第19話 始まりは日常から
「今度こそ知らない天井だ······」
宿で一夜を過ごし、翌朝目覚めた時の第一声がそれだった。
正直、今更どうかとも思うのだが、言っておかなければならない気がしたのだ。まあ、様式美というやつだ。(笑)
早朝の澄んだ空気は、若干肌寒く感じる。今は長月(九月)の終わり頃で、秋口とも言える季節だった。時期的には元の世界とも然程ズレがなく、暦もほぼ一緒で、1ヶ月が30日で1年12ヶ月の360日とのことだ。但し、睦月や如月といった旧暦の呼び方のようだが。気候も日本に近く四季がちゃんとあるが、温暖化の進んだ現代のような厳しい残暑等もなく、きっちり秋へと移行していた。
寝ぼけ眼を擦りながら布団の上で身体を起こし、大きく伸びをする。
「ん~~~」
運動不足気味だった元の身体とは違い、猫科らしいしなやかな若い身体は、少し動かしただけで直ぐに覚醒した。太ってはいなかったものの、色々と緩みがちであちこちガタが来始めていただけに、この身体の有り難みは身に染みている。女であることを除けば、だが。
「よし、目が覚めた」
毎日寝覚めが良いのも、地味に嬉しい。仕事で朝早いのが辛かったからな。
寝巻きとして着ていたスリップかネグリジェのようなものを脱ぎ、買った中から比較的大人しめの下着を身に付けて、昨日と同じ装備に着替える。そして洗顔ついでに温泉へと向かう。昨夜はセツナの所為で中途半端に終わってしまったので、入り直そうと思ったのだ。
時間はまだ6時前。1日が24時間なのは変わらないが、時計の普及していないこの国では不定時法が使われており、それで言うと卯の刻、所謂明け六つという時刻だ。街の人々は、時の魔道具が打つ鐘の音で時間を知るらしいのだが、そんなものがあるなら定時法でも良さそうに思うが、和時計でも使ってるんだろうか?他の国がどうなっているのか、気になるところだ。
流石にこの時間では温泉に入るような者もおらず、貸し切り状態の朝風呂を堪能して出た後、食堂へ行く。
まだ少し早いかとも思ったが、既に女将が食堂の準備を始めていた。
「あら白夜さん、おはようございます。お早いですね」
「おはよう。早く目が覚めてしまってね。一っ風呂浴びて来たところだ」
「まあ、そうでしたか」
女将が柔らかい笑みを浮かべる。
二、三会話した後、早めの朝食を頼んで摂ると、厩舎でフェリオスと合流してギルドへ向かうことにした。
厩舎の掃除をしていたコハルに因ると、セツナは平日朝稽古が日課らしく、師範代が出ない訳にはいかないのだそうだ。懸念の一つだっただけに、朝から押し掛けられずに済むのは有り難い。
何故コハルがそんなことを知っているのかというと、年が近いこともあって普段からセツナとは仲が良く、カイルのところの娘と三人で良く遊びに行ったりするのだと言う。セツナの普通の娘らしい一面を知って、少し意外に思った。
ギルドに着くと、そこは早朝にも拘わらず、それなりに多くの人で賑わっていた。この世界の人々は、どうやら朝が早いらしい。目ぼしい依頼を先に確保しようという魂胆もあるのだろう。
自分としても金を稼ぐ必要は全くないのだが、ある程度はランクを上げておきたいということと、やはり怠惰に過ごしていたら際限なく自堕落になってしまいかねないという考えから、少しずつでも依頼を熟していこうと思ったのだ。せめて日銭くらいは稼いで宿に帰り、その日の疲れを癒す。それでこそ、気持ち良く温泉を味わえるというものだろう。
忙しそうなカウンターの方を一瞥し、依頼ボードを見に行く。依頼票はまだ数多く残っていたが、所々剥がされた部分があるのは争奪戦が繰り広げられた跡か。まあ、Gランクの自分には余り関係ないだろう。元々選択の余地がそれ程ないのだから。
G、Fランクで受けられるのは、街の雑用のような依頼を除けば、ゴブリン等低レベルの魔物の常時討伐依頼か、薬草等の常時採集依頼くらいしかない。
「やはりここは基本に則って、採集依頼から始めるか」
今更と思うなかれ。こういう地道な積み重ねが大事なのだ。別に派手なことをして目立ちたい訳ではないのだからな。叶わぬ願いと知りながらも、出来ればひっそりと生きたいのだ。それこそ今更だが。
ちらりとカウンターの方に目を向けると、まだ何処も混み合っていて時間が掛かりそうな雰囲気だった。
(常時依頼なら、今受ける必要もないか)
幸い、目的の薬草類はゲームでも見たことのあるものばかりで、合成素材のライブラリにもデータが残されていた。説明を聞く必要も無さそうだ。
念の為、依頼票の内容をメモ機能にコピーし、そのままギルドから出る。その時、人の隙間からアリシアが見え、一瞬目が合うと何か言いたげのようだったが、取り込み中だったので敢えて目礼だけで済ませた。
街の外に出るべく、フェリオスと共に門へと移動する。その途中、朝からやっている露店で昼食になりそうなものを買い込んでおく。フェリオスが物欲しそうにしていたので、つい余分に買い込むことになってしまったが。まあ、収納には状態保持の機能があるから、幾ら買っても無駄にはならない。機会を見て買い貯めしておくのも良いかも知れないな。
門まで来ると、そこにはカイルはおらず別の人間が門番をしていた。まあ、何時も居るわけではないかと思いつつ、その門番にギルド証を見せて外に出ようとすると。
「あ───っ!白夜、ちょっと待ってくれっ」
