令嬢は夢を見る
初投稿です、なんだかドキドキしますね!
初めてあなたを目にしたとき、まるで天空から落ちてきた天使のようだと思った。海のように深い色をした瞳と天使の輪ができている金色に輝く髪に反射してこぼれる光の粒が、ただただ眩しくて。
彼が今日から私の婚約者。その事実は不安で揺れていた私の心をまるで魔法みたいに、喜一色に塗り替えた。
「初めましてアーサー様。わたくしはキャロル=ラパンと申しますの。末永くよろしくお願いいたしますね」
そう言ってふわりと柔らかく微笑んでみる。するとほんのりと色づいたあなたの頬が愛おしい。あなたは気恥ずかしそうにぎこちない笑みを返してくれた。
(その瞳が私を映さなくなったのはいつからだったのでしょう?)
もう遠い過去になってしまった幼き思い出の一ページ。それでも私はずっと覚えています。
廊下を急いで移動する。今日だけは特別にと緩く巻いたツインテールの髪が視界の端でふわりと揺れた。たくさんのフリルがついている、良く言えば可愛らしい悪く言えば子供っぽい私の髪と同じ橙色のドレスは重くて非常に動きづらい。ちょっと背伸びしていつもよりも高くしたヒールの靴も相まって何度も転びそうになる。
(アーサー様、どうして迎えに来てくれなかったのですか?)
今日は毎年恒例学園主催のダンスパーティーの日で、私は自分の部屋でエスコートをしに来てくれるのを、時間が許すまでずっと待ち続けていた。
それでも私の婚約者、アーサー=カルディナーレは私ことキャロル=ラパンのもとに訪れることはなかった。
視界がにじみ始めた頃にようやく目的地がみえた。学園から少し離れたこの場所は大ホールと呼ばれる場所だ。主に行事ごとに使われていて、今日もこの扉を開ければきっときらびやかな世界が広がっていることだろう。
身だしなみを整えてそっと扉を押す。ぽたりと雫が地面に落ちる音がした。華やかな音楽と共に目に飛び込んできたのは、予想通りでありながら予想と違っていて欲しかった光景だった。
豪華なシャンデリアの下フロアの中心で美しい男女が躍る。男の名はアーサー=カルディナーレ、女の名はクレリア=アンジェロ。私の婚約者と元平民の女の子。
扉が開いた音に気づいたのか、華やかな音楽はぴたりと止み、アーサー様はこちらを鋭い目で睨みつけてきた。
(どうしてそんな目で私を見るのですか……?)
目の前に突き出された婚約破棄の書類も、他の令嬢の肩を大切なものみたいに抱く彼の姿も、ぜんぶ全部信じたくない。信じられない。
周りの好奇な視線が体に突き刺さる。でも私にはその視線から守ってくれる友人はおろか婚約者さえいなくなってしまった。
どうして……?
どうして、どうしてどうしてどうして
寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい寂しい
寂しくて悲しくて、
死んでしまいそうなの。
気が付けば何故か手に持っていたナイフで左胸を刺していた。
鋭い痛みに耐えられず床に倒れこむ。大理石の床に赤い液体が滴っていく。ついには口からごぼっと音が漏れて血が吐き出された。それに反応したのか静かな会場内のどこか遠くで女子生徒が叫ぶ声が聞こえた。そしてざわざわと音が増えていく。
(……あーさーさま。)
力が入らなくて立ち上がれない私の瞳は血で汚れた会場の床しか映さない。私の周りには愛しい婚約者も、親友だと思っていたご令嬢も、クラスメイトも、警備の者でさえ近寄ってこない。
その誰も映さないという行動こそが真実を物語っていた。
(あーさーさまは、いえ、わたくしが、したしかったかたがたは、わたくしのことを……、あいしてなど、いなかったの、ですね。)
(いいえ、ずっとまえから、わかっていました。あーさーさまが、わたくしに、あいのことばを、くださったことなんて、いちどもなかったもの。)
それでも、それでもずっと相談に乗ってくれていたあなただけは。あなただけは親友だと思っていたのに、どうしてなのですか。
どうしてアーサー様の隣にはあなたがいるのですか、……クレリアさん。
視界が暗くなる。もう何も見えない、聞こえない、感じない。暗い世界で一人きり。どこかにゆったりと落ちていくような感覚。このまま眠ってしまいたくなる、そんな感覚。
わたくし、しんでしまうのでしょうか。
いやだ。からだがつめたい。しにたくない。
だれか、たすけて。
――いいよ、助けてあげる。
「!」
そんな夢を見た。
視界に映るのは見慣れた天井。起き上がって窓のほうを見てみれば、まだ朝日は昇っておらず暗闇が広がっている。ずいぶんと早くに目が覚めてしまったようだが、生憎寝なおすことはできそうにない。
