第30話 契約
『私と契約して···』
唐突なシルフィードの言葉に面食らう。
「いきなりだな。どういうことだ?」
『ずっと待ってた···いきなりじゃない···』
そう言うシルフィードは無表情のままなので今一つ分かり難いが、どうやら本気らしい。
精霊との契約は、確かにゲームにもあった。だがそれは、特定のクエストを受けた上で戦闘に勝利した後でのことだ。そもそも、精霊と契約出来るのは精霊術師だけのはずだ。今はメインはおろか、サブにもアンダーにも精霊術師は付けていない。現状で精霊と契約出来る訳はないのだが······。
とは言え、ゲームの仕様と同じとは限らないことは既に理解しているし、この世界の全ての法則を知っている訳でもないのだから、何とも言えないというのが正直なところだ。ここは素直に訊ねることにする。
「何故自分なんだ?自分は(今は)精霊術師ではないぞ。何か理由でもあるのか?」
『精霊術師かどうかは関係ない···精霊が認めて、その人が受け入れれば契約は成立する···』
卵が先か鶏が先かの話か?精霊術師だから契約出来る訳じゃなく、契約出来たから精霊術師になる、ってことなんだろうか?ゲームとは根本的に定義が違ってる気がするな。
そう言えば、精霊術師の契約精霊は全てグレー表示で使えなくなっていた。単に、この世界に来たことでリセットされているだけだと思っていたが。その定義だと、精霊術師というクラスの存在意義が無くなるような······。まあ、精霊を強化したり回復したりするスキルはあるから、全く意味が無い訳でもないか。
『精霊は強い魔力に惹かれる···それも、より純度の高い魔力に···あなたの魔力、とても強くて純粋···それに、暖かい···』
純粋な魔力って何だ?どうも良く理解らないな。表現が曖昧過ぎる。だが、強い魔力に惹かれるってのは理解る気がする。精霊の原動力が魔力だという設定が正しければ、契約者の魔力が高い程、精霊の事象干渉力が強まるということだろうからな。
『契約すれば、あなたの探し物もきっと見つかる···』
「!───何か知っているのか!?」
『此処には多くの人達が囚われている···檻の中では魔力が弱められていて、感じることしか出来なかった···でも、あなたと契約すれば、この建物全てに意識を飛ばすことが出来る···視ることが出来る···』
シルフィードの言葉に、思わず目を見張る。
予感はこれだったか。隠蔽の効果の所為かMAPが役に立たない現状で、シルフィードが眼となってくれるのであれば、こんな心強いことはない。精霊には善悪は無い故、騙すということは有り得ないはずだ。気紛れな為、悪意のない災害を振り撒くことはままあるが。多分もう、時間的な余裕は残されていない。此処は一も二も無く受け入れるべきだろう。後のことは後のことだ。
「分かった、契約する。どうすれば良い?」
迷うことなく了承するも、契約のやり方など全く分からない。ゲームでは戦闘勝利後、自動的に契約が成立していた。良く言えば効率的だが、その他にもあらゆる部分で簡略化が為されているのがゲームというものだ。進行上では表れない裏設定等も有るには有ったが、殆どのプレイヤーはそんな細かい部分まで気にしていない。その癖、ダメージ数値の計算やら経験値の時給換算やらには躍起になっていたのだから、ゲーマーと言うのは業が深いと言うべきか。自分はどちらかと言うと設定マニアだった為、それなりに裏事情を調べたりもしていたのだが、それでも精霊契約の詳しい設定は見なかった気がする。
『手を出して···掌をこう合わせるように···』
シルフィードが左手を差し出して掌を向けて来たので、此方も同じように掌を向けて右手を差し出す。互いの掌が触れるか触れないかというくらいまで近付いた時。
「!」
