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自分が猫耳勇者になった理由(わけ)  作者: 跡石左京
ナノワ皇国の章 関八州行脚編
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第52話 羅刹族、再び・後編

「おっ、おい、あれ」

「何だっ!?また別の魔物か!?」


 街の上空を横切る影に、悲鳴に似た声があちこちから上がる。地上からは、逆光で翼を広げた巨大な黒い影と人々には見えるのだろう。魔物と見間違えても致し方がない。

 何人かの兵士が咄嗟に弓を射ようとするが。


「待てっ!良く見ろ!」


 それを押し止めようとするのはカイルの声。兵士達が戸惑って迷っている間に、巨大な影は街を越えて通り過ぎる。光に照らされ、飛び行くその姿を人々が認識すると。


「あれは白い飛竜!?」

「まっ、まさか、白の勇者かっ!?」

 

 そんな声が、五感を研ぎ澄まし強化された聴覚に依って聞こえて来る。


(その呼び方は止めてくれ······)


 フェリオスの上で思わず嘆息する。マジで「白の勇者」という呼び名が浸透しているのかと思うと、頭が痛かった。


(まあいい)


 ともあれ、此方を認識されたことで動き易くなったはずだ。勇者の名が知れ渡っているということは、前回羅刹族を一蹴した事実も知られているということだ。浮き足だっていた人々も、これである程度は落ち着いて様子を見ようとする余裕が生まれるだろうからな。自暴自棄になって、下手に動かれずに済む。こんな虚像でも役には立つと思えば、そう悪くもない。敢えて目立つように飛んだ甲斐があったというものだ。

 兵士にはカイル、冒険者にはアリシア、傭兵にはジェイドと、それぞれに事情を知った人間が居る訳だから、後のことは任せておけば良いだろう。


「ふっ」

「クァ?」


 不意に零れた笑みに、フェリオスが不思議そうな顔で首を向けて来る。

 案外あいつらのことを信頼しているんだな。そう思うと、自然と笑みが零れたのだった。


「何でもない。さあ、急ぐぞ!」

「クァァ───ッ!」


 フェリオスを促し、進軍中の羅刹族に向けて真っしぐらに飛ぶ。

 上空からは、既にその陣容は見えていた。3000を越える軍団が、砂塵を巻き上げて迫って来ている。距離にして、もう後一里もないだろう。

 双方の進行速度も相俟ってあっという間に距離は詰まり、両者が対峙したのは街から約2kmというところだった。街の方からも、その威容ははっきりと見えていることだろう。


「·········」


 此方が目の前に現れると、羅刹族も進軍を止めて陣形を立て直していた。意外にも統率が取れているようだ。或いは、指揮官が優秀なのか。兄者と言っていたから金剛鬼や撞鬼の血縁者だろうと思われるが、案外脳筋なだけではないのかも知れないな。

 500m程の距離を置いて対峙してから、此方を睨んだまま不気味な静けさを保っていた羅刹軍だったが。

 中空でホバリングしていたフェリオスがゆっくりと降下し、地上に降り立ったところで指揮官である斬鬼が一歩前に歩み出て来た。


「ヒトリデデテクルトハ、イイカクゴダ」


 その手の斬馬刀を突きつけ。


「ワガナハザンキ。アニジャタチノムネン、ハラサセテモラウゾッ!」


 律儀にも堂々たる名乗りを上げる斬鬼。魔物とは言え、その真っ直ぐな態度には感心するが。


「一応訊いておく。引く気はないか?」


 期待して訊いたのではない。飽くまで形式的なものだ。そして斬鬼から返って来たのは、予想通り嘲笑混じりの言葉だった。


「グモンッ!イマサライノチゴイナゾ、カタハライタイワッ!」

「そうか······」


 滅ぼし合うだけの存在。そんな羅刹族の在り方には思うところがない訳ではなかったが、街の命運が掛かっているのであれば是非もない。迷うことなく滅ぼさせて・・・・・もらおう。


