第34話 もう一つの救援
『お師匠様······』
LPを通してセツナから呼び掛けられたのは、シルフィードより儀式が始まったとの報告を受けた直後のことだった。正直それどころではなかったのだが、セツナの声音が珍しく切羽詰まった余裕の無いものだったのが気に掛かって聞き返していた。
『どうした?』
『再生能力を持つ相手を倒すにはどうしたら良いのでしょうか?』
『何!?』
まさか、あれがまだ居たのか!?
『何をどうやっても、直ぐに元通りになってしまいます······』
気丈なセツナが弱音を吐くとは余程のことだ。だが、分からないではない。自分は力業でなんとかしたが、物理の効き難いあれはセツナでは荷が重いかも知れない。剛のカブラギとは言っても、刀剣士のままのセツナでは決定力不足だ。侍の奥義でもなければ、首を断つことすら容易ではないだろう。
それにしても、あの男の置き土産ってやつか。こんな時に余計な真似してくれる。仕方ない状況だったとは言え、逃がしたのが悔やまれるな。
『それで、虎か?獅子か?』
『は?いえ、その······牛です』
今度はミノタウロスかよ!あの野郎、やっぱり遊んでやがるな。まあ訊いておいて何だが、この際魔物の種類なんかどうでもいいか。問題はあの再生能力だからな。
『今、どんな状況だ?』
『······信者達は粗方片付けた後だったのですが、くっ、いきなりあれが現れて······っ、今は躱すので手一杯ですっ···』
ちぃっ、本当にろくな事しやがらないな、全く。念話の向こうで、セツナが苦戦している様子が目に浮かぶ。
どうする?言っても此方も予断を許さない状況だ、助けに行ける余裕は無い。かと言って、逃げろと言って聞くようなタマじゃないだろうしな······。マジでどうするか。
その後、どうやら回避に集中しているようで、セツナからの念話は途切れた。簡単にやられるとは思わないが、何時までも躱し続けていられる訳もない。技量は兎も角、懸念されるのは体力的な面だ。何れは集中力も切れる。そうなれば、捕まるのも時間の問題となるだろう。
セツナの事は心配だが、今は儀式の部屋に向かって駆ける足を緩めることは出来ない。ジレンマに迷いながらも、それでいてこの窮地をどうにかする方法を捻り出そうと【高速思考】をフル回転させていると───。
《ポーン》
「!」
例に依って、このタイミングで啓示を報せる音が脳内に響き渡った。
「や───っっ!」
ミノタウロスがその手に持った斧を振りかぶった瞬間、防戦一方だったセツナが【縮地】からの【居合い斬り】で擦れ違い様に斬り付ける。【縮地】の勢いも利用した渾身の一撃でその首を狙いに行ったのだが、小柄なセツナとミノタウロスの元となった羅刹族の身長差が災いし、首半分を切り裂いたものの断ち切るとまではいかなかった。
(浅かった!?)
そして案の定、切り裂かれた傷もあっという間に治ってしまい、ミノタウロスは背後のセツナへと回転しながら襲い掛かる。
「くっ!」
身を低くして振り回された斧を辛うじて躱し、そのまま地面を転がってどうにか距離を取るセツナ。間を置かずに追撃してくるミノタウロスから、必死に体勢を立て直して自分の間合いを保とうとする。だが、その突進力は凄まじく、またしてもセツナは防戦一方に追い込まれてしまう。
スピードではややセツナが勝るものの、その他は膂力、耐久力、リーチ、全てに於いて圧倒的に不利な状況だ。攻撃が大振りで単調な上、フェイント等も使って来ないので【見切り】で十分避け続けることが可能だが、それにも限界がある。幾ら手傷を負わせても瞬時に回復してしまうという堂々巡りに、例えようもない徒労感を覚え、セツナの精神的疲労は既に限界に近い。はっきり言って手詰まりの状態だった。
(こんなことで······)
セツナは、つい白夜に泣き言を言ってしまったことを恥じていた。
無理を言ってまで弟子入りをしたのは、自分に足りないものを見つける為だ。最初は予感程度のものでしかなかったが、行動を共にするようになって、その強さも然る事ながら、飛び抜けた洞察力や的確に物事を見極める目に、何時しか心服するまでになっていた。そして思ったのだ。この人に認められるようになりたい、と。
それなのにこの体たらくは何だ。これでは認めさせるどころか、足手まといではないか。己の不甲斐なさに悔しさが込み上げて来る。情けないとすらセツナは思う。だが白夜が予想した通り、セツナにこの場から逃げ出すという選択肢は欠片も無かった。これこそが自分に与えられた試練なのだとまで思い始めていた。今まで自分が乗り越えて来たと思っていたものが、如何に生温いものであったかを思い知ったのだ。
この試練を乗り越えなければ、あの人の弟子を名乗る資格は無い。それは勝手な思い込みだったが、それに依ってセツナは最後の気力を振り絞る。
ミノタウロスの攻撃を紙一重で避け続けるという緊張感の中、次第に研ぎ澄まされて行く神経で気を練り上げながら、乾坤一擲の機会を窺うセツナ。魔物とは言え、ちょこまかと逃げ回る相手に、ミノタウロスも苛立ちを見せ始めていた。焦った訳でもないのだろうが、業を煮やしたかのように斧を振り回し、セツナを仕留めに掛かって来る。
「はっ!」
