第25話 白夜の実力
シンと静まり返る森の中。
白夜と暗殺者、対峙する二人の周囲には張り詰めた空気が漂い、余人が立ち入れない緊張感に支配されていた。
木々の騒めきすらも止まったかのような錯覚を覚え、セツナ達二人も固唾を飲んで遠目からそれを見守っている。実際、唾を飲み込む音を響かせたミヤビが、セツナに睨まれるといった一幕もあったが。
互いに動きを見せない二人だったが、その内情は違っていた。
相手の隙を見い出せず動くに動けないでいた暗殺者に対し、白夜の方は別のことを考えていたのだ。
(どうやって情報を引き出してやろうか)
正直、如何に暗殺者が手練れと言っても白夜の敵とはなり得ない。暗殺という手法は、不意打ち、騙し討ち、闇討ち等、相手の虚を突くことに特化している。こうして正面からの立ち合いでは、その真価の殆どが発揮されなくなってしまう。勿論、対等な力量であれば、それでも手強い相手であることに変わりはないのだが、この場合は相手が悪過ぎた。正々堂々の闘いならば、おそらく金剛鬼にも勝てはしないだろう。
白夜としても倒してしまうのは簡単だが、今のところ唯一の手掛かりを握る人物でもある。とは言え、まともに訊いたところで正直に答えるはずもない。さて、どうするかと頭を捻っていると。
先に動いたのは暗殺者のほうだった。
「フッ!」
ノーモーションから手首を翻し、投げナイフ、というよりはヒ首のようなものが投げ付けられる。白夜はそれを首を捻るだけで躱し、的を外されたヒ首はそのまま後方の木の幹に突き刺さる。と同時に、暗殺者は白夜に向かい【縮地】を使って距離を詰めて来た。
【縮地】は一見すると【瞬動】と同じような効果に見えるが、その性質は全く違う。短距離転移をする【瞬動】に対して、【縮地】は一歩の距離を飛躍的に延ばし、結果として瞬時に距離を詰めるものだ。従って、途中に障害物があれば当然ながらぶつかってしまう。逆にその性質を利用して突進に使用する場合もあるが、故に【瞬動】以上に運用の難しいスキルでもあるのだ。
暗殺者が白夜の眼前に現れ、ククリに似たナイフを心臓目掛けて突き出す。そのタイミングを計ったかのように、後方の幹に刺さっていたヒ首の柄から毒針が発射され、白夜の背後から襲い掛かる。脇差鉄砲のような仕掛けの施された暗器だったらしい。避けられることを前提としたトラップだった訳だ。
前後からの攻撃に曝された白夜は、しかし動じることなく冷静に状況を見切っていた。【危険察知】のスキルが、背後からの驚異を正確に教えてくれている。
白夜は腰の回転で素早く刀を抜き、正面のククリを受けると同時に、勢いそのまま後方に弧を描く鞘の先端が毒針を弾き飛ばす。受けた刀の方は刃先を滑らせて鍔の部分でククリを押し込み、次の攻撃を封じていた。
「ちっ」
目論みを外された暗殺者は即座にまた間合いを離し、その離れ際、腹いせ紛れに含み針を放つもあっさりとこれも躱される。
時間にしたら一瞬の出来事だったが、観戦者の二人にとっては信じられない光景だった。
「すごい······」
思わず、そう呟いていたのはミヤビだ。
羅刹族との戦いの時は直接見てはおらず、監視中魔物を倒すところは見ているものの、余りに簡単に倒していたので印象には残っていなかった。ここに来るまでの道中も、殆どセツナが露払いをしていたのだ。その為、こうして白夜の技量を目の当たりにしたのは初めてと言って良かった。因みに、監視を始めたのは白夜が採集に行った日からだったので、セツナとの立ち合いは見ていない。
(クレハ様達が入れ込むのも分かる気がする······)