「トツゲキィィィィッッ!」

『ウオオオォォォォ───ッッ』


 最早言葉は無用とばかりに、斬鬼の号令で羅刹族の軍団が一斉に雄叫びを上げ、怒濤の攻勢を開始する。斬鬼を先頭に、武器を掲げた羅刹族の群れが地響きを立てて押し寄せて来た。


「クァ?」


 どうするの?と訊いて来るフェリオスの首筋を、心配ないとポンポンと叩き、冷静に迫り来る羅刹族の軍団を見つめる。目の当たりにすると、流石に凄まじい迫力だ。一人で立ち向かうなど、普通に考えたら正気の沙汰ではないだろう。(まあ、一人ではないけどな)奴等にしても、前回の轍を踏まんとしてか、一騎討ちに拘らないようなのは評価出来るが。

 残り100m程まで迫ったところでおもむろにシーラを呼び出す。


「シーラ、奴等を風のフィールドで囲んでくれ」

「ん···任せて···」


 瞬時に顕現したシーラが、躊躇うことなく命令に従う。

 シーラの放った精霊力が、僅かな溜めののち直径1kmにも及ぶ巨大な風のドームを作り出し、羅刹族の軍団を丸ごと取り囲む。風のフィールドは、防御に使えば相手の攻撃を防ぐ盾となるが、逆に相手を取り囲めば、それは相手を封じ込める目に見えない檻ともなり得るのだ。但、流石に3000もの軍団を覆う規模となると、途轍もない量の魔力マナを消費するようで、シーラの方に止めどなく魔力が流れて行くのを感じる。桁外れの魔力量を持つ自分でなければ、到底成し得ないことだろう。


「ナッ、ナンダコレワッ!?」


 直前で突然現れた風の防壁に進軍を阻まれた斬鬼が、戸惑いの声を上げる。異変を察知して咄嗟に進軍を止め、激突を免れたのは流石と言うべきか。しかし、風の防壁を前に為す術なく立ち往生してしまう。

 他の羅刹族達も、見えない壁に向かって武器を叩き付けたり体当たりをしたりしているが、風の防壁はびくともしない。精霊の事象干渉力は契約者の魔力量に左右される。並の使い手の風のフィールドでは、飛び道具や魔法を反らすのが精々なのだが、それが物理的な強度を得るに至るのは、自分とシーラだからこそであった。蛇神には簡単に貫かれていたのは、単に蛇神の事象干渉力の方が勝っていただけの話で、羅刹族程度では歯が立たないのは当然であろう。


「キサマッ、ナンノツモリダッ!」

「悪いが、まともにやり合う気はないんでな」

「ナンダトッ!?」


 風の防壁の向こう側でいきり立つ斬鬼を尻目に、装備格納ストレージから光の杖を取り出す。これは属性強化の効果を持つ属性杖シリーズの内の一本で、その名の通り光属性魔法の効果を底上げする杖だ。8属性全ての種類があり、魔法ごとに装備を切り替えるよう組み込んだマクロもあったりした。そのおかげで、装備格納を圧迫していたのは些か困りものだったが。

 魔法で一気にケリをつける、それが今回出した結論だった。前回のように味方を巻き込む恐れもない為、心置きなく一網打尽に出来る。周囲に無関係な者が居ないことも既に確認済みだ。何より、肉弾戦でちまちまとやっていたら、後ろに逸らしかねない。まあ、多少の討ち漏らしは問題ないとは思うが、この方が手っ取り早いだろう。旅立つ前に此処で後顧の憂いを断っておく。その為にも、一匹も逃す訳にはいかなかった。

 但し、魔法の選択には気を遣う必要があった。後の影響を考えれば、こんな街に近い場所で地形を変えてしまうような大呪文は使えない。【メテオ・ストリーム】など持っての他だ。


「よし」


 意を決して、再びフェリオスを飛び立たせる。

 風のドームを見下ろす位置で静止し、ゆっくりと光の杖を構える。


「スーパー・ノヴァ」


 杖を翳して静かにそう唱えると、殆どタイムラグなしにドーム内に計10個の光の玉が現れる。一つの大きさは直径10cm程と小さいものだったが、直ぐにそれは膨張を始め、その質量・・と輝きを増していった。羅刹族達は何事かと警戒し右往左往するものの、どうして良いか分からない様子だ。

