Intermezzo
本当に望んだモノは手に入らない。本当に願ったことは叶わない。本当に、すがりついたモノはいつか朽ち果てて。全て全てがどうでもいいと思えるほどにこの世界で何かを望んで何かを欲して、何かを願うことは滑稽なことだと思う。それが、自分の生き方だ。それを今から変えるつもりも、否定することもない。
ただただ、長く永い退屈な時間を過ごしながらどこか納得のいかない世界にため息をつく。
「……ヴァルダ?」
「ん?」
足音のなかった廊下に佇む1人の少年。2年前、気まぐれに……いや、少し訳あって拾った少年だった。弟という、家に有益な存在がいることによって家から追放され、ただ彼が生きるためだけにまだその幼い手を紅に染めてきた哀れな少年。かつてはもてはやされ、期待されてきたそんな存在だった少年は生まれ持った才能に勝てなかった。それが仕方ないとでも言うかのように、全てを諦めきった瞳を見た時にはああ、コイツもか、と思った。
男は今でも恵まれている。やろうと思えば、今だってまだ外した道を引き返すことは簡単にできる。けれど、それをしないのは完全にこの世界に飽きているからだ。
今更、何かをこと成したところで変わることはない。魔族という種族は血生臭いことを好むが、誰がそんな面倒なことを好き好むというのか。面倒なだけだ、そんなことは。そう、思ってるのは男だけなのかもしれない。それでもいい、人の……どの種族だろうが何だろうが、考えはそれぞれだ。それを統一することなんてない。
「お前、正気か?」
「あ?」
何を言い出すんだコイツ、と完全に呆けた瞳で見てやれば同じ瞳を返された。は? 何なんだよ? と魔族の男――ヴァルダ――は少年――スレイトラ――をもう一度見返した。そこで返ってきたのは溜息。何なんだよ、一体。
「忘れてんじゃねぇよな?」
「何を」
「……あー、コイツ本気で忘れてやがる……!」
頭を抱えて低い声を出したレイにヴァルダは訝しげに眉根を寄せた。苛立たしげなその表情をされる理由が全くもって思いつかない。スレイトラ・アシュレイ――旧姓・スレイトラ・アルノードルベイル――は大きな溜息を吐いたかと思えばヴァルダを半眼で見てきた。何なんだ、一体。
「何だ」
「じゃねぇよ! お前正気か!?」
「は?」
「じゃねぇ!!」
一体何の話をしているのか。さっぱり分からないヴァルダは首を傾げる他ない。レイが言っていることが何なのかすらも分かっていないヴァルダにとって、煩いだけである。眉根を僅かに寄せながらヴァルダは記憶を辿るも思いつくことがないもないし該当することも見つからない。そんなヴァルダの様子に痺れを切らしたレイは先程以上の大きな溜息を吐いた。全くもって酷い。
「学園のことだ!」
「学園……ああ、あのことか」
すっかり忘れていた、というようなヴァルダにレイが殴りたくなったのは無理もない。が、簡単に返り討ちに遭うのは目に見えているためできない。ヴァルダは魔族だ。しかも高位の、ときた。
レイがかつてその手を生きるためだけに血に染めていた時に出会って以来、ヴァルダはその魔力を誰1人に悟らせたことがない。
魔力というのは気配と同じくして関知できるものであり、いくら上手く制御しようとも自然と出てしまうものである。それを悟らせない、というのはかなり高位の魔族しかできない。
人間にはできないのだ。そもそも、魔力をため込む部分の作りが違う、と確かかつて家庭教師に習った気がする。
「ああ、じゃねぇんだっつーの! どういうことだ!」
「そのままだろ」
「説明しろ!」
「あ? 常識を学びに行けってことだ」
「はぁ!?」
レイに常識がない、とは言わない。しかし、この2年はこの森の中でましてや育てているのが魔族であるならばその持つ常識は魔族寄りになっているに違いない。ましてや、早くに剣を持って命を刈り取ってきている人間であるレイは躊躇いを知らない。
自分が生きるためならば、どんな者でも手をかける。そんな奴だ。ただし、そこに強者は含まれない。自分より強い者に喧嘩を売るなど、バカのすることだ。命が惜しかったあの頃、生にすがりついていたあの頃のレイは自分が生きていく範囲での邪魔な者をその手で下してきたのだ。
つまり、言うなればレイの思考というのはそんな経験のせいで魔族思考になっていると言ってもおかしくはない。人間として生きていくのならば、多少なりともその人間的常識を身につけ直した方がいい。そう思って、ヴァルダは高度魔技術学園「アルティフィリカ」への入学手続きを独断で申し込んだ。しかも、レイの年齢を考えて編入の方で……3年生でだ。
「お前が今持つ常識ってのは、魔族寄りなんだよ」
