今日から始まるキャロット令嬢
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リナジオン学園には銅像がある。数百年前飢饉で苦しんでいたこの国を救った聖女、シルヴィア=レイクスの像だ。
その銅像の前に一人の少女が祈りをささげている。キャロル=ラパン令嬢だ。
「聖女様、どうか…………」
時は遡り、食堂に着いた頃。食堂にはすでに両親と双子の弟たちは席についていた。
「遅れてしまい申し訳ありません」
「謝ることはないよ、私たちのほうががいつもキャロルを待たせてしまっているからね」
そういって朗らかに笑うのはお父様、ハロルド=ラパン侯爵。その横で珍しいこともあるのねと大きな目をパチパチさせるお母様、クラリッサ=ラパン夫人。
二人仲良く隣に座って早く食べようというオーラを出しているのは双子の弟、ニールとリックだ。今年10になった彼らはすでに私の身長と並んでしまっている。何故君らはそんなに身長伸びるのが早いのでしょうか。私15なのに。
穏やかな家族のおかげで朝食は終始和やかに終わった。気持ちも少しは落ち着いて冷静になれそうだった。
学校に行く見送りにリックとニールがついてきた。いつもにこにこと可愛らしい弟たちは少し不安そうにこちらを見ている。
「どうかしたのですか?」
「姉さま、最近笑わなくなりました」
「え?」
リックに笑わなくなったと聞いて思わずペタペタと自分の顔に触れる。意味の分からない行動をしていると侍女が鏡を持ってきてくれた。
ありがとうと言って鏡を覗き込むけれど、特に笑えていないということはないと思う。
「姉さま、婚約してから自然に笑うことが少なくなりました」
「!」
自然に笑うことが少なくなった。ニールのその言葉は確実に私の心の本質を貫く。
「姉さま、あなたは今幸せですか?」
「………………」
二人の言葉に何も言えなくてうつむく。理解していたけれど理解できなかったこと。アーサー様の気持ち以外に目を背けていたことがもう一つあったようだ。
「……幸せとは何なのでしょうね」
出せた答えはそれだけだった。声が震えている。いつもの真面目で強い姉の姿はどこにもない。
「幸せは人それぞれです、考えてみてください」
「僕らは姉さまの幸せそうな笑顔が見たいのです」
「……ええ」
元気づけてくれる弟たちに一言しか返せない。自分が凄く情けなかった。
一日中考えた。馬車の中も休み時間も授業中でさえ、弟たちが出した課題を考えるのにひたすら時間を費やした。
私にとっての幸せは生きること?
……違う。
アーサー様と添い遂げること?
……違う。
私はどんなときに笑っていた?
……楽しいとき、嬉しいとき。
そう感じたときの具体的なエピソードは?
……アーサー様に一目惚れしたときや両親に褒められたとき。弟たちと遊んでるとき。
好きなことに没頭しているとき。
「好きなこと……」
ピアノ?ううん、それよりももっと好きなことがある。
「私、食べることが好きだわ」
甘いお菓子を食べる時間が一番幸せだった。成長していくうちに胸のあたりが苦しくなっていって、太るからと自制するようになったけれど今でもお菓子は大好きだ。
食べるために婚約破棄なんて、なんてマヌケなことでしょう。それに婚約破棄が正解かもわからないこの状況でするべきことではないだろう。
それでも、それでもお互いに望んでいない未来を回避するついでに幸せも手に入れられるなら万々歳なのではないだろうか。
実際お互いの仲は完全に私の片思いで、どちらかが嫌だと言えばすぐに破綻する関係だろう。そう考えると未だに何故破棄されないのかが不思議ではあるが。
銅像の前に一人の少女が祈りをささげている。キャロル=ラパン令嬢だ。
「聖女様、幸せとは何なのでしょう。私は家族に幸せそうに見えないといわれてしまいました」
「家族は私の幸せを望むのだと言います。私も同じ立場であったならそう言ったことでしょう」
「だから聖女様、どうか私が幸せな未来を掴むために私が本来与えられた役目を放棄することをお許しください」
これは侯爵令嬢としての役目ではない。ゲームを作り上げた創造主が望んだ私の役目、物語の悪役であり、死ぬしかない未来を変えることを許してほしいと聖女にそう言ったのだ。
「私は今日からただのキャロルではありません、ファンの意思を引き継いで生きているキャロット令嬢なのです!」
キャロル=ラパンことキャロット令嬢、侯爵家の名に懸けて幸せな未来を掴んでみせましょう。