 光の玉は、質量の増大に伴って超高温の熱波と電磁波を放つ、言わば小型の太陽のようなものだった。そして光の玉に近い場所に居た羅刹族から逃げる間もなくかれ始めると、自分達が死神の鎌を首に掛けられている状態であることに気付き、途端にドーム内は大混乱に陥る。さながらそれは、即席の電子レンジとでも言うべきか。荒れ狂う死神の光フレアが驚異的な速さで侵食し、数十、数百の羅刹族を瞬く間に塵と変えていく。正に、阿鼻叫喚の地獄絵図と呼ぶに相応しい光景が展開されつつあった。

 今回選択したのは、中位の光属性魔法である古代魔法エンシェント・スペル【スーパー・ノヴァ】。その名の如く、膨大なエネルギーを内包したミニサイズの超新星を作り出し、その周囲を遍く焼き尽くすという、対生物に特化した殲滅魔法だ。しかし、中位だけあってその効果が及ぶ範囲は余り広くはなく、とてもじゃないが1kmにも及ぶドーム全域をカバーすることは出来ない。そこで【並列詠唱】を使い、数で補うことにしたのだ。

 古代魔導師がアンダーの時は最大数5の【並列詠唱】だが、サブの場合は最大数10にまで跳ね上がる。そして、アンダーには【詠唱破棄】のSSスペシャル・スキルを持つ魔導剣士。これにより、最大限短縮しても10秒は掛かる詠唱を、一瞬にして終わらせていた。

 実のところ、魔法の威力を上げる方法はまだあった。古代魔導師のSS【極大化】を使えば、魔力の限り光の玉を膨張させることが可能ではある。確かに範囲は広がるだろうが、その場合風のドームすら破壊して外にどんな影響が出るかも分からず、あまつさえ大地までも沸騰させて地形を変えてしまいかねなかった。それでは本末転倒であろう。よって、これが次善の策という訳だ。

 ドーム内の光は、臨界点まで膨張を続けて輝きを増し、容赦なく死を齎して広がっていく。光に包まれた者は例外なく、抵抗すら出来ずに蒸発していった。中心部の方は、既に灼熱地獄と化していることだろう。逃げ惑う羅刹族が、まだ光の届かない壁際に殺到して押し寄せて来ていた。その中の一人である斬鬼が、怨嗟の声を上げる。


「オッ、オノレッ、ジンジョウニタタカイモセンノカッ!」


 その斬鬼を冷めた目で見下ろし。


「警告はした。お前等の事情にも興味はない。恨むなら、融通の利かない自分自身を恨むんだな」

 

 敵対した時点で運命は決まっていたのだ。どう闘ったところで死に方が変わっただけのことだ。此方としては、最も効率の良い方法を取ったに過ぎないのだからな。

 斬鬼も呪い殺さんばかりの視線で此方を睨み返して来ていたが。

 直後には、背後から光の波が迫って来て飲み込まれる。


「バッ、バカナァ───ッッ!」


 断末魔の叫びを上げる斬鬼だったが、それも一瞬のこと。直ぐに他の羅刹族諸共、灼熱の光に白く塗り潰され消えていった。その叫び声さえも飲み込んで。後には、大地を焦がすジリジリとした音が奏でられるのみであった。


「······」


(これで終わりか?)


 既に羅刹族の反応は全て消えている。一匹たりとも逃さない、その言葉通り、唯の一つも気配は残っていない。予定通りとは言え、余りにも簡単過ぎて拍子抜けしていた。先日の経験から、些か神経質になっていた感があるが、それだけ蛇神との死闘、苦戦の印象が強過ぎたということか。比較の対象が間違っていたのだ。あれ・・は極めつけの特別だ。そうそうあってたまるものではない。

