『荒廃』
今日もどこかで響く発砲音。爆破音。金切り声。断末魔。
この国が、日本という国がもうどうしようもないほどに終わってしまってから40年。
国家基盤成立から現代に至るまでの連綿と繰り返されてきた歴史と伝統は潰えた。
ここにあるのは、暴力と、それを振るう者と、成すがまま振られる者だけだ。
誰かが言った。日本はもう終わりだと。あの輝かしき時代は帰ってこないと。
誰かが言った。日本は終わってないと。また素晴らしき時代を取り戻そうと。
誰かは言った。ただただどうでもいい。日本が輝いたことなど一度もないと。
輝いていたかどうかなど、その時代の人間には決してわかりはしないのだ。
その時代がその国にとっての黄金期であったかどうかは、歴史家が判断することだ。
歴史的事象をほぼ残りなく展開し終えたところで、それを理性的に把握する。
そしてそれが哲学者によって概念に昇華され、初めて凡人が理解できる。
だからこれから俺がすることも、人として終わっているとすることは出来ない。
それを正確に判断するのは、歴史家と哲学者と、後世の人間のみなのだから。
怯え切ったその表情、硬直した筋肉。健常な人間とは思えない。
それに反して、俺の心は落ち着いていた。人を殺す前だというのに。
下ろしたままだった得物を引き寄せ、振り上げる。
ふと見上げると綺麗な満月。しばしその美しさに見惚れ、
その満月を両断するように、真っ直ぐ振り下ろした。
第二次世界大戦後、GHQによる戦後政策で、日本は強大な支持母体を失った。
曰く、「天皇とはただの人間である。故に国の統治者ではなく、ましてや神ですらない」
大政奉還以後、100年にも満たなかった天皇家最後の統治時代はあっけなく終焉を迎えた。
そしてヤルタ会談内での取り決め通り、日本は戦勝国によって仲良く配分された。
蝦夷はソビエトに。九州・四国はアメリカに。東京以外の本州はイギリスに。
日本はその大部分を貪り食われ、ほんの切れ端のみ日本国とすることを許された。
隣人は同じ肌に黒髪で日本語を話すからといって、日本人とは限らないのだ。
この容赦ないまでの占領政策に当然日本は抵抗した。だがその悉くは粉砕された。
世界は知ったのだ。日本人は追いつめると何をするかわからない。だから徹底しようと。
日本国民であるというイデオロギーそのものを踏みつぶし、立ち上がること無きようにと。
その効果のほどは、この40年で日本は終わったといわれることからも明らかである。
覿面すぎた。日本国民は己がポリシーを失い、占領国に迎合して生きることを選んだ。
それに耐えられない者達は東京に集い、決起の時を待とうとしたが、これも無駄に終わった。
叶わぬ夢を見続けられるほどに、人々は強靭な精神を持ち合わせてはいなかったのだ。
私立探偵なんて仕事は本当に食えやしない。草の根を齧って生きる毎日だ。
そもそもにおいて今の東京に探偵という業種などまず必要ない。
命を狙われるなんて日常茶飯事だし、迷い猫は放っておくし、浮気者は殺せばいい。
自己完結、自力救済が何ら咎められない毎日だ。わざわざ第三者に託す必要などない。
強いて言うなら自由の利かない者達。警察などの国家機関などが必要とするだろう。
まだこの国に警察なんてものがあったのかと驚く者もいるが、実は政府だって残っている。
といってもインフラ供給や鎮圧行動以外にすることのない政府だが。
さて、そんな政府の下結成された東京警察、通称東警は俺にどんな仕事を頼むか。
概略するとこうである。
「そうだ。風俗行こう」
「いった風俗はマフィアが経営している店だった」
「金揺すり取られるから交渉して」
これが年に4,5回ある。全く以て馬鹿というか鳥頭というか。
人間は過ちを繰り返す生き物だ。だがそこから何も学ばなければ意味はない。
喉元過ぎて熱さを忘れるとは、これ程に救いようのない言葉だったのか。
「で、また交渉に来たのか」
俺が訪れたのはロシアンマフィアの経営する風俗店、リュドミラ。
「今回は大分吹っ掛けましたね。いくらぐらいに抑えます?」
「米ドルで20万。こんなもんだろう。女3人の額にしちゃあ、ちと高いがな」
年に何度も似たことをされるんじゃあ、そりゃ結託するにきまっているだろう。
こうしたことをし続けたせいで、俺には太いパイプが多すぎる。
「秋晴くん!!」
俺、壬生秋晴の名を呼び、背後からソファ越しに女が一人抱き付いてきた。
「やあリュカス。元気そうだね」
リュカス・パヴリチェンコ。この店のオーナーの一人娘だ。
この店の一番人気といってよい金髪碧眼の超絶美人だった。
「今日は遊びに来たの?六本木の一件以来ね。一緒に飲もうよ」
「仕事で来たんだよ。て、あれ?未成年じゃなかった?」
「この街にはもう法律は無いわ。祖国ならもう飲める年頃だし」
ウォッカの瓶をカウンターの棚から取り出し、素早くコップに注いだ。
ストレートで飲み乾すその様から、ずっと以前から仕込まれていたことがわかる。
「一杯ぐらい付き合ってよ」
「ごめんねリュカス。仕事中は飲めないんだ」
「いつもみたいにルカでいいわよ。その方が発音しやすいでしょ?」
肩にしなだれかかり、膝を摺り寄せてくる。まるで別の生き物のようだ。
そして彼女が近づくたびに。対面に座する強面の男性の顔が一層険しくなる。
「ルカ。また、今度ね」
ルカの両肩を優しく押し出し、彼女と一定の距離を取る。
乱暴にではなく、努めて優しく。声色も決して荒げずに。
おいしいとは思うが、据え膳には毒が盛られてないとも限らない。
危ない橋を渡るのは、それこそ政府のお偉いさん方だけで十分なのだ。
「取り敢えず、20万ドルですね。分かりました。そう掛け合います」
「あ、むぅ~」
話を切り上げ、ソファから立ち上がった俺を、ふくれっ面で睨むルカ。
こういうとき、可愛い顔が台無しと言えればよいが、ふくれっ面も可愛いのだ。
「今度、個人的に会いに来るよ。それでいい?」
個人的にとあればそれはそれで問題になりそうだが、ここ以外ならどこでもいい。
マフィアのボスが経営する店でその娘といちゃつくことが危険なのはサルでもわかる。
「うん!」
そんな俺の心持を知ってか知らずか、彼女は元気に答え、手を振ってくれた。
その天真爛漫極まる笑顔は正しく純粋無垢。だから多分心持など気にしちゃいない。
マフィア以外はパーフェクト。なんたってこんな面倒くさい女の子になつかれたのか。
だが、可愛い子になつかれるのは、いつだって悪い気はしないのである。
「秋晴くんは本当にかっこいいわ。女の子なのが勿体ないくらい」
例え俺が女であっても。