第24話 暗殺者
「ところで」
思った以上に大きい湖の上空を飛び続けていると、その半ばを過ぎた辺りでミヤビが声を掛けて来た。
因みに、フェリオスには周囲の空気の流れを操作する能力がある為、搭乗者は風圧や音の影響を受けることなく会話することが出来る。
「まだ何も聞いてませんけど、当てはあるんですかぁ?」
ミヤビはやや不貞腐れ気味にそう問い掛ける。
そこはセツナも気になっていたところだ。拐われたのが森の中と言っても、南の森は可成りの広さだ。当てもなく探し回ったところで、雲を掴むような話だろう。更に言えば、森の外に連れ出されている可能性だってある。確信もなく森に行くことは正しいのか、セツナには疑問だった。とは言え、白夜への信頼の方が勝っていたので、こうして黙ってついて来た訳だが。それでも不安は不安だ。
「───おかしいとは思わないか?」
唐突な白夜の言葉に、二人とも首を傾げる。セツナが思わず訊き返していた。
「何がですか?」
「南の森が広いと言っても、ユラブ大森林程じゃない。外周部の魔物の生息レベルから見て、いくら奥地に行ったとて、そこまで強力な魔物が居るようには思えない。Aランクの冒険者が居るにも拘わらず、あれ程の未開の地が残されているのはどう考えても不自然過ぎる」
そう言われてみればとセツナは首肯するが、どうして今まで疑問に思わなかったのか、その方が不思議だった。何処かもやもやしたものを感じながら、更に続ける白夜の話に耳を傾ける。
「お前も気付いていたはずだ。あの場所には認識を阻害する何かが掛かっていたことを」
「え?あの場所······?」
直ぐには白夜の言うことが理解出来なかったミヤビだが、少し考えてそれがあの時引き返した場所だと思い出す。
「あっ、あの時の······。そういえば、確かに······」
「あの辺りには、近付く者の方向感覚を狂わせ、あれ以上奥に立ち入れないようにする何かが張り巡らされていた」
尤も、自分には効果が無かったがな、と白夜は内心で付け加える。おそらくは限界まで上がった状態異常耐性のおかげだろう。精神に干渉する類いのものならば考えられる話だ。
「危うく見失いかけるところでしたよ、あの時は」
樹海や地下洞穴等、地軸の狂いや磁気の乱れと言ったことで方向感覚が狂わされることはままある。森にはある程度付き纏う話でもあるので、ミヤビも特別気にはしていなかったのだが、よもや人為的なものとは思ってもみなかった。
「でも、どうしてそれが人の仕業だと思うんです?」
「あそこには、お前以外にも監視者が居た」
「え?」
ミヤビが驚いて下から上を仰ぎ見る。どうやら、気付いていなかったようだ。ミヤビが迂闊なのか、それとも相手の力量の方が勝っていたのか、或いはその両方か。何れにしても、もし考課表があったら確実にまた減点だろう。お仕置きのネタが増えたなと思いつつ、次に発した白夜の言葉は二人に衝撃を与える。
「そいつは、鮮血の蛇の暗殺者だった」
「!?」
そう、件の暗殺者の称号には「鮮血の蛇構成員」というものもあったのだ。あの時はその意味までは分からなかったが、奇しくも「藪をつついて蛇」と言ったのは、それに掛けてのことだった。
白夜には分かっていたのだ。あの先には、何か良からぬものが隠されていることを。それがろくでもないものであることは、暗殺者の存在からも明らかだ。にも拘わらず、自分には関係のないことだとそれを放置してしまった。現在のこの事態を予測出来たはずもないが、それでも白夜は後悔の念に苛まれていた。もし自分があの時、何らかの行動を起こしていれば、ミリーが拐われることはなかったのではないか、と。無論、白夜にそんな責任はありはしないのだが、何処かでこれは自分の甘さが招いたことだという気持ちが拭い切れないでいたのも確かだった。自分とは無関係ではないと白夜が思ったのは、つまりはそういうことだ。故に、今回のことは何としてでも自分の手でケリを着けなければならなかった。否、気が済まなかったのだ。
「つまりあの先には、立ち入られては困る何かがあるということだろう。少なくとも、意図的に作られた空白地帯であることは確かだ」
