鬼狂閃士郎
壬生探偵事務所はかつての秋葉原にある。
そう。かつて。戦後すぐにロシアンマフィアと日本のやくざ連中の抗争があったらしい。
掘り返せば地面からは空薬莢や空弾倉が出てくる。
たまに使用可能な銃器も見つかるから一時期は銃を求める奴が大挙した。
そのうち掘り返すものも無くなり、今は俺みたいな物好きのたまり場だ。
高架下、といってももう電車など走ってはいないのだが、そこにポツンと一軒屋。
高架は俺の事務所の上以外は既に瓦礫となっている。
事務所の上にコンクリート製の巨大なもう一つの屋根があるといったところか。
勿論、支柱がへし折れれば俺の事務所も瓦礫になるが、それでもいいと思っている。
散々後ろめたいことをしているから、いつどんな風に死んでも文句は言えまい。
「ただいま」
事務所は書類と本が山積みの整理整頓ができてない、仕事の出来なさそうな状態だ。
これは俺に対する依頼が言伝や第三者を介するものがほとんどであるからだ。
俺の事務所で話を聞くのではなく、俺が現地に赴いて事を成す。そういう事だ。
客人が来るわけでもないので事務所の掃除なんてめったにしない。
なのだが今回ばかりは後悔した。
「汚い部屋だな」
書類の山をソファから叩き出し、我が物顔で座り、煙草を吹かす男がいた。
「あんたか」
男の名は高山総司。
「掃除する汚れは沢山あってね。例えばあんたの上司の不始末とかな」
先程片づけたスキャンダルの大元、東警の刑事だ。
俺の小言に機嫌を悪くしたか、眉間の皺が二重、三重、どんどん増える。
「案件なら終わったよ」
「そんなショボいコト確認しに来たわけじゃねえよ」
「だと思った」
書類の山を避け、冷めたコーヒーをカップに注ぐ。
「飲むかい?」
「いらねえよ。そんな汚水」
「そりゃよかった。カップは一つしかないんだ」
おお、また皺が深くなる。コイン挟めても落ちないんじゃないか?
「で、何の用?」
事務所奥にある俺の机に腰掛け、高山の居るソファに向き直った。
「昨夜、廃ビルの屋上で人が殺された」
「よくある事だ」
「ああ。確かに。だが、その手口だが、そいつはよくあっちゃあ、いけねえのさ」
「何?」
コーヒーを啜る。油は浮いているが、なに、飲めないほどじゃない。
「体に無数の刀傷。そして……頭蓋が真っ二つにされていた」
コーヒーの苦味が、味蕾に浸食する。じわりじわりと、舌が麻痺するように。
嚥下するのに時間を置いた。今の言葉を噛み締める様に、じっくりと。
喉を通り、鼻に抜けるコーヒーの燻された匂い。陶酔は逃避を手助けする。
「被害者は身元不明の男。切断面は綺麗だった。乱れのない、芸術業だ」
だがこの刑事はそれを認めない。足首掴んで引き下ろす。地面はここだと。
「頭頂部から顎をすり抜け首元まで真っ直ぐだ。頭は花びらみたいに広がってた」
この最悪の事態を前に、逃げることなど許さない。向き合え。ぶつかれ。
「分かるだろうが、それを可能にする物なんかそうはねえ」
出刃包丁。駄目だ。とても刃渡りが足りない。
牛刀。これも却下。頭蓋骨は割れても、刃毀れを起こし、断面は綺麗とはいかない。
巨大な肉の切断機。屋上まで持って上がるような物好きなどいない。
短すぎず、長すぎず、強大な力ではなく、しなやかな切れ味。
頭蓋骨を寸断するとなると、単純な硬度だけでは不可能だ。
衝撃を逃がし、骨には切断の為の重みのみが伝わり、すとんと切れる。
そして首まで達するとなると、その刃は一切の停滞を認められない。
速度も威力も全く衰えず、真っ直ぐに。その男は頭を二分された。
「刀。それも相当な切れ味の。そしてそれを使いこなせるほどの剣客」
言葉を切って、紡ぐ。残念ながら、理解は心情を凌駕する
「もう10年になるか」
短くなった煙草を火種に、高山は新たな煙草に火をつけた。
懐かしむようなその言葉とは裏腹に、顔は何とも憎々しげだ。
