第47話 北の邪竜
説明調の台詞の多い回です。御注意下さい。
チュンチュンと、小鳥の囀ずる声が何処からか聞こえて来る。
早朝の澄んだ空気が顔を撫で、ひんやりとした感触が微睡みから意識を覚醒させる。
(この世界にも、雀とかいるんだろうか)
起き抜けの頭でふと思ったのは、そんなどうでも良いことだったが。
「む?」
常春の湖畔亭のいつもの部屋で、いつも通りの朝を迎えた───はずだったのだが。身体を起こそうとして、思うように身動きが取れないことに気付く。いや、本気で動こうと思えば動けるのだが、その原因に思い至って無理に振り解くのが憚られたからだ。
「あー、そうだった······」
嘆息しつつ掛け布団を捲る。(実際は腕が動かせないので足で跳ね退けたのだが)するとそこには、それぞれ左右の腕を抱え込むようにして眠る、セツナとミリーの姿があった。昨晩、どういう訳かミリーが側を離れたがらず、今日は帰らないで一緒に寝る、と言い出したのだ。あんなことの後だ、普通は両親と一緒に居たがるものだと思うんだがな。カイルとローラも何かを察したのか知らないが、済まないけど一晩頼むと言ってきた。てか、親的にはそれで良いのか?カイルなんか、この世の終わりかってくらいの顔してた癖に、無理しやがって。まあ、今日くらいは我が儘を聞いてやろうと仕方なく承知すると、そこにセツナとコハルも便乗してきたのだ。本当に仲の良い三人だよ、全く。
因みにコハルは、流石に宿屋の娘だけあって、早々に起きて朝の仕事に出掛けたようだ。その辺りはしっかりしているな。
「むにゃ、モフモフ······」
二人とも幸せそうな顔で寝ている。いい気なもんだ。まあ、まだ起こすには早いかと優しく腕を解いて、起こさないようそっと布団から出る。眠りながらも物足りなさに気付いたのか、お互いに腕を伸ばして自然と二人が抱き合うような形となった。器用だな。
そんな微笑ましいものを横目で見ながら、手早く着替えを済ませて部屋を出る。下に降り、洗面所で顔を洗って歯を磨く。洗面所と言っても水道がある訳ではなく、桶に井戸で汲んだ水が張ってあるだけだが。水は相当に冷たく、完全に目を覚ましてくれた。
食堂に行くと、まだ誰も居ないようだった。昨日の騒ぎが嘘のように静まり返っている。
此方の気配を感じたのか、厨房の暖簾を掻き分けて女将が出て来た。
「あら、白夜さん、おはようございます」
「ああ、おはよう」
「夕べはうちの子までごめんなさいね。直ぐに朝食をお持ちしますから、少し待ってて下さいな」
返答に困って苦笑しつつ曖昧に頷くと、女将は厨房の中に戻って行った。
あいつらを置いて先に朝食を摂ると後で拗ねるかな、という考えが一瞬頭を過ったが、そこまでは面倒見切れないと思い直す。別にあいつらの保護者じゃないんだからな。そんなことよりも、今は考えるべきことがある。それに、昨日のことでギルドにも呼ばれているしな。早々に食事を済ませて出掛けるとしようか。
適当な席に座って待ちながら、手持ち無沙汰に昨晩アリシアに聞いた話を思い出していた。
「オウリュウ、ですか?」
「ああ、何か知らないか?」
蛇神ザハラクから最後に投げ掛けられた謎かけのような言葉。その真相を探るべく、温泉で酒盛り中にこっそりアリシアに訊いてみた。長命なエルフのアリシアなら、そういった情報にも詳しいのではないかと思ったのだ。果たしてその目論みは図に当たり、アリシアは思いの外あっさりと答えていた。
「知っていますよ」
「え?」
「オウリュウですよね?多分、それは竜仙郷に棲む古代龍、黒皇龍オウリュウのことだと思います」
すんなりと判ったことに拍子抜けしつつ、想像の中でも比較的無難なところだったことに安堵していた。
(やはり、知性ある古龍ってやつか。話が通じる相手だといいんだがな)
簡単に答えたということは、一般にもそれなりに知られた存在なのだろう。もし、普通に人間との交流があるような存在だとしたら、案外楽に交渉が出来るのかも知れない。そんな風に考えていたのだが。
「お会いになるおつもりですか?」
「ザハラクが何を考えてその名を出したのかは解らないが、他に手懸かりも無いしな。会ってみるのも一興かと思っている」
「それは、お止めになった方が良いかと······」
「何?」
何故か難色を示す様子のアリシアを不思議に思い、聞き返す。
「何故だ?何か問題でもあるのか?」
「確かに、古代龍はともすれば人よりも高い知性を持ってはいますし、話の分からない存在ではありません。ですが、オウリュウはこの国の人々からは別の名前で呼ばれているんです」
アリシアは、そこで一呼吸置いてから苦々しげに言葉を発した。
「───北の邪竜、と」
「っ!」
邪竜、だと!?
