第37話 儀式
※5/22 宗主の件を追加しました。
※7/1 ミリー達の鎖を切る一文を追加しました。
ミリーが目を覚ました時、彼女は両手両足を鎖で繋がれた状態であった。すぐ側には同じ牢に居た二人の少女も同様にして鎖に繋がれており、寄り添うようして怯えていた。
「───っ」
まだボーッとしていて咄嗟には状況を飲み込めなかったミリーだったが、打たれた首筋に鈍い痛みが走り、それに因って次第に意識が覚醒し始める。
「此処は······?」
眩しそうに見上げる頭上には、吹き抜けの天井から吊り下げられた巨大な灯りの魔道具と思われる球体が煌々と輝いていた。それ一つでちょっとした体育館程もある広さの部屋全体を照らせるだけの光量があり、白夜でも見通せない隠蔽の効果といい、遺跡が造られた古代文明の魔導技術の高さが伺える。尤も今のミリーにはどうでも良いことで、そんなことを考える余裕もなかったが。
目線を下げて正面を見据えると、無数の燭台や蛇か蜥蜴といった彫像が立ち並ぶ祭壇のようなものがあった。中央の最も目立つ部分には、蛇神信仰の象徴として蛇が己の尾に食い付いて輪となったウロボロスのマークが掲げられている。そしてその祭壇の前には、自分達を迎えに来たのと同様の、尖ったフードのローブ姿の者達が左右に三人ずつ分かれて並び、その中心には他とは一線を隔す華美な衣装を纏った司祭か司教と思しき人物が立っていた。
その人物は、ミリー達に背を向けていた為に顔までは見えなかったが、祭壇に向かって両手を広げ、滔々と口上の文言を良く通るハスキーな声で張り上げていたので気が付いた。
「偉大なる蛇神ザハラク様!我ら僕の声をお聞き届け下さい!」
(女の人?)
低いがやや鼻に掛かるその声は、聞きようによっては男と女どちらとも取れるものだが、ミリーは直感的に女性だと感じた。その直感はすぐに当たっていることが分かる。
振り返った司祭らしき人物がフードを下ろし、長い濡れ羽色の黒髪が流れ出る。その顔は、端正だが鋭い目付きの二十代半ばに見える女性のようだった。
その女性が胸の前で組んだ両手を高く掲げ、更なる声を張り上げる。
「皆の者!祈りを捧げよ!我らが主、ザハラク様の復活は目前であるっ!」
此処で漸く、自分達を遠巻きに取り囲むようにして祈りを捧げている大勢の信者達の存在にミリーは気付いた。彼等、彼女等は一様にして胸の前で手を組み、司祭の女性の言葉に従って一心不乱に祈りを捧げているように見える。その実、信者達の身体から祈りなどと言う不確かなものではなく、魔力という名の生命力そのものが吸い取られ、それが一ヶ所へと集まって行く。その先は───。
(何これ───!?)
ミリー達の居る場所の床が俄に光を放ち始める。ミリー等三人を中心として、複雑な幾何模様の魔方陣らしきものがそこには描かれていたのだ。魔方陣の線の部分からはより強い赤い光が走り、徐々にその輝きは増して行く。その赤い光に禍々しいものを感じたミリーは、本能的に危機感を覚えて身体を震わせ、両手で自分を掻き抱いた。それは精神的なものだけでなく───。
(寒い······)
生命力が集まっているにも拘わらず、周囲の温度が急激に下がって来ている。冷気の靄が身体に纏わり付き、ミリー達三人は恐怖と共に物理的にもその身を震わせていた。儀式の間全体に広がる暴力的な負の思念にも押し潰されそうだった。
軈てそれらの緊張感が決壊寸前まで高まり、場の雰囲気が最高潮にまで達すると、司祭の女性が前に進み出て、魔方陣の中央、ミリー達の目の前に立った。
「カミラ様」
女性司祭の後ろでローブ姿の一人が跪き、一振りの剣を恭しく差し出した。カミラと呼ばれた女性司祭は、それを無言で受け取ると、何やら呪言のようなものを小さく唱えて鯉口を切る。そして目の前に掲げるようにして鞘からスラリと抜き放ち、その剣身を露にする。
鞘や柄等は飾り気のないありふれたものだが、剣身はそれが普通の剣ではないことを物語っていた。闇のような漆黒の剣身に魔方陣と同様の赤い幾何模様の線が刻まれ、魔方陣の光に呼応して妖しく明滅している。まるで血管が脈動を打つかのように。
その禍々しさに、ミリーが思わず顔を顰める。氷点下のごとき冷たい瞳をしながらも、どこか熱に浮かされたようなカミラの表情にも怖気を感じていた。そのカミラが歓喜に満ちた声を上げる。
