2.元気娘は逃亡中?
「なんでこんなことになるのよ!!」
一人の少女が、市が立ち並んだ賑やかな街道を全力疾走していた。
その後方からは物騒な刃物や棍棒を手にした男が数人、罵声をあげながら猛然と追いかけてきている。
男達は額に一様に汗をかき、その様子を唖然として見守っている人々を突き飛ばし、脇目もふらずに躍起になっている。
にもかかわらず追い付けていないのは、少女が意外に軽い身のこなしで、道行く人々を交わしながら走っていくからだろう。後ろを振り返ることなく、複雑に入り組んだ道をわざわざ選んで逃げている。
だが、土地勘のない場所での追いかけっこでは彼女に勝ち目はなかった。
行き止まりを示す赤い土壁が少女の行く手を阻む。少女は辺りを見回し、逃げ道を探すが、突破できそうにない。
彼女は壁を背に立ち止まると、やって来る男達を、琥珀色の瞳で睨みつけた。かぶったフードを跳ね上げ、長衣を脱ぎ捨てる。豊かに波打つ茶褐色の長い髪が砂混じりの風にあおられ、ふわりと揺れる。
少女らしいほっそりとした体つきに、構えた剣はかなりアンバランスに見える。男達の間から失笑がもれた。
「お嬢ちゃん、たいそうご立派なもん持ってるが、振り回せるのかね」
「やめときな。そんな細腕で無茶をすると、怪我するぞ」
男達は口々にはやし立てる。1人の男が他の者を押し退けるように少女の前に進み出た。その顔には卑しい笑みが浮かんでいる。じろりと上から下まで一瞥すると、その笑みは更に大きくなった。
「いろいろと楽しめそうだしな。だから無駄な事をして、そのキレイな身体に傷をつけてもらっちゃ困る」
男の勝手な言い分にも、少女はまったく怯える様子もなく、鼻先でふんと笑った。
「下品なことほざいてんじゃないわよ。RPGなら5秒で倒されるゴロツキのくせに」
一見淑やかそうに見える少女の口から発せられた暴言に、男達は一瞬唖然とした。
普段であれば女は震え上がり、泣き伏すはずの場面展開である。しかし少女は瞳に冷笑を浮かべ、あまつさえ挑発まで口にしてのけた。
自分達の絶対的有利を確信していた暴漢達は、憤った。
口々に野粗な言葉を吐き散らし、もっている得物を向ける。
「さっすが、脳筋族。ボキャブラリーの貧相さは人後におちないわね。それ以外に自慢するところ、ないわけ?」
さらなる挑発の言葉に、大の男達が少女に飛びかかって行く。
数十秒後には彼女の運命は怒り狂った彼等の手に堕ちるはずだった。
その瞬間――。
少女の腕を捕らえようとした男の腕が、横合いから出された手によって押さえられる。ゴキリ、と嫌な音がして、腕はあらぬ方向に曲がった。
「何やってるんだ、馬鹿娘。宿屋で待ってろって言っただろうが」
行き止まりのはずの赤土の壁を叩き壊して登場した少年が、男を掴んだ手を思い切り振り払う。
叫び声を上げてうずくまった男を尻目に、なぜか怒り顔の少女を自分のもとへ引き寄せる。
「挙げ句の果てに、挑発して事態を悪化させやがって。自分を過信するなっていつも言ってるだろう」
何を聞いてるんだ、と説教しながら、状況の掴めていない男達に冷たい視線を向ける。冬の海を思わせる碧色の双眸が、怒り沸き立つ彼等を射抜いた。
「おい、悪人面のおっさん達よ。この脳足りん娘に怒るのはわかるが―ー」
誰の脳が足りないのよ、との抗議はまったく無視してのける。
「年端もいかない小娘に剣を向けるとは、どういうことだ」
その質問に答える者はなく、意味不明の唸り声を発しながら、少年の方へ走り込んでくる。
「大人しくしていてくれたほうが、お宅等の身のためなんだけどな」
少年がどちらが悪役か分からない台詞を吐き、肩を竦めたとき、1人の男が悲鳴をあげた。少年の体に剣を突き刺そうとした男の右足から鮮血がほとばしる。付け根から先がごろんと地面に転がった。片足を失った男はその場に倒れふした。
その背後には、これまた一人の少年が長剣を手にして立っていた。
その彼の身の丈ほどもある剣先からは血が滴っていたが、どうしたものか彼のまとうローブには一滴のしみさえ付いていなかった。
