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猫が主人公のお話

猫殿、拙宅にて

 生まれ落ちて数年。気がつけば、人間の言葉を喋っていた。

 母猫も人の言葉を解したので、これは血筋であるに違い無い。

 老いた母は、人前ではにゃんと鳴け、人の言葉を喋るでないと口を酸っぱく言っていたものだが、あほうの私は「猫が人語を語って何が悪い」と意固地のように人間の言葉を使った。

 そのせいで、行く先々でほうぼうな目にあった。石を投げられたことも悲鳴をあげられたことも、捨てられたことも蹴られたこともある。そして気がつけば10数年。

 とある軒先の下で、私は先生に出会ったのだ。


 先生は奇特な男である。顔は皺だらけだし、背も丸い。年寄りである。文章を書いてそれで糊口をしのいでいるという。

 文章を見てもそれが上手いのか不味いのか私には解らない。ただ、じめじめとした文章である。

 そもそも私は言葉を解しても、文字は読めぬ。文字を理解しても、情緒を解せぬ。つまり私は文盲であった。私は文字を、情緒を、先生の部屋で学んだ。

 先生の部屋にみっちりと詰まった本を半分読み尽くしたあと、先生の文を読みなおしてみたが、やはりじめじめとして梅雨くさい文章であった。

 ただ先生の使う原稿用紙は特製品であるのか、私の老いて乾いた肉球でもめくりやすいことだけが大変よかった。


 閑話休題。


 先生と初めて出会ったのも、そんなじめじめとした雨の日であった。

 キノコでも生えそうな雨の日、軒先で雨を避ける私の隣に先生が立った。

 彼もまた雨宿りだったのだろう。ぐずる空を見上げて「困りましたねえ」など、ふつうの具合に聞くものだから、馬鹿な私は思わず「雨もあれば晴れもあろうさ、神様の配分なのだから」などと返してしまった。

 先生は人の言葉を話す私を見て、最初は目を丸めた。丸めたが、やがて細い目をさらに細めて、しみじみといった。

「猫の身で人の言葉を喋ってしまうのは、さぞや苦労の多いことでしょう」

 行き場もないのなら、拙宅へどうぞと先生は言った。私ははじめてそのとき、拙宅という言葉を、謙遜という情緒を知ったのである。


 先生に出会って、覚えた言葉は数多い。

「猫殿、買い物に行きませんか」

 先生は筆を置いて、ふとつぶやいた。

 買い物、という言葉も先生によって教えられた。

 人間は金というもので、食べ物を買うのである。軒先に並んでいるのだから、ひょいっと持っていけばいいものを、人間はそうはしない。金を儲けて、その持つ金の範疇で物を買う。

 随分と、まどろっこしい方法で手に入れる。

 このことについては一晩説明を受けても理解できなかったので、これが猫と人との差異であろうというところで落ち着いた。

「先生、雨ではないか」

「いえ、雲だけです。まだ降りそうもありません」

「そうか」

 私はお気に入りの座布団の上に丸くなったまま、尾を左右に動かす。

 猫が尾を動かすのは不機嫌な証だとか、なんとか様々な説があるようだが、ばからしい話だ。単に、動かすのが心地よいからそうしているだけの話である。

 先生の家の畳は、古くささくれ湿気を含み、まこと尾のブラッシングにちょうどいい。

「私は雨が好きですけどねえ」

 先生はにこにこと笑う。

 先生の部屋は六畳一間である。裏に線路と田圃のある、古くさいアパートの一室である。

 きしむ扉を開けると、部屋を全て見渡せるくらい狭い部屋である。

 文筆家。というのは儲かるものだと、何かの本で読んだ。しかし先生は人気の文筆家ではないらしい。金に困るほどではないが、家は狭かった。

 狭い部屋の隅には黒い棚があり、そこにカマボコ板のような黒い板が一枚、飾られている。死人をまつってあるのだと、先生はいう。その死人は先生の妻であるという。先生は毎朝、それに向かってもごもごと頭をさげる。カマボコにどんな御利益があるのか解らぬ。

「買い物か」

 私はゆっくり起き上がり、両手をそろえて伸びをする。毛が尾のほうから、ぞわわわと膨らむ。それを整えるように体を大きくふるって、あくびをひとつ。

「つきあおう」

 先生が買い物というのは、家から徒歩10分ほどのところにある、小さな商店街である。

 古い町にふさわしく古い商店街だが、この町は港に近いせいで魚の取りそろえだけは立派であった。

 外に出ると、ちょうど遮断機が下りるところであった。かんかんと、のんきな音をたてて道が封鎖されるが、電車はまだ見えない。長い線路が雲の向こうに吸い込まれる先、やがて赤い車体が小さく見えた。

