第35話 真打登場
『どうしてあなたが』、喉まで出掛かったその言葉は、サジの小言に因って遮られた。
「刺し違えても、とか思っちゃいませんでしたでしょうな?」
「うっ······」
「武士道とは死ぬことと見つけたり、なんてのは今時流行りませんぜ。一刀流の教えにもありゃあしません。こんな所でお嬢に死なれたら、某の方がテッサイ師父に殺されちまいまさぁね」
サジの呆れを含んだ物言いに言葉を詰まらせるセツナ。と同時に、改めてサジが自分のお目付け役だったことに気付かされる。薄々感じてはいたのだが、実力的にも性格的にも自分の後塵を拝するとは思えないサジが、普段は常に一歩引いた位置からフォロー役に徹していたのだ。総帥の孫娘ということで気を遣っているだけかとも思ったが、どうやら何らかの指示の元で動いていたようだ。
色々と問い質したいところだが、敵を前にのんびりと構えてもいられない。とは言ってもまだ思うように動けないセツナは、へたり込んだままの姿勢で後ずさるようにして、何とかミノタウロスから距離を取ろうとする。
「っと、お説教している場合じゃありませんでしたな」
浮き身からの瞬歩で音も無くセツナの背後に近寄るサジ。【縮地】でも【瞬動】でもない、それどころかスキルですらない、浮身歩法と呼ばれる純然たる体術だった。スキルの【縮地】が水滸伝に於ける神行走法を元にした仙術の類いのものとすると、此方は忍の移動法に端を発する武術的な体術の一つと言える。
「あっ······」
セツナの腰に手を回して抱え上げると、そのまま後方に飛び退る。ミノタウロスからは大分離れた安全圏と言える位置まで下がったサジは、ゆっくりと壁際にセツナを下ろし、もたれ掛けさせた。
「暫く此処で大人しくしていて下せい」
そう言ってサジは、ミノタウロスへと視線を向ける。セツナは何かを言おうとするも、既に意識をミノタウロスに集中させていたサジを見て口を噤んだ。
この間、ミノタウロスは動いていない。右腕の切断面から伸びた触手が、斬り飛ばされた前腕部分を引き寄せて接合しようとしていた。どうやら、欠損等の大掛かりな再生中はエネルギーを再生部分に集中している為か、自由に動くことが出来ないようだ。ある意味、致命的とも言える隙なのだが、驚きと気持ち悪さが先に立って、此処までつけ込まれずにいたのだろう。
「いやはや、何とも面妖な」
サジの言葉にも気色の悪さが滲んでいる。
ピネドーアはトロルの能力を盛り込んであると言っていたが、実際には元のトロルにもこれ程非常識な再生能力は無い。精々が骨折や切り傷を修復する程度で、欠損部位の再生等は出来なかった。況してや、触手を以て欠損を繋げるなどというのは、サジの知る限り、見たことも聞いたことも無いものだ。尤も、ミノタウロス自体迷宮の奥深くに極稀に出現する魔物なので、初めて目にするサジにとっては、こういうものかと思うだけだったが。
だが逡巡したのは一瞬のことで、すぐに頭を切り替えて、完全に動き出す前のミノタウロスへと、今度は【縮地】で一気に接近して行く。
「せいっ!」
勢いのまま、小手調べと言うには仕留める気満々の一撃をミノタウロスの首にお見舞いするのだが───。
「むっ」
セツナの時と同様、首半分の肉を切り裂いただけで、骨を断つとまではいかなかった。先程右腕を斬り飛ばせたのは、スキルで気力強化をしていたおかげもあるが、より重要な首の骨には特別な補強が為されているのだ。ピネドーアが驚いたように、白夜だからこそ簡単に断つことが出来たのであって、普通ならば容易に断てるものではない。サジも手応えから、それを感じていた。
(やっかいだのう······)
右腕の接合の完了と共に首の傷もすぐに修復してしまい、ミノタウロスがサジを敵と見定めて猛撃を開始する。
「ブモオォォォォッ!」
雄叫びを上げて迫るミノタウロスの攻撃を、見切りと足捌きで右に左にと躱しながら後退しつつ、サジは更にセツナの居る場所から距離を取って行く。動けないセツナに、万が一にも闘いの余波が及ばないようにする為だ。自分に敵対心を向けさせて、セツナを意識から外させる意味もある。
(さて、そろそろ良いかの)
十分に距離を取ったところで、サジは身入り、転換からミノタウロスの斧を受け流し、【残心】でカウンターを合わせて【当て身】を食らわせる。【当て身】そのものには殺傷力は無いが、スタン効果により僅かの間その動きが止まる。その隙に一歩下がって腰を落とし、奥義の溜めの構えを見せるサジ。
この相手には出し惜しみすべきではないとの判断から、サジは一気にケリを着けることにした。
【気合い】で気力を上げ、侍のSS【重ね当て】をも発動させる。そして、スタンの解けたミノタウロスが、再度振り被ったと同時に奥義の溜めが完了し、【見切り】で斧の軌道を読みつつ、技を解き放つ。
「剛覇の太刀・月呀!」
【剛覇の太刀・月呀】は、斬り上げ、振り下ろしからなる神速の二連撃で、気力を込めた斬撃がまずは斧を掲げた右腕を、次いで左腕をも瞬時に斬り飛ばす。
「あれはお祖父様の月呀!?」
セツナがそれを見て驚くも、攻撃はまだ終わらない。
