準備は進む
街に出かけた日。アーサー様とクレリア嬢が歩いているのを見てしまった日。その日は私の顔が真っ青になっているのに気が付いたニールとリックに手を引かれ、なんとか屋敷に戻ってきたようだ。きたようだというのはその記憶が曖昧にしか残っていないから。
ケイトにそのときの私の様子を聞くと、顔は真っ青で体は指先まで冷え切り震えていたとのこと。姉弟たちのお出かけでまさか私がこんな状態で帰って来るなんて誰も予想していなかったから屋敷内は騒然としたと苦笑いしていた。
実際に二人が歩いている光景をみた弟たちは断固として婚約破棄を主張している。好かれているのは純粋に嬉しいけれど安易にそんなことをできないと思っている私は、両親に後ろ姿しか見ていないので決めつけるのは早計だ、確かめる時間がほしいというお願いをした。弟たちは私が疑う姿勢を示しているのを見て、一旦落ち着いたようだった。
時計の針の音が響く部屋の中眠れない夜を過ごす。目からははらはらと涙が零れ落ち、何度もこすりそうになるのを柔らかなタオルでそっと押さえつけるだけにとどめる。夏用の薄い布団をかぶって手で体に寄せる。体が震えているのがわかった。
頭でわかっていたこと。それでも感情を制御するには至らない。真っ青になってなお気丈に振舞おうとする意固地な私にケイトは言った。
感情を肯定することで楽になることはあるのだと。
幼いころからそばにいた彼女のことだからきっと私が無理に笑顔を作っていることに気付いていたのだろう。ケイトには敵わないと言えば何年の付き合いだと思っているのですかと優し気な笑顔で答えてくれた。
そんな彼女だから、朝私に泣いた痕跡があったとしても普通に接してくれる。そんな彼女のそばは私にとって一番安らげる場所だ。
ケイトのことを思い出せば、彼女のアドバイスもすんなりと受け入れられる気がした。いつも心のどこかでアーサー様への恋心を悪いものだと思っていたのだと今日、私は初めて頭で理解できた気がした。
そのあと、結局アーサー様に会うことができずに夏季休暇は終わってしまった。
茶会の招待状も書き終わらずに机の引き出しの中に眠ったままだ。普段の私なら意気地なしと自己嫌悪に浸っているところだが今我が家に招くにはいろいろと複雑なため、むしろ外出の前に出していなかった私を褒めたいくらい良かったと思っている。いや、何もしてないのに褒めるなんておかしいのだけれど。
始業の日、少し憂鬱だったけれど弟たちに励まされて気持ち的には余裕がある。鏡をみれば思った以上に自然に笑えていて安心した。
いつも通りに若草色のリボンで結ったツインテールの髪を揺らしながら式を終え、2階渡り廊下で休んでいると校舎裏でクレリア嬢と二人の令息が言い争っているのが見えた。
男性のうち一人がエリック=クィントン。侯爵家の令息で私と同じように背が低く、可愛らしい印象を与える方。大きな目を縁取る黒い丸メガネがよく似合っていると有名だ。婚約者は公爵家のシェリー=リーヴズ嬢だ。
もう一人はゴドウィン=ラッシュ。伯爵家の令息でエリックとはまるで正反対のように背が高く筋肉質な印象を与える方だ。父親が王家騎士団長の方で有名だと聞く。
その二人には全く共通点がないように見えて実は共通点がある。
彼らはリナジオンの箱庭の攻略キャラクターなのだ。
「なんですか、私は今友人と話しているのです。邪魔しないでいただきたい」
「婚約者のいる男が妙齢の娘とこのような場所で隠れてこそこそ密会するなど邪推しろといっているようなものだ。貴殿はリーヴス嬢を愚弄する気か」
「話しかけようとしたのはあなたも同じ。それに私はこそこそとしているつもりはございませんが」
「やめてください、二人ともどうしてしまったのですか」
まるで恋愛小説のような出来事が目の前で繰り広げられる中、私は近くにアーサー様の姿がないかさっと視線を巡らせてさがす。周囲にいないことにほっとしつつも状況を整理することにした。
校舎裏には二人の攻略キャラクターにヒロイン。これは5番さんがいっていたようにゲームが進んでいるという証拠だろう。
(でも、どうして……?)
私が聞いた話では攻略キャラクターたちは互いに知り合い程度で止まっているが、実力は認めておりいがみ合うようなことはなかったはずだ。しかし実際目の前の二人は今にも取っ組み合いの喧嘩が始まりそうな雰囲気である。
(取っ組み合いの喧嘩…………あっ!)
そんなことになれば大問題だ。傍観している場合じゃない、すぐに止められる人を呼ばなければ。優雅さを損なわないように急いで移動する。先生、先生はどこだろう。
キョロキョロとあたりを見回しながら移動していれば剣術の教師を見つけた。一直線に近寄っていき、急いでいるので礼を省略することをことわり事情を説明する。
146の私と180越えの先生ではどうしても歩幅が違いすぎるので場所を説明して先に行ってもらう。私は少し切れた息を整えてから少し速度を落として向かうことにした。
私が校舎裏に着いたときには、エリック様とゴドウィン様が途中で合流したのか複数の先生方に連行されている途中だった。二人は未だに睨みあっているが見たところ殴りかかってはいないようだ。間に合ってよかった。
一人残されて女教師に事情聴取をされているクレリア嬢は顔を伏せていてその表情は読み取れない。
(あら……あんな髪飾りつけていたでしょうか)
薄桃色のふわふわした髪はクリーム色の大きなリボンで飾られていた。ハーフアップにしている姿はそれはそれで可愛らしいけれど私はさらりと流していた前のほうが好きだったな、なんて感想を抱いた。
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