 空模様は先生の言うとおり、重い曇り空。田んぼの青い稲が湿気を含んでざわざわと揺れている。かんかんと、遮断機の音がうるさく、しばらく待つと電車がのんびりと目の前を過ぎていった。

「1時間に一本の電車にも、随分人が少なくなりました。過疎化ですねえ」

「にゃあ」

 遮断機が上がれば、私と先生は並んで歩く。

 外を歩くとき、私はもちろん人の言葉は語らない。にゃあ、などと鳴いて見せる。かつての母が私をみれば泣いて喜んだことだろう。

 私もこの年になってようやく世知というものを理解した。

「今日は少し酒を飲みましょう」

 先生は杖をつきながらゆっくりと歩く。先生はずいぶんな年であった。

 しわしわの手、たるんだ足、着物の隙間から見える皮膚には薄いしみ。詳しく年齢は知らない。ただ年寄りである。私もまた。

 しかし体は堅強であるようで、先生はあちこちに出歩く。

 商店街の入口にある港臭い魚屋で魚の切り身を仕入れ、隣の酒屋で日本酒を瓶に注いでもらう。それを腰からぶら下げて、さくさくとあるく。私は先生の隣に続く塀の上に登り、上をまっすぐに歩く。

 猫はおおよそ高い場所が好きだ。私も猫である。高い場所からみる町は、赤茶けて見えた。

 遙か東に海がある。もちろん、こんな低い塀からでは海まで見えぬが、その空を飛ぶ鳥は見えた。真っ白く大きな鳥である。

 多くの家をすり抜けてまっすぐ進むと、この商店街にたどり着く。

 海と逆方向には線路があり、その線路の向こうに先生の家がある。

 人の少ない町だった。先生のアパートも、入居者は数人だけという有様。

 この商店街も、今や多くの店がつぶれ、生き残っているのは魚屋と金物屋と、酒屋くらいのものである。しかし先生は飽きもせず、この商店街へ買い物にでた。

 気がつけば私も、その買い物につきあうようになっていた。

 最初は奇異の目でみられていた同行であったが、一年もそうする間に誰もが慣れたらしい。最近では驚きの声をあげる人間もいない。

 ただ先生のご機嫌をとるように私の毛並みをほめ、私に魚の切れ端を投げる人間は少なくない。これを役得というのです。と先生は私にささやいた。 

「先生、猫ちゃんのフードも取り寄せておこうかね?」

 金物屋の女が、訛りの強い言葉で言った。太いが愛想のいい女である。

 大昔、遠い島国から嫁いできたのだそうだ。何年ここに暮らしても、方言が抜けないのだという。

「猫ちゃん年寄りやけんね。いるでしょう、年寄りの餌が」

 金物屋といいながら、この店は野菜も日用品も売っている。

 以前頼んでいた私の猫砂を受け取りながら、先生は困ったように笑った。

「猫殿はキャットフードを食べないのです。魚がお好きなようで」

「港町らしい贅沢なにゃんこちゃん」

 太い指になでられて悪い気はしない。尾のつけねをたたかれて、私はにゃあと鳴いてみせる。

「でも砂を持って帰るのも手間やろうね。もしあれならね、うちのに運ばすけん」

「ええ、でも家にこもるばかりの生活ですから、出歩くのが体にいいのです」

「そうやねえ」

 金物やの女が笑う。

「猫ちゃんを飼い初めてから先生は元気やもんね」

 二人分の買い物はすぐに終わる。かさかさとビニール袋がたてる音をたてて、二人で歩く帰り道。不意に雲が割れて暑い日差しが差し込んで、私たちは同時に目を細めた。

「これは雨がまた遠のきましたねえ……」

 梅雨だというのに、空梅雨である。日差しばかり夏らしく暑くなって、むしむしと体の湿る季節である。

 新緑の影もしおれて見える。通り雨でもほしいような気候だった。

「先生が酒とは珍しい」

 周囲に人がいないことを確認して私は人の言葉をしゃべる。

「覚えてませんか」

 先生は静かに笑った。

「今日は、一年前、あなたと初めて出会った日ですよ」

 むわっとした熱気が私の耳元を通り過ぎる。

 おもえば、彼と出会ったのは、昨年の梅雨のころ。今年と違って、昨年はよく雨の降る梅雨であった。



 夜半である。私は体をなめるのに忙しく、先生は酒を飲むのに忙しい。

「しょうせつか、は金が設けられるのではないのか。こんな狭い部屋でようよう我慢できるものだな」

「広い家は苦手なのです」

