第3話 平原の戦い
進行を再開して3時間程経った頃だろうか。
目覚めたのが早朝だったこともあって、視界端の時間表示はまだ正午を過ぎたところだった。(メニューの時間表示をコピペのように貼り付けておいたのだ)
但し、メニューの時間もカレンダーも元の世界のままなので、この世界では合っているかどうかは分からない。今のところは目安として、である。
「お?」
身体能力が上がっている所為か思いの外進行速度が速かったこともあって、予想外に早く隣接エリアが近付いて来ていた。その為、【広域探査】の範囲がエリアを跨いだことによって、MAPの空白部分が姿を現したのだ。
「クラナギ平原?平原なら人が通る街道とか在りそうだな。こいつは当たりだったか」
ユラブ大森林は東西に長く広大だったが、このクラナギ平原というのは南北に伸びて各地に繋がっているようだった。ひょっとしたら、交通の要所という感じで期待出来るかも知れない。
「まぁ、楽観が過ぎるかも知れんが」
少なくとも河や湖が在るようなので、街や村の一つや二つは在るだろう。
そうして若干足取りも軽く歩を進めていると、微かに何かが聞こえ、雰囲気や空気感といったものが変わってきたような気がしてきた。もうじき森を抜けエリアが変わる所為かとも思ったが、何やら様子がおかしい。
······おおぉ······うおぉ···ぉおおぅ······ぉぉ
「何だ?」
ドドッドドドッッド───ッッ
次第に怒号や悲鳴が聞こえ始め、剣撃や爆音、地響きといったものが響き渡って来る。
「戦闘か?いや───」
5人や10人どころの気配ではない。それこそ数百人規模の殺気や闘気といったもののぶつかり合いが、【気配察知】のスキルによって感じ取れる。
「戦争?まさかこんな所で······」
まだどんな所かも良く理解っていないのにこんな所もないもんだ、と自分自身に突っ込みを入れつつも、逸る気持ちを抑え切れずに駆け出す。
光が差し込む森林の出口まで凡そ500m程。移動速度が倍になる忍者のスキル【韋駄天】を発動させるが、唯でさえ身体能力が上がっている上に急加速を掛けたものだから、バランスを崩してつんのめりそうになる。
必死に体勢を立て直し、どうにか転ぶことなく駆け抜けて森を抜けたものの今度は止まるに止まれず、急制動を堪えきれずに結局転げ回る羽目になってしまった。
「いつつっ······流石にゲームじゃ慣性の法則なんてなかったからなぁ······」
ボヤキつつも周囲を油断なく警戒しながら素早く立ち上がる。
考えていたのは、モンスターの攻撃には蚊に刺された程も感じなかったのに、唯転んだだけの方が痛いのはどういう訳だ?という場違いなことだったが。
それも一瞬のことで、次の瞬間には【高速思考】スキルの影響で状況の把握へと頭を切り替えていた。
森を抜けた場所はちょっとした高台のようになっており、端に立って見下ろせば平原を一望出来そうだった。
念の為、姿勢を低くして慎重に切り立った場所まで移動し、恐る恐る向こう側を覗き込む。
「レギオン戦か?しかし、これは───」
眼下で繰り広げられている大規模戦闘には、見覚えがあるようでいてどこか違っているような、そんな印象を受けた。
レギオン戦とは人間側の領土に魔物の軍勢が攻め込み、その国の兵士や固有NPCが自由参加のプレイヤー達と共に迎え撃つという不定期イベントのようなものだ。手軽に経験値が稼げる為に普段は人気が高いのだが、真夜中等極端に参加プレイヤーが少ない時間帯では、魔物側に領土を獲られることも屡々ある。その場合、今度は奪還戦というのが発生したりする訳だが。
目の前の戦いも人間軍対魔物軍という構図は変わらないが、人間側の兵士は甲冑や刀等所謂東方装束で身を固め、所々に幟のようなものを持った兵士も見受けられる。魔物の方もゲームでは見たことのない鬼のような姿をした種族で、強いて言うならオーガに近いだろうか。
「羅刹族······それにナノワ皇国か。やはり初耳だな」
【広域探査】で見たところ、鬼のような種族は羅刹族と言うらしい。そして如何にも和風なナノワ皇国。
「なんか合戦ぽいな」
ふと、ゲームではちらほら名前だけは出て来ていた「東の国」という存在を思い浮かべる。
シナリオの登場人物には幾人かその出身キャラが出て来てはいるが、国そのものは謎に包まれており、その正式な名前も何処に在るかも語られていない。
「もしかして此処は東の国なのか?」
飽くまで想像に過ぎないが、もしそうだとしたら自分にとって全くの未体験ゾーンということになる。ここは何としてでも情報が欲しいところではあるが······。
「恩を売っておくべきか······な?」
打算を巡らせた結果、状況次第で戦闘に介入することも考え始めていた。
正直、出来れば関わり合いたくはないのだが。面倒事になるのは目に見えているし、現時点で目立つようなことはなるべく避けたい。最悪拘束されるような事態にもなりかねない。そうなったら無理矢理突破することも出来るだろうが、今後の行動に制約が掛かることは間違いないだろう。
とは言え、一先ず様子を見ることにした。
高台に居る為、戦場の全体像を俯瞰して見て取ることが出来る。地形的には此処から急斜面を下ったところに幅10m程の河が流れており、河原を挟んで見晴らしの良い平野部へと続く。地平線が見える程広大な平野の半ばには砦のような建造物が在り、皇国軍はそこから迎え撃つ形のようだった。
