あずきと真中 千夏
「おいアキ、酒はでねぇのか?」
「出ませんよ……。まだ飲む気なんですか?」
「まだ全然アルコールがたりねぇよ。ナツ、ひとっ走り買ってきてくれないか?」
「酒くさっ! 冬姉あんまり近寄らないでよ!」
「あんまり飲むと体に毒ですよ、冬菜さん」
夜も更けて、現在九時半。
『メゾン春夏秋冬』の愉快な入居人たちが、僕の部屋に勢揃いしていた。心的な狭さを感じるほどの喧騒に、僕の膝に座るあずきがきょとんとした表情を浮かべている。その金色の髪を撫でながら、僕は小さくため息をついた。
ため息をつくと幸せが逃げていくとはよく聞く話だが、もしそれが本当なら今日だけで一生分の幸せを手放したことになるだろう。
「……冬菜さん、そろそろ始めますよ」
「そーよ。今日はもうお酒禁止」
僕と千夏に釘を刺された冬菜さんが、つまらなそうに鼻を鳴らす。しかしそれ以上は何も言わなかったので、無事諦めてくれたらしい。さすがの冬菜さんも、集まった意味の重大さに気づいているのだろう。
……気づいていてほしいものだ。
「では、そろそろ……」
春香が小さな咳払いをして、座布団の上にきちんと座り直す。
「これより、第一回『メゾン春夏秋冬』緊急会議を開催いたします」
そして厳かに、開会を宣言した。
□ ■ □ ■ □
「答えなさい、秋博!」
「ちょっと落ち着いて千夏。どこでそんな話を聞いた……、ああ」
聞く前に、犯人と目が合う。
冬菜さん、あなたという人は……。
「いつから隠してたの? あと母親は誰なのよ!」
これは納得させるのに時間がかかりそうだ……。
僕に掴みかからんばかりの剣幕で問い詰めてくる女性、真中 千夏は大学の同級生だ。こまめに染めている茶髪のショートカットと、健康的に日焼けした肌が特徴的な彼女もまた、僕が住むアパート『メゾン春夏秋冬』の入居者であり、名前の一角を担っている。アパートの名前は大家の冬菜さんが後付したものだが、あまりにも考えが安易だ。
……僕には言われたくないだろうが。
「部活帰りかい、千夏」
大学の名前が胸に印刷されたスポーツウェアは、彼女が所属しているソフトボール部のユニフォームだ。恐らく着替えないまま帰ってきたのだろう。大らかな彼女らしい。
「誤魔化さないで!」
いったん話を変えようとした僕の魂胆は見透かされていたようだ。千夏がすかさず怒声をあげる。彼女の顔が不機嫌にふくれるのと反比例して、主犯の酔っ払いが腹を抱えて笑い始めた。完全に酒のつまみにされているぞ、千夏。
また怒られそうなので口には出さないが。
さて、今度はどうするべきか……。
一回部屋にあげるのが手っ取り早いが、中には春香がいる。ややこしい状況が混沌へと昇格するのは火を見るよりも明らかだ。誤解のされ方によっては命のやり取りが行われるかもしれない。さすがにそれは杞憂だろうが、喧嘩は嫌いだ。
「秋博君、どうかしましたか?」
……春香、君は空気というものが読めないのか。
「ちょっ、何で春香があんたの部屋からエプロン姿ででてくんのよ!」
実況ありがとう、千夏。
……感謝するから、むなぐらを掴むのはやめてもらえないだろうか。
「あ、千夏さん。お疲れ様です」
何の騒ぎか理解していない春香が人懐っこい笑みを浮かべる。基本的にしっかりしている彼女だが、昔からどこか天然なところがあった。たまにしか出ないそれを今存分に発揮しなくてもいいと思うのだけど。
「お疲れ様って春香、あんた自分が何をしたかっ!」
千夏の言葉がぶつりと切れる。
それは明らかに、驚嘆の色を表していた。
「オトーサン?」
……ああ、そういうことね。
君まででてきちゃったのか、あずき。
「えっと……、私何かしましたっけ?」
「え……、金髪、碧眼……? 誰との子なのよ、秋博!」
「本当に愉快な奴らだなぁ、お前らは」
「オトーサン、このひとたち、だれー?」
「…………」
これぞまさに、混沌。
いうなればカオス。
……一緒か。
「秋博君?」
「秋博!!」
「さあどうすんだ、アキ」
「ねーねー、オトーサン!」
「はぁぁぁぁ……」
これまでで一番大きなためいきをつく。
吐き出した空気は恐ろしく冷たく、吸い込んだ空気はむせ返るほど熱い。
「…………一回、みんなで話し合いましょう」
それでどうにかなるとは思わないが、今の状況からとりあえず脱したい。
「あら、それは素敵ですね」
「望むところよ!」
「お? 飲み会か?」
「んー? んー?」
あずきはよくわからんが、他のみんなは乗り気だ。都合がいいにはいいが、二人ほど目的をはき違えてそうなのは気のせいだろうか。
……いや冬菜さんはおかしい。
あんたは元々察していたはずだ。
「……じゃあ九時ぐらいに、僕の部屋に集まってください」
さあ、僕よ。
あずきがいる場所で、どう説明するかが勝負だぞ。
「……はは」
口の端から、ひどく乾いた笑い声が漏れる。
……できるなら、
原稿を書く時間を、いただけるとありがたい。