第13話 社 (やしろ)
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いままで騒然としていた場所が
打って代わって
静かになった。
髪の毛を高く結い上げ、
眉は
ひと筆で引いたように伸び、
目は切れ長の
一重まぶた、
透き通った肌の
稲荷大明神が
無踏に顔を向けた。
髻の周りから
光りが出ていて
宝冠のように輝いている。
目元涼しく細面、
鼻筋が通り、
威厳のある
きりっとした顔が微笑んで、
形の良い唇を開いた。
「無踏殿、
驚かれたことと思います。
大変なことに
巻き込んでしまいまして
申し訳ございませんでした。
ご助力感謝いたします。
この者は
大納言利三郎
と申しまして、
この地方の治安を司る
長官をいたしております。」
稲荷大明神が利三郎を紹介した。
「よろしくお願いいたします。」
利三郎が
いかにも律義というように
きちんと頭を下げた。
無踏もつられて
深々と頭を下げて挨拶した。
しかし、
なぜ
私の名前を知っているのだろう。
無踏は不思議に思ったが、
稲荷大明神は
次に丸目の狐に顔を向けて
「こちらは
中納言松之助と申します。
治安副長官を
いたしております。」
と紹介した。
松之助がいたずらっぽく
ニッと笑って
ゆっくり頭を下げた。
あの紙屑に化けたのは
やっぱり
この松之助だったんだな。
憎めないやつだと
可笑しさをこらながら
頭を下げた。
「近ごろ、
社を占拠しようとする不審者が
とみに増えまして、
警戒を強めておりましたが、
兵力増強の直前に
隙をつかれてしまいました。」
稲荷大明神は
少し
表情を曇らせながら話した。
「彼らはお社を占拠して
どうするつもりなのでしょうか。」
私は疑問に思ってたずねた。
「最近、
闇の世界が力を増し、
勢力拡大のための
拠点作りを
目論んでおります。
人間を闇の世界へ引き込むためには
それが好都合なのでしょうね。」
大明神は
穏やかな口調で言った。
「そうでしたか。」
無踏は相づちをうったが、
闇の勢力にとって
なぜ好都合なのか
よくわからなかった。
稲荷大明神は
遠くを見るような目で
無踏の顔を見て
話しをしていたが、
何かに気づいたのか、
はっと
少し表情が変わって
言葉が止まった。
しかし
すぐ
もとの平静さに戻った。
そして
思いついたように
「無踏殿、
私達の世界を
ご案内いたしましょう。
こちらへどうぞ。」
と声をかけ、
頭をちょこっと下げて
無踏を促すと
社に向かって歩き出した。
言葉は柔らかく
丁寧で
威厳に満ちた
神々しい雰囲気に
抵抗する余地もなく
夢遊病者のように
足が勝手に動き出した。
利三郎狐と、
松之助狐の二匹が
うやうやしく頭を下げて、
無踏に
「さあ、さあ、
こちらへどうぞ。
ご案内申します。」
と腕を差し延べながら
誘導して行く。
稲荷大明神は
赤い鳥居をくぐると
両脇に鎮座している
狐の石像の間を抜けて、
左のほうへ
ズンズン
進んで行き、
社に向かって行った。
無踏も続いてついて行く。
すると、
扉が観音開きに
サッ
と開いた。
一瞬躊躇したが、
恐る恐る中に入った。
結界の一部を開いたのだろう。
社の中の暗い雰囲気を
イメージしていたのだが、
結界の中は
広々として
太陽がさんさんと輝き、
森の中に道が続いている。
まるで
初夏のような爽やかさだ。
穏やかな微風が
やさしく肌を撫でて行く。
無踏は
稲荷大明神のあとを
二匹の狐と共に
ついて行く。
すると、
足元に
霧のようなものが
渦を巻いて出てきた。
と見る間に
それがモクモクとひろがって、
地面を覆い、
稲荷大明神と
無踏と二匹の狐が
雲の上に持ち上げられた。
「無踏様、
ご安心なされませ。
ここからは
大明神様のお乗り物にて、
ご案内いたします。」
利三郎が
