第23話 正体
───とある館の一室。
燭台の炎が揺らめくだけの薄暗闇の中、その部屋の主は荘厳な造りの豪奢な椅子に身体を預けて、身動ぎひとつせずにいた。まるで彫像のようなその姿は、部屋の景色に完全に溶け込んでおり、もし何も知らない者がこの部屋に入ったとしても、直ぐには人が居るとは気付けなかっただろう。
永遠とも思える静寂の空間に、唐突に気配が現れる。物音一つ立てずに主の背後に現れたその気配は、姿を見せないまま恭しく口を開いた。
「大総主猊下」
男とも女ともつかぬ抑揚の無い声でそう呼び掛けられた部屋の主は、尚も沈黙を保ったまま片眉をピクリと動かしただけだった。無言の圧力が先を促すと、気配の者は緊張気味に言葉を続ける。
「······此度の儀式、どうやら若干の遅れが出ている模様です」
「分かっておる」
主のその一言に、気配は恐縮するかのような揺らぎを見せる。
臓腑に響く嗄れた声は、主が老人であることを示していた。重々しい独特の声音には、ある種の人間が持つカリスマとも言うべき響きがあった。
「皆まで言わずとも、この眼には映っておるわ。委細構わず、手筈通りに事を運べば良い」
「御意」
「じゃが───」
主は皺に埋もれた眼を見開き、何処か違う場所に飛ばしていた意識を引き戻して言う。
「思わぬ伏兵の姿も見えておるでな」
「伏兵······で御座いますか?」
気配の声にはやや戸惑いが見られたが、己の役目を全うすべく言葉を繋げる。
「如何なさいますか。御指示がありますれば、此方で処理致しますが」
「構わぬ。面白い相の持ち主じゃでな。好きにさせてみるのも一興じゃ」
主の声は何処か楽しげであったが、それを指摘するようなことはしなかった。
しかし、次の瞬間場の空気が一変する。
「但し」
主の瞳の奥に、殺気にも似た鋭い光が宿る。背後に居るにも拘わらず、気配の者の背筋に寒いものが走った。
「もし邪魔になるようであれば······、分かっておるな?」
有無を言わさぬ口調に自然と畏まり、見えずとも居住まいを正す気配の者。
「御意。猊下の御心のままに······」
仕える者としては是非もないことだ。主の深謀遠慮には余人が及ぶべくもないのだから。この上は、主の意に沿うよう取り計らうだけである。
軈て、話は終わりと言わんばかりに沈黙の帳が下りると、静かに速やかに気配は消え去り、再び部屋の中は主一人の空間となった。
「さて、吉と出るか凶と出るか、楽しみじゃて」
ポツリと漏らしたその呟きを聞く者は、既に誰もいなかった。
如何な千里眼と言えども全てを見通せる訳ではない。未来は不変ではなく、また一つとも限らないのだ。だからこそ興味深いのだがな、とは口には出さず、主は唯含みのある笑みを浮かべていたのだった。
ギルドを出た白夜達は馬上の人となり、ある場所に向かってひた走っていた。
白夜が行き先を告げずに走り出した為、セツナ達は困惑しつつもそれに従ってついて行っている。
「何処へ行くのですか?此方は門ではありませんよ?」
たまらずに馬上から問いかけるセツナ。時間が無いと言っているにも拘わらず、宿のある南へ向かっているようだったので、忘れ物でも取りに行くのだろうかとセツナは思ったのだが、どうもそういう雰囲気ではなさそうだ。
白夜はそれには答えず、黙ってついて来いとばかりに無言で馬を走らせている。セツナも察して口を噤む。ミヤビはミヤビで、ブツブツと愚痴を零しながら後に続いていたが。
宿を通り過ぎ、軈て辿り着いた場所は目の前に湖が広がる岸辺の一角だった。敢えて船着き場からは離れた場所を選んでいたので、周囲に人気は全く無い。
白夜がそこで馬から降りると、セツナ達もそれに倣って地に降り立つ。相変わらずミヤビは、ブツブツと何かを言っているが、白夜は素敵にスルーする。
「こんな所に来てどうするのですか。───まさか、船で湖を渡る気ですか?」
半ば予想していたセツナは、もしかしてと思っていたことを口にする。とは言っても、態々船の無いこんな場所に来た意味が理解らなかった。
「渡るにしても、船が無いじゃないですか」
「少し違うな」
「え?」
「渡るんじゃない。越えて行くんだ」
そう言うと白夜は、ポンポンとフェリオスの首筋を叩き、小さく「頼む」と呟いた。
「ブルル?」
フェリオスはいいの?と聞き返すが、今は緊急事態だ。何時ぞやのように召喚し直すことも考えたが、この期に及んで取り繕っている余裕はない。少しでも時間が惜しかった。
