第36話 時空の壁穴
時空の壁穴に
飛び込んだザリエル達は
田畑が一面に広がり、
太陽が燦々(さんさん)と輝いて、
樹木が豊かに生い茂った
美しい景色を
まったく楽しめないようだった。
魂の暗さが
このまぶしい明るさに
適応出来ず
目を開けていることが
つらいのだ。
ただ、環境が変わり、
食べ物が豊富にあると
思えるせいで
気分が高揚しているのだろう。
興奮した奇声や唸り声とともに、
けたたましい狂気の笑い声が
全体から聞こえて来て
騒々(そうぞう)しく
落ち着かない。
それにまぶしさに細めた目の奥が
ギラギラ光り
食べ物と水を求めて
移動して行くさまは
見るからに
飢えた野獣より危険な集団だ。
一方のんびり静かな
暮らしをしていた住民達は
突如真っ黒な
煤状の靄を
立ち上らせながら現れた
得体の知れない化け物の
大集団を見て、驚いた。
「なんだろう。」
「仮装行列だろうか。」
「それにしても気味が悪いな。」
人々は口々に言いながら、
青黒い体から
真っ黒なスモッグが
立ち上っている
不気味な集団を
物珍しさも手伝って
見物していた。
突然
「グワー」っと
ザリエルが吠えた。
すると
「ウギャー」
いっせいに兵士達が
奇声を上げたかと思うと
家々の戸口を破壊して乱入した。
中にいた人達は
何が起きたのかわからないうちに
斬られて床に転がった。
見ていた民衆は
化け物軍団が食料を奪い、
人を容赦なく
斬り殺す様子を目にすると
異変が起きていることに
ようやく気づいて
肝を潰した。
「逃げろ。早く。」
「何する気だ、あいつら。」
「殺されるぞ。早く逃げろ。」
人々は口々に叫んで逃げ出した。
兵士達はそれを追いかけ回し、
手当たり次第斬り殺していく。
緑豊かで
穏和な環境が
いまや
阿鼻叫喚の地獄と化し、
人々は恐れをなして逃げ惑った。
「叩っ斬れー。」
「 憎しみを植え付けろー。」
「怨みを燃えさせろー。」
叫びながら、
ザリエルは抵抗出来ない人々を
片っ端から襲った。
兵士達が通り過ぎたあとには
斬られて
八つ裂きにされた人々が、
あちらこちらに転がって、
木々は倒され、
田畑は荒らされて、
重戦車が通り抜けたように
無惨な残骸が
残っているだけになった。
霊の世界では
食べ物はいらないはずなのだが、
魂のレベルが低い段階では
霊に肉体感覚が残っているために
食物を必要とするようだ。
地獄の霊は
肉体意識のままであるために
いつも飢えている。
そのうえ
地獄は食物が取れないところで、
たとえ取れても
盗みや強奪によって
力のある者しか
食物にありつけない。
小動物や鳥などを見つけると、
激しい争奪戦で
犠牲者が続出する。
弱い者はつねに
飢餓状態のままになってしまう。
いまザリエル達が入り込んだところは
天上の世界でも
かなり下のほうの
段階の世界ではないかと
私は感じた。
そして地獄のすぐ横に
天上の世界が
隣接していたことに驚いた。
ザリエルは
魂の段階で仕切られている
霊界の時空の壁に
穴を開ける能力を
そなえていたのだ。
しかし
普通は
意識のレベルが違うところに入ると、
魂の段階が
同じところへ引っ張られて
落ちるように、
その意識に見合った場所へ
戻ってしまうものらしいが、
ザリエルは時空に
自分も他の存在も
浮かせたままにする能力も
具えているようだった。
ザリエルや兵士達は
食べる物が豊富にある世界に
入って来たために、
手当たり次第、
食べ物を略奪し、
それを奪い合って
貪り食っていた。
地獄では
飢えと渇きで
満腹になるなどということは
なかったが、
ここでは思う存分
食べることが出来た。
だが食べても食べても
飢えはなくならない。
それでも
兵士達は
羨望と憧れで
ザリエルの力を信じ、
誇りに思い、
命を懸けてついて行こうと
決意していた。
地獄の兵士の大群が、
この世界を荒らして行く。
瞬時にこの情報が
この世界を統括している
政府機関に届いた。
そしてすぐさま
維持部隊本部に
出動命令が出された。
維持部隊とは
この世界の仕組みを
維持して行くことに
支障をきたすものを
取り除くための機関だ。
隊長のサバスは
副隊長のイジョンとともに
隊士を引き連れ
勇んで出発した。
維持部隊は
数百騎の馬に乗って
走って行く。
「何事なんですかね。大騒ぎして。」
副隊長のイジョンが走っている馬を
隊長の横に寄せて問いかけた。
「わしにもさっぱりわからんよ。」
左手で手綱をつかみ、
口ひげを右の指で
両わきにピンと
ひねり上げながら
隊長のサバスが
のんびりと言ってから
「まあいつものように
我々が現場に到着するころには
解決しているようなことだろう。」
と笑いながら続けた。
「そんなとこでしょうね。はははは。」
イジョンも笑った。
「この世界で大事件なんか
起こったことはありません。」
隊士のホンスがおどけて言った。
「そうですよ。
こんな大人数で行く必要も
ないでしょうに。」
隊士のカバルが言うと
「まったく上の人達は
何考えてるんでしょうね。」
隊士のテラソが
批判がましく言った。
それぞれが
無駄口をたたきながら
愉快でたまらないという風に
大笑いしていた。
ほとんど争い事のない世界で
武器は必要のないものなのだが、
一応お粗末で性能のよくない
弓と刀はある。
鎧は革製で
胸と胴を被っている。
どこか危機感がない。
維持部隊はようやく
のんびりと
現場が見えるところまでやって来た。
樹木の間から覗くと
広い畑がゆるい起伏の中に
続いている。
天上世界の田園風景だ。
いつ見ても
気持ちが和む
いい景色だ。
サバスはゆっくりと
目を左から右の方へ移した。