シルフィードが何かを呟いたと思ったら、掌と掌の間に魔法陣のようなものが瞬時に描かれて浮かび上がる。魔法陣は、回転しながらまだ触れてないはずの掌の間にバイパスを通し、二人を繋げる何かが構築されていく感覚をもたらす。それは風の精霊から伝わって来る、ある種の清涼感と呼べるものでもあり、また自分自身が持つ魔力の暖かさでもあった。
軈て、その感覚が全身にまで広がって行くと。
バチッっと魔法陣は弾けて、消えて無くなった。
自分と繋がったことで魔力の供給を受け、半透明だったシルフィードの身体が、血が通ったかのように顕在化する。契約が成立したということなのだろう。
「ほぉ······」
弾けた魔法陣に驚いて反射的に引っ込めた手を繁々と眺め、確かに繋がっていると理解る感覚に感嘆の声を漏らす。
(これが契約か。ゲームでは絶対理解らない感覚だな)
魔法を使う時に、魔力が満ちて漲って行く感覚は既に幾度も経験して来たが、自分の魔力が他者へと流れて行くというのは初めての体験であり、何とも不思議な感覚だった。尤も、魔力自体元の世界には無かったものだ。どちらにしても、完全に慣れている感覚とは言い難い。この身体そのものには最初から魔力が馴染んでいて、苦もなく扱うことが出来ていたが、それは戦闘技術と同様に元々インプットされていたものなんだろうと思う。まあ、これも今更か。
っと、今は感慨に耽っている場合じゃないな。
目の前のシルフィードは、風も無いのに緑の髪を棚引かせ、相変わらず無表情のまま佇んでいる。どうやら、此方の言葉を待っているようだ。と言っても、契約成立の口上を述べている暇はない。
「悪いが時間が無い。早速だが、囚われている人達の居場所を探ってもらえるか」
細かい説明は省き、単刀直入に訊く。経緯やら何やらは後回しだ。
「分かった···」
契約したことで直接話せるようになったのか、シルフィードはそう言って頷くと、目を閉じて意識を何処かへ飛ばし始めた。繋がっていることで周囲の空気の流れが見え、感覚が鋭くなって行くのが理解る。直接見えている訳ではないが、シルフィードが遺跡内を探って行く様が何となく感じ取れるようだった。
「居た···」
程なくして、あっさりと見つけたらしいシルフィードが目を閉じたまま呟く。
「本当か!?」
「でも、あなたの探している人が分からない···同調するから自分で視て···」
「何?───うぉっ!?」
いきなり頭の中に視界を送られて、驚きの声を上げてしまう。
何やら気持ちが悪い。唐突に現れた脳内映像に、情報を処理し切れないでいた。
「目を閉じて···」
ああ、そうか。目の前の光景と頭の中の映像、両方を一編に見ているから混乱するのか。シルフィードの言葉通り、目を閉じて頭の中の映像に意識を集中する。
すると、モザイクが掛かったかのような脳内映像が、はっきりと焦点が合って鮮明に見えるようになった。気持ち悪さも治まったようだ。
「ふう······、それにしても奇妙な感じだな」
まるでドローンからの映像を見ているような感覚だった。それが直接、頭の中に映し出されているのだ。自分自身が浮いているような、何とも言い難い奇妙な感覚だ。
「これがそうか······」
映し出されていたのは、幾つかの牢が連なる牢獄の様子。その鉄格子の内側には、囚われた人々が併せて十数人はいるだろうか。やはりと言うか、女子供ばかりだ。一様にして、皆絶望に項垂れている。
だが───。
「居ないな······」
牢獄に居る人達の中にミリーの姿はなかった。他にも牢があるのか、それとも既に連れ出されてしまったのか。若干の失望を感じつつも、気を取り直して再度シルフィードに訊ねる。
「他に人が捕まっている場所はないか?」
「待って···」
シルフィードがまた意識を飛ばすと、映像が次々と切り替わり、遺跡の奥へ奥へと進んで行く。
数々の映像の中にミリーの姿はなく、他に人が囚われているような牢も見当たらない。もう儀式が始まってしまったか?そんな焦燥感に駆られ始めたその時、最も奥まった場所の映像の中に、ついにその姿を発見した。
「!」
───居た!