それが鮮血の蛇にとってか、それとも蛇神教団にとってかは分からないが、時間的にも地理的にも、そこへミリーが連れ去られた可能性が高いと白夜は考えていた。他に手懸かりがない以上、無理を押してでも突入するしかない。如何なる障害も排して突き進む覚悟は、既に出来ている。暗殺者だろうと教団の信者だろうと、立ち塞がるのであれば打ち倒して行くのみだ。
白夜の考えに二人共異論は無いようで、思い思いに決意を固めた表情を見せる。ミヤビもここに来て覚悟を決めたようだ。それが現状を愁いてかお仕置きを恐れてかは分からないが、多分後者だろう。気合いの入ったセツナの表情に比べ、ミヤビのそれには何処か悲壮感が漂っていたのだから。
(死ぬのはやだなぁ······)
そう内心でボヤきつつも、それでもお仕置きよりはマシと思っている辺り、ミヤビも大概だったが。
軈て、対岸に森の姿が見えて来た。
岸辺には水場を求めて集まって来ていた魔物達の姿も見られたが、フェリオスが降りて行くと、ヒエラルキーが上位の飛竜に恐れを為して瞬く間に逃げ散って行く。
森を前にして地に降り立つ三人。此処からは徒歩で行かなければならないが、森の中では動きづらい飛竜には、一時的に元の世界に戻ってもらうことにした。ミリーを助け出した後、万が一の場合はミリーを乗せて強行突破という状況も考えてのことだ。今回ばかりは、フェリオスも素直に従って帰還してくれた。
「さて」
白夜は二人に向き直り、
「こいつを渡しておく」
と収納からアイテムを取り出して二人に渡す。
「これは?」
セツナ達が渡されたのは、片方だけのイヤリングのようなものだった。
「こいつはリンケージ・ピアスと言って、離れていても装備者全員の声が聞こえる通信用のアイテムだ」
「!?」
二人は驚愕に目を見開き、掌に乗せられたそれをまじまじと凝視する。
セツナ達が驚くのも無理はない。通信の魔道具は貴重品で、そうそう出回っているものではない。一部の富裕層や豪商を除けば、軍やギルドといったある程度大きな組織で配備されている他は、一般で見掛けることなどまずないのだ。それに、普通はもっと大きなもので、持ち運べるような代物ではなかったはずだ。これほど小さなものは、見たことも聞いたこともなかった。ピアスと言いつつ、どう見てもイヤリングなのはご愛敬だが。
実を言うと、これは通常の装備アイテムではない。LCというグループ形態に於いて、メンバー間の会話を可能にする為のコミュニケーションツールなのだ。所属出来るLCの数には制限がなかった為、白夜は複数のリンケージ・ピアスを持っていたのだが、此方の世界に来たことでその全てが初期化されてしまっていた。その一つで、新たに白夜をリーダーとしたLCを作り出したという訳だった。因みに、リーダーのリンケージ・ピアスからは、メンバーに配る為のピアスを無限に複製することが出来る。その仕様は、この世界でも変わりはないようだ。
「どちらでもいいから、耳に着けておけ」
白夜にそう言われて、二人共恐る恐るピアスを耳に着ける。
『聞こえるか?』
「!?」
直接頭の中に響く白夜の声に、二人は面食らう。
ゲームでは、LC内の会話は同じピアスを着けていない者には聞こえない。ということは、この世界ではそれは念話という形を取るのではないかと白夜は予想していたのだが、どうやら正解だったようだ。
『聞こえているようだな。こいつがあれば、声に出す必要はない。隠密行動には持ってこいだろう』
『あーあー、聞こえてる······んですよね?』
『ああ、こっちも聞こえてるぞ』
セツナは呆気に取られていた。こんな小さなもので通信が出来るだけならまだしも、それが念話等という想像を越える仕様だったのだから。それはミヤビも同様だった。
「······何者なんですか、一体?」
ミヤビは思わず声に出して訊いていた。
勇者だというのは分かっている。(本人は否定しているが)だが、伝説や言い伝えに聞く勇者像とは、余りにもかけ離れていた。勿論、伝承は飽くまで伝承だ。全てが真実とは限らず、また語られていない部分だってあるだろう。それでもミヤビは、目の前の人物に得体の知れなさを感じずにはいられなかった。
「さてな。そいつは自分も知りたい」
「え?」
自分が何者なのか、一番知りたがっているのは白夜自身かも知れなかった。誰が、何の為に、何故この姿で自分をこの世界に呼び入れたのか。その全てが謎のままなのだ。教えて欲しいのは寧ろ白夜の方だった。
