スミレの心
私が人間界にいた頃の記憶は曖昧だ。
うっすらと靄がかかっている記憶で思い出せるのは、何かを祀っている建物で暮らしていた程度である。
その何かの巫女として、生活していた・・・。おそらく。
私が主様に召喚された時、私の意思とは関係なく台詞が口から出てきた。
 
(どうして、見ず知らずの魔族を守護しなければならないのです)
言葉の裏側ではそう思っていた。
当時の主様は何かに飢えているようだった。それはきっと目には見えないものだったのだろうと今になって思う。
私を召喚したことに驚いた主様は、次々と質問を投げかけてきた。
人間界から魔界へどうやって来たのか。
神界器とはなんなのか。
神界器を手にすることが出来たのは何故か。
主様が魔王になれるのか。
普通に人間界で生活していたはずの、ただの人間が知るはずもないことが頭の中から次々と出てくる。
全部で十一種類存在する神界器。それぞれが千年戦争で使われ、神が封印されている。神殺しの象徴ともいえるその武器は絶大な力を保有している。
それを統一する者こそがこの世界の頂点、つまり魔王となることができる。
そして主様が武器を手にすることが出来た理由。それは私にもわからなかった。偶然なのか、それとも何か基準の様なものがあるのか。
ただ一つ言えるのは、主様は魔王になりうる力を持っている、全てを隷属化とし統べる能力“隷属の鍵”。
能力を仕掛けるための鍵は他人に譲渡することが出来るうえ、複数作り出すことが出来る。
私がホルグに“隷属の鍵”をかけたように、奴隷の軍勢が次々と隷属化していけばすぐに主様に忠実な軍勢が出来上がる。
その足掛かりとしてまず初めに私に能力を使い、精神と肉体を拘束した。
私の魔界での生活は得体の知れない何かに意思を乗っ取られるところから始まり、そして仕える主にも全てを拘束される。実に退屈で、不愉快で、闇の海を理由もなく永遠と泳がされている。
ああ、誰か闇からすくいあげてはくれないだろうか。
やりたくもない戦い、裏切り。
何のために生きているのだろうか。
そんなことを考えるのも虚しくなってきた。
希望もない。
自由もない。
あるのは主様からの命令のみ。
ある時、一筋の温かな光を感じた。
褐色肌で、美しい銀髪の私より年上のダークエルフの姉妹。
初めに出会ったのは妹のエルザさん。演技とはいえ、ガルムに襲われている私を損得関係なく助けてくれた。
そして、連れてこられた場所で次に出会ったのが、姉のイルザさん。
面倒見が良くて、料理がおいしくて、正義感が強く優しい人。
主様からダークエルフと聞いたときは、他の出会ってきた魔族のような狡猾な種族なのだろうと決めつけていたが、種族の名に似合わず二人とも優しかった。
主様と同じ神界器使い。それに仕える私と同じ人間であるグレンという少年。
グレンさんは私より記憶が曖昧らしく、神界器について一切イルザさんに説明していなかったのだろう。
神界器の扱い方は両人とも粗末なものだった。
それから私は彼女たちを裏切った。
裏切ることは、他の命令を受けた時に何度も経験していたので慣れている。はずだった。
胸が激しく締め付けられる。今までそんなことは無かったのに。
景色が暗く見える。今までは景色なんて意識しなかったのに。
それでも、イルザさんとエルザさんは私を、裏切り者を赦し、闇からすくいあげてくれた。
心に温かいものが流れ込んだ。
頬に温かいものが流れ落ちた。
ああ、私の主様がイルザさん達だったらよかったのに。
そんないけないことを考えて、私は今、主様が天馬に貫かれているところを立ってみている。