 そんなことを考えながら、暫くは羅刹族の墓標となった光輝くドームを目を細めて眺めていたが、時間と共に光が弱まって来ると。


「クァァ?」


 終わった?と、眩しさに顔を背けてたフェリオスが、首を向けて訊いてくる。


「ああ。シーラも、もういいぞ」


 フェリオスに頷き返しつつ、臨界点に達して魔法の効果が切れた風のドームを解除させる。

 薄れていた光も、靄のように広がって拡散し、やがては完全に消えていった。後に残ったのは、炭化した羅刹族達の僅かばかりの残滓と、その染み・・とでも言うべき痕跡だけであった。しかしそれも、大地を嘗めるような風が無情にも洗い流してしまい、直ぐに跡形もなくなってしまった。所々にはあったはずの木々や緑も悉く燃え尽きてしまっているので、正しく荒野の如き光景が目の前には広がっていた。

 そんな荒涼とした風景を目の当たりにして。

 流石に自分の仕出かしたことがそら恐ろしくなって、戦慄を覚える───などということは全くなかった。どちらかが滅びるしかないと言うのならこれは当然の帰結であり、此方が生き残る為の至極真っ当な選択をしたまでだった。滅ぼすか滅ぼされるか、二者択一の極端な摂理には多少思うところはあるものの、奴等にはその世界の摂理とやらに殉じてもらっただけのことだ。何ほどのこともない。

 元々ドライで余り動じることのない性格タチだったのが、この世界に来てから拍車が掛かっているように感じる。自分の中に備わる何かが、安全装置のような働きでもしているのかも知れない。過剰な感傷センチメンタリズムで心が壊れないようになのか、それともこの力を行使するのに躊躇わないようになのか、確かなことは何も分からないが。考えられるのは、それが自分を護る為に働いているものなのだろうということくらいだ。今はそう思うしかないだろう。悩んだところで、直ぐに答えが出るはずもないのだからな。


「クァクァ」


 フェリオスがお腹空いた、と強請ねだるように頭を擦り付けて来る。

 出る前に肉一塊食べたばかりだろうに、全然足りないらしい。フェリオスの旺盛な食欲に苦笑いしつつ、ある意味良い具合に気が抜けて一息吐く。


「分かった分かった、戻ってからな?」


 ひんやりすべすべした頭を撫でて宥めながら、街へ向けてフェリオスを反転させる。シーラは既に顕現を解いて周囲に溶け込んでいた。姿は見えずとも、常にその存在は身近なところに居るのだった。魔力マナかてにする精霊にとって、何時如何なる時も契約者に寄り添うのが存在意義アイデンティティのようだ。

 そしてもう一人、自分の影になると公言していたミヤビも、着いて来るなと言っていたにも拘わらず、やはり影の中にこっそり居やがる。いや、気付かれていると判ってるはずだから、こっそりも何もないのだが。仕事熱心なのか、それとも只の興味本意なのかは解らんけどな。

 しかし───。


「······人気者は辛いってか?」

「クァ?」


 後ろを振り返りそう呟くと、フェリオスが首を傾げていた。

 そうした身近な者達や、街の者達とはまた別の、存在と視線を感じていたからだ。此方を窺う気配を幾つか捉えてはいたのだが······。


(まあ、今はいいか)


 特に問題は無さそうなので放置することにした。敵意や殺意といったものは感じないし、一方は良く知った気配だったからだ。それに、此処で下手に動けば、街の奴等に変に気を遣わせかねないからな。今は任せて・・・おけば良いだろう。


「さあ、行こうか」

「クァッ」


 フェリオスを促し、街に向けて飛び始める。

 此方の状況は見て分かっているのだろう。街は既に蜂の巣をつついたような騒ぎだ。これでまた、勇者の名声がいやが応にも上がる。不本意なことではあるがな。あの熱狂の中に戻るのかと思うと、気が重かった。


(いっそ、このまま飛んで行ってしまおうか?)


