鬼ノ子
「つれないじゃないか。別れの挨拶くらいさせてくれ」
「したじゃないですか。昨日」
「あんなものは挨拶じゃないさ」
「キスぐらいしますか?」
「口説いているつもり?」
「そう受け取ってくれるくらいには好意を持ってくれてるようで」
あの検死室での会話を、外界に持ち出してすることの違和感。
俺と彼はその違和感に、堪えきれずに笑い出した。
「こんなところでこんな会話するとはね」
「ある意味じゃ、俺たちらしいですけどね」
あの空間だからこそできる特別な会話という意識があった。
だが、広大だが二人しかいないこの状況も、ある意味ではあの空間と変わらない。
そうして互いに笑い合い、声は波の音に溶けて消えた。
暫しの沈黙。それを破ったのは彼だった。
「もう、分かっているんでしょ?」
「最初の犠牲者」
検死官の男。いや、今やその肩書すら本当かどうかわからない。
眼前で飄々としている、ここ数日で出来た俺の友人に、俺は話しかけた。
「アレをやったのは、あんただろ?」
対する男は、どこか嬉しそうだ。望みが叶った子供の様に。
「ええ。そうです」
朗らかに笑いながら、彼は腰に差した夢幻の柄を撫で上げていた。
最初の事件と後の事件は、文字通り、斬り口が全く異なる。
最初の事件の遺体は美しく、自然的な芸術。
それ以降の遺体は対照的に、人工的な芸術。
流麗な線と、力で抑えつけた直線。
柔らかい心と確固たる決心。
切れ味から、持ち手の心象まで読み解ける。
犯人が最低二人はいる。または手口を意図的に変えたことの証明だ。
あの直刀の男が、その二つの手口を切り替えて行う事も、不可能ではないかもしれない。
だが、その可能性は無い。
この事件は、二人の剣客によるものだ。
一人は俺が出会ったあの直刀使い。
そしてもう一人は、眼前のこの男だ。
「何故そう思うんです?」
疑いを晴らすためというよりは答え合わせをするかのように男は問うた。
「そいつさ」
間髪入れずに俺は男の腰のそれを指差す。
「それは、あんたが百鬼に渡したものだ」
彼の腰に差された刀。
夢幻。
それを指し、俺は答えた。
俺が事件で使われた凶器のアドバイスを聞きに百鬼の下に向かったとき。
あの時以前にすでに彼は百鬼と接触していたのだ。
無論、全部が嘘ではないだろうが、百鬼は入手経路だけ嘘をつき、夢幻を俺に渡した。
俺に渡したその理由は不明だが、俺が直刀使いと遭った後、百鬼に百鬼の調整を頼んだ。
その後、夢幻は再び眼前の男の手に渡ったのだろう。
「根拠は無いが、しかし正解ですね」
「正解したら何かくれるの?」
「これを渡した理由を教えましょうか?」
「それはいいさ」
それも気になる事ではあるが、今はそれ以外に問わねばならないことがある。
「事件の中核である、犯人のこと」
俺が、この事件は単独犯ではなく、複数犯と断じた理由。
「何のことは無い。二人いることが確認できたからだ」
「刀を差しているだけで俺がやったとするのは早計では?」
「いや」
早計などではない。
「あんたは間違いなく殺している」
俺は見た。確認したのだ。リュドミラの焼却炉の前で。
「この事件の犯人の一人、直刀使いをね」
恐らく殺されたのはごく最近だろう。
少なくとも昨日、ないし一昨昨日。
昨日までで殺された人の数は11人。
あの検死室にそれだけの数があったはずだ。
事実、昨日俺が赴いた時には冷蔵室の4体と並べられた死体があった。
『八方』に並べられた、死体を。
冷蔵室にしまわれた死体は4体。
であるならば室内に出ていた死体は7体。
八方に並べるには数が一つ足りない。
だが、実際室内には並べられた8つの死体があった。
「つまり、あそこには表だって見つかってない12番目の遺体がある」
俺はそいつを知っていた。
髪こそ剃られていたものの、決して見たことのない笑い顔であっても。
俺と彼の笑いの中に混ざっていた奇妙な笑顔。
笑った風に見えたそれは実際死後硬直によって笑っていた。
それこそ紛れもなく直刀使い。
あの時には既に、直刀使いは殺されていた。
「最初の犠牲者と同じ手口でね」
「ああ、しまったな。最初の奴をやったのは俺と証言してしまった」
全く困っていなさそうだが、彼は自分の軽率な言動を恥じているらしかった。
「見事な兜割りだ。その為に、明確なヒントを残してしまった」
「それは?」
「死後硬直」
死後硬直で顔が引きつるという事は、筋肉がつり上がるという事。
断裂した筋肉では歪んだ顔しか作れない。
だが、第一号と直刀使いの顔は安らいで見えた。
筋肉組織を崩さずに切断をやってのけた証明である。
「以上のことから、犯人は二人で、そのうちの一人はあんただ」
「御名答」
蓋を開けてみれば、他愛もない。
何ら難しくない、ただの連続殺人だ。
「ただ、この事件はその単純さ以上に不可解な点が多すぎる」
なぜ今になって?