「光栄に思うが良い。ザハラク様復活の礎となることを。そしてザハラク様の血肉となって永遠の生命を得るのだ」
「───かっ、勝手なことを言わないでっ!」
乾き切って、声帯が麻痺したかのように喋れなかったミリーが、どうにか声を絞り出す。
蛇神の生け贄になんて冗談じゃない。そう思うも、それ以上の言葉が出て来ない。目前に迫る死の恐怖に歯の根が合わず、ガタガタと身体が震えていた。しっかりしているようでも、まだ十四歳の少女なのだ。本当の意味で死の危険に晒されたことなど今まで無かったのだから、致し方ないことだろう。
それでも、他の二人を自分の後ろに庇うようにしていたミリーの勇気は称賛に値するものだった。例えそれが無意味なことだったとしても。
「勇敢だな。お前のような者ならばザハラク様もお喜びになられるだろう」
カミラは、その氷の美貌にアルカイックスマイルを浮かべて、感心したように言う。こんな状況で誉められたところで、ミリーは嬉しくも何ともなかったが。寧ろ、虫酸が走る思いだった。
「それでは、まずお前からザハラク様にその身を捧げる栄誉を与えるとしよう」
「!」
そう言ってカミラが剣を振りかぶる。一思いに、というのがカミラのせめてもの慈悲であったが、ミリーにとっては何の慰めにもならない。ミリーは身を固くして、ギュッと目を瞑り祈った。
(まだ死にたくない!誰か助けて!)
強がってはいても、偽らざる本心の心の叫びを上げたミリー。そして、最後まで諦めなかった者の祈りは、確かに届いていた。
ガキィッ、と何かがぶつかり合う音が聞こえ、「何っ!?」という女性司祭の声。ミリーは身構えていた自分を襲う衝撃が何時まで経っても来ないことを不思議に思い、閉じていた目を恐る恐る開けると。
「え?」
そこには自分の前に立ち、漆黒の剣を刀で受け止める人物の後ろ姿があり、目の前には見覚えのある金色のふさふさした尻尾が揺れていた。猫耳のある頭が、肩越しにミリーの方を向く。
「待たせたな。大丈夫か?」
「───白夜さんっ!?」
ミリーは信じられないという思いで叫んだ。有り得るはずがないと思っていた都合の良い想像が、現実となって目の前に現れたのだから。逆にそれがミリーの現実感を失わせていた。呆然として、これが夢か現実か直ぐには分からなかったのだ。その戸惑っている様子を見て、白夜も苦笑いを浮かべる。とは言え、状況を正確に把握している白夜は、やるべきことを忘れてはいなかった。
合わせた刀を力任せに押し込み、剣ごとカミラを弾き飛ばす。
「ぐっ、おのれっ!」
倒れなかったものの、数メートル後退りしてたたらを踏むカミラ。フードの者達が周囲に集まり、カミラを支える。但し、命令がなければ動かないのか、直ぐに仕掛けて来る様子はない。
その隙に白夜は、ミリー達三人を無理矢理抱えてカミラから離れる方向へと跳び退る。見るからにヤバそうな魔方陣の上に居続けるのは不味いだろうと判断した為だ。幾ら小柄な少女達でも、取り立てて大柄という訳でもない白夜が、軽々と三人を抱えて跳ぶ光景はシュールではあったが。
魔方陣の無い場所に下ろされたミリーが我に返ると、横に立つ白夜がポンポンと優しく頭を叩き、視線はカミラ達に向けたまま口を開いた。
「良く頑張ったな。もう心配はいらない」
その言葉で張り詰めていたものが切れ、ずっと我慢していた涙が決壊して溢れ出す。
「ふえぇぇぇぇ······」
泣くな、とは白夜も言えなかった。頼れる者の居ない状況で、どれほど心細かったか想像に難くない。それでも最後まで折れずにいたミリーを、大したものだと思う。最初の印象とは違うミリーの心の強さに、白夜は感心していたのだ。自然とその頭に置いた手で、労るようにミリーの髪を撫でていた。
そこへ、ほっこりした気分をぶち壊す鋭い声が掛けられる。
「貴様が侵入者か!何処から現れた!?どうやって此処まで来たのだ!?」
カミラのその詰問には幾つか理由がある。瞬時に現れた方法はこの際置いておくとして、生きた壁とも言える大勢の信者達と、迷路に近い構造の複雑な通路。それだけでも困難な道程のはずだが、もう一つの理由は───。
(あの男め、存外役に立たぬ)
