表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/12

あずきとオムライス

 僕は今風のオムライスが苦手だ。


 今風というのも違う気がするが、あれだ。卵がトロトロで、デミグラスソースがかかっていて……、みたいなあれだよ。


 美味しいのは美味しいのだが『オムライス』という名前であれが出てくると、何だかやるせない気持ちになってしまう。


 異論もあるだろう。だが僕は声を大にして主張したい。


 ……わかる人だけわかってくれればそれでいい。


「おまたせしました」


 コトッ。


 先ほどまでは闘技場であった卓袱台に、湯気が立ち上る皿が並べられる。グラスの水を飲んでいたあずきは、その様子に目を輝かせた。


「オムライスだー!」


 つややかな堅焼き卵に包まれた、チキンライスの芳しい香り。眩いほどの黄色とコントラストを成すは、他でもないケチャップの赤。添えられた緑色のパセリも、また食欲をそそる。疲労で失いかけていた食欲が、思い出したかのように顔を覗かせた。


 いうなれば、『古き良きオムライス』。


 幼馴染である春香は、僕の好みを完全に理解している。


「……どうかしましたか?」


 対面に座った春香が問いかけてくる。冷房の風に揺れた黒髪は、どことなく不安げだ。


「春香はいいお嫁さんになれると思うよ」


「お、お嫁さんだなんてそんな……!」


 何故か身悶え始めた春香は置いといて、目の前にあるスプーンを手に取る。


 さあ、いざ……。


「オトーサン!」


 あずきの呼びかけに、卵を突き破ろうとしていたスプーンを止める。一体何事かと視線を移すと、赤いケープを脱いだあずきが不満げに頬を膨らませていた。


 ……何か気に障ることをしてしまっただろうか。


 胸に手をあてて考えてみたが特に何も思いつかない


「どうしたの、あずき」


「いただきます、はー?」


「……ああ、そういうこと」


 食前の挨拶を疎かにすることは、確かにマナー違反だ。春香と顔を見合わせて、同時にくすりと笑う。この怒られ方は何年振りだろう。


 スプーンを皿に置いて、胸の前に両掌を合わせる。ちらっと確認したあずきの顔には笑顔の花が咲き綻んでいた。


 その花はとても可愛らしいが、どことなく儚い。


「「「いただきます」」」


 異なる三つの声が、アパートの一室に響く。


 驚いた木の柱が、ミシッ、と小さく軋んだ。



   □ ■ □ ■ □



「……事情はわかりましたが、大丈夫なんですか?」


 これまでの経緯はきちんと説明したが、やはり気になっていたようだ。僕の方を見ないまま、春香が問う。皿を洗っていた手は止まり、水の流れる音だけが部屋に響く。


「できる限りは、頑張ってみるつもりだよ」


 春香の手が、再び動き出す。僕も短く息をついて、皿に残ったケチャップをスポンジで落とした。少しの間シンクに留まっていたそれは、水流に耐えられず排水溝に吸い込まれていく。


 しばらくの間、何も話さずに洗い物を続けた。料理を全くしないわけではないので洗い物には慣れているが、三人分の食器は少し多く感じる。


「……私、今日から泊まってもいいですか?」


 沈黙を破ったのは春香だ。


 ……そしていきなりすごいことを言い出したな。


 返事に窮した僕を見て、春香の頬が徐々に紅潮する。


「あ、あくまで一つの提案として、です。男一人じゃ困ることも多いと思いますので、お手伝い出来たらなと……」


「でも、これは僕が勝手に引き受けたことだからね? 春香が無理をする必要はないんだよ」


 確かに春香の言うことは正しいが、感謝より先に申し訳なさがゴールテープを切った。春香には春香の生活がある。僕の事情でそれを乱してしまうのは、僕の信条にそぐわない。


「……言い方を変えます。私が、お手伝いしたいんです!」


 僕の弱々しい返事に、春香が語気を強めた。うとうとしていたあずきがそれに驚いて、台所に顔を覗かせる。「なんでもないよ」と誤魔化して、再び春香と向き合った。


「あずきちゃんのことを秋博君一人に任せるのは不安ですから」


「……ごもっともで」


 言い方を変えただけだけど。


 そう言われると、確かにぐうの音も出ない。


 僕は先ほど「できる限り頑張る」と言ったが、できる限りはあくまで僕の度量の話だ。それがあずきにとって最善である保証はどこにもない。僕だけの力より、春香の力を借りた方が良いというのは明白だ。


「ここは私のことより、あずきちゃんの、預かった命のことを考えてください」


 春香の真剣な眼差しが僕を貫く。


 ……命を、ね。


「そうだね。じゃあ、お願いしても」


 ピンポーン


 ダンダンダンダン


 首を縦に振ろうとした瞬間、チャイムの音がそれを遮った。間髪入れずに扉を叩く音が僕を急かす。怖がるあずきを春香に任せて、扉の鍵を開けた。


 常識で言うなら、こういう時は居留守を使うと相場は決まっている。


 しかしそれが知り合いと分かっているのなら、話は別だろう。


「千夏、夜なんだから少しは気を使って……」


「あんた、隠し子ってどういうことよ!」


「……は?」


 なんか、またややこしいことになってませんか?


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