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赤いペディキュア  作者: 新庄知慧
4/5

不倫火災とタヌキの逆襲??


「抱いてよ」


沈黙。


すると、窓の外から、ちらちらする光が、だんだんに強く明るくなってきた。私は叫んだ。


「火事!」


彼女のシルエットの背後の窓。その窓から隣の旅館の窓が見える。その窓から、火の粉が無数に舞い上がる。濃い灰色の煙がもうもうとたちのぼる。ついに炎がメラメラと舌を出す。


「火事だよ!隣の旅館だ。ほら見てみなって!」


しかし彼女は動かなかった。全く反応せず、相変わらず私を求めている。・・・いや、彼女が求めていたのは私だったろうか?違う。


誰でもいいから、何かの救いを求めていたのだ。しかしそんなこと、そのときは考えもしなかった。私はその場から逃れるためのきっかけを探していただけだ。


「フロントに知らせてくる。君も避難の用意を・・・」


そういった。


しかし彼女のシルエットは何も動きはしなかった。そのまま、ゆっくりと崩れ落ちていった。


私は、これまでだと思った。そして部屋を出た。一目散に走り、脱兎のごとく逃亡した。




・・・・・・・・・・




それから私は何事もなかったように日々をすごした。


しかし若干の不安はあった。あの越後湯沢のホテルのフロントマンが、私の顔を覚えていたのじゃないかという不安だ。




あの晩、私は急用ができたといってフロントで支払をすませてホテルを出た。


連れはあとから来ると言い残して走り去った。


そのときフロントマンは事務的に無表情に対応したが、領収書を書く途中で私を見上げた目が、顔見知りを見る目に感じられたのだ。


たしかに、仕事で以前泊まったときのフロントマンもあの男だった。


だからこちらは彼の顔を知っていたのだ。


仕事で泊まったときに、私は自分の名前も勤務先の電話番号も宿帳に書いた。だから可能性を考えれば、私の勤務先に電話がかかってくることも予想される。


たとえば、勤務時間中に、


「ツムラさん。新潟県警察からお電話です」


と、課の女子職員が、怪訝そうな、申し訳なさそうな、しかし興味津々な目をして、電話を取り次いでくる。


「はい。ツムラです」


平静をよそおって、私は電話にでる。相手はこういう。


「失礼。県警青少年保護課の者ですが。おうかがいしたいことがあります。お時間はとれませんか」


平静を続けて私は「いったい、どういう件でしょう」などというのだが、ひょっとしたら、と内心では不安の極致だ。


「●月●日の晩。越後湯沢の△△ホテルにお泊りですね」


「はあ?あ、はい」


「少女とお二人で」


「・・・」


「どうなんです?」


「いえ、まあ・・・」


私はあたりを見廻す。みな平然と事務しているが、耳はダンボになっているにきまっている。


「その晩、少女は売春しました。あなたには買春の疑いがあります」


「・・・」


そんな。少女だなんて。彼女は立派な大人でした。同意のもとにおよんだ行為です。そんなはずはありません。と、心の中では反論しているのだが、声もでない。


・・・あるいは彼女は年齢は未成年だったかもしれない。売春だと証言したかもしれない。たしかにその行為をしてしまったことは事実だし・・・


頭の中がグルグル回りだし、やっとカラカラ声を絞り出し、こういう。


「し、承知しました。業後でもよろしいでしょうか。どこか喫茶店ででも・・・」


受話器をおろし、私の頭の中はもう、破綻絶滅消滅状態になる。


「ああ!」


そんなことを考えて、思わず勤務時間中に一人でうめき声をあげたりした。


そんな弱気に襲われると、あるいはこんなことも思ってしまう。




「おい!見たぞ!おめえ、見たぞ!風呂の中で、ニタニタ笑ってたな。馬鹿。見たぞ、この不倫野郎。青少年売春防止条例違反野郎!」


叫んでいるのは狸だ。


仕事に疲れて帰宅した単身赴任の社宅。電気をつけるとキッチンのテーブルの上に、あの狸がいて、口を三日月型に開けて私を激しく非難している。


「た、たぬきが、しゃべってる!」


私は驚愕し、腰をぬかす。


「見たぞ!ふやけて笑ってたぞ!いいか、てめえ。あの女の子は、俺の娘だ!」


「あなたの、娘?」


「そうだ。手塩にかけて育てた俺の娘だ!」


「しかしあのお嬢さんは人間・・・」


「人間でも、俺の娘だ。俺の一族だ。これはファンタジーなんだ。狸の嫁入りだ。あの晩、嫁入り前に里帰りしたんだ。マリッジブルーで、こころ淋しくて、帰省したんだ。それを、てごめにしやがって」


「違う。てごめだなんて」


私はその行為のあった状況を狸に説明した。


「なに!それじゃあ俺の娘がお前を誘惑して、強姦したっていうのか!人の娘を、まるで色気違いみたいにいいやがって。畜生。許せない。嘘八百だ」


怒髪、天を突く。狸は全身の毛を逆立てて、怒ったハリセンボンみたいになって猛り狂った。


「相手が子供だってことを考えろ。お前は大人じゃないか。それで許されるわけがないだろう!!」


私は、おそれいった。


狸が親だったケースですらこんなに糾弾してくる。


ましてや人間の親なら、当然、これ以上の非難をしてくるに違いない。この狸の出現は、そのような寓話にちがいない。


「誰でも人は誰かの子。親の身になって考えましょう」


私は、そういって狸に頭を下げた。


「なんだ。その態度は。わかったようなこといいやがって。誠意が感じられないよ」


そういって狸は怒りのあまり一発臭い屁を爆発させて消えた。


恐ろしい幻想だった。私はまた「ああ!」といって頭をかかえた。




・・・私が「何事もなかったように」過ごしたこの日々とは、内心では以上のような不安と葛藤を含む日々だったのである。




そんな日々が1か月も続いた後の日曜の晩。その晩も、私は新潟へ向かう新幹線に乗ろうとして、東京駅の地下コンコースを歩いていた。



そして、群集の中を歩くひときわ背の高いあの馬面に遭遇したのだ!



・・・・つづく






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