なぜ閃士郎と同様の手口を?
それをやってのける彼と直刀使いは何者?
誰が何のために、何を持って起こした事件だ?
「お答えしますよ。全てね」
ええと、どこから話そうかな。
まずは俺とアイツ、直刀使いね。そして閃士郎との関係性から教えましょう。
俺の一番古い記憶は廃刀の山の上です。
錆びや罅、綺麗に折れた物から力づくでねじ切られたものまで。
様々な状態の、満身創痍の刀たちの死屍累々の山の上。
そこで呆然と一人の男を仰ぎ見ている。
その男は俺を見据えてこういうんです。
『お前は悪鬼だ。何れ俺を裁くのは、お前のような存在だ』
そう、そいつが閃士郎。
東京を恐怖に落とした調本人。
まだ誰も殺していない頃の事です。
それから俺は閃士郎と共に暮らし始めた。
既に息子がいて、そいつが正式な息子でした。
そいつが直刀使い。俺の兄で、閃士郎の息子、清四郎です。
分家筋の四番目。故に名前に「シ」を入れる。
成人と同時に自分で好きな「シ」の字を当てる。
父の場合は「士」で、兄の場合は「史」だった。
閃士郎がどういう意図で殺人を行ったのか、それは今もわかりません。
分かっているのは、閃士郎は最後の最後で志を折った。
結果はご存知の通り、閃士郎は衆人環視の下なぶり殺しにされた。
それだけの事をやったんです。当然といや当然の事。
だが、アイツは、清史郎は当然とは割り切れなかった。
殺された父の仇を取ろうと、躍起になって剣を磨いていた。
閃士郎の真意すらわからずに、ただ父の背中を追って励むあの背中。
思い出しても呆れてしまいますよ。
閃士郎の死後、俺と清史郎は遠縁を頼り蝦夷に渡りました。
暫くはそこで生活していたんですが、ある時アイツはふらっといなくなった。
東京にいった事を知ったのは随分あとでしたよ。
伝手を使って言伝を聞いた時には馬鹿かと思いましたよ。
『やっと準備が整った。この街に復讐してやる』ってね。
調べてみると、どうにも、アイツは日本政府に雇われているらしかった。
知ってます?近々政府がでかい構造改革をやろうとしているんですって。
その為に今ある東京の基盤を崩す必要があったんでしょう。
その為の起爆剤に、アイツが使われた。
仇を取るつもりが手玉に取られるとは、何とも滑稽だとは思いませんか。
可笑しくて、馬鹿馬鹿しくて。
だからアイツが足搔く様を見ようと俺もこの街に来たんですよ。
幸い色々やってたお蔭で検死官なんて肩書見繕ってこの街に入ったんです。
唯一つの誤算は、アイツが行動に出る前に俺が一人殺しちまったってことです。
個人的に思い入れがある人でね。出会い頭に、思い出話をしながらつい、ええ『つい』です。
そうしたら事件はここまでややこしく拗れちまった。ああ面倒くさい。
探偵さんみたいな人に煩わせるのも申し訳ない。
だからせめて始末は手前でつけようと、アイツを殺したんです。
いろいろ裏目に出ちまったようですが。
兎にも角にもここで俺がやることは無くなった。
名残惜しいが蝦夷に帰ろうと思った。
これがこれまでの俺の行動とそのいきさつです。
茶番だ。
実に下らない、始末に負えない手に負えない。
こんな三文芝居に踊らされる俺もこの街も、皆等しく馬鹿らしい。
何が人間味だ。
この男にそんな要素は微塵もない。
直刀使いにはあったのだろう。『復讐』という人間味が。
だがそれも、この男の愛なき一刀により地に伏した。
結局、この事件で得られたものなど何もなかったのだ。
「このままおさらばなんて、都合のいいことがあるとでも思っているのかい?」
「都合、不都合はどうでもいい。俺に出来るか出来ないか、です」
「出来ると踏んだか?」
「ええ、探偵さんを相手取るのなら」
舐められたものだ。
だがそう一笑に付したところで状況が窮地というのもまた事実。
俺では彼に敵わない。
