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赤ずきんと名前

「しばらく秋博君のところであずかってくれんか?」


 狩野さんが勤務する交番に着いて、怪我の治療をしてもらって、冷たいお茶で一息ついて。


 次の一言が、これである。


「…………は?」


 いや……、そろそろ驚き慣れてきたな。


 ここ数時間で僕は、何度驚かされたら気が済む。


「狩野さん、冗談なら……」


「いや、今度は強ち冗談でもない」


 狩野さんが僕の声を遮る。分厚い掌が目の前にずいっと広げられた。顔を丸ごと掴まれそうなその大きさに、思わず身を引いてしまう。


 確かに狩野さんは、こんなに笑えない冗談を言うような人ではない。


「……本気なんですか?」


「ああ、本気じゃ」


 理由を聞かない限り判断できないが、本気なら正気じゃない。苦笑いがひきつって、口の端から情けない空気が漏れた。


「この子に何の事情があったかは分からんが、帰れる場所がないのは間違いない。記憶を失い、君を父親だと勘違いしとるなら、君が近くに居った方が安心するじゃろう」


 歩き疲れたのか、少女は僕の膝の上で眠っている。安らかな寝息が、狩野さんの言葉を体現していた。


「もちろん無理にとは言わんし、この子の素性がわかるまででいい」


 狩野さんが椅子から立ち上がり、深々と頭を下げる。


「もちろん君の不都合になるようにはせん。簡単な手続きはもう通しておいた。わしらもできることは、全力でサポートする」


 君は、この子の安心でいてくれるだけでいい。


「少しの間、頼めんか?」



 □ ■ □ ■ □



「オトーサン、おなかすいたー」


「もう少しで着くから我慢してねー」


 握った右手が激しく揺れる。無邪気からくる遠慮のなさは今まさに僕の腕をもぎ取ろうとしていた。


 ……被害妄想もいいところだ。


 結局僕は、狩野さんの頼みを断ることはできなかった。


 それはなけなしの正義感からでも、偽善からでもない。


 一度関わることになってしまった以上、中途半端に手を離すのは僕のモットーに反していたからだ。


「きょうのよるごはんはー?」


「んー、どうしようか。何か食べたいものはある?」


「オムライス!」


 もちろん僕が最後まで助けてあげられる確証などない。


 だけど、この複雑怪奇な事情を持つ少女が笑顔でいられるというのなら、できるだけ力になってあげたかった。


 ……単に断るのが苦手、っていうこともあるんだけどね。


 少女の手を引いて、角を右に曲がる。この状況は誘拐に見えないこともない。少女と僕が親族であると主張するには、あまりに似ている箇所がなさすぎる。人間であることと、日本語で話していることぐらいだ。


 警察に通報されないかなと今更心配になって辺りを見渡すが、今の所見受けられない。お巡りさん公認なので通報されても説明はできるけど、近所であらぬ噂が蔓延することは必至だ。急いでアパートに帰ろうと思っている間にアパートに着いた。時の流れは案外早い。


「よぉ、アキ。随分遅かったな」


「……冬菜さん。まあ、色々あったんですよ」


 一階にある自室のカギを取り出した時、隣の扉が開いた。アパートの大家である女性、馬場 冬菜さんがひらひらと力なく手を振る。切るのが面倒という理由で伸ばされている天然茶髪が、そよ風にさらさらと揺れた。右手には缶ビールが握られている。


「色々っておま――」


 あ、気づいたな。


 半分ほどしか開いていなかった瞳が全力を出して僕の右腕を凝視している。驚く気持ちは十分に理解できるが、冬菜さんのこのリアクションは珍しい。熱烈すぎる視線に怯えた少女が、僕の体を盾にして隠れる。


「……母親はハルか? それともナツか?」


「何で狩野さんと同じこと言うんですか……。どっちでもないですよ」


 流行ってんのかその反応。本人たちが聞くと以下略。


「じゃあどうしたんだ、その赤ずきんは」


「まあ、少し事情があってですね」


 少女が近くで聞いている状況もあって、ここで話すのは憚られた。その意図を察したのか、ビールを仰いだ冬菜さんが小さく頷く。この時間からの晩酌はいつも通りだが、酔いが回っていないようで助かった。


「じゃあ、名前は?」


「え?」


「赤ずきんの名前は何だ?」


 赤ずきんの、名前。


 これからどれぐらいの間少女をあずかるかわからないが、名前がわからないというのは不便だ。一度聞いたことではあるが、ダメもとで少女に視線を移す。


「お名前、思い出せる?」


「おなまえ? んーと、んーとねー」


 僕と少女とのやり取りを見て何かを察したらしく、冬菜さんが何度か頷いた。極度の酒好きという要素さえなければ、とても尊敬できる人なのだが。


「わかんない!」


「だよね」


 予想通りの答に、ため息さえもでてこない。少女が何を覚えているかわからないが、この先多くのことで躓くことになるのだろう。そう思ってやっと、口からため息が漏れた。


 コンコン


「何ですか?」


 冬菜さんが無言で扉を叩く。言葉を発していないが、その口は僕に何かを伝えようとしていた。読唇術の達人ではないが、状況からそれを判断する。


 か、ん、が、え、ろ。


 ……またまた突然な提案だ。


 でもそれが一番簡単な方法だろう。名前の重要性は理解しているので本当の名前で呼びたいのはやまやまだが、こうなっては仕方ない。


 僕がこの子のオトーサンとして行う、最初の仕事だ。


「……あずき」


「あ?」


「この子の名前は、あずきです」


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