第31話 本性
あれだけ
神の声に
心を尽くして
従ってきたというのに、
私がやってきたことは
なんだったのか。
いつも聞こえてくる
姿のない神の声に
私は間違いなく
従ったはずなのだ。
それなのに
何故
神々はそれに対して
怒りで報いたのか。
囚われの身となった
テミクシは
呆然と
空間を見つめながら
繰り返し
神に問いかけた。
その神の指示により
国中から生け贄を集めて
テミクシ自身の手で
数え切れないほどの
心臓を神に捧げて来たのだ。
それをしなければ
大変なことが起こると
その声に言われていた。
その神託に
従うことこそ、
神々を
畏れ敬うことだと
思っていたからだ。
それ故、
神が怒るなどとは
考えもしなかった。
しかし
神々は怒ったのだ。
なぜだ。
自問自答した。
ミクシは神に
裏切られたような
気がして
判然としなかった。
しかしそれにしても、
とテミクシは思った。
許せない。
アデルコが
私の計画書を持っている
使者であることを知ると、
コスカルは
それを王に届けさせまいと
刺客を使って
無き者にしようと
したのだ。
コスカルが以前から
国王に生け贄の数が
多すぎると
進言していたらしい噂は
聞いていた。
生け贄の数は
神からの指示だから、
変えるわけには
いかないのだ。
それを変えれば
神罰が下る。
コスカルは私に
神罰が下るように
仕向けたかったに違いない。
被害妄想が膨らんで行く。
事実そうだったのかどうかは
さだかではないが、
そうとしか
考えられなかった。
なぜもっと早く
コスカルを
王宮から追い出すことが
できなかったのか。
テミクシは
強い憎しみと
後悔を抱いて、
どうすることも出来ない
我が身を
嘆いていた。
ここでフッと、
良一に取り付いている
神官テミクシから
伝えられて来ていた
映像は途切れた。
そして
もとの静寂に戻った。
良一は疲れ切った様子で
ぐったりしている。
しかし、
いま伝えられて来たものを
受けることが出来たのは
無踏だけで、
他の三人には
見えていなかった。
なにが起きているのか
わからないまま、
良一に
精神科の病院から
処方された安定剤を
飲ませていた。
不意に
ピピピピッと
金色の蜘蛛が
警戒音を
送ってきた。
無踏も先ほどから
何かの気配を
感じていたのだが
透視しようとすると、
強烈なバリアが
邪魔をして
正体を見抜くことが
出来ないでいた。
無踏はテミクシの
はだけた胸に
心臓がなく、
斬り裂かれて
穴の空いたままに
なっているのを
痛々しく感じていた。
そして同時に
テミクシの心に
大きな空洞が
あることに気づいた。
その空洞の中には
真っ黒な
タールのようなものが
いっばいに
詰まっていて
異臭を
放っている。
テミクシは国民に
「生け贄になって
死んだ者は
神の国へ
生まれ変わることが
出来るのだ。」
と教え込んでいた。
テミクシ自身も
子供の頃から
そのように
教えられて来たために、
それが当たり前で、
疑う余地など
微塵もなかった。
しかし、
生け贄になって
死んだはずだが、
テミクシ自身
神の国にいるような
気がしないのだ。
そして生け贄で
神の国に送ったはずの者達が
魑魅魍魎となって
テミクシに
怨みと怒りと不満の想念を
送り続けて来ていた。
「お前が言ってたことと
違うじゃねえか。
こんなのが神の国か。
でたらめを言いやがって
この野郎。
お前のせいで
こんなになったんだ。」
胸を斬り裂かれて
心臓を取られた姿で
迫って来て
責め苛む。
その想念が
針のように突き刺ささり、
テミクシの霊体に
幾重にも
絡みついて
稲妻のように
放電している。
その度に
激しく深い痛みが
魂を刺し、
テミクシは
呻き声を上げて
苦悩の淵に
沈んでいた。
すると
テミクシの背後から
薄ぼんやりした
影が現れた。
それが徐々(じょじょ)に、
明確になって
ビカビカした
金鍍金色の
オーラに包まれた
人の姿になってきた。
その者は何も言わずに
微笑んで
無踏をみている。
しかし
目は冷たく光って
笑っていなかった。
無踏は怪しんで
しばらく
様子をうかがっていたが
「誰だ。」
鋭く言った。
相手は一瞬
ギクッとした表情を見せたが、
すぐに平静さをつくろって
「わしか。
わしは観世音菩薩じゃ。」
優しさを
装った声で
言った。
「ここで何をしている。」
無踏は相手が
観世音菩薩だと言っても
鵜呑みにする気は
まったくなかった。
「わしはこの者を
守ってやっておるのじゃ。」
観世音菩薩は得意げに言って
ヒクヒク鼻を膨らませた。
「どう守っているのか。」
無踏は意地悪く尋ねた。