「……別にそれでいいだろ」
「バカ言え、人間やめる気か?」
魔力の強い者は、その身に魔族の血液を1/3以上含めば魔族の眷属になれる。しかし、その身に、魔族の血を馴染ませることは痛みと苦しみを伴う。
魔族の血を含むことで、身体の細胞が魔族と同じ細胞に変化するのだ。ヴァルダが言ったように、人間をやめるというのはそういう意味である。事実、レイには少量だがヴァルダの血液が通っている。
コレは以前、彼がヴァルダの雑魚の討伐の際にヘマをして大怪我をしたことが原因だった。魔族に比べて脆弱な人間は、大量の出血で命を落とす。魔族には自己再生の能力があるが、人間にはない。
ヴァルダとて、拾った命を勝手に落とさせることはしたくはない。だからといって優しいわけでもない。治癒術では失った血は戻らない。ならば、耐性をつけるという点でいいかと思い、自身の血をレイにほんの少し分け与えた。レイもこのことは知っている。
与えた量があまり多くなかったこともあって、レイは現状人間の身体能力の範疇でとどまっている。
「にしても、むちゃくちゃ過ぎるぞ!」
「お前が入んのは来年からだ」
「本人の意見は」
「あるわけねぇだろ」
軽く一蹴。例え、レイがとやかく言おうと学園に入れることだけは決めていた。それは、レイのためである。いつか、彼が自分の元を離れて生きていけるように、と。
レイは全てを諦めて、家に捨てられた。拾われたヴァルダに少々依存し気味だ。それに、以前自分を眷属にしてほしいと言ったこともある。その点を踏まえての判断だ。
結果として、数年後レイがどういう決断をするかなど分からないし知らない。結果は結果。そう見いだした答えであるのならばもう何も言わない。
例え、それが自分を殺そうと、レイがまた眷属になりたいと言おうとも。それが運命であるというのならば、何も言わない。
「……決定事項かよ」
「何だ? 不満か?」
「ああ」
何がそんなに不満なのか。ヴァルダにはさっぱり分からない。目の前のレイはどこか不安そうな顔をしている。これだから困るのだ。優しくはない、だがヴァルダなりに自分とほんの少しだけ重ねてしまって世話を焼いてしまったから。
「数年後、卒業した時にお前が全てを決めるんだ」
「……もう、全てに見離されているというのに?」
声音に自嘲が入る。レイは確かに、あの日にヴァルダの中に住む同胞から厄介な呪いをかけられている。アイツは独断でレイに呪いをかけた。
レイの存在自体が罪であると、そしてこの世界のもう消えない苦しみと哀しみをレイに背負わせた。まだ15歳の少年にはツラく厳しい、負荷の大きいそれは今でも彼を蝕んでいる。
その植え付けられた記憶はレイをいつだって蝕んでいる。いつも誰かの慟哭が、哀しみが、苦しみが、怒りが、憎しみが――負の感情がレイを常に苦しめている。
本当なら、今だってその感情に苦しめられているだろう。しかし、それは最早どうにもならない。ヴァルダが手を出すこともできなければ、レイがそれを放棄することもできない。ただただ、耐えて慣れてしまうしかないのだ。
「なら、尚更だ」
「……。」
「お前はもっと、世界を知ってこい」
狭く狭い、こんな閉鎖的な空間に身を置いて何かを望むよりもレイはもっと広い世界でいろんなことを知って……それから、選択していけばいい。それはかつてのヴァルダのように。
けれども、ヴァルダと違うのはその選択肢の行き先だろう。もう、外れてしまった道を引き返そうとも最早思ってはない。そんなことをしても無駄だと言うことを知ってるから。
こんな世界に厭きて飽きた彼にとっては何もかもが無意味だ。そして、現状死ぬに死ねない。死にたくてもそれを許さぬ存在が居る。本当に面倒で厄介なことだ。内心でついたため息の数などもう数えたくはない。というか、数え切れない。
「それが、今お前に与えられている運命だ」
「……。」
そして、それがいつかの天命に繋がるだろうと。この時はただそう思っていた。
*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*
ふ、と目を覚ましたヴァルダは家の中にある気配に気づく。また来たか、と思い立ち上がろうとすれば頭の中で響く声。ああ、コイツも起きていたか。その存在を忘れていたわけではないが。
『懲りない奴だな』
「しつこさだけが取り柄の奴だし、そう言ってやるな」
声音に込められているのは無。至極興味もない癖していつもこうして呟くのはヴァルダに加護を与えて契約を交わした開闢の神である。