詰め所の中から叫び声を上げながらカイルが出て来て、此方に駆け寄って来た。
「どうしたカイル、そんなに慌てて」
「ああ、いや、お前を待ってたんだ」
「待ってた?何故だ?」
カイルの言葉に首を傾げる。
それに答える前に、カイルは後は自分がやると言って門番の男を下がらせた。そして二人になったところで、カイルが口を開く。
「まずはこれを渡しておくよ」
そう言って銀貨を4枚渡して来た。
一瞬考え、そう言えばギルド証を手に入れて来れば返すと言っていたなと思い出す。礼を言ってそれを受け取るが。
「態々、これの為に待っていたのか?」
「まあ、それもあるんだがな。実は別に頼みがあってな······」
「頼み?」
カイルはバツが悪そうに頭を掻いている。
昨日会ったばかりのカイルから頼まれることなど、正直想像もつかないが。何やらセツナと同じパターンで、良い予感がしない。この世界に来てから、極端な巻き込まれ体質になってやしないか?内心でそう嘆いていると。
「その、何だ、今晩暇か?」
「今晩?まあ、依頼を終えたら宿に帰るだけだからな。暇と言えば暇だが」
言葉面だけ見ると安っぽい誘い文句のようだが、そういうつもりではないことは分かっているので、素直に答えた。
「そっ、そうか。なら家に来てくれないか?」
「え」
言ってる意味が良く理解らず、思わず聞き返していた。
「家ってカイルの家にか?藪から棒に、どういうことだ?」
「あー、それがな、昨日帰ってからお前のことを話したんだが、女房の奴が何か誤解しちまってな」
「はぁ!?」
何だそりゃ。何をどう誤解すると言うんだ?益々もって訳が理解らん。
「お前、一体どんな話をしたんだ?」
「いやまぁ、気になる奴が来たと言っただけなんだがな。中々面白そうな奴だと」
「面白そう、ね······。女だってことも言ったんだろう?」
「ああ、勿論」
それを聞いて盛大に溜め息を漏らす。
「はぁ······、それはお前の言い方が悪い」
「そっ、そうか?とても女とは思えないとも言ったんだがな」
「それはそれで失礼だと思うぞ」
少し睨んでやると、カイルはやや狼狽えた様子で「す、すまん」と謝ってきた。その姿に取り敢えずは溜飲を下げ、許してやることにした。
「まあいい。で、お前の家に行って弁解でもして欲しいのか?」
「あ、いや、実際にお前を見てもらえば解ると言ったら、なら夕食に招待しましょうって女房が言い出してな」
「はぁ、成る程な。そういうことか」
カイルからそういった目で見られてないことは明らかだし、当然此方にも全くこれっぽっちも有りはしない。元より、男にそんな感情を持つはずがないのだ。女の身体になったからといって、男が性欲の対象になっていなかったのは幸いだった。もしそうなっていたらと想像するとゾッとする。かと言って、百合もどうかとは思うが。
どういう訳かこのキャラクター、ゲームでも特定の女性プレイヤーに懐かれる傾向にあった。実際に中身が女性かは分からないだろうと思うかも知れないが、リアフレだったりメール交換をしていたりと素性がはっきりしている相手もそれなりにいるのだ。まあ、そんなことはどうでもいいが、この世界でもそういった傾向が続いているような気がする。クレハ達といい、セツナといい、殆ど会ったばかりの自分に何故あそこまで気を許せるのか、不思議と言うしかない。───っと、大分話が逸れたな。【高速思考】があると、つい考え過ぎてしまう。
閑話休題。確かに見てもらうのが一番話が早いか。こんなことで家庭崩壊でもされたら寝覚めが悪い。
「分かったよ。夕方、此処に来ればいいのか?」
「来てくれるのか!?」
「ああ。その代わり、美味い酒でも飲ませてくれよ」
冗談めかしてそう言うと、カイルはあからさまにホッとした表情で答える。
「任せておけ。とっておきのを出してやる」
その言葉に、少し楽しみになってきた。我ながら現金なものだ。
「それじゃあ、酉三つ刻くらいに来てくれるか。その時間に交代になるんで、家まで案内するよ」
酉三つと言うと、確か18時頃か。
「分かった。それまでには戻って来るよ」
「すまんな、急にこんなことを頼んで」
「いいさ、これも何かの縁だろう」
では、また後でな、とフェリオスに乗ってその場を後にし、門から街の外に出る。
行き先は湖の南にある、その名もまんま南の森だ。カイルに聞いた話では、湖を迂回して行く為に、馬でも2時間程掛かるのだと言う。
(随分と不便な場所に在るんだな)
採集も討伐も、大方の依頼は南の森で熟せる為、そう思うのも無理はないが、逆に言うと湖が森の魔物からの防波堤となるような位置取りで街が作られているのだ。船で湖を渡るという方法も有るには有るが、森側の沿岸にはまた魔物が棲みついているらしく、危険なのだと言う。漁師も街側の安全な場所でしか漁をしないのだそうだ。おそらく、湖を渡る目的では船を出してくれる者などいないだろう。ここは素直に、馬で行くしかないということだ。
「夕方まではたっぷり時間があるんだ。のんびり行くとしようか」
フェリオスの首を撫でながらそう言うと、一声上げて返事をしたフェリオスが軽やかな足取りで街道を西へ進んで行く。
街の向こう側から上がる朝日を浴びながら思う。
(今日も色々と起こりそうだ)
それは予感というより確信に近かったが。最早そういう星の下にあるのだという、諦めにも似た心境だった。
今年、読んでくださった方々には感謝致します。
皆様、良いお年を。