金髪のお下げ髪で母のローラとは反対側にある泣き黒子。奴隷や狂信者達と同じ粗末な貫頭衣という姿だが、間違いなくミリーだった。他にも二人、生け贄と思われる娘が居て、恐怖に怯える蒼白な顔で三人が寄り添うようにしていた。
(よし、まだ無事でいたな)
ミリーの姿を確認出来て一先ずは安堵したが、今にも儀式が始まりそうで事態は切迫している。手遅れではなかったものの、安心していられる状況ではなさそうだ。
その場所は、此処までの中で最も広く、吹き抜けの高い天井に祭壇を備えた、正に儀式の為にあるような大きな部屋だった。十字架や神像の類いのものは無いが、教会の聖堂に似ている気がする。やっていることは神聖とは程遠い、おぞましいものだが。
部屋の中には他にも信者達が大勢居るようだったが、迎え撃って来た狂信者達とは少し違っていて、上等な白い生地のクロークを身に纏っていた。信者の中にもヒエラルキーがあるということなのだろう。更に祭壇の前には白い尖ったフードを被った怪しげな者達が左右に別れて並んでいる。
(どこの秘密結社だよ)
K○Kと見紛うような光景に軽い頭痛を覚えつつ、フードの者達の中心に位置する人物に注目する。
見るからに他の者とは一線を隔する金銀で装飾された華美な衣装を纏い、尖ってはいないがフードを目深に被って表情の窺い知れない人物。
「こいつが総主か?」
明らかに、この中では最上位の人間に見える。暗殺者の言っていた「あの方」とは、こいつのことだろうか?
まあ、そんなことはどうでも良い。今は一刻も早く、あの場所へ辿り着くことが先決だ。シルフィードの映像のおかげで、継ぎ接ぎながら大まかなMAPの概要は分かった。後は如何に最短距離で突き進むかだ。
取り敢えずは、この胸くその悪い研究所から出て、走りながら考えることにしよう。引き続きシルフィードには状況を視ていてもらい、祭壇の部屋に向かって急ぎつつ、ミヤビ達にLPで話し掛ける。
『ミヤビ、牢獄の場所が分かった。ミリーはそこに居ないが、囚われている人達は居る。隠し通路の場所を教えるから、解放しに行ってくれ』
『え?』
地下のミヤビに隠し通路の位置を伝えると、不思議に思ったのか疑問を口にして来る。
『どうしてそれが───』
『悪いが説明は後だ。兎に角頼む。───セツナ』
『はい?』
ミヤビを遮りセツナに言葉を向けると、まだ戦闘中のようで心なしか息が荒いようだ。あの程度の相手に不覚を取るとは思わないが、体力にも限りがある。退路の確保は必要だが、セツナが無理をする必要もない。そう伝えると。
『問題ありません。解放された人達の逃げ道を作っておきます。ご心配なさらずに』
『そうか······、だが無理はするなよ。此方はミリーの居場所を見つけた。今助けに向かっている』
『!───本当ですかっ!?』
セツナが喜色を露にした。良かった、と万感の思いを込めて呟いている。まだ助けた訳じゃないがな。
しかし、良く考えればミヤビのように、離れていて何故分かるのかと疑問に思うところなのだが、セツナは気にした様子がなかった。余程信頼されているのか、それともそこまで考えが及んでいないだけなのか。
『だが、儀式はもう始まる寸前だ。急いで向かっているところなんで、詳しい話は後でな。二人も、そっちに集中してくれ』
『分かりました』
『了解、ボス』
最後にセツナが呟くように言った。
『お師匠様』
『何だ?』
『······ミリーをよろしくお願いします』
『ああ、任せておけ』
安心出来るよう、敢えて自信満々に言い切る。半ば、自分自身にも言い聞かせるように。
とは言え、その道程は簡単ではなかった。通路が入り組んでいる為、全速力で走ることもままならず、その上祭壇の部屋に近付くにつれて、また信者達と遭遇することも多くなって来た。一々相手にせず、必要最低限だけでやり過ごしてはいるが、タイムロスは避けられない。距離はまだある。だが時間は······。
そして、現実は無情だった。
走る自分の後ろをついて来ていたシルフィードが、視ていた状況を伝えて来る。最悪の状況を。
「儀式が始まった···」




