第42話 再会
儀式の間の壁面に辿り着いたカイルは、ぽっかりと空いた大穴から、躊躇うことなく中へと突入した。
(───なっ!?)
最初、その光景を目の当たりにして絶句する。
(あれはまさか······白夜!?───え?何で白夜が?何でこんなところであいつが闘ってるんだ?それに、あれはなんだ?あれが蛇神なのか!?)
目の前で繰り広げられている蛇神と白夜達の熾烈な攻防に目を奪われ、カイルが呆気に取られていると、その後ろから入ってきたジェイドがすっとんきょうな声を上げた。
「おいおい、一体どうなってんだ、こりゃあ?」
旋風の斧を肩に担いだジェイドが、カイルの隣に立つ。
心情的にはカイルも同様だったが、次に発したジェイドの言葉に驚いて目を剥く。
「お、やっぱり勇者か。で、あれが蛇神か?確かにとんでもねぇな、ありゃあ。だが、何で勇者が二人もいやがんだ?」
「なんだとっ!?勇者だって!?それじゃ、勇者ってのは白夜のことだったのか!?」
闘っている白夜を指差し、ジェイドに詰め寄る。
正に青天の霹靂だった。只者ではないとは思っていたが、まさか勇者だったとは想像の埒外だ。
唖然とするカイルに、ジェイドは何処吹く風と惚けた口調で言う。
「何だ、知り合いか?白夜······そういや、そんな名前だったか」
依頼された時に副ギルド長から聞いた覚えはあるが、今の今まで忘れていた。ジェイドにとっては勇者ということこそが重要だったからだ。カイルに若干恨みがましい目を向けられたジェイドは、頭を掻いて決まり悪げに視線を逸らす。
白々しいジェイドは放っておいて、カイルはもう一つの気になる言葉を思い返していた。
(て言うか、二人だと?)
カイルが改めて目の前の戦闘へと目を凝らすと、ジェイドの言う通り、確かに白夜は二人居て個別に動いているようだった。遠目故に辛うじて目で追えるものの、残像の応酬とも言える高速戦闘だった為に最初は分からなかったようだ。
(どういうことだ······?双子?姉妹?まさか分裂?)
いや、何考えてるんだ俺は、とカイルは頭を振る。考えても理解らないことに頭を悩ませても仕方がない。混乱しかけた思考を中断して、状況を把握する為に頭を切り替えることにした。
(それにしてもジェイドの奴、良く分かったな)
おそらく目で見てではなく、気配の数で気付いたのだろうが、それでも戦場に於ける瞬時の判断でも負けたとあって、若干凹むカイルだった。やはり長らく実戦から遠ざかっていた為に、あらゆる面で鈍っていたことを思い知らされる。こうした戦場のひりつく空気を肌で感じて、カイルは徐々にではあるが昔の感覚を思い出し始めていた。
だが、カイルもジェイドも、その派手な戦闘に目を奪われていて気付いていなかった。本来の目的を、一瞬忘れていたのだ。
「お父さんっ!!」
その叫び声を聞いて、二人共我に返る。
戦闘領域からは離れた位置に居た為、視界に入ってなかった声のする方向へと視線を向けると、探し求めた姿をそこに認めてカイルは思わず叫び返していた。
「ミリーッッ!!」
愛娘の無事な姿に安堵し、矢も盾も堪らずに駆け出すカイル。脇目も振らず戦場を突っ切って行く軽率さに若干呆れながらも、まぁしゃーないか、とジェイドも自然と緩む表情を引き締め直してカイルの後に続く。
駆け寄るなり、カイルはミリーを抱き締め、万感の思いを込めて呟いていた。
「無事で良かった······」
「お父さん······」
ミリーの目から涙が溢れ出す。感動の対面を見守る傍らのセツナの目尻にも、薄らと涙が滲んでいる。ジェイドは、やや照れ臭そうにそっぽを向いていたが。
一頻り抱き締めて安心したカイルは、そっとミリーを放すと、今度はその全身を矯めつ眇めつ見回して、今更のように捲し立てた。
「何処も怪我はないかっ?痛いところは?気分はどうだ?嫌なことはされなかったかっ?」
両肩を軽く掴んで、真剣な眼差しで心配して来る父親に苦笑いしつつ、ミリーは宥めるようにやんわりと答える。