驚いている無踏を
気付かって声をかけた。
稲荷大明神は振り返ると、
にこやかに微笑んだ。
雲は
ふわりと浮き上がった。
どんどん
高度が上がって行く。
そして
上から眺めると
思わず息を飲んだ。
森が見渡す限り
どこまでも続く
広大な原生林が
広がっていたのだ。
異空間に
現実の世界とは違う世界が
存在しているということに
驚いた。
と同時に
あまりに
鮮明な実在感に
目を見張った。
全てが新鮮で
澄んでいる。
好奇心の強い野鳥が
次々近くまで飛んで来て
まじまじと顔を覗いて行く。
目を転じて
森の中に意識を向けると
様々な種類の昆虫が
生活していた。
季節に関係なく
蝶やトンボが飛び交って、
蜜蜂が忙しく
花の蜜を集めている。
左前方の森の中に
芝生の広場が見えて、
何かが集まっている。
意識を集中させると
それが
グーッ
と拡大され、
その場所に入り込んで、
そこの様子が
手に取るように
理解出来るようになった。
集まっていたのは
狐だった。
行列している集団が
行進を始めると
短い号令ひとつで
次々
隊列が変化して行く。
一糸乱れず
散開したり集合したりしながら
全体が生き物のように
動いている。
そのうち、
集団がいくつかに分かれた。
たぶん
各班別になっているのだろう。
そして
武士の恰好をした集団の一部が
突然
姿を消したかと思うと、
予想もしていないところから
編笠姿の托鉢僧侶集団になって
湧いて出た。
その僧侶達が
錫杖を突きながら
行列して行くと、
他の武士集団が
刀と槍で襲いかかった。
途端に
行列の僧侶達が
さっと散開して
錫杖で
それらを跳ね返して構えると
激しい戦いになった。
他の班集団は
サッ
と退いて、
観戦している。
しばらく
丁々発止の
せめぎあいになっていたが、
僧侶の一人から
煙りのようなものが
立ちのぼると
ふっ
と姿が薄れて、
消えた。
すると
残った僧侶達からも
次々に
煙りが立ちのぼって
姿が消えて行った。
不思議だ。
妖術なのか。
武士の一団が
一瞬慌てて
隊列が乱れ、
キョロキョロ
見回したが、
すぐに
油断なく
辺りの気配を探った。
そして
煙り玉を取り出すと
次々に
火をつけて
投げつけた。
玉は
シューシュー
音を立てて飛んで行くと、
木の影や
丈の高い草むらに
落ちて転がった。
あたり一面、
唐辛子入りの煙りに
燻された。
嗅覚の鋭い狐達には
耐えられない。
木立や草むらに潜んで
同化していた妖術も解けて
苦しそうに姿を現した。
サッ
と観戦していた集団の中の
審判員らしい数名の狐が
白旗を上げた。
ドッ
と観衆がどよめいて
拍手がなった。
勝負がついたのだろう。
「あれは
武器や戦術と妖術を
それぞれの班ごとに
あみだして
実戦同様の
戦闘訓練をしております。
我々を攻撃して来た
あのボス狐の権左衛門も
ここで学んでおりました。
しかし
自分を他人よりえらく見て、
独善的に関わるために、
どうしても
ここの仲間と合わず、
波動の同じ闇の世界に憧れて、
ここを
飛び出してしまいました。
そして
そのまま戻って来ることもなく、
闇の言いなりになり、
悪事のし放題に
なっております。」
利三郎が説明した。
「幾度か
説得する機会は
あったんですがね。
あいつはまるっきり
聞く耳を持たないんです。
どうしようもないです。」
松之助が言った。
ギャア、ギャア、ギャア、
突然、
烏の鳴き声が
響き渡った。
二匹の狐が顔を見合わせて
稲荷大明神を見た。
稲荷大明神は
慌てる様子もなく、
無踏に体を向けると
「無踏殿、
また
他の社が
攻撃を受けておりまして、
様子を見に
行かなければなりません。
ここから先は
大納言と中納言が
ご案内いたしますので、
ごゆっくりご覧ください。」
そう言うと
稲荷大明神の姿が
瞬く間にかき消えた。