 フェリオスの上でそんな街の様子を眺めながら、一瞬本気でそう思うのだった。





「呆気ないですね」


 羅刹族共つわものどもが夢の跡となった荒野を遠くに一望出来る、やや小高い丘の覇王樹に似た巨大な植物の陰。そこに潜む人物から、静かな呟きが紡がれる。


「これでは、勇者の力を測る試金石にもなりはしませんね」


 捨て石・・・とは言え、あれだけの羅刹族の軍団を動かすのに、それなりに苦労はしたのだ。もう少し頑張ってもらいたいところだったが。


「羅刹族程度では致し方ありませんか。まあ、勇者の性質・・の一旦が見れただけでも良しとしましょうか」


 あれならば、付け入る隙は幾らでもあるでしょうからね、と内心で北叟ほくそ笑む。


「尤も、今暫くは人族達の喜劇バーレスクを見物することになりそうですが。それはそれで、面白い見世物になるかもしれませんね」


 くっくと忍び笑いを漏らす。飽くまで目的は勇者の周囲を掻き回すことであって、倒すことでも敵対することでもない。勝手にやってくれるのであれば、寧ろ好都合であった。それ故に、白夜も敵意や殺意を感じなかった訳だが、真意を知れば放ってはおかなかっただろう。───そう、彼女のように。


「おや、私の隠行を見破るとは、大したものですね」


 背後から忍び寄る気配に気付き、感心した声を上げる。


「何者だ?こんなところで何をしている?」


 そう誰何してきたのは、誰あろう八騎将の一人、紅蓮のクレハだった。

 実のところ、羅刹族の進軍は当然ながらカガチ城塞でも察知はしていた。進行ルートから、ユバの街に向かっているのだろうことも分かる。であれば、放っておくことなど出来ようはずもなかった。

 クレハは、急ぎ軍を編成して追撃に出たのである。前回の教訓から、城塞には最低限の守りだけを残して、ほぼ全軍をもって出撃した。その数凡そ5000程。しかし、大半は足の遅い歩兵だった為、最悪足止めの時間稼ぎの為に騎兵1000を自ら率いて先行していたのだった。

 ところが、いざ追い付いてみると、勇者が矢面に立って羅刹族の進軍を食い止めていると言う。その斥候からの報告を聞いて、騎兵部隊を待機させ自ら状況を見に来たところ、白夜が魔法であっさりと全滅させるという信じられない光景を目にしたのである。

 呆然としながらも、驚愕と安心の複雑な心境でそれを見ていたクレハだったが、それでも警戒は怠らず周囲を窺っていた為に気付いたのだ。気配を隠し・・様子を窺っている不審な人物の存在に。

 そして【韋駄天】と【瞬動】を駆使し、その者の元に辿り着いたという訳だった。

 クレハの誰何に、その者は陰の中から意外な程素直に姿を現した。


「流石は八騎将と言うべきでしょうか」


 そう言いながら現れたのは、全身黒いローブに身を包み、フードを目深に被って素顔の窺い知れない、如何にもな感じで見るからに不審な人物だった。声もくぐもっていて抑揚に欠け、男とも女ともつかない。それでいて只者ではない雰囲気を放っており、何とも得体の知れない不気味さを感じさせていた。

 自然と身構えていたクレハだったが。


「此処であなた方と事を構えるつもりはありません。今はこれで失礼させて頂きますよ」

「なっ、待てっ!?」


 クレハが止める間もなく、黒ローブの者の足元には闇が広がり、音もなくその中へと身を沈ませていく。伸ばした手も空しく、全身が闇に飲まれて消え去ると、後に残った闇も霧散して跡形も無くなった。悔しげに舌打ちするクレハの耳に、神経を逆撫でするような哄笑が聞こえて来る。


『フフフ······また何れお会いしましょう。ごきげんよう···』

「おのれっ、面妖な······!?」


 軈て哄笑も聞こえなくなり、気配も途絶えた。どうやら完全に去ったようだ。

 クレハは一瞬、【影使い】かとも思ったが、同じ八騎将の「影狼のスイシン」を知っており、【影技】は幾度となく見ているので、それとはどこか違うように感じていた。我々の知らない闇の魔術か何かか、そう考えるとある想像が思い浮かぶ。


(奴は確か人族・・の喜劇、と言ったな。もしや魔族······?まさかな······)


 自分でも半信半疑だったが、もし魔王が復活しているとなれば考えられない話ではない。とすれば、目的はやはり勇者ということになるのだろうが、どうも今すぐどうこうしようという風には見えなかった。殺意や敵意を感じなかった所為もあるが。それに魔王どころか、魔族の存在すら今のところまだ報告されていないのだ。結論を出すには、情報が少な過ぎた。