「構わない」
と答えると、フェリオスは分かったと一鳴きして、何時ものように輝き始めた。
「なっ、何!?」
「ちょっ、何なの一体!?」
突然目映い光を放ち始めたフェリオスに、驚きの声を上げるセツナ達。何も知らないセツナは元より、飛竜の存在を知っていて、ある程度は展開を予想していたミヤビでも、この成り行きにはついて行けないでいた。一応、武に連なる二人なだけに、光から顔を庇いながらも、腰のものに手を掛けて身構えていたのは流石と言うべきか。
軈て光が収まり、眩しさに目を背けていた二人が飛竜となったフェリオスを目の当たりにして驚愕することとなる。セツナ達が乗っていた馬も、驚いて何処かに走り去ってしまっていたが、今はそんなことを気にしている余裕はなかった。
「クアァ───ッッ!」
フェリオスが歓喜の声を上げる。やはり、こうして本来の姿に戻ることは嬉しいようだ。
「嘘·········」
そう呟いたのはどちらだったか。
呆然として白き飛竜を見つめていたセツナが我に返り、どうにか目の前の事態を認識するに至ってまず気になったのは、変身したことよりも飛竜そのものであった。
「飛竜······白い飛竜······、え?白い飛竜って、まさか······」
セツナはぐりんと、首が折れるんじゃないかという程の勢いで白夜の方に顔を向け、目を見開く。
「お師匠様が白の勇者様!?」
突っ込みどころ満載のその言葉に顔を顰める白夜。師匠も勇者も、白夜にとっては不本意極まりない呼ばれ方だ。何よりも「白の勇者」の存在が、既にここまで知れ渡っていたことに驚きを隠せない。正しく、頭の痛い思いだった。
「その呼び方はよせ。クレハ達を助けたのは事実だが、偶々だ。別に勇者なんかじゃない」
少なくともあの時はな、と心の中で付け加える。
「勇者」のクラスの扱いは今後の課題ではあるが、今は関係ないので頭の奥に追いやって話を続ける。
「言っておくが、こいつはオフレコだからな」
「おふれこ?」
セツナが首を傾げ、不思議そうな顔をする。
(って、オフレコなんて理解る訳ないか)
【自動翻訳】でも該当する言葉が無く、変換出来なかったらしい。どうも緊急事態に際して、色々と箍が外れているようだ。自嘲気味に苦笑いを浮かべる白夜。
「あー、要は内緒ってことだ。こんなことがバレたら騒ぎになるのは目に見えているからな。この街にも居づらくなる」
そう思ったからクレハ達からも逃げた訳だが、結局は居場所がバレて監視までされているのだから、今更と言えば今更なのだが。とは言え、これ以上知れ渡れば、身動きが取れなくなる恐れがある。自由の代償、そんな大袈裟なものではないが、ある程度の許容は覚悟する必要がありそうだ。例えば───。
「内緒、ですか······」
勇者の噂はセツナも知ってはいたが、まさか目の前の人物がそうだとは思ってもみなかったので驚きが先に来てしまっていた。だが、聞いてしまえば納得出来る節も多々あったので、寧ろ自分の目に狂いがなかったことに誇らしく思う気持ちもあった。
セツナは少し考える仕草をして、それから顔を上げ、気の所為かこれまで以上に熱の籠った視線を白夜に向ける。
「はい、誰にも言いません。言いませんけど、心配ですよね?何時、口を滑らせるか分かりませんから。やっぱり側に置いておく方が良いと思いませんか、お師匠様?」
そう言って態とらしく、上目使いでしたり顔をするセツナ。
沈黙の代償として、このどさくさで弟子となることを認めさせようというのだ。顔に似合わず強かと言うか、実に良い根性をしている。
「はぁ、もう勝手にしろ」
白夜は諦めの溜め息と共に、投げやりに答える。今はそんな議論で時間を浪費している暇はないのだ。それに緊急事態とは言え、こうして正体を明かしたのは、それなりにセツナに気を許し始めていたからでもあった。
ゲームではソロ志向だったものの、MMORPGだけに多人数でなければクリア出来ないことも多く、そう言った意味では仲間の大切さも身に染みて知っている。この世界でもそれは同じで、いくらチートな能力があろうと一人で出来ることには限界があることは十分理解っていた。白夜もそこまで自惚れてはいなかった。右も左も分からない世界で一人で生きて行けると思い切れる程にアウトローな性格ではないのだ。白夜自身には自覚がないが、潜在的に信頼のおける仲間を欲していたのかも知れない。形としては些かどころではなく不本意ではあるが。