この世界の万物を創り出し、人間に理不尽かつ不条理でただただ暇つぶしのためだけに運命を定めた神である創世の神の……兄、という立場に当たる。神同士には兄弟関係は本来はない。しかし、それは人間勝手に決めたものだった。多分、分かりやすいようにしたかっただけなんだろう。
しかし、開闢の神についての情報や文献は殆どと言っていいほど無い。彼の神はこの世界の存在概念という人々や万物が存在する上での基礎を作った後に自分は下界には興味は無いと言ってさっさと雲隠れした神である。それは自然を作りだした花仙の神と人の魂の流れを司る流転の神に呆れられたくらいには。
「ったく、今日は何しに来たんだか……」
レイが学園に行ってからもう1年が経つ。今は4年生として何かしら頑張ってはいるはずだ。とはいえ、レイは自分の魔力から剣を生成するのを得意とし、また剣を扱う技量も高かった。ヴァルダもほんの少しだけ手ほどきをしたが、追い出された家での訓練がよかったのかはたまたレイ自身の才能のものなのか。コレを手放したレイの生家はバカでしかない。ヴァルダはそう思う。
『選定の神が小僧に手を出したのは本当に誤算だったな』
「レイに呪いをかけた神のことか?」
レイから聞いた話、その神――選定の神――は自分のことを世界の管理者と言っていたらしい。確かに、選定の神は創世の神に付き従っている神であり、その定められた運命を管理している神である。
『あの神は我のことは知らないからな』
「どれだけ早くに雲隠れしてんだ」
呆れるヴァルダだったが、この神は本当に興味の無いことには興味を示そうともしない。だから、創世の神が何をしていようとどうでもいいのだ。ただ、契約者であるヴァルダが拾ったレイは気になるらしく度々ヴァルダに訪ねていた。
神とは契約はできない、そう言われているが実際は違う。創世の神や炎の神、氷の神と言った今現在でも世界に絡んでいる者達は人間との契約は不可能である。しかし、開闢の神は役目を終えている。
開闢とは世界の始まりを意味し、彼の神はその仕事を終えている。創世の神や炎の神達といった世界に干渉できる神々が生まれる以前より世界という基盤を創り出した。それが、この神の唯一たる仕事だったのだ。
世界の基盤は最早できているし、その基盤をいじるなどと言った面倒なことはしない。役目を終えている神は人間と契約ができる。現状、役目が終えている神なんて開闢の神しかいないが。
ヴァルダは生まれたときから開闢の神と契約を結び、あまつさえ加護も貰っている。また、この加護は他の神の加護とは違う。
自分1人にその神の加護が最大限にかけられている。他の神はその1人だけに加護は与えられない。だから、その効力は一定的なものだ。しかし、ヴァルダはその効力が最大限になっているおかげで魔族ならざる現象を引き起こせる。
絶対不干渉。ヴァルダが望む物全てがヴァルダに完全に干渉することができない。攻撃であろうと言霊であろうとなんだろうと。それをヴァルダが望めば接待に干渉することができなくなる。
「んだよ、起きてたのか」
「寝首をかきに来るとはいい度胸してんな」
「んなわけあるかよ!? そんなことしたらオレ死んじゃうから!」
喚く1人の侵入者。ヴァルダと大して背格好が変わらない男はヴァルダの一言に顔を青ざめさせた。ヴァルダの寝首を掻くなどとんでもない。神と契約を交わし、加護を持つこの男と殺りあえばどうなることになるか。完全に侵入者の完敗が決まる。そうでなくとも、ヴァルダは特殊だった。
「アヴェイラ」
「なあ、お前いい加減帰ってきてくんね? 魔王様の頭痛酷くなってんだけど」
「そうか、お大事にな」
「あ、帰ってくる意志はなしですか」
あってたまるかそんなもの。ヴァルダはその多大なる魔力と類稀なる神との契約もあり、一時は魔王候補であった魔族だ。
魔王と言っても人間と同じく城にこもって政務やら書類やらをひたすらこなすだけの仕事だ。たまに人間が転がり込んできてやれ決闘だのやれ殲滅だのと言うが事実を言うとそれは完全に迷惑でしかない。
魔族が人間に害を与えているかと言えば与えているだろう。それは意図的でも故意的でもない。ただ、お互いの領地戦争の余波が人間の領地にまで伝わっているだけだ。人間からしたらかなりはた迷惑な話である。
「まだあの人間に構ってんのか?」
「へぇ、お前今すぐ消えたいんだな」
「待って、ゴメン。オレが悪かった、だから消すのだけはやめて!? 魔王様また頭痛酷くなっちゃうから!」
本心、そんなことはどうでもいい。どうせ顔色悪くしてでも仕事をこなしている仕事馬鹿は元気だろうし。頭痛持ちの奴がどれほどそれを拗らせようがヴァルダには一切関係の無い話でしない。
ちなみに言えば、この煩い馬鹿も魔王の7人の側近の1人である。そんな奴がヴァルダを呼びに来るとはよほど切羽詰まっているのだろう。が、しかし関係ない。