 魚の切り身は煮付けになった。薄い味でコトコト炊かれたそれを、私たちは半分に分ける。

 骨をかじって食う私を眺めながら、先生はちびちびと酒を飲む。

「広い家だと角にこう……不気味な化け物がおりそうで」

 先生は酒臭い息を細くはく。

「広い家では、隅々までみえないでしょう。私の見えないところに化け物がおりそうで」

 天井からつり下げられた電灯が、かちりかちりと音を立てて揺れている。

 家の裏には線路がある。電車が通るたびに家は揺れ、電灯も静かに左右に動く。

 そうすると、部屋の影も左右に動いて私は猫の本能からそちらばかりみてしまう。

 人の言葉を理解しても猫の本能とやらだけは、どうしようもない。

「笑ってください猫殿。私は恐がりなのです」

「それが笑い処なのかどうか、猫の私は理解できない」

 私はちらりと部屋の隅をみる。そこに線の細い女が小さく丸まって座っている。

 目が合うと小さく頷くばかりの女である。この女は私が初めてここにきたときから、そこにあった。

 黒いカマボコの中に祀られている女なのだろうと察しはついた。

 女は部屋の中にぼんやりといる。ある日先生のいない時に、なぜそこにあるのだ。と聞いたことがある。

 女ははかなげに笑うばかりで答えない。

 ははん。死んだ女が先生をみているのだなと私は悟り、それ以来、女を無視して暮らしている。

 私の母もある日、突然消えた。その消える直前、死ぬのだからついてきてはだめだと母は私にいった。思えば母のしゃべる猫の言葉はあれが最初で最後であった。

 猫は死んだら山に行く。不思議なことに、山に登る道には川があり、そこを泳ぐと毛の色が全部落ちるのだという。

 気ままに山頂に辿り着けば、そこには猫の仙人とやらがいて、山にきた猫の毛にぽとぽとと色をつける。

 外側を塗り替えられた猫たちは、また地上に戻る。つまり正確にいえば、猫は死なぬのである。

 女は山にのぼらなかったのだろう。先生を案じてここに残ったのか、馬鹿な女である。

「狭いと幽霊も不可思議なものも、はいり込まないような気がして、心地がよいのです。猫殿には狭くて申し訳がないが」

 部屋が狭かろうが、不可思議な生き物はあちこちにいる。しかし恐がりの先生には、いわないでおくことにした。そうした優しさもあるのだと、私は最近知った。

「しかし猫殿がきてから、不思議なことに恐ろしいという気持ちがなくなった」

「人の言葉をしゃべる猫の方が恐ろしいからではないのか」

「人だってにゃんというのだから、猫が人の言葉をしゃべったところで不思議はないでしょう」

 先生が、私と出会ったときと同じような事をいった。

 先生と出会ったのは、梅雨の空の下である。

 いつまでもやまない雨に鬱々と私は軒先で雨宿りをしていた。

 猫ならばいくらでも雨を避けらる場所はある。屋根の隙間、家と家の間。

 しかし居心地の良い場所には、すでに先住猫がいるものだ。私は人の言葉を理解しない猫を馬鹿にすることにしている。

 その馬鹿にする気持ちが顔にでているのか、私は普通の猫と気が合わなかった。

 だから人目につきやすい軒先で雨宿りをしているところを、先生に出会ったのである。

 それから一年、私は言葉をいくつか覚え、体は太り、毛並みはずっとよくなった。

 そして、独り身であった頃、ずっと胸の奥にあった不快な、言葉にできない、重苦しい、不思議な感情が最近は薄れた。

 その感情に名があるのだろうか。

 母が山に登って以来、胸の奥でくすぶっていた不快な感情である。これが何であるのか、部屋に散乱する本にも載っていない。

 それを尋ねようかと口を開けると、先生が先に口を開いた。

「……なんというのか、私がずっと恐ろしいと感じていた感情は」 

 先生はしみじみとつぶやく。彼の目は、部屋の隅にあるカマボコをみている。

 その隣に女の影があるのだが、先生にはそれが見えてはいないようだった。

 先生のしょぼしょぼとした目が私をみた。

「……つまりは寂しいという感情であったようです」

 水の音が聞こえた。窓をぱたぱた叩く、水の音。

 待ち望んだ雨が、ようやく降り始めたのである。



「先生、風邪か」