「クレハ様」


 シュタッと、跪いたポーズで背後に現れたのはサギリだった。


「他に伏兵のようなものは居ないようです」

「そうか」


 伏兵の存在を警戒してサギリに周囲を探らせていたのだが、どうやら単独だったようだ。そうなると、益々その目的が分からなくなるが······。

 言い知れぬ嫌な予感を拭い切れず、確信には至らないながらも不安を払拭する為にサギリに命じる。


「警戒レベルを一段上げておけ。それと、どんな些細なことでも良い。魔族の情報を集めよ」

「───魔族!」


 その言葉に一瞬驚きに目を見開くサギリだったが、直ぐに理解の色を示した。勇者と魔王という構図は言わば規定路線だ。勇者が現れたのであれば、いつ魔王が現れてもおかしくはない。その配下である魔族も然りだ。事は国だけに止まらず、全人類に及ぶ可能性がある重要な事案と言える。まだ表面化はしていなくとも、決して疎かに出来るものではない。況してや勇者に関わることとなれば、サギリに否はなかった。

 サギリは瞳に固い決意を膨らせて、恭しく応える。


「御意!直ちに手配致します」

「うむ」


 クレハも満足げに頷き返す。まだそうと決まった訳ではないが、僅かでも可能性があるならば看過は出来ない。直接的な殺意や敵意がなくとも、悪意はまた別問題であることを良く知っていたからだ。クレハにとっても、例え間接的にだろうと、勇者に仇なす存在を放ってはおけなかった。気持ちはサギリと一緒だったのである。


「我らはこのまま引き返し、後続と合流して城塞に帰投する」

「お会いになられなくて宜しいのですか?」

 

 それは敬愛する上司をおもんばかっての言葉だったが。


「サギリにも判っておろう?あの・・姿でいるということは、今だ身を隠しているということだ。此処で我らが出て行けば、あの御方に迷惑が掛かることになる」


 折角ここまで(表向きは)不干渉を貫いて来ているのだ。ここでそのスタンスを崩す訳にはいかない。曲がりなりにも、正体が判っているミヤビを側に置いているのは、一定の信頼は勝ち得ているからではないか、そう勝手ながら思っていたのだから。その信頼を裏切る訳にはいかなかった。

 コクりと静かに頷いたサギリは、短く承服の意を示してその場から速やかに姿を消した。直ちに撤収の準備を整える為に。多くを語らずとも、阿吽の呼吸とも言うべき疎通が、二人にはあったのだった。


喜劇バーレスク、か······」


 サギリの気配が去った後、クレハは黒ローブの者が消えた辺りに目を向けて呟いた。

 皇都がきな臭くなっているという情報は、当然クレハの耳にも入っている。喜劇というのが、この国の後継者争いを指すのであろうことは、容易に察しがつく。蛇神教団の騒動がその一端であることまでは流石に気付いていないが、勇者というピースは、どの陣営にとっても無視し得ない存在となるはずだ。何れ中央にも知れ渡れば、いや、もう知れ渡っていると見るべきか。そうなれば、各陣営共その獲得に乗り出すであろうことは想像に難くない。穏便に、誠意ある対応をするならまだしも、強引な手段に出ることも考えられる。結果、手痛い反撃を受けて、皇都に大いなる混乱を巻き起こす可能性も十分に有り得ることだった。下手をしたら、皇都そのものが消滅する事態にもなりかねない。先程の白夜の魔法を見て、益々その懸念が強くなっていた。


「出来れば、逸まらないで頂きたいものだ······」


 それは、勇者も含めた全ての陣営に向けた思いだった。

 彼の者の思惑通り、喜劇などという事態にはなって欲しくないと、そう祈るクレハであった。


【スーパー・ノヴァ】は、超新星と言っても魔力に依る擬似的なものですので、ガンマ線は発生しません。汚染とかはありませんので、念の為。

また、此処で言うバーレスクとは、偽英雄詩とか戯曲のパロディ的な意味合いで使っています。アメリカン・バーレスクのような、ストリップやヌードダンスといったエロティック方面ではないので悪しからず。

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