技術、武器、経験。そのどれもに及びもつかない。
そして彼には才がある。天の寵愛とでもいうべき天賦の才が。
あの兜割りを前に、それが理解できぬほどの愚者ではない。
だが、やらねば。
何故かは分からぬがやらねばと思う。
百鬼の言葉があったからか。
俺はこの心に決着をつけねばならない。
「退く気はない、そういう事ですか」
思慮の暇を切り裂く一言。
あぁ、もう時間は残されてなどいないのだ。
ここまで来ては抜かなくてはならない。
心持とは裏腹に、両腕は腰に向かう。
腰に差した刀の刀身を月下に晒す。
春海。痩せ細りながらも反りは深く、万物を瞬断せんとするほどの獰猛さが溢れ出る。
剃刀が如き、触れるもの皆斬らんとするその在り様。
「美しい、いい刀だ」
彼は感嘆しつつも同様に腰の業物を抜き放った。
一度握れば至高の逸品と感じ取れる紛れもない名刀、夢幻。
百鬼に渡したはずのそれが今彼の手にある。
そのことに一切の驚きは無かった。
「閃士郎から預かったってのは嘘か。あんたはそれを最初の殺人の後百鬼に預けたんだ」
「ええ。おれが『ぶきや』にこれを託しました」
「何でそんなことを?」
「さぁ、今となっては何でなのか。気付いてほしかったのかもしれません」
何に、とは問わない。
誰に、とも問わない。
俺は気付いて、ここに来た。
それだけで十分だ。
「あの狸め」
そしてそのことを億尾にも出さず、狸を決め込む旧友。
恐らく、閃士郎が刀を預かったのは本当だろう。
だが、その後、百鬼は刀を彼に渡し、蝦夷に送らせた。
そして再び邂逅し、夢幻を俺と彼との縁とすべく、俺に渡したのだろう。
だが不思議と恨み言は浮かばない。
俺の心の在り方を決めるときだと百鬼は言った。
であるならばこれはあいつ自身が俺の為に御膳立てた鉄火場だ。
応えねばなるまい。
答えねばなるまい。
「さぁて、語りは尽きましたか?」
「ああ。もう済んだ」
「では、どうします?」
「決まっているだろう」
八相。からの刀身を右側に寝かせ眼前に柄を持ってくる。
「やろう」
もう十分語った。
演劇の様に語りながら刃を合わせる趣味は無い。
それ程に主張したいものがあるわけでもない。
あぁ、こうなることは予想できなかった。
切掛けは復讐心。肉親を殺された過去との決別の為だった。
だがそれは、拭い去れぬ内の黒いモノに飲み込まれた。
その黒いモノは直刀使いとの戦いを望んだ。
あの時はそれを抑え込み、逃げに転じた。
だが、もうそれは無い。
この男を前に、それは出来ない。
先程までの俺は、事件の探求と解明に急いていた。
だが、それも片付き、今あるのは黒い感情のみ。
俺が探求し、解明すべきものもそれだけだ。
あぁ、なぜだろう、居っときはあれ程までに恨んでいた閃士郎。
あの殺人鬼に対しても最早思うことなどない。
殺された兄のことは、まだ俺の心のどこかの鎹となっている。
「今は、な」
夢の中で見た兄は俺に何を問うたのだろう。
その答えも今に分かる。
双虎流は『居合』としておきながら、殆ど抜刀した状態で繰り出す技ばかりである。
これは師、炎仙曰く、『虎は爪をむき出しにしているが、戦う時初めてそれを振るう』
つまりは、自然界に存在しない鞘など捨て、虎の如く刈る技を編み出したのだ。
虎は居座った状態から翻って得物を狩る。
これは居合の理念と一致すると同時に、不意討ちや奇襲の面でも有用である。
よって、双虎流の基本は抜刀しつつ体に刀を密着させ、然る時に繰り出す。
俺は春海を握り込み、抱きかかえるように腕を折りたたんだ。
右手を左脇に、覆うようにして開いた左手を右肩に。
刀を持った腕を抱擁するようなその構えは『双虎流 一刃ノ型 怒涛』である。
対する彼は目立った構えをとらない。
抜いた刀身はそのまま地を向き、力は抜けてだらりとしている。
