第11話 姿絵
コン、コンコン。
ノックが1回、そして2回。
「サギリか、入れ」
取り決められたノックの回数によって相手を認識したクレハが入室を促す。
「失礼致します」
サギリが入室すると、クレハは書類の山と格闘している真っ最中だった。
此処はカガチ城塞内に在るクレハの執務室。クレハは今、先の戦闘に於ける被害状況や補給の要請等、中央に送る報告書の作成に多忙を極めていた。こんな辺境の城塞では事務処理能力に優れた人材にも乏しく、殆どクレハが一人で処理しなければならなかった。実務では有能なサギリも、実は事務仕事だけは苦手であった。
「で、首尾はどうだ?」
書類から顔を上げて、クレハが訊く。
「はっ、ミソノ村でそれらしき人物の目撃情報がありました」
「おお、そうか。やはり南に向かったのだな」
「但、その者は飛竜ではなく馬に乗っていたらしいのです」
「馬か······」
クレハは少し考えて。
「いや、複数の騎乗モンスターを持っていたとしても不思議はなかろう。その者の出で立ちはどうだったのだ?」
「村人によりますと、金の髪で立派な鎧を身に着けたミセリアの騎士だったそうです」
「ふむ、勇者殿で間違いなさそうだな。──まて、金の髪だと?兜を外しておられたのか?」
「そのようですね。村人達を刺激しないように配慮されていたようです」
クレハは思わず立ち上がり、身を乗り出していた。
「して、どのような顔をしておられたのだっ!?」
その勢いに、若干引き気味になるサギリ。
「た、対応した村長の話では、思いの外若く、年の頃は17、8、なれど年齢らしからぬ落ち着きと風格を持った涼しげな美女だったと。どこぞの貴族か王族ではないか、とも思ったそうです」
「そのように若いとは。それに王族と見紛う程の気品を兼ね備えた美女か······一度、御目に掛かりたいものだ」
「実は、手の者に命じて姿絵を作らせております」
「何っ!まことかっ、見せよ!」
益々、身を乗り出したクレハ。
サギリは懐から丸めた羊皮紙を取り出し、クレハに渡す。
「これに」
「うむ」
クレハは引ったくるようにそれを受け取り、結んでいた紐を解くのももどかしく、急いで開き見る。
「おお、これは······確かに美しい」
短く切り揃えられた黄金の髪(御丁寧に色付けまでされていた)に突き出した猫耳、すっきりと整った目鼻立ちは幼さを残しながらも怜悧な印象をも与える。その容貌に、クレハは暫し見入っていた。女色の気など無かったはずなのに、何故だか目が離せない。これが魅入られるということなのだろうか。
(これではラナ殿のことは言えないな)
内心苦笑しつつも、食い入るように姿絵を見つめる。
「クレハ様?」
サギリに声を掛けられて我に返り、誤魔化すように咳払いをする。
「んんっ、それで、他には?」
「それが、どうやら食料を買い込みに村に立ち寄られたらしいのですが······」
「ですが何だ?」
「その量が尋常ではなかったそうです。───米5俵、麦8袋、野菜その他100人分以上、それと水の入った樽3つに塩胡椒を少々、それらを金貨で買っていかれたと」
「何?」
それ程の量をどうやって、とクレハが思っていると。
「アイテムパック持ちらしい、とのことです」
「ほう」
「滅多に見掛けませんので村人達は知らなかったようですが、村長だけは知っていたらしく、そのように言っています」
アイテムパックとは、異空間に時空魔法で固定したエリアを作り出し、これに魔道具技術によってパッケージ加工を施した収納用のマジックアイテムのことだ。アイテムパックの名前は、このパッケージ加工に由来する。主に指輪や腕輪に加工されることが多く、その容量によって価値は様々だが、時空魔法を使える魔道具職人が極めて少ない為に、最小の物でも金貨100枚は下らないと言う。並みの稼ぎでは持つことの適わない、超高額アイテムなのだ。