言葉通りなら、邪悪な竜ってことか?物騒な二つ名だが、そう呼ばれるにはそれなりの理由があるはずだな。少なくとも、愉快なエピソードではないだろう。あの野郎、そんなヤバイ奴に会わせようとしてたのか?一体、何の魂胆だ?唯の嫌がらせか、それとも他に意味でもあるのか?
解らんな。悪戯にしては度が過ぎている。不確定要素が多すぎて判断に苦しむが、それでもそこに何がしかのヒントが無いとも限らない。蛇神は確かに、此方を惑わせて楽しむ愉快犯的なところはあったが、全く無意味なことを言っていたようには思えなかった。意味不明に見えても、何らかの答えは用意されているように感じたのだ。乗せられるのは癪だが、リスクは承知の上で龍の巣穴に飛び込む必要があるかも知れない。
「······そんなに危ない相手なのか?」
「いえ······実を言うと、その呼び名には曰くがあるんです」
軽く頭を振って、アリシアは手元の酒杯に目を落とす。それを一口飲んで舌を湿らせてから、再び口を開いた。
「オウリュウは、闇を司る女神ノトスの眷属で、神龍とも呼ばれる存在です。本来は理性的で穏やかな性質で、人間に対してもそれなりに友好的だったと聞いています」
「だった、と言うことは、今は違うと?」
「ええ」
神の眷族で神龍。となると、かなり格の高い存在のはずだ。普通なら神格化されていてもおかしくない。それが邪竜と呼ばれていることに、少なからず違和感を覚えた。
「今から300年程前の話です。オウリュウが留守の間に竜仙郷から、ある秘宝と呼ばれるものが盗み出されました。盗んだのは、人間の盗賊だったそうです」
「ほう」
何となく先が読めて来たが、特に口を挟まずに続きを聞くことにした。
「戻って来たオウリュウは事情を知って激怒し、盗賊を追い掛けました。秘宝が何だったのかは伝わっていませんので定かではありませんが、どうやらオウリュウは秘宝の在りかが分かるようで、直ぐに盗賊は見つかりました。そして報復を受けたのです」
盗賊は即時討伐されても文句は言えない、と言う話だったが、果たしてそれが龍にも適用されるのかは微妙なところだな。とは言え、盗賊一人殺したところで邪竜などと呼ばれるのか?そうアリシアに訊くと。
「いえ、報復を受けたのは一人ではありませんでした。盗賊の居た村そのものが滅ぼされたのです」
「!」
「家も住民達も、そこに在るもの全てが焼き払われました。龍の逆鱗に触れればどうなるのかを、人々は身を持って知ったのです。偶然その所業を目撃した者がその光景を周りに広めた結果、オウリュウは邪竜と呼ばれるようになりました。闇属性の黒龍だった所為もあるのでしょうね」
ふむ、話だけ聞けば、確かにやり過ぎと思えなくもない。伝言ゲームのように噂が一人歩きした結果ということもあるのかも知れないが、事実無根という訳でもないと。事情を知らない自分が何を言っても想像でしかないわけだが、邪竜と呼ばれるだけの理由はあったということか。
「ですが、この話には裏があったのです」
「む?」
「後で判ったのですが、その村自体が盗賊の村だったのです。後の調査で廃墟となった村の跡地から地下の隠し倉庫が発見され、近隣周辺で被害にあった盗品やら遺品やらが山のように出てきたそうです。オウリュウには分かっていたのでしょうね。生かしておく価値のない者達だと」
成る程な。それならば、納得の出来る話ではあるな。龍に人間と同じ倫理観があるのかは疑問の残るところだが。
「だが、それなら邪竜と呼ばれ続けているのはおかしくないか?その盗賊の村の話は広まらなかったのか?」