その相貌は穏やかで、戦術を思考しているようにはとても思えない。
『怒濤』の肝は文字通り、疾風怒濤が如きの一撃である。
懐の爪を飛び上がるようにして見舞う正に虎の化身たる一撃だ。
奇襲としての側面を持つこの技を繰り出す以上、相手に思慮の時間を与えてはならない。
脱兎の如く、いや、猛虎の如く。
跳んだ。
地に轍を作らんばかりに踏ん張り、蹴り上げ、舞い上がる。
距離を詰め、間合いを捉え、後は繰り出せば首級を取れる。
だがこの状況においても未だ彼は刀を翻さない。
防御もせず。
先手も討たず。
ここで果てるつもりか?
否。
それだけは無い。
この男はここでは終わらない。
これまでの数少ない邂逅ながらに、俺はこの男を理解しつつある。
俺の知るあんたは、ここでそんな興醒めな幕切れを求めない。
……。
……。
興覚め?
俺は今、胸中で興醒めと詠ったか。
一瞬の困惑。
しかして、彼はそれを見過ごさなかった。
ふわり。
空気を凪ぐようにして閃光が眼前を捉える。
それが刀の、夢幻の描く奇跡であると気付くのに時間はいらなかった。
「くっ!」
瞬間、鍔ぜる。
儚く舞って散る火花。
彼の右横を通り過ぎ、ちらりと春海を見ると薄い刀傷が着いていた。
あの距離で、正眼から討ち取らんとしたのかと、驚きを隠せない。
直刀使いとの戦闘時も似たような状況に出くわした。
しかしあの時は回避が間に合った。
回避を選択する無意識化の働きがあった。
だが今のは、その反応すら届かなかった。
ではなぜ俺は生きている?
決まっている。
手心だ。
「ッ!」
やり過ごし、着地する瞬間再び足を踏ん張り翻る。
『怒濤』はまだ終わっていない。
左足を地に差し、そのままバネの様にして地を蹴り、向き直る。
今度は右手を上に、左手を下に。
上空から斬り下ろす。
奇襲の次に奇襲を重ねる。
これが『怒濤』の真髄だ。
彼はまだ背後を現している。
振り向く暇は与えない。
獲った。
そう確信した。
刃が男のうなじに入り、背肉を骨から削ぎ落とす―
だが、右手に感じる衝撃は、柔らかな肉ではなく、無骨な鋼のものだった。
あぁ、馬鹿な。
直刀使いのそれは言うなれば小手業だった。
逆手持ちにして脇腹の見舞われる奇襲を止めようとする。
だが、これは違う。
この男は―
後ろを見ずに、逆手持ちで、斬ったのだ。
男の背中にあるのは右側から伸びた刀。
逆手持ちで防御したのではない。
逆手持ちにしたのち、後ろに滑り込ませるように突いたのだ。
防御ではなく、刺突。
それも逆手で背中に向けてなど、兵法者も裸足で逃げ出す。
そんなことは曲芸師でもやりはすまい。
それ程に常道に反した愚の骨頂。
それを成し得るこの男は、愚者であろうが愚鈍ではない。
たった二太刀で分かってしまう力量の差。
間違いなく、眼前の男は無双の兵法者だ。
あぁ、これは勝てない。
その確信がある。
恐れ故か、体は震え、頬は引き攣る。
強引にそれを抑えつけ、両足を踏ん張る。
「もう、一押しか」
ゆっくりと振り向きながら、俺の様子を見つつ男は呟く。
その内容を問い詰める余裕も残っていない。
頭の中の武技を総当たりして有効な手段を探す。
だが、そのどれもが確実に及ばない。
畜生め。
討つ手無し。
死が決定してしまっている。
不意に春海が重く感じた。
仕手を見限るかのように。
その重みが地面に達し、鎌首が上がることは無い。
あぁ、畜生。
それだけしか今の己にあるものはない。
叶わないことへの諦めと、相手への文句。
ここまで歴然としているか。
あんたはどうやってそこまでの強さを得た。
サタンと契約でもしたか、であるなら地獄に落ちる様を笑ってやる。
『どこからだい?』
そりゃあ、天国かな。
『君は天国に行くのかい?』
幸いにして人を殺したことは無い。見殺したことはあるけど。
『君には無理だよ』
んぜ、そんなことが言える?