【重ね当て】の二回攻撃は、二連撃でも一つの奥義としてカウントされる。よって次の攻撃に繋げることが可能な訳だが、此処でもう一つの特性として、【重ね当て】の二回目は如何なる攻撃であってもタイムラグ無しに発動出来るというのがある。即ち、通常は溜めが必要な奥義でも、【重ね当て】の二回目の時に限り、その溜めをキャンセルして発動させることが出来るのだ。更に言うと、次の攻撃にのみ適用される【気合い】の気力上げも、【重ね当て】の場合二回目の攻撃にも効果が及ぶ。これはゲーム時にもあった、侍の奥の手とも言える裏技だ。
「剛覇の太刀・落陽!」
間髪入れず放った奥義が炸裂する。
両腕を失くしたミノタウロスが、仁王立ちしたままその動きを止めた。次の瞬間、ミノタウロスの頭部が炎に包まれ、切断された首がずれて身体から転げ落ちる。まるで、夕陽が地平線の彼方に沈むかのように。
サジのオリジナル奥義、【剛覇の太刀・落陽】。切っ先が空気の層と起こす摩擦に因って発火し、落とした首を炎上させるというえげつない技だ。普通ならば首を斬った時点で死に至る為、燃やす必要性は全くないのだが、これは切れ味を増幅させたことによる副次的なもので、サジ自身が意図したものではない。但、今回の場合、再生を止めるには頭を潰すしかないのではと考え、その為に最も有効と思われる技だった。
仕留めたか?と、ついフラグになりそうな台詞を口にしそうになったサジだったが、そんなことを言う前に、またもや再生が始まってしまった。炎上しても尚、それを上回る速度で修復を繰り返し、その上身体からは切断された頭や腕へと触手が伸びて行っている。
「───っ!しぶといっ!」
再生を完全に止めるには、白夜がしたように、脳を完膚なきまで破壊するしかない。そこに思い至ったサジは、再生されてしまう前に、今だ燃える頭部を潰さんとして刀を振り上げる。
「っ!?」
振り下ろす手を止めて、咄嗟に飛び退くサジ。
間一髪だった。それまで居た空間を、オリハルコン製の爪が薙いでいた。
「何とっ、まだ他にも居たのか!?」
現れたのは狼の頭を持つ魔物、狼男だった。一見すると身体の大きなコボルトのようにも見えるが、その中身が別物であることは、サジにも一目で理解った。これが、ミノタウロスと同様の能力を持つだろうということも。それだけではない。
(こやつ、気配が······)
セツナに負けず劣らず、サジも気配を読むことには長けている。その二人が、接近するまで全くその存在に気付かなかったのだ。可成り高いレベルの気配遮断の能力を持っていると見るべきだろう。だが、この際問題はそこではなかった。
「ガゥッッ!」
「くっ」
ミノタウロスに比べ、スピードに特化した狼男の怒濤の猛攻に、サジも苦戦を余儀なくされる。狼男の爪がオリハルコン製だと知っている訳ではないが、打ち合っては不味いと勘が告げている。したがって避け続けるしかないのだが、ミノタウロスの時程の余裕は無かった。それだけ、狼男の能力は高かったのだ。
サジの顔に焦りの色が見え始めた。こうしている間にも、ミノタウロスの再生が進んでいる。決めるつもりで気力を注ぎ込んだにも拘わらず、止めを刺すことが出来なかった。このままでは、難敵が2体に増えてしまう。
「致し方ないっ」
此処は少々の危険は承知で、ミノタウロスの方を先に潰すべし。そう考えたサジは、狼男の攻撃を掻い潜って今だ炎の燻るミノタウロスの頭に向かって行く。
当然ながら、狼男もそれを黙って見てはいない。この魔物達に仲間意識があるのかは分からないが、ミノタウロスの頭部を護るかのように、また回り込んでサジの前に立ち塞がる。
「うぬっ、小癪なっ」
結局狼男の追撃を振り切れず、ミノタウロスへの攻撃をしあぐねて、どっちつかずの悪手となってしまった。そうこうしている内に、両腕と鎮火した頭部が元の位置に戻り、ミノタウロスの再生が完了しようとしていた。
此処でサジは、飽くまでミノタウロスに攻撃を向けるか、それとも狼男の対処に集中するか迷ってしまう。それは本の一瞬のことだったが、その隙が命取りとなった。
キンッ。避け切れずにうっかり受けてしまった狼男の爪で、サジの刀が半ばから折られる。
「!」
「サジさんっ!?」
折れた刀身の半分が宙に舞い、弧を描いて通路の床に突き刺さる。奇しくも、セツナの居る方向に。それを目で追っていた狼男は、悲鳴を上げたセツナの存在に気付いてしまった。
「ガアァァッッ───ッ!」
「しまった!」
狼に限らず、肉食の野性動物の習性として、群れの中の弱っているものから狙うというのがある。この時の狼男も、その習性に従ってセツナを標的と見定めたのだ。狼男はサジを置き去りにして、セツナへとまっしぐらに向かう。
サジはそれを追い掛けようとするも、再生を終えたミノタウロスが割って入り、立ち往生を余儀なくされた。何より、武器を失ったサジには、どうすることも出来なかったのだ。
狼のスピードとマッドボアの突進力を併せ持つ狼男は、瞬く間に距離を詰め、そのオリハルコンの爪でセツナの命を薙ぎ払わんとしていた。
「っ!」
「お嬢!」
今だ思うように動けないセツナは為す術がない。サジが叫び声を上げる。狼男の無慈悲な一撃が振り下ろされ───。
「グアァッ!?」
「!?」
狼男は、ランスの長い穂先に胸を貫かれ、縫い付けられるようにしてその動きを止めていた。
セツナは目を見張る。突如として目の前に現れて、ランスという珍しい武器を手にそこに立っていたのは。
「全く、世話が焼けるな」
「お師匠様!?」
仲間の危機に颯爽と現れるのは勇者の特権です。
ジェイド?サジ?あれは分不相応です。
「ひでぇ!?」
「······面目ない」




