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―弥 生-

憧れのパティシエの店でバイトを始めた伊藤君。オーナーパティシエの彼女はオーナーを冷静に見ている様で…

「男の子がうちでバイトって、珍しいわね」

「そうっすか~?」

「ま、伊藤君イケメンだから女の子のお客さん増えてオーナーも喜んでいたけどね」


 三月になって俺はあのパティシエの店でバイトを始めた。

「伊藤く~ん、ショートあがったよ~」

 奥から声がして、仕上がったケーキを取りに行く。トレーを受け取って、オーナーパティシエの手の動きに目がいく。

「どうした?」

「いえ…何でも、すみません」

 俺はトレーの上の繊細な光を放つ白いクリームを見つめた。


「伊藤君ってさ、何で俺の店にバイト決めたの?」

 ある日、オーナーパティシエの堤さんが聞いて来た。

「あの実は、先月料理教室で…」

 俺はあの日の話をした。

「あの…何だか、すごく、堤さんみたいに作れるようになりたいって思っちゃって…」

「そうか…。あの日、君もいたんだ」

 次にバイトに行くと、俺はガラスの向こう側で仕事をする様に言われた。

 そこは憧れの堤さんの手がハッキリ見えるポジションだった。


 


 バイトの伊藤がコック帽を被って作業する姿を想像してみた。

 今時のイケメン高校生。スイーツを作る伊藤の姿は客の目を引く筈。

「お待たせ」

 七重が皿の前でプチトマトとクレソンを持って立っていた。

「これ…どこがいいと思う?」

 皿の上にはソテーされた魚の切り身がのっていた。

「今回はどこ?」

「老人ホームのパーティー食」

 七重はケータリングを主とする会社に勤めていて、俺達は何かの祝賀パーティーの企画で知り合った。

 ケータリングだけでは運営していけないので、料理教室やレシピの作成、商品開発など料理に関するものなら何でも受ける。

「法にふれない事なら何でも受けるのよ、うち。ブラックだわ~」

 七重は笑いながら言う。それでも、辞めないのだから気に入っているのだろう。

「七重が連れてきた高校生…」

‘ん~’と返事をして七重は刻んだプチトマトとクレソンを魚の脇に添えた。

「パティシエ希望なんだってさ」

「あら、本当?」

「中、やらせてみようかと思ってさ…」

「あの子イケメンだから、いいかもね…」

「そう思うか?」

 ソテーされた切り身は火が通り過ぎてパサパサだった。



「いらっしゃいませ~」

 中に入ると真正面のガラスの向こうに伊藤君を見つけた。

 堤はパティシエよりも経営に向いていると思う。俯いて仕事をする伊藤君は確かに人の目を引くだろう。堤は女性をドキッとさせる手段を心得ている。ショーケースの前の女の子は可愛いし、隣の年配の女性は人をホッとさせる雰囲気を持っている。この店全体が堤の商品。

 奥に居る堤は、下を向いて手の動きに集中している。きっと、私の事はチラッと見ただけ。

 奥から出て来て声をかけてくれるなんて、これっぽちも期待していない。堤はそう言う男だ。


 ショーケースの中の真ん中、中段の中から2種類買った。

 堤が選んだ、今一番上出来の自信作。今、一番食べて欲しいスイーツはそこに並べられる。


 背中で自動ドアが閉まる。私が店を出る姿を堤はきっと見ていない。


 そんな堤と付き合い始めてもうすぐ2年になる。

 クールな男と言うか、感情が表に出ない。

 大声で笑うし、お涙頂戴的な映画を見て目を潤ませたりするのだが、それは反射的なもの。心の真ん中はクール。私はそう思っている。


 圧力鍋の中で、肉の塊が柔らかくなっているはず。

 切り分けてソースをかけた。ソースのベースはしょうゆ。この味なら、お年寄りにも受け入れてもらえると思う。高級老人ホームのメイン料理。

 和食のフルコース料理。懐石もフルコースも若い時に堪能したであろう人々の舌は肥えているだろうし、料理を目で楽しむ事も知っているだろう。

 デザートは堤のケーキとお薄茶にしようと考えていた。和も洋も一度に楽しめるメニュー。

 彼らの胃は若くない。


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