『自分を見なよ。そんな君が、天使と戯れる様など在り得ない』
地に伏す春海を傾ける。
刀身の腹を鏡代わりに、己が相貌を仰ぎ見る。
「…なんだ、こりゃ」
恐怖に震えているのではない。狂乱に武者震いしているのだ。
引き攣っているのではない。笑っているのだ。楽しく。愉しく。
「何って、探偵さんですよ」
顔を上げれば俺がいる。
いや、彼は俺ではない。
ではなぜ、彼は俺と同じ顔をしている?
「貴女はこちら側の人間だ。来るのを待っていましたよ探偵さん。いや―」
災夏の妹さん。
「…兄を知っているのか?」
「閃士郎が事件を起こす前に、俺はあいつと遭っています」
「どういう、ことだ」
「どうもこうも、あなた方の道場にお邪魔したことがあるんですよ」
「じゃあ、まさか」
「ええ、あなたとも会っています」
嗤っている。
朗らかなものではない。
くの字に歪め、口角は吊り上がり、三日月の様な笑みを浮かべている。
「改めて、父閃士郎と兄清志郎共々お世話になりました、狂四郎と申します」
初めて聞いた彼の名前は、閃士郎を訪仏させる字面だった。
「壬生、秋晴」
俺も名乗った。
「成長なされた。あの時のあなたはもっとずっと小さかった」
本当に過去に耽っているのか、歪んだ笑みからはその真意は見て取れない。
「思い出せないのも無理はない。とはいえ、これで体裁は整った」
「なにが?」
「俺は、あなたを一目見た時から思っていたことがあるんですよ」
「なにさ」
「あなたを斬りたい」
そういって男は、狂四郎は初めて明確な動きを取った。
夢幻を地に這わせるようにして姿勢を低く、切り上げる。
それに無意識に反応し、刃を合わせて退けた。
続く二刃、三刃。
幾重にも続くその猛襲に意識の外から刃を合わせる。
思考が追い付かない。
思考は追い縋らない。
もう何をしても浮上することなどないのではないか。
そんな気さえする。
あぁ、自分はこんなにも弱かったのか。
もうこのまま狂四郎に斬られてもよいのではないか。
「何を耽っているんです」
その無双を、しかし、当の本人が散らした。
「ようやっと見れた自分の本性に、なぜ目を逸らしているんです」
刃を散らし、悲鳴にも似た斬撃音の中、朗々と歌われる狂四郎の言葉。
「それはあなただ。秋晴。俺はあの時、幼い君に俺を見た」
衝撃が肩を突き抜け、骨をきしませ脳を響かせる。
「初めて見つけた。俺の同類だ。研鑽のため剣を振る父や兄と違う、俺と同じ」
耐えきれず地に足を着ける。
「刀を人切包丁と理解して、その在り様に惚れ込んだ」
意識が暗転する。
黒い意識に飲み込まれ、俺は意識の手綱を手放した。