「胸糞悪い。認めたくねえが、鬼狂い斬殺事件と全く同じだ」
『鬼狂い斬殺事件』。ある一人の男による連続斬殺事件だ。
敗戦30年の節目を迎えた東京は漸くその激動を乗り越えた。
各国マフィアの折り合いもつき、警察や政府も女の事を考える余裕が生まれた。
回復の見込みは無いが、現状維持は出来るだろうと高をくくっていた時代。
そんな時代を嘲笑うかの様に、鬼が現れた。敗戦の動乱から生まれた、人斬りの鬼が。
鬼狂閃士郎。鬼の名だ。
具体的にいつごろ現れたかは定かではない。
曰く、戦後最凶最悪の殺人鬼。人を殺し、血を啜り、肉を喰らい、骨をしゃぶる。
武器は太刀。無銘ながらに反りの深い、痩せ身の美しい一振りだったらしい。
警官。マフィア。用心棒。殺し屋。挑む者は容赦なく切り捨てられる。
皆、一撃すら見舞えず、完膚なきまでに叩きのめされ、殺された。
なぜそれがわかるかは、殺人現場と遺体を見れば明らかだった。
現場には被害者以外の血痕が見つからない。
朱の墨で壁を書きなぐったかの様に荒々しくも雄大な光景が広がっていたらしい。
そして遺体には無数の刀傷が残されている。
手足の腱や膝裏などの脆弱な部位。それらを行動不能になるまで斬り付けられている。
そして止めといわんばかりに頭蓋を分断。
刀身を滑らせ、捻じ伏せずに切り落とし、正しく兜割りを実現する。
日本刀はその使用に技術を伴う。中でも一際実戦向きといわれる太刀を用いる。
大振りの太刀を自在に操り、一閃の刹那を鬼が狂い殴ったかのように繰り返し描く。
鬼狂閃士郎は紛れもなく一流の剣客であり、史上最高の人殺しだ。
その彼の名を一躍有名にしたのが閃士郎の7番目の相手、大嶽炎仙である。
日本のやくざ、『舶千会』の雇われ用心棒兼剣術指南として雇われた剣客。
二刀居合剣術、『双虎流』の使い手として、当時名を馳せていた。
閃士郎と相対したとしても、その最速の二閃を以てその首を刈り取るだろう。
そう嘯かれていたものだが、結果、閃士郎の首は刈り取ること叶わず。
炎仙は頭蓋を割られ、首元に花を咲かせた。
脊椎まで綺麗に両断され、首だった二つの肉塊は両肩に垂れ下がる。
噴き出た鮮血で赤く染まり、以降閃士郎は『華咲かせ』の異名を持った。
『あの剣豪が敗れた』と東京は戦慄し、恐怖した。
さらにこの殺人鬼の暴走は広がり、高みの見物決め込んでいた外国も動き出す。
ロシアンマフィア、ザイツェフ・パヴリチェンコの殺害。
対象は日本人とは限らず、マフィアであろうと容赦はしない。
この型破りな相手の選ばなさに、誰もが呆気にとられた。
閃士郎という男に恐怖は無いのか。そこかしこに喧嘩を売り、どうしたいのか。
東京という無法地帯において、諸外国は密輸などを半ば黙認していた。
自分たちもおこぼれに預かるため、自国のマフィアなどを巣食わせたのだ。
闇の仕事は闇の者に。それが今、ご破算になるかもしれない。
各国総動員。奇しくも、この時だけは、二次大戦参戦国は一つとなった。
戦闘のプロを日本に送り込み、東京もまた自衛の技を固めた。
これが後に、東京に剣術の流派や銃の射撃場を生むきっかけとなった。
英米のローラー作戦に加え、戦闘経験豊富なロシアのスナイパー。
あぶり出し作戦を繰り返すも一向に閃士郎は見つからない。
『誰かが匿っている』。この疑念は自然と産まれ、折角の結束は瓦解した。
東京で三国の軍が火花を散らし、疑念と疑惑の渦に飲まれる。そして―
切っ掛けは些細なものだった。
巡回中のアメリカ兵に因縁を吹っ掛けたロシア兵。
前を横切ったとか、こちらを睨んだだとか、そんなイザコザ。
だがたまりにたまった不満と不安が破裂するには、その小さな針で十分だった。
怒号は銃声に。絶叫は爆音にかき消され、コンクリートは血染めの焦土。
『東京争乱』と呼ばれるこの事件は、第三次世界大戦とも言われた。