「リナ、何も言わないでいなくなっちゃいけないよ」
穏やかな声で、少女に話しかける。
「僕達には土地勘がないから探し出すのも一苦労だ。なにより、君が危ない目に遭っていてもすぐ駆けつけてあげられない。心配でどうにかなってしまうよ」
拗ねた表情を浮かべる少女に一歩近づいて、その顔を覗き込む。優しい深緑の瞳が彼女の視線をとらえた。彼がふわりと微笑むと、少女はおずおずと顔を上げその顔を見つめ返し、そして満面の笑みを浮かべた。
殺伐とした風景の中で繰り広げられている、ほのぼのとした雰囲気ただよう光景に、男達はあっけにとられた様で、皆一様にぽかんと口を開けている。
「いつまでもラブシーンやってんじゃねえよ、この主従は!!」
もう一人の少年が苛立った声で、2人を引き離す。再び口を尖らせた少女を、鋭い目で睨み付けた。
「勝手にうろうろするなって、何回言えばわかるんだ、お前は。慌てて探し出してみりゃ、大量のオヤジ共に捕まりそうになってるし。行く先々で問題ばっかり起こしてたら、あの人の所に連れて帰るぜ」
「…‥ごめんなさい」
少年の言葉に、少女は俯いて小さな声で詫びた。騒ぎが大きくなりすぎたことを素直に反省したらしい。
「そこまでにしたらどうだい、ラエル。大体、これまでのトラブルの原因は君にもあるんだから、リナばかり責められないよ」
厳しさを潜ませた声に、ラエルと呼ばれた少年は小さく舌打ちした。
「分かったよ。本当にリナに甘いんだからな、アキは」
これ以上指摘されるのはごめんとばかりに早々に説教を諦めて、撤退を始めようとそろそろと動き出していた男達に鋭い視線を放つ。
「逃げるんじゃねえよ、てめえ等」
殺気のこもった一言に男達はギクリと足を止める。
「そうそう、事情は説明してもらわないとね。もし僕等の姫が迷惑をかけたなら、きちんとお詫びしなくてはいけないし」
いつの間にか、男達の退路を絶つように路地の入り口側へと場所を移していた少年が、再び長剣をさりげなく手にする。その口にはかれた笑みは、どこか薄ら寒いものを感じさせた。
大人しくなった男達の様子に一つ頷いて、説明を促すように少女を見る。
「別にあたしが何かしたって訳じゃないのよ。ただ、ぶつかっただけで…‥」
「で、難癖を付けられたわけか」
典型的な破落戸だなと、呆れたような口調で呟くラエル。
「ぶつかって、彼等の持ってる袋の中身が路地に落ちたのよ、全部」
「って、しっかり原因つくってるじゃねえか!」
「ちゃんと拾おうとしたわよ!だけど断られた上に脅されて、腹が立って」
「言い返したのか」
「触ろうとしたから泣きどころを蹴ったの」
「…‥やっぱりな」
それはもう見事に跳躍を決めたのだろう。その様子がまざまざと想像出来て、ラエルは大きく嘆息して、額をおさえた。
「初対面の乙女に触れようっていうのが、そもそも間違いなのよ!」
「間違ってるのはお前だ!そう言うときはちゃんと呼べっていつも言ってるだろうが!!」
本当に世話がやける、と彼の溜め息は更に大きくなる。苦労性な少年に男達からは何故か同情の視線が投げられる。ラエルはもう頭を抱えるしかなかった。
「でも、おかしいのよ、この人達」
「どうして?」
疲れきった表情を浮かべてうなだれているラエルに変わり、今度は何事にも動じないらしいアキが聞いている。
「落ちたのは色のくすんだ銀だったんだけど、拾おうとしたら凄い剣幕で突き飛ばそうとしてきたわ」
盗るつもりなんてないのにね、とあくまで呑気な少女の言葉に、少年等の目がギラリと光った。その迫力に大の男達が竦みあがる。
「色のくすんだ『銀』ねえ…‥」
「こんなところでビンゴなんて、さすがトラブル体質リナ」
「失礼ね!」
「褒めてるんだ、素直に喜べ」
さっきとは打って変わってにこやかにリナの頭を撫でる。彼女はそれを振り払い、ラエルにむかって思い切り舌を出した。
「さてと、オジサン達。うちの姫が失礼したなあ。ちゃんと弁償させてもらうから、中身が傷ついてないか、ちゃんと確認させてもらっていいか」
口調こそざっくばらんに話しかけてはいるが、そのうちには緊迫したものが込められている。
