夏の朝
プルルルル
電話が鳴っていることに、ふと気がついた。
体を動かして、ドアノブを回して外に出る。
電話はリビングにあるのだ。
プルルルル
廊下をぺたりぺたりと音を立てて、ゆっくり歩く。
不思議と焦らなかった。
むしろ急いでは駄目だと、頭のどこかで思っていた。
プルルルル
かなり時間をかけて、電話の元に着いた。
長年使っている電話はくすみ、汚れている。
小さな画面には埃が積もって、番号も何も見えなかった。
プルルルル
一つ溜息をついてから受話器に手を伸ばす。
指先が触れた瞬間、あれと首を傾げた。
何か違和感を感じる。
プルルルル
暫く電話を見下ろすが、何もおかしくなかった。
見慣れた電話だ。
いい加減に出ないと。そう思って、やっと気がついた。
この電話、家のだ。
ジリリリリリ! ジリリリリリ!
その瞬間、電話の音が煩いアラームに変わった。
指先に触れるスマホを顔の前に持ってきて、細目で時間を確認する。
もう起きる時間だ。
ジリリリリッ……
アラームを止めると、部屋は一気に静かになる。
ついでに暑い空気がねっとりと絡みついてくる。体が重い。
暑い暑いと唸ってから、のそのそと体を起こした。
扇風機を回すと、ぬるい風が吹いた。
夏だ。
顔を洗うと、やっと目が開いた。
洗面所の近くに置いてるケースを取り、コンタクトをはめる。
ぼんやりとしていた世界がクリアになる。
近視に乱視である私は、レンズを通さないと日常生活もままならない……は言い過ぎか。でも眼科の先生はそう言っていた。
何度か瞬きをして、特にずれが無いことを確認する。
今朝は上手くできたと得意げな自分を鏡越しに見つけた。
朝食のパンを適当にちぎって口に運ぶ。
時々牛乳を飲む。
またパンをちぎって食べる。
まるで機械みたいだ。でも、その分思考が働いているから、きっと機械じゃない。
なんて考えながら黙々とパンを消費していく。
今日も暑い。
そういえば今日の夢は不思議だった。
実家の電話が鳴っているだけの夢。
ホームシックだろうか。
もぐもぐと口を動かしながら、首を傾げる。
このパン、あんまり美味しくない。
今度は違うのを買おう。
今年の春から一人暮らしを始めて、漸く今の生活にも慣れてきたところだ。
家族とはラインやメールでやり取りをしているが、寂しかったのかもしれない。
それが、心の余裕が出てきた今になって夢として出てきたのだろうか。
まあ、もうすぐ夏休みだから、入ったら早く帰ろう。
朝食を終え、化粧をして出掛ける準備をする。
化粧も、最初からするとだいぶ慣れたものだ。
実家で母と鏡の前で、わーわー言っていたのが懐かしい。
あの時はぎりぎり及第点だったが、今ならそれなりに褒められるかもしれない。
鼻で笑った弟を見返してやりたい。
涼しい服に着替え、鏡の前でおかしくないか確認する。
今日も可もなく不可もなく、普通だ。
でもその普通が一番なのだ。
羽目をはずして、から回っている子もいるのだから。
金髪の男の子を見ると、弟はああならないでほしいと切実に思う。
失礼だけど、あれはとても見苦しい。
肌の出ているところに日焼け止めを塗り、紫外線予防をしっかりする。
紫外線は怖いのよと真顔で言う母を思い出す。
妙な迫力があった。
今日必要なものをカバンに詰め込み、最後にスマホを入れて、準備完了。
この朝の流れも慣れるとあっという間だ。
最初の頃は要領悪く、時間ばかりかかっていたが、成長したものだ。
扇風機を切って、電気、ガスを確かめてから玄関に向かった。
この確かめる癖は多分母譲りだ。
全て確認しないと落ち着かない。
履きなれた靴に足を突っ込んで、カバンを肩にかける。そこそこ重い。
最終確認で中を覗くと、スマホが目についた。
「帰ったら、電話しよう」
夏休みに入ったら家に帰るよって。
文字でもいいけど、声を聞きたい。
出るのは誰だろうか。
しっかり者の母か、生意気な弟か、それとも影の薄い父か。
勢いよくドアを開けると、蝉の大合唱が聞こえる。
夏だ。
今日も一日頑張ろう。