大振りで隙が大きくなったのを見計らって、セツナは通路の壁を三角蹴りの要領で蹴上がり、振り終わりで崩れた体勢のミノタウロスの肩を蹴って更にその後方へと飛んで距離を離す。三間程離れた場所で振り返ったセツナは、踏み台にされたことで怒り狂うミノタウロスが体勢を立て直すよりも早く、技の構えを見せて練り上げた気を愛刀に注ぎ込んで行く。ミノタウロスがセツナを見定めて、猛りのままに斧を振り上げ、突進の雄叫びを上げた時にはもう、セツナは技の発動体勢に入っていた。
「ブモオォォォォッッ!」
ミノタウロスが途轍もない圧力を伴って押し寄せると、その瞬間を狙ってセツナも【縮地】でミノタウロスへと突っ込む。自らの【縮地】の勢いと相手の突進力さえも利用して、セツナは有りっ丈の気を込めた起死回生の一撃を放つ。
「剛覇の太刀・呀突!」
所謂片手平突きの構えから繰り出された技は、込められた気力を纏った切っ先をドリルのように錐揉みさせながら、爆発的なインパクトを産み出して激突する。ミノタウロスの分厚い胸板に文字通り風穴が空けられ、衝撃波が背中へと突き抜けて心臓諸とも肉片を撒き散らした。
膨大なエネルギー同士のぶつかり合いで、互いに勢いを相殺されて静止する。心臓を失い、仁王立ちしたまま動きを止めるミノタウロス。セツナも気力を使い果たして膝を突き、刀を支えにして息を荒げる。
「はぁっ、はぁっ」
【剛覇の太刀】は、本来侍にしか使えない奥義だ。当然ながら、刀剣士のセツナには使えるはずのないものだが、【剛覇の太刀・呀突】は以前祖父テッサイに見せられた【剛覇の太刀・月呀】を参考にセツナ自身で編み出したオリジナルなのだ。但し、刀剣士のセツナでは色々と無理が有る為に、今だ未完成の技だった。今回此処までの威力に至ったのは、互いの突進エネルギーが相乗効果として現れた結果に過ぎない。セツナ自身も、この結果に満足している訳ではなかった。
それでも、どうにか決着が着けられたと思ったセツナは、安心感からか完全に脱力して石の床にへたり込んだ。
しかし次の瞬間、セツナは信じられないものを見る。
「───!?」
視線の先、ミノタウロスが立ち尽くす足元の向こう側で、床に散乱した肉片がまるでスライムのように、うにうにと気色悪い動きで一ヶ所に集まって行く。軈てそれは再び心臓を形作り、ミノタウロスの胸板にぽっかりと空いた穴から伸びた触手が、元の位置へと取り込もうとしていた。
(そんなっ!?まだ終わってない!?)
驚愕に見開いたセツナの目には、再生された心臓がミノタウロスの胸部に収まっていくところがはっきりと映っていたが、胸の風穴が閉じて完全に元の状態に戻るまで、セツナは金縛りに遭ったように動くことが出来なかった。驚きに支配されていたというのもあるが、気力を使い果たしたことで立ち上がることさせ叶わぬ状態だったのだ。
再生が終わり、ミノタウロスが再始動するに至っても尚、セツナは動くことが出来ないでいた。そのセツナを見下ろして、牛の顔が人間のようにニヤリと笑ったような気がした。いや、そう感じただけかも知れないが、セツナはそれを見てゾッとする。動けない自分に振り下ろされる斧を想像して。為す術無く叩き斬られる未来に恐怖して。その幻影はしかし確実に、時を置かずして過たずに訪れる筈のものだった。
武家の子女という矜持からか、目前に迫った死という現実に、それでも精一杯毅然とした態度は崩さずに、セツナは覚悟を決めた表情を見せる。せめてもの抵抗で床に突き立てた刀の柄に手を掛けるも、それ以上何かをする余力は残されていなかった。
(これまでか······)
ミノタウロスが敢えてゆっくりと、右手に持った斧を振りかぶる様を、セツナは無念さを抱えながらも目を逸らすことなく見ていた。死に直面したセツナの胸に去来するのは、力が及ばなかった悔しさと、大事な時に御心を煩わせてしまった師匠に対する思いだった。
(申し訳ありません······お師匠様······)
まだ知り合って間もない短い付き合いながら、セツナは白夜がドライで冷淡な上辺とは別に、情に厚い面があることを見抜いていた。それは、ミリーの救出を買って出たことからも分かることだ。自分の事も、迷惑そうにしながらも完全には突き放せないでいたのだから。きっと、こうなってしまったことに責任を感じてしまうかも知れない。救えなかったと悔やまれるかも知れない。今更だが、自分の危機など伝えるべきではなかったのだ。セツナには、それが心残りだった。
そして正に今、命を断つ一振りが打ち下ろされようとしたその時。
「ブモォッッ!?」
斧を掲げたミノタウロスの右腕が、半ばから斬り飛ばされる。
「!?」
まさか、と目を見開くセツナ。今の太刀筋には見覚えがある。
飛ぶ斬撃、【烈覇の太刀・一閃】。しかも【気合い】で気力を増幅しての一撃だ。
もしかしてお師匠様が?と一瞬思ったセツナが振り返ると、そこには意外過ぎる人物が立っていた。
「迂闊ですな、お嬢。剣士たる者、己の気力は常に把握しておくものですぜ」
「サジさん!?」
カブラギ一刀流道場ユバ支部に於けるもう一人の師範代、サジだった。
この世界では武器スキルや奥義にも、ゲームには無いオリジナルが存在します。
技が完全に画一的なものなら、流派が存在する意味もありませんから。
侍の奥義【剛覇の太刀】も使い手によってバリエーションが有り、テッサイの月呀もその一つです。