やけにリアルな夢だった。まだ死ぬ直前の冷たさが体に残っているようで、寝汗はひどく、呼吸も乱れている。もう夏であるはずなのに妙に寒気がした。
ふと頬に違和感を感じて手をあててみる。頬は何かの液体で濡れていた。涙だ。そう理解した瞬間、目からポロポロと涙が零れ落ちていく。
(私は泣いていたのね)
震えている体をさすって温める。使用人を呼んで温かい紅茶でも入れてもらおうかとも思ったけれど、今はそんな気分ではない。それに自分が婚約破棄されて自殺する夢を見たなんて万が一にも知られてしまったら余計な不安を煽ってしまう。
「いっ!」
(頭、いたい)
頭痛と共に唐突にいくつもの映像がフラッシュバックする。
こことは服装も文化もまるで違う世界。
本より小さくて手より大きい箱のようなものに映る美しい男女が幸せそうに踊る絵。
その絵をにやついた顔で見るのは私と同じぐらいの年の少女。
(え、あの絵の男女って……)
豪華なシャンデリアの下フロアの中心で美しい男女が躍る絵。男の名はアーサー=カルディナーレ、女の名はクレリア=アンジェロ。私の婚約者と元平民の女の子。
夢の中の光景をそのまま切り取ったようなその絵は私を動揺させるには十分だった。
「今のは何……?」
意味のない問いかけだった。何故ならこの問いに答えられる人はここにいないのだから。
ただの疑問を口にしただけ。しかしこの問いの答えは返ってきた。
――乙女ゲーム『リナジオンの箱庭』、アーサールートのスチルの一つ。
「!?」
脳に直接語り掛けるようにして聞こえてきた声は、確かに私の夢で最後に助けてくれると言った声だ。もっともその時の私は突然聞こえてきた声に吃驚していて、気が付いたのは登校途中の馬車の中だったわけなのだが。
――あなたはアーサールートのライバル令嬢。死んでもなおヒロインを苦しめる悪役。
「わたくしが……あ、くやく……?」
――そうだよ、あなたは愛しの婚約者をいきなりあらわれた平民に奪われる哀れな侯爵令嬢。
「ちが……っ!」
否定を遮るようにチカチカとまたいくつもの映像がフラッシュバックする。
見たこともない瞳で桃色の髪の少女、クレリア嬢を見つめるアーサー様。
見たこともない笑顔でクレリア嬢の髪に触れるアーサー様。
見たこともない声でクレリア嬢に囁くアーサー様。
見たこともない――
「やめて!」
声を上げて次々と映っては消える映像を頭の隅に追いやる。
「もう、やめてください……」
大声をあげるのに体力を使ったのか、それとも自分がどうしても愛されていないという事実に絶望したのか、次に聞こえた声に覇気はなく空気に溶けて消えていく。
――うん、そうだね。私としてもこれ以上いじめるのは本意じゃないよ。
「あなたは、誰なのですか?」
吸って、吐いて、吸って、吐いて。目を瞑って深呼吸をした。
瞑った目はそのままに、落ち着いた声でそう問いかける。
――私?私はあなたの、キャロット令嬢のファンだよ。ちなみにファンクラブ会員番号5番、女性でーす。
「???」
声はキャロット令嬢のファンであり、そのキャロット令嬢と私が同一人物であるかのように言う。しかし私の名前はキャロットではなくキャロルだ。つまり声の人物はファンであると言いながら、名前を間違えるような失礼な人物なのだろうか。
――ああ、違う違う。名前を間違ったわけじゃないよ、キャロル=ラパン侯爵令嬢。
キャロット令嬢っていうのは、プレイヤー達がつけたあだ名のことだよ。
「ぷ、プレイヤー?」
いったい何をプレイするというのか、そう考えて先ほどゲームという単語が出てきたことを思い出す。しかしこの世界のゲームといえばチェスやポーカーのようなものである。彼女はあまりそういった遊びをしてこなかったので、一緒にやった人たちは覚えているはず、つまりその人の中にファンがいるのかと明後日の方向に考えが進んでいた。
――まあ疑問は尽きないよね。とりあえず落ち着いたみたいだし、今から私が知ってることを話そうか。
声は穏やかに私に語り掛ける。まるで心配事など何もないとでもいうように。
――清く正しく可愛らしい、何も悪いことなんてしていないあなたの未来が死ぬしかないなんて認めない。
ヒロインが幸せになるための踏み台になんてさせないから。絶対に。
それが彼女が本当に望んでいることかどうかも知らないで。
最期まで読んでくださってありがとうございます。
補足すると主人公は転生者ではないです。ファンが干渉して未来を変えようとしているだけです。
貴族階級としては 王様>公爵>侯爵>伯爵>子爵>男爵 という感じで書いています。