「お前が魔王にならなかったから、こっちだって苦労してんだぞ……」
「そうか」
「……もっといたわってくれよ……」
全くもっていたわる必要性を感じない。ヴァルダは自分からその運命を捨てた。確かに、魔王という存在になる運命だったのかもしれない。しかし、誰がそんな存在になるか、と。
運命を捨てる、というのは創世の神に逆らいその存在を消される――レイのように、何かしらの罪を背負わされるということもあったのかもしれない。しかし、開闢の神との契約でそれは無かった。あったとしても、彼の神がそれを無効にするだろう。
運命にさえ、絶対不干渉は通じる。ただただ、殺伐として面白みのないこの世界に飽きたヴァルダにとってそう言ったしがらみというのは単に邪魔でしかなかった。運命なんていう、下らない縛りがあるから。
「……で」
「ああ、まあ魔王様が帰ってきてほしいって言ってんのと」
アヴェイラの声に真剣さが帯びる。それを特に何も思わず聞くことにするが次の言葉に瞳を無意識に細めた。
「お前の拾ったあの子共、魔族にできねぇ?」
「何を持ってそれを言っている? あの仕事馬鹿野郎がそれを言ってるんだったら今すぐ息の根止めに行くぞ」
「ゴメンやめて、メッチャ物騒なこと普通に言ってるけどやめて」
何回も言うが、ヴァルダは優しくはない。ただ、レイとかつての自分を重ねてしまっているためかレイに世話を焼きすぎている自覚はある。
境遇は全く違う。強い力を持って生まれてきてしまった。魔族は脳筋バカが多い。そんな中で生きてきて、どこかこの世界に諦めを持ってしまった。
強者が絶対の下らない世界に。虐げられる弱者はそれを受け入れて。強者は強者でそれを傲慢にも絶対だと信じている。
開闢の神という異質な存在が自身の中にいたからこそ思えるそのくだらなさにいつだって嘲笑ってきた。レイも同じだ。努力しても報われない。そうやって世界に諦めを抱いて。
「お前らが何をしようと、レイには近づけさせる気は無い」
「……お前、本当にヴァルダ……か……」
ザシュッ、と空を切る一瞬の音。アヴェイラの右肩から左肩には鋭い斜めの線が入る。口から紅が零れ落ちる。アヴェイラはその鋭い傷口に急いで手を当てる。崩れ落ちていく身体を何とか支えて、ヴァルダを見る。
「ガハッ、オイオイ……」
「選択肢は突きつけてやっている。後はあいつ次第だ」
この先、レイが何を選ぼうとそれはレイの運命である。他者が口出しをする要素はない。その身に背負う業と罪がレイを苦しめているのなどあの日からずっと見てきた。
「……残念だったな」
「何が、だよ」
イテテ、と泣きそうな顔をしてアヴェイラは自己修復をしている。大して深くはない傷にしてはやったが。久々に加減を間違えたのか。さして気にもしなかったからな、今までは。
「本当はレイを利用したかったんだろ」
「まさか、ただあの子共が魔族になってくれたら色々また変わったんじゃないかなとは思うが」
それはあくまで選択肢の話。それを選ぶことによってどう世界が変わるのかなど誰も知り得ないこと。アヴェイラの言ったように、例えレイが魔族の眷属になろうともその未来は不明瞭だ。
運命に見離されたレイには、絶対とした未来はない。それ故、何かを間違えればまた変わる。そんな存在に成り変ってしまった。
『……傲慢でしかない』
「そうだな」
創世の神も、選定の神も、そして開闢の神も。結局は誰しもが傲慢でしかない。それを驕りとしている彼らは人間を嘲笑っているだけの強者だ。
アヴェイラは傷を何とか修復し終え、ヴァルダに向かってため息をつく。そのため息が何を示しているのかなんて知らないし、知るつもりもない。ただ、アヴェイラは呆れたように。
「……お前、変わったと思ったんだけど変わってなかったな」
「お前もな」
運命は刻一刻と変わりゆく。それは定められた運命であったとしても神は気まぐれ故に改竄を繰り返している。そんな縛られた運命の中で生きている。この世界は、やっぱり嫌いだ、飽きてしまう。
「お前が優しくなるわけがない」
「よく知ってるな」
「当たり前だ。お前の魔王候補時代を思い出せば早いだろ」
だろうな、と思う反面それはヴァルダの思い出の中で一番つまらない記憶でしかない。あの頃が一番嫌だった。色味のない世界にうんざりとして、ただただ頂点に立つためだけの勉強の日々など何も面白くない。
「お前もあの子共も」
「……。」
結局は、この世界は残酷でしかない。自分の意志などそこに存在しないようなものなのだから。
残酷でいて、滑稽でしかない。退屈で仕方の無い、傲慢たる世界に今日もため息をついた。