「案外、本当に何処かの王族か何かなのかも知れぬな。それも、この大陸ではない何処かの国の」
クレハがしみじみ言うと、サギリもコクコクと頷いていた。白夜が聞いたら過大評価もいいところだ、と言っただろうが。
「その後の足取りですが」
「おそらく、ユバに向かったのではないか?」
「仰る通り、村長がユバの街のことを教えたとのことなので、そちらに向かわれた可能性が高いかと思われます」
大雑把に言えば、ミソノ村から見て東には領主街のサダル、西にはアルセナ海を臨む港街のイダが在るが、どちらもかなりの距離があり、実際に行こうと思えば馬でも半月やそこらは掛かる。
(尤も、飛竜ならそんなことは関係ないのだろうが)
クレハは顎に手を当てて暫し思案する。その思惑は分からないが、今は馬で行動しているようだし、やはりユバに向かった確率が高かろうと判断する。
「分かった、引き続き、追跡を続行せよ」
「はっ。それと、これは関係あるかは分かりませんが」
サギリは一瞬言い淀んでから口を開く。
「ユバ方面の街道の途中、とは言っても街道からは大分離れているのですが、かなりの広範囲に渡って隕石が落ちたかのような無数の跡が有ったとの報告がありました」
「隕石だと?元から有ったものではないのか?」
「焼け跡の具合から、極最近のものではないか、とのことです」
「ふむ、勇者のことといい、何かの前触れやも知れぬな······」
いえ、自分の所為です、と白夜が冷や汗を流していそうだが、そんなことは知らない二人は真剣に危惧を覚えていた。
「兎も角、物見には警戒を強めるよう命じておくとしよう。そちらも、出来得る限り慎重に事を運ぶよう徹底させよ」
「御意」
「報告はそれだけか?」
「はっ、今のところは」
「ならば下がって良い」
そう言うと、サギリは深く一礼して退出する。
サギリが出て行った後、クレハは白夜の姿絵を今一度眺め、それから抽斗に大事そうに仕舞うと鍵を掛けた。
(家宝にしよう)
口許を緩めてそんなことを思うクレハだった。
因みに、サギリもちゃっかり自分用に1枚確保していたりする。
「♪」
城塞内の通路で、サギリがスキップして歩いているのを、部下が見て見ぬ振りをしたとかしないとか。
それでいいのか、皇国軍。
2日後。
クレハからの要請を受けた補給の商隊が、ユバの街から街道をカガチ城塞に向けて進んでいた。人員の補充は領主街の方から行うのでまた別の話だが、物資の補給は基本的に最も近い街であるユバからしている。
商隊は、大型の馬車5台に20人程の傭兵が護衛としてついており、魔物は元より、街道を縄張りとする盗賊の襲撃にも警戒していた。8人が馬に乗って周りを囲むようにして護り、残りはそれぞれ馬車に乗り込んでいる。
その傭兵隊のリーダーは、がっしりとした身体付きで左頬に傷のある30代前半の精悍な男で、名をジェイドと言う。
ジェイドは馬の速度を緩め、後ろを走る仲間の馬に近付けた。
「リク」
「何っすか、ジェイドの兄貴」
呼び掛けられたリクは、ジェイドの横に馬を並べる。まだ少年と言ってもいい年齢で、ジェイドの弟分だ。童顔で、凡そ傭兵らしくない可愛らしい顔付きを、良く仲間からはからかわれている。
「さっきの女を見たか」
「さっきのって、あの白馬に乗ったお侍っぽいミセリアの女のことっすか?あれは良い女でしたね」
「良い女だったのは否定しねぇが、ありゃ普通じゃねぇよ」
「普通じゃないって、何がっす?」
リクが首を傾げる。
「相当気を抑えてるようだったが、それでも只者じゃねぇ匂いがぷんぷんしてきやがった」
「兄貴は気が読めるんでしたね。でも、兄貴がそこまで言うって······」
「おそらく、まともにやったら、俺なんか片手で捻られるだろうな。10秒持つかどうか」