「大丈夫だよ、お父さん。白夜さんが助けてくれたから」
「そっ、そうか。やっぱり白夜が······」
「それに、セッちゃんもね」
そう言ってミリーがセツナに微笑み掛けると、そこで初めて気付いたかのようにカイルが驚いた顔をする。だが、直ぐに表情を戻し、セツナに向かって頭を下げた。
「ありがとう。何と言って礼を言ったら良いか」
「いえ、私は何も。全てはお師匠様のおかげです」
首を横に振るセツナの言葉は、謙遜でも何でもなくそう思っていたことだった。寧ろ足手纏いでしかなかったと、自己嫌悪に陥っているくらいなのだ。
お師匠様という言葉にジェイドは疑問符を浮かべた顔をしていたが、セツナが白夜に弟子入りした話を聞いていたカイルは、特に反応を示さなかった。そして、小さく首を横に振って言葉を続ける。
「それでも礼を言わせてくれ。娘の為にこんなところまで来てくれたんだ。誰にでも出来ることじゃない。本当にありがとう」
そう言われてチラリと視線を向けた先で、ミリーが嬉しそうに頷くのを見て、セツナは少し困った風に微笑んで見せた。感謝は素直に受け取るとしても、今はそんな場合ではないと思っていたからだ。
(まだ終わった訳ではないのだけれど······)
内心で溜め息を吐いたセツナの視線の先では、今だ死闘が繰り広げられている。二対一にも拘わらず、その戦況は優勢とは言い難いものだった。傍目には拮抗しているように見えるかも知れないが、蛇神に比べて白夜達の方には余裕がないように感じられていたのだ。とは言え、そう簡単には決着が着かないように思えるのは、蛇神が本気で攻め込んでいないように見えたからだった。セツナの目からも、終わらせたくないのではないかという蛇神の思惑が、見て取れる気がするのだ。だからこそ、こうしてのんびり話してもいられるのだが。
そこへ、カイルが思い出したように疑問を投げ掛けて来る。
「それにしても、これは一体どういう状況なんだ?どうして白夜が二人居るんだ?」
「おう、そいつは俺も聞きてぇな」
今まで黙って聞いていたジェイドも、尻馬に乗って入って来た。
「そもそも、蛇神は何で復活しちまったんだ?───って、あれは蛇神、でいいんだよな?」
「ええ、蛇神で間違いはありません」
「なら、益々分からねぇな。生け贄のはずの嬢ちゃん達がこうして無事なのに、儀式が行われたのか?」
ジェイドの疑問はもっともであった。儀式の成立は即ち生け贄が捧げられたことを意味する。蛇神の復活を感じた時、当然そのことに思い至って絶望に苛まれたのだから。それでも、一縷の望みに縋って此処まで来た訳なのだが、実際に目の当たりにすると疑問に思わざるを得ない。
セツナは、教団の司祭が苦し紛れに自身を依り代にしたことや、その際信者達が代わりに生け贄になったことなどを簡潔に説明する。尤も、セツナも白夜(影)から聞いただけなので、又聞きの話になるのだが。
「成る程な、復活した経緯は分かった。そんなんでいいんだったら、最初から自分達だけでやりやがれって話だが、まあそれはこの際置いておく」
一応の納得を見せたジェイドだったが、肝心なのは此処からだった。
「で、あれは一体どういうこった?」
そう言ってクイッと親指を向けて、戦闘中の白夜達の方を指差す。
「目の錯覚じゃねぇ。何で勇者が二人居やがるんだ?」
「双子、じゃないよな。大体、白夜は一人で旅をして来たと言っていたからな」
セツナはハァと溜め息を一つ吐き、興味津々の二人に答えた。
「あれは【影分身】だそうです」
「【影分身】だと!?」
「ちょ、ちょっと待てっ、【影分身】は俺も知っているが、あんな技じゃないはずだぞ!?」
ジェイドとカイルの驚きはセツナにも良く理解る。セツナも本来の【影分身】を見たことがあるが、あそこまで便利なものではなかったし、長時間持続するものでもなかった。況してや、独立して動くことなど有り得ない。色々と非常識な師匠ではあるが、これはその最たるものだった。