「ある程度は伝わったようなのですが、余程見た者に強烈な印象を与えたのでしょう。今だにその村の跡地には草木一本も生えない有り様ですし、龍の怒りを買うとどうなるのかの戒めの為にも、邪竜という呼び名が広まったままのようです。オウリュウも釈明しようともせず、竜仙郷に引き籠って人との関わりを断ってしまいましたから」
「ふむ······」
以後、人間嫌いになって人前に姿を現すことがなくなっていたらしい。だが、勘違いであるなら話せる余地はありそうだな。問題は───。
「そのオウリュウとやらは強いのか?」
もしザハラク並に強かったとしたら、何があるか分からない相手に不用意に会うのは危険過ぎる。今はまだ、無用な危険は冒すべきではないだろう。少なくとも、【神気】を自在に使えるようになるまでは。あの後試してみたが、【神気】は使えなかった。どうやら生命の危機に瀕しての緊急措置だったらしく、スキルリストにも載っていなかった。恐らく、解放の鍵は「勇者」のクラスにあると予想しているが、今のところどうやってレベルを上げるかの算段もついていない。全く、やるべきことも考えるべきことも山積みで頭が痛いよ。
「確かに、古代龍であるオウリュウは属性竜などとは比べ物にならない程の強さを持っています。属性竜でも、緊急依頼としてDランク以上の冒険者数十人が討伐に必要となるくらいの強さです。オウリュウクラスの神龍になると、Aランク以上でないと近付くことすら出来ないでしょう。何人必要かなど想像もつきません」
ランクで言われても今いちピンと来ないな。そう思い、具体的なレベルが判らないかを訊いてみた。
「オウリュウのレベルですか?うーん、どうなんでしょうか。はっきりしたことは判りませんが、歴史上で最も高いレベルだと言われているのが、原初の龍と呼ばれる始祖龍で凡そ500程だそうですから、オウリュウは恐らく200~300程ではないかと思います。それでも人間からしたら途方もない数字ですけど」
ふむ、その程度なら現状でも何とでもなるか。ゲームでも、多人数のレイドで挑むボスキャラがそんな感じだったしな。あの時は、流石にレベル差が有りすぎて死に物狂いだったが。味方の強化用テンポラリ・アイテムとボスの弱体イベントがなければ、とてもじゃないが倒せるバランスじゃなかった。
「討伐しようとはしなかったのか?」
「邪竜とは呼ばれていますが元々は神龍ですから、引き籠っているなら敢えて手を出して更なる怒りを買うことはないだろうと。触らぬ神に祟りなしと言った認識のようです」
まあ、それもそうか。その後引き籠って実害がないなら、態々龍の巣穴に突っ込んで行く馬鹿はいないか。通常の人間の上限レベルはこの世界でも99という話だし、勇者や一部の限界を越えた存在でもなければ闘いにすらなりはしないだろうからな。それでも、自信過剰で自己顕示欲旺盛な身の程知らずが、名を上げる為にってのはありそうではあるがな。
「それに、竜仙郷には簡単には入れませんから。竜仙郷は、この世界に在ってこの世界には無い、言わば別次元に存在する場所です。盗人の件があってからオウリュウが入口を閉ざしてしまい、今では年に一度水無月の満月の夜にだけ、それも特定の鍵と言われる物があって初めて開くそうです」
「ほう······やけに詳しいな。そんな具体的なことまで、良く知ってるな?」
まるで調べてきたかのような物言いに、若干の引っ掛かりを感じた。とは言っても訊いたのは此方だし、これまでに話題にも出したことのないことだ。本当に偶々知っていたのだろうとは思うが。
そう思ったら、アリシアはどこか決まり悪げに視線を泳がせていた。
「まだ何かあるのか?」