不覚にも見惚れてしまったミヤビは、白夜に勇者の一端を垣間見た気がした。但し、性格はサギリと同種のドSなので、ミヤビ的には認めたくはないところだったが。
一方でセツナの方も、溜め息が出る程の思いを抱いていた。流石は自らが師匠と仰ぐ方だと思う反面、余りにも遠すぎて打ち拉がれてもいたのだ。祖父のテッサイとはまた別の意味で、遥か高みの存在に思えた。
立ち合いの時に周辺視野の指摘を受けて以来、意識して広い視野を心掛けるようにしてきたつもりだったが、今見せた白夜のそれは、視野云々のレベルのものではなかった。後ろに目でも付いていない限り、到底無理な芸当だった。どうすればあんなことが出来るのか。自分はあの境地に達することは出来るのか。セツナの心境は複雑だったのである。
実のところ白夜の場合、忍者のアクロバティックな動きを実現する為の【空間把握】というスキルがあるのだが、これにより自身の制空圏内にある物体の位置を正確に読み取ることが出来るのだ。背後の毒針を的確に撃ち落とせたのは、このスキルの賜物だった。セツナには知るよしもないことだが、複数のクラスのスキルを持たないこの世界の人間にとっては、ある意味反則級と言っても良いかも知れない。
「暗殺者らしい姑息な手だな。次はどんな手品を見せてくれるんだ?」
刀の峰を立てて肩に担ぎ、あからさまに挑発の言葉を投げ掛ける白夜。
「手品だと!?」
冷徹に見える暗殺者が、意外にも過敏に反応する。
「我が暗殺術は芸術、貴様それを愚弄するかっ」
暗殺者はマスクの奥でギリッと歯噛みし、射殺さんばかりの視線を白夜に向けて来る。
(芸術と来たか、こいつは自分の技に酔うタイプと見える。典型的独り善がりな快楽殺人者だな)
白夜は鼻で笑い、更に暗殺者を逆撫でする。
「はっ、芸術が聞いて呆れる。その芸術とやらで、今まで何人の無辜の人間をその手に掛けて来た?」
「くだらん質問だな」
今度は暗殺者の方が鼻で笑う。
「一々、殺した虫けらの数なぞ覚えていると思うか」
「虫けら······」
その言葉に白夜はピクリと反応するも、暗殺者のように感情を顕にすることはなかった。どうせ議論しても無駄なことだと思ったからだ。静かに怒りを湛えた瞳で暗殺者を見据える。
「もう一つ訊く。今日、この森で拐った娘をどうした?」
「·········知らんな。何のことだ」
暗殺者は当然ながら恍けるが、一瞬の間がその事実を物語っていた。白夜としても、この返答は想定内だったので特に気負うことなく話を続ける。
「ほう、だが母親の方はお前のことを覚えていたぞ?闇烏のジンとやら」
「何だと!?」
暗殺者が目を見開く。
「馬鹿なっ!あの時居なかった我を見ているはずが······!?」
そこまで口走った暗殺者は、鎌を掛けられたことに気付いたようだ。名前は、当然ながら【鑑定】した時の情報である。
「貴様、謀りおったな」
「語るに落ちるとはこのことだな。やはり、この先に連れて行かれたか」
この男がミリーの拐われた場に居なかったのは予想がついていた。先程見た手並みから、もしこの男が居たならローラが生きているはずがなかったからだ。決して討ち漏らすようなことはしなかっただろう。
「おのれ、小賢しいっ!」
暗殺者は左手に何やら筒のようなものを持ち、それを鋭く振り出すと、鎖に繋がれた鏃のような分銅が飛び出て白夜に襲い掛かる。棍平と呼ばれる分銅鎖の一種だが、通常よりも鎖部が長く、全長2mを越える特別製だった。同時に右手からは、微塵という鉄の輪に3本の短い分銅鎖が付いたボーラ似た投擲具が投げ付けられる。どちらも相手の武器や身体に巻き付いて動きを封じる暗器だ。
またしても二つの攻撃に曝された白夜だったが、全く動じることなく対応していた。
