狂った獅子は飢狼の如し
死山血河の丘の上、数多の骸が山を成す。
その頂に立つのは私。
私は右手のそれを見る。
反りの深い日本刀。
まるで虎の爪の様。
滴る血液は殺戮をして間もないことの証明。
ふと今度は眼前を見る。
人の身体。肩から上に花を咲かせた奇妙なオブジェ。
あぁ、これは兄だ。
これは私がやったのか。
手に持つこれを見る限りそうなのだろう。
恐怖すべきだ。
だが、その心は湧きあがらない。
恐怖という当たり前の行動がなぜできない。
『それは君が人の道を逸脱しているからだ』
声のする方角を見ると人の躯の上に積み上げられた刀の骸の山。
その上にいる少年がこちらを仰ぎ見ていた。
『君は普通の人とは違う。だがそれに困惑すべきではない』
山の上から見下ろす眼は刀の様に冷酷で、しかし刀身の反りの如く目尻は笑っていた。
『あるがままを受け入れろ。そうすればなぜこうなったかがわかるはずだ』
必死に怯えようとしていた。
その努力を捨て去り、情動の本流に身を委ねよ。
つまりはそういうことだろう。
私は刀を振り上げる。
あぁ、きれいだ。
人を殺す武器なのに、その美しさは比類なきものだ。
きっと人を斬るたびその美しさは跳ね上がる。
その為なら人を斬ってもかまわないとすら思う。
それ程の魅力が、刀にはある。
だがそれだけではない。
私は、刀を目の前の躯に突き立てる。
垂れ流された血液を見るに、新たな血飛沫など出るはずもない。
でも私は突き立てる執拗に、抉るように。
そうするとぼとりという音がして、何かが落ちたのだと悟る。
その正体は分からない。赤黒い何かだとは分かるが具体的な何か、分からなかった。
それを拾い上げ、口の中に放り込み。
ぐちゃり。
にちゃり。
咀嚼し、嚥下する。
美味くはない。
だがその倒錯的な行為に、得も言われぬ興奮が身を震わせた。
あぁ、これは外道だ。
だが、なんとも愉快で楽しき道だ。
それを理解した途端、その情景は崩れ去った。
血肉の地面は砂利道に。
骸の山はコンクリートの建物に。
白いコンクリート塀に縫い付けられた蟲の死骸の様な兄。
それを見る驚愕した表情の男と子供。
一人は閃士郎。一人は清史郎。
何故だかわかる。
前者は驚き、後者は慄く。
その背後にいる、彼は、嗤っている。
その瞳に映る私も、嗤っていた。
私の手にある刀は春海。兄が炎仙から譲り受けた古刀。
それが今、私の手の中に在る。
理由は知っている。
閃士郎との戦いの最中、利き手に深手を負って取り落としたのを私が拾ったのだ。
跪く兄を前にして、私はそれを振り下ろした。
勢いはなかった。速度も無かった。
だが刀身は骨を斬り、兄の頭を寸断した。
その感触と出来栄えがうれしくて、朗らかに笑ってしまう。
そして最後に。ああ、気持ちいいと、やっぱり嗤ってしまうのだ。
蓋を開ければこんなもの。
なんだ、私の復讐劇こそ、つまらぬ三文芝居じゃないか。
こんなものに囚われていてはつまらない。
私は、もっと愉しみたい。
刀の重みは感じなくなっていた。
気付けば私は夢想の中刀を振っていた。
技術を以て、策を講じてではなく、無意識化の己に委ねて。
戦う上で足枷となる思考回路に見切りをつけて、反射と無意識が己を動かす。
獣の様だ。
泣いたり、笑ったりはせず、もっと深い感情に身を任せる。
鋼と鋼がぶつかり合う。
鉄の金切り声は次の叫び声に飲まれて消える。
刃鳴が鳴り、
火花が爆ぜ、
生命が散る。
都合、百は討ち合ったか。
戦いは無意識に任せ、他の所に意識を巡らせる。
男、狂四郎は、嗤っている。
私、秋晴も又、嗤っている。
あぁ、畜生。
楽しいぞこん畜生。
狂四郎、お前と出会えてよかった。
お前と戦えてよかった。
お前達のおかげだよ。
お前達家族が兄を殺してくれたおかげで、私は今、こんなにも私らしい。