切り札と思っていたピネドーアの魔改獣が突破されたのか、ということだった。本人は既に逃げ出していることなど知らないカミラは、内心で舌打ちをしていた。開発費の名目で多大な資金を費やしておきながら、肝心な時に役に立たないのでは意味が無い。元々ピネドーアに好意的でなかったカミラは、最早切り捨てるべきと考えていたが、今はそんな場合でないことに気付き、頭を切り替えて侵入者たる白夜を睨み付ける。
その白夜の方は、態々答えてやる義理はないな、とカミラの質問には答えず、中空に向けて呼び掛けた。
「シルフィード!」
すると、空気を読んで姿を消していたシルフィードが顕在化し、白夜の元へと降りて来る。
「この娘達を風のフィールドで護ってやってくれ」
「任せて···」
即座に承諾したシルフィードが、ミリー達三人の周りに風の結界を張る。突如姿を現して白夜に従うシルフィードを見て、ミリーは更なる驚きに目を見開く。
「せ、精霊······!?」
白夜が助けに現れたことだけでも理解を越えた奇跡のようなものだと思っているのに、その上精霊とか処理能力が追い着かず、ミリーの頭はパンク寸前だった。
「此処で大人しくしていてくれ。いいな?」
なので、そう言われたミリーは、唯黙ってコクコクと頷くしかなかった。因みに、空気と化していた二人の少女も、もしかしたら助かるかも知れないと思いつつも、まだ白夜を信用し切れていない為に、無言で成り行きに身を任せていた。ミリーと共に手足を繋ぐ鎖を切られる時にも、黙ってそれに従っていたのだった。
シルフィードの出現に驚いたのはカミラの方も同様だったが、此方は唯驚いていただけではない。
「そうか、その上位精霊の力を使ったか」
白夜よりもこの世界に於ける精霊の在り方を良く知っているカミラは、その目を利用したのだろうことを見抜いていた。そして役立たずなだけでなく、敵を利するとは益々もって度し難い、とピネドーアの評価を更に下方修正する。だが今は、そんなことはどうでも良い。現状で最優先すべきは障害となる敵の排除であった。
その敵、白夜をカミラは真っ直ぐに見据える。一見すると唯のミセリアで特別強そうには見えない。しかし、カミラには分かった。自分の良く知る人物と同様に、ある種の選ばれた者だけが持つオーラを纏っていることに。何より、普通の人間に上位精霊が従うはずがない。
白夜の方も、カミラを見て意外感を覚えていた。邪教集団の祖と言うと、俗に塗れた煮ても焼いても食えそうにない偏屈な老人というイメージがあったからだ。完全に偏見だが。
「お前が宗主か?」
白夜がそう訊ねると、カミラは一瞬何を言っているか理解らないといった顔をし、次の瞬間、嘲るような笑い声を上げる。
「クッ、フハハハァッ」
「何が可笑しい?」
白夜は、特に気分を害した風もなく聞き返す。
「私ごときをあのお方と一緒にするなど、身の程知らずにも程がある。あのお方は、私などには及びも付かない高貴で偉大なお方だ。私は単なる代理人に過ぎぬ」
(またあのお方か。何者なんだ、一体?)
高貴と言うからには、やはり権力者か。しかし、宗主がこの場に居ないってのはどういう訳だ?蛇神の復活は教団の最終目的、因って立つところのはずだ。言わば悲願とも言えるものだろうに、その現場に宗主が立ち会わないなんてことが有り得るのか?どうにも理解らないな······。
そんな白夜の疑問を他所に、カミラが手を上げて後ろに合図を送る。
「お喋りは終わりだ。督戦隊、前に出よ!」
カミラが命じると、六人のローブの者達がカミラの前に歩み出て、剣を抜き払って並び立つ。その構えから、何れも素人ではないと分かる。迎え撃って来た唯数が多いだけの狂信者達とは違い、歴とした戦闘を生業とする者達のようだ。しかし、白夜はその名を聞いて首を傾げていた。
(確か、督戦隊ってのは兵士を死戦に向かわせる為に追い立てる役目の部隊だった気がするが)
此処には追い立てる兵士も居ないし、実際に矢面に立って来ている。どちらかと言うと、ギ○ュー特戦隊の方じゃないのか?などと愚にも付かないことを考えていた白夜だった。
「侵入者を排除せよ!精霊も始末して構わぬっ」
その号令で六人が一斉に襲い掛かると、白夜は出来るだけミリー達から離れる為に、自ら敵の只中に突っ込んで行った。しかし戦闘が始まると、思った程の手応えがないことに拍子抜けする。
(何だ、こいつら?)