棍平の鎖は、敢えて刀に巻き付けさせて受け止め、微塵の方は瞬時に装備格納から取り出した脇差しを左手に持ち、中心の輪の部分を正確に打ち払ってバラバラにする。サブ忍者の【二刀流】スキルが、それを可能としていた。
刀に巻き付けた鎖は、更に巻き込むようにして引っ張り、歴然とした力の差から暗殺者の手から筒ごと奪い取ってしまう。
「くっ」
苦し紛れに目潰しの癇癪玉を投げ付けるも、白夜は刀の平でそっと軌道を逸らして、破裂させることなくやり過ごす。
「手品の種はもう終いか?」
「ぬぅ、おのれ······」
白夜が嘲笑うと、暗殺者は悔しげに歯噛みし、呪詛のような唸り声を上げる。まともにやりあえば勝ち目がないことを思い知らされた挙げ句、搦め手ですら一切通じなかったのだ。本来、多様な移動スキルによって縦横無尽に動き回り、相手を翻弄するのが暗殺者の闘い方なのだが、白夜の【空間把握】スキルが支配する制空圏(制極界とも言う)を肌で感じている為に、迂闊に動けないでいた。どう動いても撃ち落とされるイメージしか浮かばないのだ。
万策尽きたかに見える暗殺者だったが、白夜は此処に至っても油断してはいなかった。暗殺者にはまだ、最後の手段が残されていたからだ。
暗殺者は葛藤していた。
このまま侵入者の存在を許してしまうという失態を犯せば、どのみち組織の制裁が待っている。だがそんなことより、何よりも暗殺者としての矜持が許さなかった。こいつだけは生かしておけない、その想いは最早妄執と言っても良かった。
そして目を血走らせ、後が無くなった暗殺者が最後にとった行動は───。
「斯くなる上は······」
死を覚悟した瞳に狂気とも言える色を宿して、【縮地】で白夜へと突っ込んで行く。
体当たりも辞さない勢いで白夜の目の前に現れた暗殺者は、その狂気の笑みをマスクの下に張り付かせて。
「死なば諸······ぐっ!?」
「そう来ると思っていた」
白夜は後方に一歩飛び退きつつ、暗殺者が言い切る前に【威圧】を使いその動きを止める。と同時に、発動しようとしていた【自爆】のスキルをも不発に終わらせていた。今回、50%で使用した【威圧】は暗殺者の全身を麻痺させ、その機能を停止にまで至らしめた。100%で使わなかったのは、意識を刈り取ってしまう恐れがあったからだ。この男には、まだ訊きたいことがあった。
「き、貴様、何をした······!?」
「まだ喋れるとは流石だな」
金縛りに遭ったように立ち尽くしながらも、今だ意識を保って喋れていることに素直に感心する。そうなるように加減したとは言え、大した精神力だった。それが歪んだ狂気から来るものだとしても。
「さて、教えてもらおうか。この先には何がある?」
「ふ、ふん、知っていたとて言うわけなかろう。殺すなら、さっさと殺すがいい」
潔いとも言える暗殺者の言葉だったが、悪党の美学につき合ってやる義理もなかった。白夜は、人の悪い笑みを浮かべて皮肉たっぷりに言う。
「まあ、大体の想像はつく。差し詰め、蛇神教団の祭壇とでもいうところか」
「!?」
正解か否かは、暗殺者の驚愕に満ちた目が如実に表していた。
「貴様、何故それを······!?」
「何時までも隠し通せると思わないことだ。何者が関わっているかは知らんが、分かったからにはそんな巫山戯た組織、必ず叩き潰す。生け贄などと言う馬鹿な真似が二度と出来ないようにな」
白夜の静かな怒りの気に当てられて、思わず口を噤む暗殺者。だが、一転して乾いた笑い声を上げ始める。
「ふ、ふはははは······、やってみるがいい。貴様なぞが何をしようが、あのお方に届きはせぬ」
(あのお方······ね)