「あ──っと、その······実はオウリュウには、もう一つ別の呼び名があるんです」
「ほう」
「オウリュウは、精霊を従え使役するところから精霊の王とも呼ばれています。竜仙郷は、オウリュウが精霊達の為に作った楽園なんです。精霊と伴に生きる私達エルフにとっては、正しく聖地とも言える場所なんですよ」
ああ、それでか。そりゃ確かに詳しいはずだな。それにしても、邪竜に精霊の王か。随分とかけ離れたイメージだが、人間にとってはそうでなくとも、エルフには何か思うところでもあるんだろうか?人間の為に閉ざされてしまった聖地、言われなき不名誉な悪名、どうも根の深い問題に思えてきたな······。
「それでですね······、もしオウリュウに会いに竜仙郷に行かれるおつもりでしたら、是非私も連れていって頂けないかと······」
そう言って上目使いに此方を見て来るアリシア。
はぁ、そういうことか······。会うのは勧められないと言っておいてそれではバツが悪いのだろう。だが、確かにアリシアの知識は役に立つ。まだ完全に信用した訳ではないが、旅の同行者としては申し分ないかも知れない。
「それに、もう一つ気になることがあるんです」
「ん?」
「オウリュウが300年振りに姿を見せたという情報が入って来ています。何をするでもなく、ただ姿を見せただけのようなのですが、何かの前触れのような胸騒ぎがして······」
年に一度しか入口は開かないんじゃなかったのか?と一瞬思ったが、オウリュウが作ったものならオウリュウ自身は自由に出入り出来ても不思議はないな、と思い直す。もし出て来ているのなら、その時に会えれば一番面倒がなくていいんだろうが、そう簡単にはいかないだろうな。不確かな偶然に期待するより、やはり竜仙郷に行ってみるしかないか。
「竜仙郷の入口ってのは何処にあるんだ?」
「北方連山の中でも最も険しいとされている、霊峰竜神山に在ると言われています」
「竜尽くしだな。で、鍵というのは?」
「······人間との関わりを断って竜仙郷に籠ったオウリュウが、完全には閉ざさずにそんな回りくどいことをしたのはどうしてだと思います?」
此処に来てまた謎掛けか?正直想像もつかないが、敢えて言うなら───。
「誰かを待っているとか?」
「!」
当てずっぽうだったが、どうやら正解だったらしい。
「流石ですね。オウリュウには一人だけ親しくしていた人間が居て、その者には鍵を渡していたらしいのです。鍵が何なのかは分かりませんが───」
良くそこまで知ってるな。何処から得た情報なんだ?エルフの情報網恐るべし、そんなことを考えていたが、次のアリシアの言葉に愕然とする。
「その者の名はミヅキ・カブラギ。セツナさんの先祖にあたる方です」
「!───何だと!?」
「お待ちどうさま」
女将が朝食を持って現れたことで、思考は中断された。
空腹を刺激する良い匂いに、取り敢えず出来立てのうちにと食べ始める。
(それにしても、此処でセツナに繋がってくるとはな······)
食事を進めつつ、また面倒なことになりそうだという予感を拭い切れないでいた。北の邪竜に竜仙郷、そしてカブラギ一族か······。色々と絡み合って、どうにも先が見えない。一度、セツナにも話を聞いてみる必要があるな。場合によっては、セツナの実家に出向かなければならないかも知れない。そう思うと気が重いな。
絶品の料理を堪能しながらも、胸中は苦々しい思いで一杯だった。
随分と長い回想に思われるかも知れませんが、【高速思考】の為そこまで時間は経っていません。
余りこっそりな会話ではないのはご容赦下さい。(汗)