だが、これは完全に指揮系統を無視したもので、戦争ではなく、殺し合いだった。
各国首脳が全力でこれを止めるよう言いかけても止まらない。止められない。
英米露三国の首脳も又この事態の継続を望まず、停戦を自軍に命じた。
だが、各方面部隊長はこれを拒み、目の前の敵がいなくなるまで殺し合い続けた。
自分が矛を収めても、相手は攻撃をやめないかもしれないという恐怖が作用したのだ。
世界をまたにかけ、大陸を舞台とするならこの動乱は起こらなかった。
ただ、この東京という街は、世界大戦の常識を治めるには狭すぎたのだ。
結果、三国軍は大いに疲弊。戦力の大半を失い、帰国することとなった。
一部の小隊は、この動乱の異常性を察知し、地下に潜った。
そうしてマフィアの傘下に入るか、新たな民間軍事会社を創設した。
皮肉にも東京動乱は戦勝国による東京の武装化を招いてしまったのだ。
戦後最大の失策と呼ばれるこの事態の責任を取るべく、三国首脳はそろって辞職。
日本の占領政策を行った張本人である三人はその権威を失うこととなった。
その数日後であった。
閃士郎が自首したのは。
『殺した者は幾百、幾千。満足、満足』
絞首刑の前に閃士郎自身が発現した言葉である。
結局、なぜ斯様な事件を起こしたのかについては頑なに口を閉ざし、閃士郎は逝った。
後に残ったのは一層物騒になり、まともな者のいない、廃都。東京だけだった。
「あの時俺はまだ新人だった」
三本目の煙草を咥え、高山は紫煙を深くは胃に送りこみ、吐き出しながら答えた。
「奴の自供を聞いたこともあるが、殺したことの充足感以外に何も語らなかった」
忌々しげに、憎々しげに、高山は過去の視点を見つめなおす。
「奴は死んだが、今もこのイライラは収まらねえ」
なぜ殺した。殺したかった?そんな狂った発言が聞きたいのではない。
理由を教えろ。理屈を教えろ。筋の通ったお前の自論を教えろ。
そんな狂人では、怒りをどうぶつければよいかわからないではないか。
理由があって初めて人間は行動を起こせる。愛憎、金、何でもいい。
そうしたフィルタ越しに人間を定式に当てはめ、比較し、始めて感情を起こせる。
理由なき殺戮は、その手段のみが際立ってしまう。
そしてこの閃士郎という男の殺戮は、途轍もなく美しかった。
その殺し方に、技に、手口に、図らずも人は感動を覚えてしまうのだ。
この事件は10年経った今でも風化していない。
だが、それは、鬼狂閃士郎という剣客の剣豪小説として残ってしまった。
逸話として、創作の対象になり、英雄に祀り上げる者すらいる。
当時の被害者たちの怒りには目を背け、知らぬ存ぜぬを決め込んで。
「そんな話をしに来たんじゃないだろう」
俺はコーヒーを飲み切り、カップを机に置いて高山の前に向かった。
「閃士郎と同じ手口で殺しをしている奴がいる。これに対して、どう思ってんの?」
「閃士郎の狂信者か、有名な手口をパクッてテロ活動でもする気か」
「どれも違う。閃士郎の太刀筋はそう真似出来るものじゃない」
出来るものじゃないさ。あんな人並み外れた動きと力は。
「お前ならそういうと思った」
高山は半ば残った煙草を握りつぶし、俺を見下ろした。
「俺はあいつが実際に殺しをしている所を見たわけじゃない。事件ファイルや遺体の写真でしかあいつの殺しを知らない。だから、お前に調べてもらいたい」
「俺に?」
挑む者は容赦なく殺される
「ああ。お前が適任だ。というより、お前にしかできない」
挑んだものは皆、一撃すら見舞えず骸となった。
「協力してくれ。出来るだろう?」
だが、例外があった。
「鬼狂閃士郎事件の唯一の生き残り、壬生災夏の妹、壬生秋晴。お前なら」
伝説の陰に隠れ、公にはされていない生還者。それが例外。俺、壬生秋晴だった。
ほぼ説明で終わってしまった。