「だが今は、そんなことはどうでもいい。目の前の問題を片付ける方が先だ」
白夜は、そう言って森の中を進み始める。
「あっ、待って下さい」
慌てて後を追うセツナ達。
慣れてない所為か結局普通に会話してしまっているが、必要に迫られたらで良いかと、白夜も殊更指摘したりはしなかった。セツナは元より、ミヤビもやや不満げながら黙ってついて来ていた。何で自分がと思う反面、これは間近で勇者を見極める良い機会ではないかと思い始めていたのだった。情報を得て、失態を取り返す良い機会だと。だからと言って失態が無かったことにはならないのだが、ミヤビはそこまで頭が回っていなかった。サギリがそんな甘い相手ではないことくらい分かっているだろうに。
途中に出現する魔物の類いは一蹴しつつ、駆け足で例の場所付近まで辿り着く。前回の時に念の為MAPにマーキングをしておいたので、迷うことなく来ることが出来た。
『待て』
白夜は念話で二人を止め、周囲の気配を窺いつつ【広域探査】で確認をする。
『確かに、変な感じがしますね』
『この感じ、こないだと同じですね』
二人共、認識を阻害する何かを感じ取ったようだ。目眩にも似た奇妙な感覚だった。もし白夜が先導していなければ、ここに辿り着く前に彷徨っていたに違いない。
『やはり居るな』
『鮮血の蛇の暗殺者ですか?』
『ああ』
まだ互いの【気配察知】の範囲外だが、【広域探査】には暗殺者の存在がはっきりと映し出されていた。此処に来るまで度々【広域探査】で確認していたが、カイルの反応も今のところなかったので、おそらく湖をショートカットしたことで此方が先行する形となったのだろう。ある意味好都合だった。
認識阻害の効かない白夜ならばやり過ごすことも可能だが、ここは後から来るカイルの為に後顧の憂いを断っておくことにした。何より、暗殺者などという存在を野放しにも出来なかった。
『お前達は此処に居ろ』
『お師匠様!?』
白夜は二人を待機させ、敢えて気配を殺さずに無造作に暗殺者の潜んでいる方向へと進んで行く。ゆっくりと、そして整然と。まるで散歩でもしているかのように自然体で歩いて行く様は、セツナから見ても無防備にしか思えなかった。二人が息を飲んでそれを見守っていると。
シュッッ
白夜の歩みがある地点を越えた辺りで、何か風を切るような音が聞こえた。
「!」
何処からともなく飛んできたナイフが白夜の後頭部に吸い込まれる───ように見えた。
セツナが悲鳴を上げかけた次の瞬間、投げ付けられたナイフは白夜の幻影をすり抜け、地面に突き刺さる。
「何だと!?」
白夜の幻影が煙のように消えると、木の上に潜んでいた暗殺者が驚きの声を上げる。
「問答無用とは穏やかじゃないな」
「!?」
暗殺者は直ぐ背後から聞こえて来た声に驚きつつも、振り返るような愚は冒さず、即座にその場から飛び降りたのは流石と言うべきか。その技量は、暗殺者とは言え一流と言ってもいいだろう。
地に降り立ち姿を見せた暗殺者は、黒尽くめでマスクをした如何にもな格好をしていた。その表情までは窺い知れないが、冷酷な瞳には動揺は見られない。油断もしていないようだ。
「貴様、何者だ?」
白夜も木上から降りて暗殺者の前に立つと、暗殺者は底冷えのする冷たい声で誰何して来る。
「それは此方の台詞、と言いたいところだが、その必要もないな」
「何を言っている?」
暗殺者は警戒しながらも、聞き返す。
「聞きたいのは、鮮血の蛇がこんなところで何をしているのかということだけだ」
「貴様!?」
正体を見破られたことで、暗殺者は初めて動揺を見せる。だが、直ぐに目を据わらせて殺気を飛ばして来た。
「何者かは知らんが、生かして帰す訳にはいかなくなった」
「最初から殺す気だった癖に、良く言う」
白夜が嘲笑うと、暗殺者は大ぶりのナイフを構えて戦闘体勢を取る。それを見て、白夜も刀の柄に手を掛けて身構えた。
こうして、白夜にとっては初めての対人戦の幕が切って落とされるのだった。
湖の大きさは外周250km程と琵琶湖よりやや小さめなくらいです。馬の速度が時速60~70km程として、丁度半周125kmを2時間程というところだと思います。長時間その速度を維持出来るのかという問題はありますが、この世界の馬は現実世界のものよりも体力があると思って下さいw