観世音菩薩の表情が
狼狽えたように
揺らいだ。
「どう守るだと。
わしが守っておるんだから
守っておるんだ。
何を言っておるのだ。」
観世音菩薩は
イラッとしたように
語気を強めて言った。
「守っておるから、
この者は
何も恐れることはないのだ。
おぬしもわしに
すべて任せて、
わしの言う通りにすれば
この世は
そなたの思い通りじゃ。
すべてのものが
そなたに
従うであろう。」
観世音菩薩は
笑いを浮かべた顔で言った。
無踏は黙っていたが、
内心、
作った笑い顔だなと
思いながら、
こいつは
新しい宿主を
物色してやがるなと
直感した。
お互い無言のまま
時間が過ぎて行った。
「どうかな、
わしの言っていることが
わからぬか。
わしの力を
信じられぬか。」
しびれをきらしたように
観世音菩薩が口を開いた。
無踏はまだ黙っている。
「なんでも
おぬしの欲しいものが
手に入るのだぞ。
おぬしは
欲しいものを思うだけで
いいのだ。
こんな楽なことは
ないであろう。」
観世音菩薩は何とかわからせようと、
いろいろしゃべり出した。
無踏は口を開かない。
「おぬしに欲しいものはないのか。
欲しいものがない者など
ひとりもおらぬはずだ。
何が欲しいか
申してみよ。
わしがすぐに
叶えて見せよう。」
無踏は
まだ黙っていた。
また
しばらく
沈黙の時間が過ぎて、
観世音菩薩が口を開いた。
「この者も、
わしの言う通りにして
富と権力と名声を
手に入れた。
わしの力は
偉大なのじゃ。
おぬしの力では
世界は動かせぬぞ。」
観世音菩薩がどうだと
いうように言った。
「世界を動かして何になるのか。」
無踏が突然口を開いた。
観世音菩薩はギクッと目を見開いたあと、
唇をピクピク痙攣させて
「考えてもみよ。
この世のすべてのものを
自由にすることが出来れば、
苦しみながら
あくせくすることもなく、
自分が欲しいものは
すべて 手に入るのだぞ。
そんなこともわからんのか。
愚か者め。」
観世音菩薩は語気を強めた。
無踏はジッと男の目を見つめて
「確かに
あなたのいう通り
かも知れない。」
無踏が言うと
観世音菩薩の顔に
喜びの表情が
一瞬きらめいたが、
すぐに
またもとの
平静を装った
顔に戻った。
「しかし、
あなたが守っている、
というこの者は
何故
あのように破滅し、
今このように
苦しんでいるのか。」
無踏が尋ねた。
観世音菩薩の目が
イライラッと光った。
「生意気なことを言うな。
この者が破滅して
苦しんでいるだと。
破滅や苦しみなどと
言うものはないんだ。
この者は
破滅して
苦しんでいるのではない。
わしの言ってることが
まだわかっていないだけだ。
わしへの信が
足りぬのじゃ。」
観世音菩薩は思うように行かないことに
苛立って
怒鳴り出した。
「どうかしたの。」
先程から
無踏が
沢山の
うしろのほうの
一点を見つめたまま
動かないでいるのを
訝って、
優子が声をかけた。
「いるんだ。」
無踏が視線を
観世音菩薩のほうに
向けながら答えた。
「えっ、何かいるって、
何もいないじゃない。
変なこと言ってるわね。」
呆れたように
優子が言った。
他の二人も
無踏の見ているほうを見たが、
壁があるだけで、
何も見えなかった。
突然、
無踏の手に
光り輝く払子が
現れて
持っていた。
無踏が意識するでもなく、
手が無意識のうちに
観世音菩薩を
打ち掃うように
左右に動いた。
払子の穂から
大量の星くずのような
光の粒子が
撒き散らされて、
部屋が
天の川の中にいるように
輝き出した。
光の粒子の流れが
部屋の中で
渦を巻いて
流れて行く。
優子もその渦に
巻かれて
立っていたが、
本人は
何も感じていなかった。
観世音菩薩の体は
光りの粒子が
巻きつくたびに
薄くなっていって、
鉛色の
人影が
現れてきた。
姿を見せなくさせていた
バリヤーは
光の粒子で
すっかり効力を失って、
姿が剥き出しになって
しまっていた。
いままで
まったく
見抜かれることもなく、
人々から
神として
畏れと敬いを
一身に
受けて来た
鉛色の男の自尊心は
砕かれ、
丸裸に
剥がされた
辱めを受けた
屈辱感で
逆上した。
「おのれ、
よくも見破ったなー。」
言うがはやいか、
屈辱の怒りに
支配された。
途端に、
ボッと
真っ赤な炎が
全身を覆って
燃え上がった。
すると
ワニの革のように
分厚い鉛色の
甲冑から
八本の腕が出て、
それぞれの腕が
剣を
振り回し始めた。
すると炎の中に
背中のほうから
九匹の
大蛇が現れて、
鎌首をもたげると
それぞれの大蛇の目が
一斉に
無踏を睨みつけた。