確かに人間としたら腕はそこそこあるようだが、魔改獣とは比べるべくもない。比較対象が間違っている気がしないでもないが、問題は別のところにあった。ローブに隠蔽の効果があるのか、揃って【鑑定】が通らないのだ。正体が分からない状態では迂闊に殺す訳にもいかなかった。操られているだけ、ということも有り得るのだから。こんな状況でも、一対六で簡単にあしらうことが出来ているのは白夜だからこそである。かと言って何時までもこうしてはいられない。なるべく殺さないように心掛けながら、隙を見て一人ずつ【峰打ち】を叩き込んで行く。どうやら狂信者達のように洗脳や薬漬けにはされていないようで、【峰打ち】で気絶させることが出来たのは幸いだった。
そうして六人全てを倒し終えた時───。
「むっ!?」
何時の間にか背後に現れたカミラが、死角から剣を振り下ろして来ていた。督戦隊を倒し終えて気を抜いた瞬間を狙ったようだが、白夜は微塵も油断していなかった。振り返りもせずに掲げた刀でその剣撃を受け止める。
「ちっ」
当てが外れたカミラは、そのままミリー達の方へと向かおうとするものの、シルフィードの風の刃に阻止されて方向転換を余儀なくされる。再び逆方向へと間合いを離すカミラ。
一方で白夜も、今のカミラの接近には違和感を覚えていた。移動の兆候は見られなかったにも拘わらず、瞬時に背後に現れたのだ。だが【瞬動】とは何処か違う。何か別のスキルなのだろうか。
───ピシッ。
その時、何かが罅割れるような音がした。
「!」
驚きの表情を見せたのはカミラの方だった。
手元の剣を見て、目に見えて焦り始める。二度に渡る白夜の刀との打ち合わせに因り、その黒い剣身に亀裂が生じていたのだ。その亀裂から魔力の奔流が溢れ出ようとしている。これでは何れ遠からず、長い年月を掛けて蓄えた魔力が残らず流れ出てしまう。
(何たることだ!このままでは全てが水泡に帰すことに······!)
口惜しいが、現状で侵入者たる白夜を排して生け贄の娘達を取り戻すことは叶わぬだろう。その実力の隔たりくらいはカミラにも理解出来る。ならばどうする?此処で諦める訳にはいかない。どうするのだ?
暴走し始めた漆黒の剣に魔方陣が呼応して、既に満足に動けない程に魔力を吸い取られていた信者達から、更に容赦なく生命力を奪い取っていく。
「何なんだ、あの剣は?」
白夜は、信者達が一人また一人と倒れていく様を横目で見ながら、禍々しい光を放つ漆黒の剣から目が離せないでいた。そこで【鑑定】してみると、どうやら剣には隠蔽の効果は及んでいないようで、問題なく【鑑定】が通った。
【天羽々斬】:封神封魔の剣。蛇神が封印されている。
(何だと!?天羽々斬って八岐大蛇を退治した剣じゃなかったか?それが何で封印なんだ?)
色々納得出来ないところはあるが、今はそんな場合じゃない。あの剣はヤバい、それだけは確かだった。一刻も早く破壊すべきだ、そう思う反面、果たして破壊してしまっても良いのか白夜には確信が持てなかった。これだけ大掛かりな儀式を行おうとしていたくらいだ。ただ破壊するだけでは、完全な復活にはならないのだろうが、それでも不完全ながら解放されてしまう可能性は十分にある。その迷いが、白夜をして致命的な手遅れを招く結果となってしまった。
意を決して【瞬動】でカミラに向かって飛ぼうしたその時。
追い詰められたカミラが、思いもよらぬ行動に出たのだ。
「!?───待てっ!」
伸ばした手も空しく。
カミラは自分の胸に、天羽々斬を深々と突き立てていた。
督戦隊は元々は信者達を戦わせる役目を担っていたのですが、洗脳と薬物に因ってその必要が無くなってしまった為、今ではその名残として名前だけ残っているという訳です。
ミリー以外の二人の少女が空気の扱いなのは、主人公が生を諦めた者(人間としてです)には興味がないからです。一応助けはしますが、それだけです。意思無き者に手を差し伸べる程優しくはありませんので。