「ついて来るのは構わんが、殊更教えたりはしないからな」
「そこは勝手に学ばさせて頂きますので、お気遣いなさらずに」
内心でガッツポーズを取り、してやったりの笑みを浮かべるセツナ。
これから命のやり取りをするかも知れないというのに気負った様子もなく、思った以上に肝が太いようだ。だが、ミリーの命が掛かっていることを思い出し、直ぐに表情を引き締めて気持ちを切り替えていた。
「さあ、ミリーちゃんを助けに行きましょう!」
「あ、ああ」
逆にセツナの気合いに当てられてしまった白夜だが、気を取り直してミヤビの方に矛先を向ける。
「そっちもいいな?」
この時ミヤビはと言うと、何やら呟きながら一人懊悩していた。
「それじゃ、あの時召喚し直したのは、分かっていて態と······」
監視されていることを承知の上で、変身を誤魔化す為に小細工をしていたことに気付いたのだろう。監視を悟られたというだけでも密偵としては大失態だというのに、剰え騙されていたのだから、ミヤビのショックは如何許りか。ミヤビにとって重要なのは、密偵の任を全う出来なかったことにある。こんな失態の上塗りが上司に知れたら、間違いなく確実に恐怖のお仕置きコースだ。それだけは、何としてでも回避したかった。
その様子を見て察した白夜が、意地悪く口角を上げて提案する。
「ここは黙っていた方がお互いの為だと思うが、どうだ?」
「うぅ、了解ですぅ······」
某田舎の大将のような涙目で不承不承頷くミヤビ。
話がまとまったところで白夜はフェリオスの背に飛び乗り、手を差し伸べてセツナを上に引き上げる。
ここで礑と気付く。フェリオスの背には鞍が着けられているのだが、元々一人乗り用の物だった為、精々乗れても二人が良いところだった。鞍の無い部分に無理矢理乗ることも出来るが、それではバランスを崩す恐れがある。そこで採った苦肉の策は───。
「よし、頼むぞフェリオス!」
「クァァ───ァッ!」
掛け声と共に飛び立つフェリオス。
力強い羽ばたきは湖の水面に漣を作り、そのまま上空へと駆け上がる。この時、偶々通り掛かった漁師の一人がその光景を遠目に見ていた為にちょっとした騒ぎになるのだが、それはまた別の話。
「あのぅ······」
湖の上空100m程のところで水平飛行に移行し、南の森に向けて進み始めると、下の方からミヤビの声が聞こえて来る。
「この扱いはあんまりだと思うんですけどぉ······」
そんな情けない声を上げたミヤビは、フェリオスの足に襟首を掴まれてぶら下がっている状態だった。とは言っても、絶妙の力加減で肩甲骨を含めた部分を掴んでいるので、然程苦しくはなかったのだが。それでも不本意な状態なのは間違いなく、ミヤビはぶちぶちと不平を鳴らしている。
「文句を言うな。余り暴れると湖に落とすぞ」
「ひぃっ」
ミヤビは悲鳴を上げてフェリオスの足にしがみついた。冗談だと分かっていても、何も出来ない現状では恐怖を感じざるを得ない。ミヤビを黙らせて、白夜は森の方へと視線を向ける。
(さて、鬼が出るか蛇が出るか)
ここまで推測に推測を重ねて来ているのだ。どう転ぶかは全く分からない。迅速に状況を見極めて臨機応変に動く必要があるだろう。何よりミリーの命が掛かっているのだ。いや、拐われたのがミリー一人とは限らない。場合によってはミリー以外の救助も考慮に入れておかなければならないかも知れなかった。その為に、自分一人では手が回らない場合も考えて、セツナ達の同行を許したのだ。
遠目に映る森の上空は、何処と無く暗雲が立ち込めている感じがしていた。それは白夜の気の所為ではあるのだが、セツナの不安げな表情を見ると気の所為ばかりではなく、何かを暗示しているようにも思えた。
白夜は不安を振り払うように気を吐いた。
「急ぐぞ!」
「はい!」
セツナもそれに応える。
「クァァァッ!」
フェリオスが任せろとばかりにスピードを上げる。真っしぐらに、南の森に向かって。
そんな中、ミヤビ一人がげんなりしていたのだった。
「勘弁して······」
残念ながら、その声は白夜には届かなかったようだ。
主人公と大総主の言い回しが似ているのは、対比として態とです。気になる方もいらっしゃるかも知れませんので念の為。まあ、特に意味はないのですけどね。(笑)
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