ジェイドが気負った様子もなくさらっと言うと、リクは酷く驚いていた。
「そんなまさか!?傭兵ランクAの兄貴が!?」
リクにとってジェイドは憧れの存在だった。そのジェイドがあっさり負けを認めたことがショックだったのだ。
「俺より強ぇ奴なんざ、ざらにいる。それこそ掃いて捨てる程にな」
そう自嘲気味に言うジェイドに対し、リクはまだ納得しかねる顔をしていた。
(しょうがねぇ奴だな)
この世界で生き残っていく為には、己の身の程を知ることも必要だ。勇敢と蛮勇を履き違えていたら長生きは出来ない。それを教えたかったのだが。
「俺が前にゼクスに居たって話は覚えてるか」
「傭兵都市のゼクスっすか。ええ、覚えてますよ」
傭兵都市ゼクスは、北の山脈を越えた先に在る、傭兵ギルドの総本山だ。何処の国にも属さず、且つ要請があればどんな国にでも兵を派遣する。独立自治を持った一個の国家のようなものだった。
「俺ぁ、そこでステイハウンドとル・ルージュに会ったことがある」
「ステイハウンドってあの魔剣狩りっすか!?それに鋼鉄の魔女ル・ルージュ!二人ともSSSランクじゃないっすか!」
リクが驚くのも無理はない。ギルドに於いてSランク以上は雲の上の存在。それがSSSともなれば、最早伝説とも言える人間なのだ。現在、SSSランクは全ギルドでもたった5人しか居ない。リクのような下っ端には、見る機会すらないだろう。
「あの時も全く勝てる気がしなかったが、さっきのはそれ以上だった。見た瞬間、金縛りに遭っちまった。邪気が無かったから問題にはしなかったが、ありゃあ化け物だな」
「そこまでっすか······」
淡々と語るジェイドを、リクは呆然と見ていた。
「城塞方面から来た連中が勇者がどうとか言ってたが、案外本当かも知れねぇな。あれがそうかは分からねぇが」
「勇者っすか、まさか。いや、でも······」
リクも勇者の伝説は知っていたが、ずっと御伽噺だと思っていた。存在の有無はこの際置いておくとして、それが女だということには特に疑問はなかった。ギルドにはSSSのル・ルージュを含め、女傑と呼ばれる者も数多く居る。女だからといって侮るようなことが出来ないのは良く知っていた。
因みに、城塞方面から来た連中とは城塞に出入りする商人達のことだが、何故白夜よりも早く街に居るのかというと、それには理由がある。
商人の中には、御抱えの転移術師を持つ者もいるのだ。魔道具職人同様、時空魔法の使い手の稀少さから、転移術師も極めて数が少なく、その上転移に必要な触媒に貴重で高価な素材を使用する為に、莫大な費用が掛かる。また、転移陣を設置した場所にしか飛べない等、制約も多いのだが、それでも商人にとって情報の早さは生命線だ。大枚を叩いてでも雇う価値があるのだ。
余談だが、魔道具には遠方と会話の出来る通信の魔道具という物も有り、クレハはそれで補給の要請をしていたりする。
「まぁ、何が言いたいかってぇと、今度会うようなことがあっても、下手なちょっかいは出すなよってことだ。おめぇは手が早ぇからな」
笑いながらジェイドが言う。
「出さないっすよ、そんな兄貴が恐れるような相手に。自分を何だと思ってるんすか」
「はっはは」
ジェイドは一頻り笑った後、元の配置に戻って行った。
(勇者か······これから忙しくなるかも知れねぇな。面白くなりそうだ)
勇者の出現は則ち、魔物の台頭をも意味する。冒険者や傭兵にとっては稼ぎ時でもあるのだ。無論命は大事だが、稼げる時に稼いでおくのも傭兵の性だ。リクにはああ言ったものの、何れ関わりそうな予感はある。傭兵の勘とでも言うべきか。
(さて、どうなるかな)
ジェイドは、一人馬上で不敵な笑みを浮かべていた。
こんなキャラになる予定じゃなかったのに······。
どうしてこうなったw