第32話 大蛇
鉛色男の
背中のあたりから
生えている大蛇は
仏像の光背のように
並んで
鎌首をもたげて
無踏を見下ろしている。
おやっ、
何か変だと思った。
男の剣を持った八本の腕が
消えたり現れたりしている。
何だろう。
不思議に思って
目を凝らした。
よく見ると
腕が動いていたのだが、
フッと見えなくなる。
目にも止まらぬ速度で
動いていたのだ。
男は槍を
右手にぶら下げ、
無踏をなめきった
薄笑いを浮かべながら
「おぬしがこの大蛇に
呑まれてしまえば、
人格が溶かされて、
素直で超危険な
素晴らしいやつに
なるのだよ。
そうなったら
おぬしはわしの
思うままだ。
いまだかつて
この大蛇から
逃げることが出来た者は
一人もおらぬ。
じたばたしたところで
どうにもなるまい。
ここで
かわいい蛇達の
食い物になるのも
悪くはなかろう。
おとなしく
食われてもらおうかのう。
ひーひひひひ。」
男は無踏に
勝ち目はないと見て
気をよくしているのだ。
いたぶることを
楽しむように、
狂った悦びを
押し殺した声で言うと、
少しも笑っていない
執念深さが
あらわになっている目を
細めて
唇をヒクヒクさせ、
甲高く笑った。
そして弱い者を
相手にする
余裕の表情で
顎を突き上げ、
悠然と
槍を構えて、
刃先を
無踏に向けた。
無踏は
蛇が大の苦手だった。
背筋がゾクゾクして
大蛇が現れたのを
見たときから
逃げ出したい衝動に
駆られていたが、
大蛇から
いっせいに
睨まれた途端、
体がすくんで
動けなくなってしまった。
背筋が凍り
脂汗が
滴り落ちる。
何を考えているのか
わからない
大蛇の冷たく光る目が
ジッと
無踏を
上から狙っている。
無踏の手にあった
払子が
自然に
独鈷杵に
変わった。
その握りの
両側の部分から
放射して
吹き出ている
強烈な光の束が
刃になって、
それが意思を持った
生き物のように
伸びたり縮んだりしている。
無踏は
足がすくんで
思うように動けないが
負けるわけには
いかなかった。
意思を振り絞り
凝縮して
瞬発力を
蓄積しておかなければと
思った。
しばらくそのまま
睨み合っていたが、
男が
フッと
力を抜いた。
そして、
鼻で笑って
馬鹿にした表情を浮かべ
余裕を見せたかと思うと、
槍を
ザッと突いてきた。
意表を突かれた。
その途端、
無踏の独鈷杵が
ビュッと
伸びて
槍を弾いた。
と同時に、
鉛色男の体めがけて
刃先が鋭く伸びた。
男は「おっ」と
目を丸くして
慌てて
体をかわした。
真顔になった。
意外だった。
これは侮れないぞと
感じたのだろう。
無踏の体の動きは
良くないのだが、
持っている武器に
意識があるのだろうか。
独鈷杵が
無踏の動きを
補佐するように
反応しているため、
敵の攻撃に
持ちこたえることが
出来ていた。
だがその時ふと、
無踏は
おかしいと思った。
いくら蛇が嫌いで
足がすくむと言っても、
このようなものでは
ないはずだ。
大蛇と目を合わせた瞬間、
スーッ
と力を奪われたような
感じがしたのだ。
この大蛇は
何かの妖術を使って
エネルギーを
吸い取って
しまうのではないか。
だとするれば
目を合わせると
危ないと思った。
無踏は自分の足が
自分のものではないような
動きの悪さに
攻撃をかわすことが
出来るのかと
不安だった。
こんな状態では
大蛇に食われて
人格を溶かされるのが
関の山だ。
無踏は緊迫感で
意識が全開になっていた。
優子は先程、
無踏が腕を
左右に振って、
わけのわからないことを
していたときから、
見え方が
いつもと違う感覚に
なっていた。
ものが二重に
ダブッて見えるように
なっている。
見えづらかった。
しかし、
しばらくすると
少しづつ
それが
はっきりして来て、
二重にではなく
肉体の目で
見ているものと、
もうひとつ
異次元のものを
同時にはっきり
見ることが
出来るようになってきた。
さっきから
騒がしく
二重に写っていたものが、
くっきりと
目に入って来て、
見ると
無踏が
異形の化けものと
戦っていた。
それはどう見ても
無踏が不利に思えた。
押される一方で
相手の攻撃を
防ぐのが
やっとの状態だ。
鉛色男の
八臂の腕は
動くと見えなくなる。
それが連続して
つねに動いているため
八臂の腕は
ほとんどが見えない。
その見えない剣が
休みなく
切りかかって来る。
かと思うと
槍が突き出されて、
それをかわすと
大蛇の真っ赤な口が
牙をむいて
飛んで来る。
無踏は
危ういながらも
辛うじて
防戦に
終始していた。
剣と槍が
無踏めがけて
瞬時に
繰り出されたのを
独鈷杵が
弾いたその時、
無踏の目の前が
真っ暗になった。
なにっ、
無踏は
自分に何が起きたのか
瞬時に
理解出来なかった。
その瞬間、
優子は飛び上がった。
「きゃー、」
絶叫になった。
大蛇の口の中に
頭からくわえられ、
一瞬にして
無踏の身体の
半分くらいまで
呑み込まれていた。