赤いペディキュア。火炎に舞う彼女は・・・
「!」
遠くからそれを発見した私は、人ごみに隠れてすばやく移動した。
すすんでいたのと反対方向の人の流れにまぎれてその場を逃げ出そうとした。
しかし、もう私は発見されていた。
振り向くと、長身の馬面が、人ごみをかきわけてぐんぐんこちらに接近しつつあった。
馬面の目が激しく光っていた。
たすけてくれ!
内心で叫び、私はついに駆け出した。
「まてよ。おい!」
野太い大声が後ろから響いた。
あたりの群集が怪訝そうな驚いた目で私を見る。
しかしそんなことに構ってはいられない。全速力で走った。
しかし逃げられないことは背後の気配で分かった。振り向くのも恐ろしい。
巨大な馬面の影が迫ってくるのがはっきりとわかる。
と、下り階段で私は足を踏み外し、ぶざまに転げ落ち、気を失った。
・・・・・・
火事。
失ったはずの意識の中で、大火事がおこっていた。燃えさかる赤い炎。
旅館の窓という窓から噴き出す炎。雪の降る夜を明るく照らし出し、焦がしつづける。
光り輝く炎をバックに、あの彼女のシルエットがむっくりおきあがる。
表情はわからない。
しかし助けを求めているのはわかる。しかし私は逃げようとする。
ただ私は逃げ出すきっかけだけをさがしている。
- どこへいくの?
彼女の声がする。
私は曖昧な笑みを浮べ、次に困ったような顔をして、後ずさり、やはり彼女に背を向けるタイミングだけをはかっている。
すると耐え切れなくなった彼女は、くるりと後ろを向き、窓の向うの火事へむかってすすみ出したのだ。
私は大声をあげた。自分でもびっくりするような大声をあげた。
私はいったい何を大声で叫んだのだ?いったい何を?
・・・・・・・・
「痛い!」
目が覚めた。
「何が痛いんだ。無事だよ。あんた、マイナス反応だ」
目を開けると、馬面だ。また、あの馬面が遠慮もなしに私を覗きこんでいる。
「ここは・・・」
つぶやいて、私は自分が横たわっているのに気づく。硬い寝台の上に寝かされている。
「どこだ。ここは」
頭をあげて見まわすと、そこは医院の診察室の中だった。
「軽い脳震盪だよ。面倒をかけやがって。何をあわてて逃げ出したんだ。まあ無理もないけどなあ」
語っている馬面は、なぜか白衣を着ていた。
「あんたは。医者?」
私は首をかしげる。馬面は面倒くさそうにうなづく。
「しかし、あの、刺青じゃないですか、あなた」
いってしまって後悔したがもう遅かった。しかし馬面は平然としていた。
「刺青でも医者だよ。そういう医者もいるんだ」
馬面は不快そうにいった。つまらぬことを詮索するなという顔をしていた。
「じゃあ、ここは・・・」
「八重洲ビルの●●組の診療所だ」
●●組。え?やっぱり組の人?私は動揺した。
「あんた、あの女とやっただろう?だから検査もしてやったんだよ。親切ってもんじゃねえか。
医者の良心だ。安心しな。HIV陰性だよ」
馬面はそういってから、恐ろしい形相になった。「・・・だからな、あの女のことは誰にもいうなよ。あんたの身元は、しっかりつかんだからな」
彼はそういって、カルテを私につきつけて見せた。
勤務先も住所も記入されていた。
それから急に語気をやわらげた。別人のように。
「彼女は末期的なエイズだったんですよ。仕事がら、その危険があったのはいたしかたない。
しかし、私どもとしては予防に万全を期していたのですがね。
しかし事故もある。だからといってそれを全部●●組の責任にして、いいふらそうとするなんてね。
困りますよ。お仕事の実態までいいふらすのは、もっと困ります」
馬面はにこやかな目で私の心の中まで覗き込もうとする。
「彼女から、その手のお話を、あなたがどこまできいたかわかりませんがね。さっきも申し上げましたように、何も、誰にもおっしゃら
ないでくださいね・・・」
馬面はニターリと笑った。
私は何もいうことができなかった。
頭の中が真っ白な雪原になった。
私は疑問をかかえたまま、身じろぎもしないでいた。
すると、雪原が暗転し、また、あの火事がはじまった。恐怖におののきつつも、私はカラカラに渇いた声を絞り出し質問した。
「 ・・・で、彼女は・・・?」
彼女は、どうなりました?
私はきいたのだが。
だがしかし、馬面はあいかわらず、ただ冷たく微笑んだ。
すると彼女のシルエットが現われた。
悲しそうにすべてを了解していた。
すべてを。
彼女は、私に抱いてほしかった。私というのは、私という名の、誰でもよい、誰か・・・だ。
誰か。
誰でもよい、誰か。
救い?
そんなものなんて・・・ない?
そして彼女は、燃えさかる。
「ああ、もう、くどいなあ!もう、いいや!!」
クルリとまわり、私に背を向け、バレリーナのように、高く足をあげ、回転しながら、燃えさかる彼女の中へと、勢いよく、飛び込
んだ!
回転する彼女の爪先が、私の目に焼きついた。火炎に飛び込む刹那、私の目に、恐ろしくしっかりと、赤く赤く、焼きついた。
それはあの・・・、高く上げた彼女の足の爪先の、それは・・・・
あの、赤いペディキュアだった!!
・・・・おしまい
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