思えば兄は、私にお淑やかになれと言ったわけではなかった。
剣は義のためのものであり、矛を止めると書いて武と読むと。
再三私に言っていた。
きっと兄は気付いていたのだろう。
幼き私に宿る黒い感情を。
刀で人を斬り殺したいという、常人が持ってはいけない感情を。
だからこそ閃士郎との戦いに身を投じた。
これ以上、刀の魅力に取りつかれぬように。
舶千会が私たちを裏切ることなどないと、知っていたのだ。
あぁ、すまない兄よ。
結局、私はこの道に入ってしまった。
あなたの努力虚しく、私は剣の魅力に取りつかれた。
きっとあなたは天国から私を憐れむだろう。
私が死んだその時は、悲しみと哀れみで以て空から私を持て成すだろう。
だが言ってやる。
その時私は、兄よ、あなたに対していってやる。
「幾百幾千幾星霜。殺して殺して殺し尽くした。満足満足」
救えない生涯だろうが、決して後悔はしないと確信しているのだ。
そこに作法などありはしない。
技術も、技巧も、技量もない。
だが、美があった。
人間の考え付いた小手先など及びもつかない深淵の美。
思考と戦闘を切り離し、刃の向かいたい場所に向かわせる。
考えてみれば、如何に優れた技術を持とうと、実際に切るのは刀そのものである。
その刀の機嫌を損ねることこそ九死に誘われることになる。
肝心なのは刀で斬るのではなく、刀に斬ってもらう事。
父の復讐のために研鑽を積んだ清史郎には及びもつかないことだろう。
天賦の才と、そのことを理解していた狂四郎だからこそ至った境地だ。
故に兄の切り口は乱れ、弟の切り口は流麗だった。
だから私もそこに至る。
剣の深淵に。
黒い感情。
人を憐れんだ時や夢幻を握った時に感じたぐりりと腹を蠢く妙なモノ。
それに己の全てを委ねる。
刀を握り込む指先の感覚が溶けている様だ。
風景も心なしか広く、端々まで俯瞰しているような気分だ。
だがその細部まで見て取れる。
舞う塵一つ一つから視界を横切る毛先まで。
それでいて動きは大胆極まりない。
飛び上がり、跳ねて、間合いを詰めて詰められて。
風を切り裂く刀剣は、雷鳴の如く奔り、その首貰い受けんとする。
無数に光る白刃のきらめきが籠でも編むかのように駆け巡る。
その切っ先は相手を捉え、時として刃を合わせ、時として皮を裂いた。
みれば私の腕には紅い軌跡が数本と、頬を伝う感触は血滴。
狂四郎には同じように腕の傷と瞼に斬り込まれた浅い傷。
だがそんなものは歯牙にもかけない。
欲しいのは刀による絶命ただそれだけ。
虎のつもりが、地に餓えた飢狼が如き。
「はぁ!」
白刃が舞う。
「せい!」
鋼音が鳴る。
両者は拮抗し、その趨勢は予測できない。
風切り音と鋼の悲鳴が東京湾に木霊し、波に静かに溶け込んだ。
その残響による調は儚くも、だがそこに、悲しみなどありはしない。
気付けば夜が明けていた。
差し込む曙光が海を焼き、照り返す光は刀に吸われる。
気付けば息が切れていた。
無意識が刀を握ろうと、血液を駆け巡る酸素は有限である。
よってこの激動の仕合の中で、ようやっと双方に限界が訪れたということだ。
「そろそろ、決着といこうか」
「あぁ、そりゃいい」
いつの間にか狂四郎から他人行儀な敬語は抜けていた。
私もそれに応じ、改めて刀を持ちなおす。
選んだ構えは奇しくも同じ。
両手で刀を持ち、右上段に構え、刃は少し寝かせ持つ。
八双の構え。
剣道などで見られる正眼の構えよりも、第一初動はこちらが有利。
ようは先の先を討つのに最適な構えだ。
散々技術とかけ離れた戦いをしておいて、最期にとるのがこれなのか。
笑ってしまう。
あぁ、最期。最期となるかもしれないのだ。
恐れはない。
さぁ逝こう。
波が一際強く岸を打ち、飛んだ潮が降りかかる。
その間際。
その一瞬。
走った。
斬――
身体を濡らすこれは潮か血か。