唖然として、蛇神の周りを飛び交う二人の白夜を凝視するジェイド達を余所に、セツナは此処に飛んで来た時のことを思い返していた。
「えっ?」
突然、目の前に現れた白夜(影)とセツナを目にしたミリーが、驚きのというよりは呆けたといった感じの声を上げた。
「セッちゃん!?どうして此処に!?って、え?白夜さん!?え?あれ?どうなって───」
セツナを認識して驚き、次いで白夜(影)の姿を目にして、戦闘中の白夜と何度も見比べて混乱を来すミリー。
「落ち着いて、ミリーちゃん」
そっとミリーを抱き寄せ、セツナは優しくその背中を擦って落ち着かせる。甲斐あって直ぐに気を静めたミリーは、離れたセツナを見つめ涙を浮かべる。
「ほ、本当にセッちゃんなの?」
「ええ、遅くなってごめんなさい」
「ううん、そんなことないよ」
感極まって、今度はミリーの方からセツナを抱き締めた。
「ありがとう······」
ぐすん、と鼻を啜り上げるミリーの背中を、セツナはポンポンと叩いて宥める。他の二人の少女達が、何処と無くそれを羨ましそうに見ていたのは、きっと気の所為ではないだろう。
そして、今度こそ落ち着いてセツナから離れたミリーは、白夜(影)の方に顔を向けて、恐る恐る訊ねた。
「白夜さん······だよね?どっちが本物なの?」
「!」
その言葉に、白夜(影)もセツナも驚いていた。
恐らく、理屈ではなく感覚的に覚ったのだろう。セツナでさえ分からなかったというのに。
(良い勘をしてるな)
感受性の賜物とでもいうところだろうか。いや、別にセツナの感受性が鈍いという訳ではないが。鋭い感覚は、物事を見抜く力や見極める力に通ずる。まあ感受性がそれとイコールではないし、一概には断言出来るものではないが、案外冒険者に向いているのかも知れないな。戦闘力に課題は残るとしても。白夜(影)も、ミリーが冒険者を目指していることは知っていたので、そんなことを思ったのだった。
「此方は影で、今闘っている方が本体だ。······どうして分かった?」
「ん~、何て言うか、オーラが全く一緒だったから······。知ってる子に双子が居るんだけど、その子達は確かに良く似たオーラをしてるんだけど、やっぱり微妙に違うんだよね。だからかな?」
「ほう」
これも一種の才能と言うべきか。
ミリーの言うオーラとは気のことだろう。それを感覚的に捉えている。セツナも恐らく、本体と影を同時に見たなら気付いたのかも知れない。
「わぁ!」
そこでミリーが、ふわふわと舞うシルフに気付いて声を上げた。
「何この子!?妖精さんっ?」
「そいつはシルフィードの分体だ。精霊の一部ってとこか」
周りを踊るように飛び回るシルフに、楽しげな視線を送るミリー。心なし、表情にも明るさが戻って来ていた。それを温かい眼差しで見ていた白夜(影)は、シルフにミリーと一緒に居てやるように言い、そして蛇神と闘う本体の方へ、ついと意識を向ける。
「お師匠様」
「ああ、分かっている」
蛇神を真っ直ぐに見据え、刀を抜く白夜(影)。心配そうなセツナを一瞥して言う。
「こっちは頼んだぞ」
「はい。───御武運を」
神妙な顔付きのセツナに頷き返し、即座に【瞬動】で消え去る。
次の瞬間、白夜(影)は蛇神と対峙する本体の隣へと現れていた。
「来やったか」
待ち構える蛇神の表情は何処か楽しげだった。
「卑怯と言われようが、これで行かせてもらうぞ」
そう言って本体と影、二人が立ち並んで構えを見せると。
「構わぬよ。言ったであろう?小手調べじゃと。存分にかかって来るがよい」
余裕の笑みを浮かべるザハラク。実際余裕があるのだろう。二人が揃うのを態々待っていたくらいなのだから。まるで新しい玩具を手に入れたかのような、邪気のない表情をしている。
(とんだバトルジャンキーだな)
白夜は内心で苦笑いしつつも、第二ラウンドの開幕に向けて気持ちを仕切り直す。
【影分身】のタイムリミットまで、残り5分を切っていた。最早、時間の余裕は無い。
(一気に行くぞ!)
