歪み始める
9月15日。それは私の誕生日で、もしかしたら最後の誕生日になるかもしれない日。それでも今までのように家族に祝われて贈り物を開けてお礼の手紙を書いて過ごすと思っていた。
「キャロル、話がある」
「……えっ」
後ろから声をかけられて振り向いた先にいたのは私の婚約者のアーサー=カルディナーレ様。最初は何かの間違いだと思った。だってアーサー様が私に用なんてあるはずがないから。
そう考えて思い出した。夏季休暇で街に行った日の二人を。
私はついに婚約破棄を言い出されるのだろう。そう覚悟した。
だから私は今起こっている出来事を現実だと信じるのは難しい。
二日前、昼休みに食堂のテラスに来てほしいと呼ばれ、今日は二日後の9月15日だった。生まれた日に婚約破棄されるなんて私の存在自体を否定されているようで少し泣きたくなってしまった。
昼休みになり約束通りにいけばそこにはすでにアーサー様の姿があって、私は待たせてしまったと失態にすっかり委縮しきっていた。
「お、お待たせして申し訳ありません!」
「そこまで待っていない。いいから座れ」
「は、はい」
座ることを許可されたので恐れ多くも向かい側の席へ座ろうとする。しかしその前に誰かに腕をひかれバランスを崩した私はハッとしたときにはアーサー様の膝の上にいた。
「!?申し訳ございません、すぐに退きますので!……あら?」
立ち上がろうとするも腹の前に回ってきた2本の腕に妨害されて立ち上がれない。その腕を信じられないものを見るような目で辿るとその腕の持ち主はやっぱりアーサー様だった。
(どうして……?)
アーサー様はそんな私の様子に目もくれず、近寄ってきた給仕に何か支持を出していた。しばらくして机にいくつかのお菓子が運ばれてくる。それはまだあまり流通していない蒸し菓子や氷菓子だった。
「あ、あのこれは……」
「食べないのか?」
「えっと、いただく理由がございません」
「俺の好意だ。今日は誕生日なんだろう」
「!」
覚えていてくださったのですかと言いそうになった口を閉ざす。目頭が熱くなったのを誤魔化すようにではいただきますと溶けそうなクリーム色の氷菓子、アイスクリームを手に取った。ひんやりとしたミルク味のそれが舌の上で溶けていく。おいしいと思えばフッと肩の力が抜けたかのようにアーサー様に体を預けた。
上を見上げれば幼いころの面影が残る優しい笑顔。その顔に私も笑顔を返した。
これはおそらく夢だ。こんな私に都合の良すぎることあるはずがない。目が覚めれば9月15日の朝で、この場所で予想通りに婚約破棄を切り出されるのだろう。
それでも今は夢の世界に浸っていたい、そう思っていた。
「私の婚約者に色目を使うのはやめてくださいませ!」
「そんな……っ、私そんなことした覚えはありません!」
「!」
女性の怒声が聞こえるまでは。
ハッと夢から覚める感覚と焦りの感情。こんな皆に聞かれてしまうような場所での言い合いは非常によろしくない。止めなければ。
「申し訳ありません、アーサー様。様子を見に行ってもよろしいでしょうか。あの声はシェリーさんだと思うのです」
「あ、ああ。かまわないが……」
「お心遣い感謝いたします。すぐに戻りますので」
緩くなった腕の拘束からするりと抜けると、怒声の音源がいるであろう中庭へと歩を進めた。
おそらく先ほど怒鳴っていらっしゃったのはリーヴス公爵家のシェリーさんだろう。社交界では美人で才もあるが傲慢なところが玉に瑕だと有名な彼女だが、本当は婚約者に甘えたいけれど公爵令嬢というプライドがそれを許さない可愛らしい人だということを私は知っている。嫉妬深いところもあるから最近婚約者のエリック様と仲がよいと噂のクレリア嬢に牽制しているのだろう。
「あなたは複数の見目のいい男性に声をかけているそうね。彼らをそばに侍らして私たち婚約者を見下すのは楽しいかしら」
「エリック様たちは私の大切な友人なのです。婚約者であるのならなおさら、そのように卑下するのはおやめください」
中庭には野次馬とその中心には予想通りシェリーさんとクレリア嬢がいた。シェリーさんはクレリア嬢が自分の婚約者を奪うつもりだと決めつけている様子。これは一度落ち着いて冷静になってもらわなければいけないだろう。
「シェリーさん、クレリア嬢。落ち着いてくださいまし。先ほどまで見ていましたがお二人の間で何かすれ違いがあるご様子。ここは一旦離れ考えを整理し、後日お話すべきでしょう」
私が声をかけるとやっと状況を理解したシェリーさんは苦虫を噛み潰したような顔をし、クレリア嬢は少しほっとしたような表情をみせた。
「キャロルさん……ええ、あなたの言う通りですわね。一度頭を冷やしてまいります」
そういって彼女は金色に輝く花のバレッタでまとめられた紺色の髪をなびかせ歩き出した。あの方向は噴水広場のほうだろうか。後で話を聞きに行こう、そう考えて目の前の少女に視線を移す。桃色のふわふわした髪は金色に輝く星型のバレッタで飾られていた。
「あ、あの。助けていただきありがとうございました」
「いいえ、ただの自己満足ですので。それよりも婚約者のいる男性にみだりに話しかけるのはこのような諍いの原因になってしまいます。御注意くださいませ、ここにいるあなたも貴族なのですから」
「……はい」
少しきつい言い方になってしまっただろうか。それでも彼女はこれから貴族として生きる道しかないのだから問題を起こしてしまう前に教えるのも優しさというものだろう。
「不慣れなことも多いでしょうし何か悩み事があるのなら私も相談に乗りましょう。では失礼いたします」
安心させるように笑顔を作ったつもりなのだけれど彼女の顔は晴れない。それでもここでこれ以上踏み込むのは得策ではないと判断した私は待たせていたアーサー様のところへ戻ることにした。そういえばあれは結局白昼夢だったのだろうか。
そのあともアーサー様の謎の行動に夢か現かわからなくなるのだが、私の頭の片隅には先ほどのクレリア嬢の様子が気になっていた。
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