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0.釘づけとなった視線の先に

 朝起きられないのは、怠け者だからじゃない。

 遺伝子的に夜型の場合もあると、昨日ネットの記事で見かけた。

 深夜二時頃にならないと眠くならないわたしは、だから夜型なんだと主張したい。

 でもそれに待ったをかけるのは、毎日無駄に早起きなおばあちゃんの存在だ。


 あくびを噛み殺しながら諸々の準備をして、一階のダイニングキッチンへと向かう。

 夜遅くまでパートの仕事を頑張っているお母さんの代わりに、毎朝ごはんをつくってくれるのはおばあちゃんだった。

 もう七十五歳だし、ひとり暮らしをさせておくのは――ということで、この春からお母さんの地元・青森県むつ市で一緒に暮らしているけれど、当人は至って元気でしっかりしている。

 わたしはむしろ、東京に置いてきたお父さんのほうが心配だ、いろんな意味で。


「おはよ、おばあちゃん」


 階段をおりるわたしの足音が聞こえていたんだろう、茶碗を持って炊飯器に向かった背中に、声をかける。


「ああ、おはようさん。今持ってぐして、ねまってせ」

「うん」


 最初は意味がよくわからず戸惑った方言も、この三か月のあいだにだいぶ慣れた。

 青森でいちばん有名な方言といえば津軽弁だけど、そもそもむつ市(ここ)は津軽じゃない。

 本州最北の下北半島にある、北海道に最も近い市だ。

 そこで使われている方言は下北弁で、ようするに俳優として活躍している松ケンの喋りが()()なんだって。


 わたしがいつもの椅子に座ると、すでに用意されていた焼き鮭と卵焼きが目に入る。

 実にオーソドックスな朝食だけど、不思議と飽きなかった。

 おばあちゃんがごはんと味噌汁を持ってきてくれる。

 他の家なら、それくらい自分で運べと言われるのかもしれない。

 でも我が家では、これがおばあちゃんの大事な仕事だ。

 代わりにやってしまうと、むしろ怒られるのだった。


「ほれ、かせぇじゃ」

「ありがと、いただきます」


 一応解説しておくと、「かせ」は「食べなさい」という意味だ。

 「~せ」で「~しなさい」という意味になるらしい。

 なんだか英語みたい。


 おばあちゃんもわたしの正面に座ると、一緒に食べはじめる。

 お母さんはいつ起きてくるかわからないので待たないのが、この家の流儀だ。


「――おばあちゃんてさ、昔から早起きだったの?」


 今いるダイニングには、テレビがない。

 テレビを観ながら食事をとるのはよろしくないというのが、おばあちゃんの考えだからだ。

 ただ、食事中に喋るなというのは言われたことがなかった。

 だからわたしは、いつもおばあちゃんに話しかけていたんだけど――今日の議題は、そう、昨日から決めていた。


「は? なぁしてそったごと訊ぐのさ」

「あのね、わたしは遺伝子的に夜型の人間だと思うの。でも()()子ってことは、お母さんを通しておばあちゃんからも受け継いでるはずなんでしょ? だから……」

「なんだがわがんねぇたって、わだっきゃ朝間は苦手だじゃ」

「え……六時にはもう起きてるのに!?」

「もっど早起ぎな年寄(としよ)りだっきゃ、四時五時には起ぎるべさ」

「…………」


 早起きの世界、恐るべし!

 と、とにかくわたしの主張はこれで強固なものになったんだ、今度から積極的に言い訳として使っていこう。


 ――と、考えた矢先に。


「だしてって、そったらごとば理由さして朝ちゃんと起ぎねぇば、道子みてぇさなるしてな」

「それはちょっと……」


 ちなみに、道子というのはお母さんのことである。

 実はお母さんも朝に弱く、過去には寝ぼけてとんでもない格好でごみ出しに行ったり、回覧板を別の家に持っていってしまったり、配達員を父と間違えたり(!)と、失敗エピソードが豊富にあるんだ。

 確かに、ああはなりたくない。

 もしわたしが同じことをしてしまったら、きっと恥ずか死ぬだろう。

 なにしろ、恥ずかしがり屋で照れ屋で内気で内向的な人間なんだから――。


     ♪     ♪     ♪


「行ってきまーす」


 お母さんはまだ起きていないから、おばあちゃんにだけ聞こえるように告げて、家を出た。

 登校するには少し早い時間帯だ、住宅街の路地に人の姿は見えない。

 これがもし東京だったら、きっとひとりくらいは――


 と考えたところで、視界に飛びこんできた人影があった。


「ありゃ、未沙(みさ)ちゃん? はぁ学校さ行ぐの? 早ぐね!?」


 隣の家から、明らかに部屋着姿の女の子が出てきたんだ。

 両手には燃えるごみの袋を持っている。


(ゆみ)ちゃん……」


 わたしよりひとつ年上で高二の彼女は、一見するとただのギャルだ。

 長い髪は脱色してるし、肌は多分故意に焼いているし、このご時世に制服のときは未だルーズソックスを履いている。

 初めて会ったとき、「田舎にもこういう子がいるんだ!?」と驚いたのと同時に、失礼ながら「田舎だからまだこうなのかな!?」と納得もしたことは、忘れられない出来事だ。


「だして朝会わねがったのがー。毎日こんた早ぇえの?」


 ごみ出しに行くんだろう、弓ちゃんは歩きながら気さくに話しかけてくる。

 でもわたしは、実のところ弓ちゃんがちょっと怖い。

 見た目もそうだけど、おばあちゃんと同じくらいの下北弁ネイティブスピーカーだからだ。

 たまに、なにを言っているのか本気でわからないことがある。


「う、うん……早く行って、静かな教室で本を読むのが好きなの……」


 もう何度も会っているのに、ぼそぼそと喋ってしまうのは、わたしのヘタレな性格のせいもあった。

 本当の理由なんて、とても言えたものじゃない。

 でも弓ちゃんは、さして気にしたふうもなく、明るく返してくれる。


「ほんだのが。東京の人だぢって、みんなそったら感じだのが?」

「う、ううん、多分、わたしが変なんだと……」

「おめが変たのが!」


 なにがツボに入ったのか、弓ちゃんは豪快に笑った。

 それからごみ置き場の前で別れて、内心ホッとしながら再び歩き出す。


 そもそもわたしは、人と関わるのがあまり好きじゃない。

 だからいち早く登校して、教室に行って、本を読んで、自分の殻に閉じこもる。

 本に集中してしまえば、周りの視線なんて気にならないから。


 だけど、少しでも遅く行くと、すでに登校しているクラスメイトたちから、ジロジロと見られてしまう。

 わかっている。

 東京から来たわたしは、まだ全然クラスにもこの街にもなじめていない。

 とても浮いてるんだ。

 潜っていられるのは、家のなかでだけ。


 ――でも、そんなんじゃ、いけない。

 それもわかっている。

 世間的なこととか、道徳的なこととか、そんなのはどうでもよくて。

 わたしはわたしの夢のために、いつか変わらなくちゃいけない。

 変わらなきゃ、近づくことさえできない。

 その夢は――


「――え……?」


 突然視界に飛びこんできた()()に、わたしは自然と引き寄せられた。

 それは通学路の途中にある、ボロボロの掲示板。

 今まで真面目に見たことなどない。

 誰が管理しているのかも知らない。

 けれど今は、立ちどまらずにはいられなかった。


 そこに書かれていた文字を、思わず読みあげる。


「まさかリズム、出演者募集中……?」

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