【広域探査】に因ると、皇国軍約2000に対し羅刹軍は3000程と数では羅刹側が勝るものの、総じて皇国側の方がレベルが高く、全体的には今のところ皇国側が押しているように見える。但し一部飛び抜けた存在の指揮官クラスに於いてはその限りではなく、寧ろ数以上の驚異となりうる。
何故ならばゲーム時の特性として、固有名を持つユニークモンスターはプレイヤーに比べてレベル以上の強さが設定されており、例えプレイヤー側が同レベルであっても、その討伐には多人数のPTが必要となる場合が多いのだ。
ゲームの仕様を無条件で鵜呑みにすることは既に出来ないが、それでも4体いる名前付きの羅刹は十分な驚異だろう。特にその内の1体は探査した中では最高レベルの75と、平均レベル40~50のこの戦場に於いては頭二つ抜きん出ている。対する皇国側で曲がりなりにもこれに見合うレベルなのは、隊長副隊長と思しき2名のみ。
現状で数に劣る皇国側が押しているのは、その4体がまだ動いていないからだった。何の思惑があってのことかは不明だが、後方に陣取って不気味な静けさを保っている。
「そう言えば、ゲームでもボスクラスは一定時間経ってから出て来るとかあったな。まさかそれに習ってとか······ンな訳ないか」
等と愚にもつかないことを考えている内に戦況が変わり始める。ボス格の1体を除く3体の幹部級がついに動いたからだ。その内1体は砦攻めに加わり、2体は両軍がぶつかり合う真っ只中に突っ込んで行った。
唯でさえ数の不利をレベル差で補っていたところに、そのレベル差を覆す相手が現れたのだ。皇国側は逆にジリジリと押され、次第に戦線を維持出来なくなりつつあった。
「そろそろヤバイか?」
様子を見る余りに手遅れになってしまっては本末転倒だ。折角介入して敵を退けても、何故もっと早く来なかったのか、と思われかねない。理不尽だと理解っていても、人間の心理などそんなものだということを良く知っていた。
「ん?」
腰を浮かし掛けたその時、今度は皇国側の指揮官らしき人物が矢面に立って羅刹兵を蹴散らし始める。鎧袖一触、正にそんな感じで。
「ほう、女将軍ってとこか?······強いな」
明らかに他とは一線を隔す強さのその人物は、鎧武者のような武骨なデザインながら女性的なフォルムも残した見事な装備で身を固めていた。隊長と言うより将軍と言った方がしっくりくるだろう。
そしてニンジャマスターというクラス。
思わず【鑑定】してしまったが、ゲームにはなかったクラスで、スキルや特性を見るとほぼ忍者と変わりなかった。おそらくだが、役職的なクラス名ではないかと思われる。
「クレハ・クラナギ······?」
この地の領主か何かなのだろうか?それにしては随分と若いが······。もしくは親族とか一族の者とかそんな感じなのかも知れない。
遠くを見通せる狩人のスキル【鷹の目】を使っていても、激しく動いている上に半首のような物で顔を覆っている為、その表情までははっきりしないが、燃えるような緋い髪が印象的な、きっと美人に違いない。(断言)
右手に脇差し程の長さの忍者刀、左手に苦無のような短刀を持ち、忍者特有の逆手に持った構えで二刀を縦横無尽に振るう。雑魚は寄せ付けず、幹部の1体を一人で引き付けて戦線の立て直しを図っている。
「おおぅ、格好良いな」
雄々しくもまた艶っぽいとすら思える身の熟しで、流れる舞踊ような動きが惚れ惚れする程絵になっていた。ゲームとは違うことを実感する瞬間でもあった。いくらハードやソフトが進化してリアルで滑らかなグラフィックになったとしても、所詮ゲームはプログラムされた動きであって、一芸を極めた人間の洗練された動きには敵わないだろう。
女将軍の奮闘する様を見て、このままイケるんじゃないか?と思わなくもなかったが、ボス鬼が動き出したらどうなるか分からない。と言うより───。
「無理だろうな······」
見たところ、女将軍と幹部鬼の実力はほぼ互角で伯仲している。レベルも同じ70だ。もう1体の幹部も数でどうにか抑えているが、このままだと崩れるのも時間の問題だろう。そこにボス鬼が加わったら、女将軍と言えど持ち堪えられまい。
「ヤバくなる前にに動くか───!?」
そう考えた矢先に、ボス鬼が動き出すのが目に映った。
「ちぃっ!遅かったかっ」
若干焦りつつも、念の為顔の隠れるフルフェイスのアーメットを被って、そのまま高台から身を投じた。急斜面を滑り降りるようにして駆け、河に入る直前で忍者の移動スキル【瞬動】で向こう岸まで短距離転移する。そこで【韋駄天】を発動させ、戦場まで真っしぐらに向かう。
走りながらこの後の戦闘を想定し、アンダークラスを司祭に変更する。装備も聖剣ブリュンヒルトはそのままに、左手には神盾アイギスを持つ。この盾も伝説級装備の一つだ。
「ちょっと間に合わないか······将軍様には頑張ってもらわないと」
【韋駄天】を使ってはいても、如何せん遠すぎた。【鷹の目】を使っていたことで逆に距離感を見誤っていたのだ。
「迂闊だったな······」
スキルにしろ何にしろ、使用感を養わなければ宝の持ち腐れになりかねない。この世界に来て半日しか経ってないのだから仕方ないと言えば仕方ないのだが、だからと言ってレベルに頼った行動をしていたら、何時か手痛いしっぺ返しに遭う日がきっと来る。何処に落とし穴があるか分からないのだ。
「まあ───反省は後だ」
視線の彼方でボス鬼が突っ込み、盛大に巻き上がる砂塵が見えた。
この戦いの最終局面の幕が上がったようだ。