これ以上訊いたところで、この男は何も答えまい。自分の命すら武器にして、躊躇いなく自爆しようとするような奴だ。おそらく時間の無駄だろう。
刀を鞘に納め、念話でセツナ達を呼び寄せる。
「お師匠様」
駆け寄って来たセツナ達を暗殺者は動けぬまま一瞥するが、どうやら存在に気付いていたらしく、苦々しくしながらも黙ったままだった。二人も暗殺者が動けないことは聞かされていたが、それでも油断することなく用心しながら白夜の元へと集まる。
セツナはその暗殺者にチラッと視線を向けて、白夜に問い掛ける。
「この男、どうするのですか?」
セツナにとっては、ミリーを拐った憎むべき組織の一員だ。思うところがあるのだろう。
「殺す価値も無いな。このまま放置しても、どうせ魔物共が始末してくれるさ」
それは逆に残酷とも取れる言葉だったが、暗殺者は別の意味に取ったようだ。
「くっくく······甘い奴め······、何時か後悔させてやるぞ」
そう嘯く暗殺者の横を無言で通り過ぎる白夜。セツナはまだ納得のいかない表情で後に続き、ミヤビも本当にこのままで良いのか再度訊ねようとしたその時───。
「ガッッ!?」
白夜は擦れ違い様、納刀したままの鞘の先端で暗殺者の延髄の部分を鋭く突いていた。延髄にある呼吸ニューロンを破壊された暗殺者は、途端に呼吸困難に陥る。
「なん···で······」
「生かしておく理由はもっと無い」
白夜は冷たく言い放つ。
暗殺者は驚愕に目を見開き、声を出すことすら出来ずに口をパクパクさせて苦痛に喘ぐ。
「己を悔いながら死んで逝け」
態と希望を持たせた上で絶望に叩き落としたのだった。敢えて簡単に首を跳ねなかったのは、懺悔の時間を与える為でもあった。白夜も腹の中は、怒りで煮えくり返っていたのだ。
軈て窒息死に至り、全身を弛緩させて崩れ落ちる暗殺者。
「·········」
冷めた目でそれを見下ろす白夜だったが、初めて人を殺したという感傷は特に無かった。既に羅刹族という、魔物とは言え人間に近い生き物を斬っていた所為もあるが、やはりこの身体に備わる何かが作用しているような気がしてならない。とは言え、今はそれが有り難かった。
セツナ達も、その白夜を驚きの目で見ていた。
しかしそれは、畏怖といったものではない。確かに非情ではあるが、この危険に満ちた世界では、時に非情になり切れなければ生きていけないことを、彼女達も肌身に染みて知っている。彼女達とて、殺すべき時に躊躇ったりはしない。そういう意味では、この結果は納得のいく結末だったのだ。
「時間を掛け過ぎたな。急ぐぞ」
顔を上げた白夜は、もう暗殺者の亡骸を一顧だにすることなく、森の奥へと進み始める。暗殺者が死んだことで、辺りに掛かっていた認識阻害の効果は消えていた。どうやらスキルの類いのものだったようだ。
「「はい!」」
二人も、そんな白夜を頼もしく思いながらその後に続く。
セツナは元より、ミヤビの白夜を見る目にも、少しばかり変化が現れていた。勇者の信者がまた一人、増えた瞬間でもあった。
【認識阻害】というスキルはゲームには無かった為に主人公は知らなかったのですが、これと同様にゲームには無いスキルが他にもあって(レベル1000で追加されたもの以外で)、今後もそういったシーンが度々出てくることになると思います。尚、【自爆】はゲームにも有りましたが、HP1で生き残る設定になっていました。現実に使っていた場合は、ちゃんと死にます。その辺りの仕様の違いも、その都度説明するつもりです。
追記ですが、「姑息」の使い方が間違っているのは主人公が勘違いして覚えているだけで態とです。ちゃんと正しい意味は知っていますので、悪しからずw