全員の視線が自然に中央にいる男の持つ革袋へと流れた。その男はそれをギュッと握り締めた。
「まあ、無理ならそれなりの手段ってやつもあるしな…‥」
もはやどちらが悪人なのか判断しかねる台詞を吐きつつ、じりじりと中央の男の元へ歩いていくラエル。アキは隙のない構えをとっている。いつでも斬りかかれる態勢だ。
そのとき、沢山の靴音と共に鋭い警笛が当たり響きわたった。
「本当に今日はツイてないよな。なんでここで邪魔が入るんだ?」
「月並みにいえば、誰かさんの日頃の行いが良くないんだろうな」
「どう考えてもリナだろう」
「なんであたしよ!」
下らない言い合いをしている間に、回りを囲まれた彼等は囲んだ人数を確認した。
「これぐらいならどうにかなるか。オレが8でアキが6だな」
「配分を間違えてないかい、ラエル」
「実力で判断した順当な数だと思うんだがな」
「あたしの分は?」
むくれたように言うリナの頭をポンと叩いて、ラエルは微笑んだ。
「今回は大人しく見ていろ。もし自分のところに来たら片付けていい」
と、言いおいて先程は手にしなかった剣をすらりと抜きはなつ。これまた年端のいかぬ少年が持つには大層な豪剣である。それをまるで木の棒きれを扱うように軽々と一旋させ、勢いよく切りかかってくる男の胴に叩き込んだ。
派手な鮮血が飛び散るかと思われたが、相手は血の一滴すら流さず、腹を押さえたまま、その場に崩れ落ちる。
それに見向きもせず、バランスを崩すことを期待して襲ってきた刃を剣先ではらい、そのまま突進して一太刀浴びせる。
「本当に絶好調だね」
好戦的なラエルの戦いぶりを評しながら、こちらは構えた剣を小さく動かして、勢いよく飛んでくる切っ先を反らし、退こうとした相手の急所を突く。
1人が隙をついて、手持ち無沙汰に様子を眺めている少女に駆け寄った。彼女は必死の形相で向かってくる男を見て、にこり、と微笑む。
最初の一撃をかわし、飛び上がって相手の手を蹴り上げ、取り落とした得物を足でふんずけたあげくに、持っていた剣で相手の脇腹を打つ。
やはり何故か血は吹き出ず、男は横に倒れた。
「やっぱり足癖悪いな、お前は」
「見事だ」
双方から別々の感想が寄越される頃には、地面にはうめき声を上げて転がる男達ばかりだった。
「あっ、肝心のオヤジ共を逃がしたっ!!」
見れば、先程まで恐怖に身を震わせていた破落戸達はいない。この争いのすきに逃げ出したらしい。
「くそっ、こいつ等のせいだ。手加減なんかしてやるんじゃなかった」
「それが狙いだったのかもね」
地団太をふんで悔しがるラエルを白い目で見つつ、リナがぽそりと呟いた。
「…‥ちょっと来て、二人とも」
意識のない男のひとりの傍でなにやら探っていたアキが、にらみ合いをはじめていた二人を呼んだ。行ってみると、彼は男の鎧の胸元に刻まれている模様を指差した。
それは一本の剣と旗が交差して地面に突き刺さっているという、いっぷう変わったモチーフのものだ。
「少なくとも俺の知ってる地方都市や貴族の中には、この紋章はないな」
ラエルが首を傾げながら言う。リナはその隣ではたと手を打った。
「確かこれ、クーリエが見せてくれた資料の中にあったわ」
二人の少年が一斉に少女を凝視する。その目に構うことなく、彼女はひっかかっている記憶の断片を手繰り寄せた。
「分かった。『ヤシュネル』の商旗だ」
二人の口がぽかりと開く。リナはすっきりした顔で二人を振り返った。
「国境近くにあるローディ地方の豪族の紋章だって聞いたよ。…‥けど、なんでこんな中央地方にこの鎧つけた人がいるんだろ?」
問いかけるように二人を見るがまったく反応しない。
しばらくして、ようやく衝撃から立ち直ったらしい二人は睨みあげてくるリナに苦笑して、なんとはなしに顔を見合わせた。
「確実に俺達、あの人に手のひらの上で踊らされてる、よな」
「まったく、僕等にどれだけの茨の道を歩かせたいんだろうね…‥」
深い吐息と共に吐き出された言葉は、少年には似つかわしくない哀愁をたたえていた。