虚空に向かって放たれた斬撃は双方に如何ほどの被害をもたらしたのか。
確認すべく後ろを向く。
そこにあるのは名刀夢幻。
そしてそれを携え飄々とした表情をしている痩躯の男。
その男、狂四郎の肩口は、赤黒く染まっていた。
「喰らったか」
肩を一瞥し、たった一言そういった。
「だが喰らった」
そして私を仰ぎ見て、不敵に笑ってそういった。
私は自分を見下ろした。
そして見つけた。
脇腹を伝う紅い血潮。
衣服を染めてしたたり落ちる。
「あぁ、喰らったか。でも、喰らった」
そうして私も笑うのだ。
「互いに致命傷ではなさそうだ」
「だったらどうする?まだやるかい?」
「それもいいけど、迎えが来た」
見れば海の彼方からこちらへ向かう船が一艘。
「マフィアの船で行くんじゃなかったの?」
「そのつもりだったが、夜までに俺が来ないときは迎えが来るようにしていたんだ」
「用意周到なことで」
言って私は刀をしまう。
お疲れさまと労わって。
「そういや、名前は?」
「うん?狂四郎だが?」
「そうじゃない。成人したら『シ』は好きにできるんだろう?」
「ああ、それか。そう言えば決めてなかったな」
「いい機会だ。ここで決めてよ」
「そうだなぁ、それなら―」
「さて、これでしばらく東京とはお別れだ」
「また、会えるよね」
「きっと」
そうして二人で浮かべた笑みは、戦いの最中のものとは打って変わり―
約束を結ぶ少年少女の様だった。
水平線に消えるまで、ぼんやりと東京を離れる船を目で追った。
手を振ろうとは思わないが、さっさと帰る気にもなれなかった。
ふっと没したと同時に踵を返し、私は帰路を歩き出す。
「お前がやったことは重罪だぞ」
来ると思っていた。いや、分かっていた。
「殺人犯の逃亡、なぜ止めなかった」
「一般市民に何を期待しているんだ。命を取られたくはないさ」
眼前に現れた眉間に皺を刻んだ男。
「秋晴、仇はどうしたんだ」
「高山、なぜ私を煽る」
私の言葉に動揺したのか、一瞬高山はたじろいだ。
「此度の件、全く知らなかったわけじゃないだろう?片鱗ぐらい知っていたはずだ」
「だったらどうした」
「お前との友情もこれきりだな」
そう言って私は歩みを進める。
「っく、お前にはわからないかもしれないがなぁ!この国は立ち直らねばならないんだ!」
きっと全てを呑み込めてはいないのだろう。
こんな茶番劇を演じる羽目になった、高山自身が怒りに震えている。
それがこの男のいいところだ。
だが、自分を曲げてまで得たものに価値はあったのか。
「お前の都合も理解しているつもりだ。だからこそ、もう会うこともないだろう」
「俺は!」
「兄のように思っていたよ」
「っ!?」
横を通り過ぎるとき、そう呟きながら見た高山は酷く、泣きそうな顔をしていた。
その渋面の中にどんな思いを抱いていたのかは知らない。
それをさらけ出せるような器用な男ではないことは私がよく知っている。
だから、これを最後に、振り向かずに行きたかった。
「秋晴ぃ!!」
振り返って腰の得物を抜いて欲しくなど無かった。
「俺はぁ!!」
残念だ。
本当に。
本当に残念なんだよ、高山。
「きひひ」
三日月の様に頬を吊り上げて、俺は翻って刀を抜いた。
『それなら…もう生き残った一族は俺だけだし、苗字も好きにいじるか』
『どうするの?』
『俺は蝦夷では貫井という姓で暮らしていてね。それをもじろう』
『どんなふうに?』
『貫鬼。俺の生き方の固持だよ』
『それで、下は?』
『餓えた飢狼の様に、獣の様な黒い感情を貫く鬼―』
『狂獅狼ってのは、どうだろう?』
『っはは!子どもが付けた様な名だ』
『こういうのはインパクトが大事さ。覚えられるしね』
『あぁ、たしかに。それならもう忘れない』
『また会おう狂獅狼。その時、改めて刃を交えよう』
斬――
了。
いろいろ謎のままにしてるからそれを埋めるために続編を書く予定。