雪女族の遠き千年戦争(後編)
「な、によ、これ。馬鹿げてるわ」
遠くで複数の光が飛び交ったその瞬間、前線は完全に崩壊していた。
「まずいねー、これは退いた方がよさそうだ」
雪女族のアリスと銀兎族の青年は、山脈だった筈の灰色の平原を見て息を呑む。
各地で輝く光は無差別に大地を灰に変えていった。その光のひとつが、二人に近づきつつある。
「走れアリス!」
本能的に危機を察知した銀兎族の青年はアリスの腕を強引に引っ張り、迫る深緑色の光から逃げる。
アリスは、逃げながら光の中を見た。
中には人影があった。
だが、姿はもう、アリスの知っている人間族のそれではなかった。
人の形をした何か。
(なによあれ、まるで本当の化け物みたいじゃない)
大地を灰に変える光が迫る。
その距離は少しずつ、確実に、縮めていく。
あの光に呑まれたら最後、呆気なくその身は灰に変わるだろう。
光が、二人を捕らえようとした刹那。
「ッ!?」
突然の爆風。
奇跡的な直感で銀兎族の青年はアリスを庇うように抱いた。
そして、二人の意識はそこで失った。
「――!」
アリスは青年の名前を叫んだ。
「――! —―!」
返事は無い。それでも叫ぶ。
青年は静かに笑う。
真っ白な空間。
音もなく。
色もない。
僅かに感じていた温度が、無くなった。
「―ッ!?」
目が覚めたその場所は灰の砂漠の上だった。
「すまんな、間に合わなかった」
体が激痛で動かない。視界の外から話しかけてくる妙齢な女性の声。
「主の左腕は奴が持っていきよった。主と共におった男の子は・・・」
聞きたくない。腕が動かせるなら耳を塞ぎたい。あの爆発の瞬間、確かに感じた。彼は。
「主を庇って灰に還ってしもうた、すまぬ」
(ああ・・・。バカ。どうしてよ)
隣にいることが当たり前だった銀兎族の青年。二度と会えないと思うと、目の奥がジリジリと痛くなる。
「さて、詫びも済んだし儂もそろそろ逝くか。魔の子よ、勝手は重々承知しておるが頼みを聞いてくれぬかの」
(何者か知らないけれど、どうして頼まれごとなんてされなきゃならないのよ)
口も動かず、声も出ないので心の中で反論する。
「はっはっ! 耳が痛いな。別を当たりたいところではあるが儂にもあまり時間が無くてなあ。まぁ、置土産じゃ、端的に何が起きて何を頼むかくらいは話す時間はあるじゃろうて」
心の声を聞かれている。未だ視界の外にいる何者かは言葉を続ける。
「人の子、魔の子の争いは静観を決め込むことにした儂ら十二の神。人の子が魔の子を創り、叛逆に合う。因果応報とはこのことじゃと笑うとる奴もおったな。どちらかが滅ぶにせよ、それも星の進化の運命と無用な手出しはせんかった」
アリスは話半分に何も考えず聞いていた。
「人の子は禁忌を侵しおった。儂ら十二の神ではなく、外の神に祈りと信仰を捧げよった。その結果、信仰の象徴を持たされた勇者と呼ばれる人の子は、外の神に呑まれ、儂らの星を荒らす力を撒き散らしおった」
神を自称する何者かが発した"勇者"という言葉に反応を示すアリス。
(憎い、人間族が、憎い)
「魔の子の願いは図らずともかないおったわ。人の子の大地は一瞬で全て灰に還ったわ。事実上、人間族の滅亡じゃ。話が逸れたが、暴走する人の子を抑えるため神である儂ら動く必要があった。じゃが、外の神の力が強大すぎるが故に、贄が必要じゃった。罪の償いとして選んだ贄は、儂らを信仰しておった人の子の童の魂。それと神の力を触媒に、外の神ごと器に封じ込めた。故に、儂は逝かねばならぬ、後はわかってくれるな?」
(分かるわけがない。分かってたまるか。どいつもこいつも勝手な都合で、勝手に押し付けて、勝手にいなくなる。人間族が滅んだ? あたしのやり場のない憎しみはどこにぶつければいいの? ――は? ――はどこ?)
駄々をこねる子供のように、心の中で泣き叫ぶ。その音のない叫びは、届かない。
「神々の長として、十二の器を魔の子である"アリス・グリガリオ"へ。儂らの星を頼んだぞ――」
若草色の光が視界の外から射し込む。光が収まる頃にはもう声は聞こえなかった。
(・・・・・・)
空を見る、背中に感じる灰と同じ色が広がっていた。
数時間が経ち、アリスは体を起こす。
痛みを感じていたはずの左腕は無く、断面が石化していた。体のあちこちが痛いが、その他に異常はなかった。
そして、足先には誰かが座っていた跡と、十二の宝玉が落ちていた。どこからが夢で、どこまでが夢なのか、朧気な記憶。
ただ一つ確信したのは、銀兎族の青年の姿は跡形もなく、消え去っていたことだった。
「ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ッ!!!」
怒り、憎しみ、悲しみ、後悔。すべてが涙と声になり一度に溢れ出す。
「ふざけるな! ふざけるな! ァ゛ァ゛ァ゛!!!!」
慟哭が、灰色の砂漠にこだまする。
傷だらけの右腕を大地にぶつける。
何度も。
何度も。
何度も。
そして、転がる宝玉の一つを手にし。
「こんなもの!! ぶっ潰してやる!!」
腕を振り上げた。
『守りたいから、かねー』
銀兎族の青年の声と雪妖狐族の子供達が脳裏に蘇る。
振り上がっているアリスの右腕は静かに下ろされた。
(まだだ、――が守りたかったものはまだ残っている。今度は、あたしが、守らないと)
雪女族のアリスは宝玉を回収し最北端の大地の、元は魔族の兵器倉庫だった場所に封印を施した。
そして、誰も近づかないように左脚を犠牲にした呪術を。
北の大地と山脈と樹氷が連なる森を利用し、彼女、アリスは雪妖狐族の子供達、孤児院の子供達と共に小さな村を作った。
銀兎族の青年が守りたかった子供達を守る為に。
その子供たちが暮らす世界を守る為に。
罪の代償として器に閉じ込められた人間族の魂に永遠の罰を与える為に。
彼女、雪女族のアリスは千年戦争を自らの手で幕を下ろした。




