたら帰ってよ」

  先日、所用で池袋へ行った帰りに、バイトあがりの宏基とカウンターバーで落ち合った。飲みのピッチが早過ぎる彼を窘め、帰宅させようと店を出た。駅の改札口へ続く階段の途中で背後から突き落とされた。誰かがぶつかりバランスを崩して落ちたのかもしれない、と思ったのも束の間、目尻を吊り上げる彼に髪の毛を掴まれ、平手打ちを喰らった。通りがかる人は誰も助けてくれなかった。壁に追い詰められ、大きな手にまた頬を叩かれた。怖かった。痛いとかではなく、豹変した彼と、無関係を理由に通り過ぎて行く他人の温度が冷たくて、震えが止まらなかった。2人の駅員さんが駆けつけたとき、宏基は「痴話喧嘩です。心配かけてすみませんでした」と丁寧に駅員を追い払った。口の中が切れ、鉄サビの味がなかなか消えなかった。

「メールだよ」

  私の前に湯葉刺しを置き直しながら、彼は唐揚げを頬張った。

 メールはレンからだった。『終わったから帰る。カラオケ行きたい』

「学校出るって」

「早いなぁ」

  彼は心底残念そうだ。

「約束は守るから、またご飯しよう」

  そしてお茶漬けまで、ささっと平らげて退席した。私は手つかずの湯葉刺しに箸を伸ばし、レンへ簡単な返信をする。『いつもの店で』

 カラオケ前の一合はちょうどいい湿りだった。





  築15年ほどのマンションの屋上。10階建ながらフェンスが張り巡られている程度で、安全性は高くない。すぐ側を荒川が流れており、首都高速道路が夜の河を煌めかせていた。

 天気予報のとおり、今夜は冷たい雨からみぞれ、又は雪に変わると確信できるくらい冷え込んでいた。

 トレンチコートの襟を立て、コンクリートに片足を投げ出して座った。2本買ってきた缶コーラを置き、1本をあっさり飲み干した。喉が渇いていた。緊張しているのかもしれない。

 ワイシャツの胸ポケットから、煙草と使い捨てライターを取り出す。川を撫でて吹き上げる風に混じり、埃臭い雨の匂いがする。幸い、まだ大丈夫そうだ。

  煙草に火を点けゆっくり深々吸い込む。吐き出した紫煙は風に掻き消された。空を見上げ肺を煙で満たす。雲に遮られながらも月が滲んでいた。未練がましいな、と薄笑いの浮かぶ口端から紫煙が零れた。

 少しだけコーラの残る缶に、吸い殻を落とす。女房から「絶対ポイ捨てしないで!」とポケット灰皿を持たされていた。ここへ来る前に中身ごと捨ててしまった。

  スーツの内ポケットに手を入れ、錠剤を弄る。2本目のコーラのプルタブを開けて、それを4錠飲み下した。

青酸カリなどの劇薬は持っていない。強めの睡眠薬だ。

ーーーー ーーーー眠って、雨に濡れ、冷え、息絶えればいい。

また煙草を抜き出し火を灯す。箱にライターを重ね、缶の隣へ置く。

  雨が降るのと眠りに落ちるのと、どちらが早いだろう。

最後の煙草を堪能してから、コートを脱いだ。彼女が選んでくれたネクタイを緩め、ワイシャツのボタンを2つ外す。 そうして靴を脱ぎ、コートの隣へ置く。アタマがぼんやりしてきた。

 上着を脱いでコートに重ね、どうにか北側のフェンスに凭れ掛かる。

 意識が揺らいだ。

 コンクリートの冷たさも、落ちてきたばかりの雨粒の温度もわからない。

「さつき……」

「ーーーー辰也さん!」

  自分の声に驚いた。心臓がバクバクする。喉がカラカラだ。

  夢なのか現実なのか、判別するのに時間を要するほど私の夢は大概がリアルである。

色、空気や匂い、呼吸、温度、感触、味、痛み……それらの殆どが日常の体感と変わらないのだ。知らない場所、乗ったことのないエレベーターや電車、初めて口にする物、書類や文章。まるでパラレルワールドと今を行ったり来たりする手段が睡眠のようで、通院した時に麻酔で眠りに誘われなければ、眠った実感がない日々を過ごしていた。睡眠薬を飲まないと眠ることは出来ず、突然倒れる。そうかと思えば、自分の意思も場所も時間も関係なく、眠ってばかりの時も多々ある。

  ベットに横たわったまま手を伸ばす。

「もう少し待ってて、ね」

あの人は待っていない。

『無』になる、と逝った。

身の丈を知り、生きてゆきたいものです

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