ここからは出し惜しみは無しだ。スキルを全開にして二人の白夜が動き出す。
最終局面に向け、死闘の第二ラウンドが始まるのだった。
『セツナ、聞こえるか?』
ハッとして、セツナが我に返る。
物思いに耽っていたのは一瞬のことだったが、戦場で気を逸らすなど由々しきことだ。セツナは己を恥じつつ、やや上擦った声で言葉を返す。
『は、はいっ!?な、何でしょうか?』
『そっちの状況は見えている。今の内にミリー達を連れて外に脱出しろ』
『えっ?』
白夜のその言葉を消化するのに、僅かばかりの時間を要した。意味は理解る。今だ激闘の最中に此方を気に掛ける白夜の姿に目を向け、あそこへ行ったところで自分が何の助けにもなれないことも良く分かっていた。それでも、自分達だけ脱出するのは、見捨てて行くようで直ぐには承服しかねていたのだ。だが一方で、ミリー達をこのままこの場に止めておくのが危険であることも重々分かっていた。
セツナは、苦渋の思いで白夜に答える。
『······分かりました』
『任せたぞ。脱出も安全とは言い難いが、カイルにも良く言っておいてくれ。もう一人は知らないが······』
はて、何処かで見覚えがあるような、と記憶の端に引っ掛かるジェイドの姿に首を傾げる白夜だった。
「カイルさん!」
「どうした?」
突然呼び掛けられたカイルが、不思議そうにセツナに顔を向けた。ミリーやジェイドも、その声に釣られてセツナに注目する。
「今の内にミリーちゃん達を連れて脱出するようにと、お師匠様から言われました」
「白夜から?って、どうやってそんなことを?いつ話したんだ?」
驚くカイルに、セツナは困った顔で説明する。
「あー、その、内緒ですけど、念話みたいなことが出来るんです。詳しくは言えませんけど。そんなことより、このまま此処に居ては危険です。早く脱出しませんと」
白夜は言わなかったが、脱出を勧めた理由は他にもあるような気がセツナにはしていた。恐らくだが、此方への影響を気にして力を出し切れていないのではないかと、そうも感じていたのだ。入口で見た魔法の威力、きっと周りへの被害を気にして使えないでいるに違いない、と。
「脱出か······しかし······」
セツナの説明に一応は納得を見せ、考え込むカイル。セツナと同様、カイルも目の前で闘う白夜を見捨てて行くことに抵抗があるようだ。だが、確かにこのまま此処にミリーを置いておく危険性も理解る。
「その嬢ちゃんの言う通りだ。今すぐ脱出すべきだぜ」
「ジェイド!?」
意外にもジェイドから賛成の声が上がると、カイルは目を見張る。
「悔しいが、ありゃあ俺らが束になってもどうにか出来る相手じゃねぇ。寧ろ、俺らが此処に居ることで足枷になってる可能性がある」
セツナと同じことをジェイドも感じていたようだ。その際、セツナに向けてウインクして見せたのは余計なことだったが。
ジェイドに追従するのは癪だが、カイルとしても奮闘する白夜の足を引っ張るようなことはしたくなかった。
「······よし、脱出しよう。俺が先頭を行く。ジェイドはフォローを頼む」
「おうっ、任せろ」
カイルが決断し、ジェイドがそれに応える。
セツナがミリーに寄り添い、ジェイドは二人の少女を立たせて後に続くように言い聞かせた。
そして、一行が脱出口の壁の大穴へと歩を進めようとしたその時。
「───何だ、てめぇら?」
ジェイドが殺気だった声を上げる。カイルとセツナも、咄嗟に身構えていた。
突如として彼らの前に立ちはだかったのは。
白夜に因って打ち倒されたはずの、督戦隊と呼ばれた者達であった。
第37話にミリー達の鎖を切る一文を追加しました。セツナと再会した時に、鎖に繋がれたままで抱き締めるのはおかしいということに気付きましたので。




