第65話 邪街紋次
魔崎組 組長
邪街紋次は
大魔会の会合に出席するため、
運転手付きの車の
後部座席に葉巻をくわえて
座っていた。
両脇を組員が固めている。
「よくない噂が流れているようだが、
どうなっているんだ。」
目を細めながら
煙りを口からふかして
邪街が組員に言った。
「そうなんですよ。
新入りの四人組が
行方不明になりやがったために、
あの爆破事件は
うちの仕業だという噂が広まって
近いうちに
寺野組と魔崎組が
全面戦争になるだろうという
話題で持ち切りなんです。」
と組員の張子鉄次が言った。
「まったくの濡れ衣なのに
ひでえ話しですよ。
誰がやりやがったのか。
見つけたら殺すだけじゃ気が済まねえ。」
もう一人の組員、
酒多菊夫が
憤慨して語気を強めた。
邪街は黙って聞いていたが、
不意に
「あの店は荒谷のものらしいが、
聞くところによると、
あいつは
半端じゃねえ馬鹿だということらしいな。
噂を真に受けなければいいが、
本当の馬鹿じゃ
なにするかわからんから、
気を緩めるな。
荒谷をマークしておけよ。」
と落ち着いた様子で言った。
「はい、勿論です。
荒谷と寺野組は
見張らせています。
なにか動きがあれば
すぐ対応出来るように
兵隊も手配してあります。」
張子が元気に答た。
運転手の陰日紺一は
組長と幹部が乗っているせいか、
ひどく緊張したままで運転していた。
高級車のエアコンが
ガンガン効いて
寒いくらいだった。
陰日は先ほどからそわそわと
落ち着きがなくなっていた。
「うーっ、
夕べ、ビール飲み過ぎたかな。
なんか小便がしたくなってきた。
どうしよう。
こまったな。
組長と幹部が乗っているし、
街なかで用もたせないよ。
本部へ早く行かなくちゃならないのに
車を迂回させて
トイレに寄る訳にもいかないしなー。
あー、どうしよー。
我慢できないー。
これでヘマこいたら
どんな目に遭わされるか
わかったものじゃないしなー。」
陰日は緊張と尿意に
脂汗が滲んで、
喉がカラカラに乾いて、
もう意識は上の空、
どこを走っているのか
朦朧として来ていた。
陰日は極道の世界に憧れて
魔崎組に入ったわけだが、
もともと
気が弱いくせに
負けず嫌いで虚栄心が強く、
自分が勝てそうもない奴でも、
組織に入れば
その力で相手を恐れさせて
屈服させることが出来る
と思って極道の道に入ったのだ。
単に「極道」だと
見せびらかすための印籠が
欲しかっただけで、
極道というものがどういうものか、
よくわかっていなかった。
極道の世界を生き抜いて行くには
働かずに人から奪い取る
高度の才覚と
根性と度胸が無ければ
極道の看板を掲げることは出来ない。
柔な才覚と根性では
とてもやってはいけない世界だ。
陰日はどちらかといえば
あまりにも考えが甘く、
極道には向いていなかったのだろう。
自分に甘かった。
翌日午前中から
組長を乗せて運転することは
わかっていたはずなのだが、
ビールを飲み始めて
酔いが回ってくると
歯止めが効かなくなって
どのくらい飲んだか
わからないくらい呑んでしまったのだ。
それがまだ尾を引いている。
「うわー、もう駄目だ。
どうしよう。」
陰日は身をよじった。
突然キーンと
耳鳴りがして
クラクラッとめまいを感じると
恐怖が意識をグラつかせた。
気が付くと
後ろで話している組長の声が
いつもとちがう。
妙にざらついて
イライラした嫌な声で
がなりたてている。
「俺を誰だと思ってるんだ。
おまえは
俺の言ってることがわからんのか。
戦争だ。
戦争をするんだ。
俺の言うことを聞けねえのか。
やるのか、やらねえのか
ハッキリしろ。」
どうしちゃったんだろう。
おれが何か
組長の気にさわるようなことを
したのかな。
と陰日はルームミラーを覗いた。
しかし
組長は相変わらず
葉巻をくわえたまま
黙って座っている。
おかしいな首を傾げて
もう一度ルームミラーを覗いた。
「ああーっ」
陰日は息を飲んで
ミラーに釘づけになった。
組長の口が裂けている。
目は真っ赤に燃えて
怒りが止まらず
際限なく罵声が続いている。
突然、
ドーン、
激しい衝撃を感じて
陰日は意識を失った。