 本格的な梅雨がきて数日後のこと、先生がやけにせき込む日が増えた。

 朝も昼も夜も寝ている間も、咳が止まらない。熱もあるようだ。食事が細くなり、買い物にでる日もすっかり減った。

 先生の身を案じた編集の人間が、時折粥を届けてくれるようになった。私も何か手伝いたいが、肉球ではさほど役には立たぬ。

「猫殿……心配をかけて……さあ。肺でも悪いのかもわかりません」

 人には病があるのだという。いや猫にもあろうが、猫は病に罹れば大概は山にいく。これまで出会った猫はそうだった。

 しかし人は哀れな事に病に罹っても、大概生きる。生きるが、やがて死ぬ。猫よりほんのわずか長く生きるだけである。

「検査にいってきますよ、猫殿」

「検査とやらの答えはいつわかるのだ」

「さて一週間程度ですかね」

 こんこんと咳をして、先生は杖を手に取る。病院とやらに猫はつれていけぬ。私は一人、六畳一間に取り残された。

 いや、女の霊も共にある。彼女は心配げな顔で私をみる。じっと見つめられると不安が伝染するようだ。

「見ておらず治せばいいのに、座って居るだけとは」

 霊に向かっていくら説教しても、女は寂しげに首を振るばかり。私はひどく苛々してしまい、窓にひょいと飛び乗る。

 窓は私がいつでも外に出られるように、開けられているのが常だった。

 何の気もなかった。ただ。家にいるのはどうも腰の座りが悪かった。黒いカマボコまで、こちらを見ているようである。

 だから私は、窓を抜け、線路を横切り、田んぼを抜けて、その向こうにある神社に潜り込んだ。

 鬱蒼とした木に囲まれた神社である。古ぼけているのでもう誰も世話などしていないだろうと思ったが、不思議と掃除をする人間はいるようで、いつ訪れてもきれいなものだった。

 鳥居の側にお百度石というものがある。

 この石と建物の間を、願いを込めて行き来する。そんな人間を幾人か見た。百回行き来すれば願いが叶うというのである。

 私は、何の気もなく、石の間を往復してみた。一回、二回、とてつもなく楽であった。

 ただ一気に百回行き来する猫というのは奇妙であろう。一日何度と回数を決めて踏めば、これならば、百度など気軽なものだ。と私は考えた。

 回数を数える指をもたない私は、一度参拝するごとに、落ち葉を木のうろに落とすことにした。

 一度踏めば一枚。百枚ためたところで、なにが起きるとも思えない。猫の信心が人間の神に届くとも思えない。猫は神を信じないものである。信じてもらえぬ神が猫のいうことを聞くとは到底思えない。

 それでも私は石を踏んでは、落ち葉をくわえた。

 先生に見つかっては気まずい気がしたので、その秘密の往復は先生の居ないときに限られる。そのせいか、簡単に思えた百回には、なかなか到達できない気がした。

 何より不快なのは、雨が降り止まないことである。あれほど待ち望んだ雨だというのに、石を踏む私にとっては不快な雨であった。

 鎮守の森と呼ばれる鬱蒼たる木々から、雨滴が垂れて私の顔を濡らす。

 それでも私は往復を止めない。木の葉は、木のうろから漏れそうになっていた。


 先生がカマボコ板の前に座る回数が増えた。

 検査とやらの結果はまだでない。薬のおかげで咳はおさまったが、体はまだ落ち着かないようで、カマボコ板の前で祈る背はますます丸い。

 私は部屋の隅に座ってその背をみる。

 先生の本当の家族は。あのカマボコ板にいるのではないかと私は思う。

 そう考えた私は、自分の気持ちに焦った。私はただの猫である。猫の居候である。

 居ても居なくても、先生の生活にとってみれば、なんら変わらないただの猫である。

「粥のひとつも作れなくて、申し訳がないな先生」

 ある夜。早々に床に入った先生の枕元で私はつぶやく。

「猫殿に気を使われるとは」

 先生は笑って、そのしわだらけの手で私の毛をなでる。

 なでられ続けた私の毛皮は、すっかり柔らかくなっていた。猫の習性か、撫でられると喉が鳴る。その平穏な音はこの場に似つかわしくなかった。

「……私と先生とは、何であろうか」

 ふと、私は呟いた。先生のこの6畳一間を間借りして一年、笑ったことも喧嘩をしたこともあった。深い哲学を語ったこともある。しかし私達は、飼い猫であり飼い主であるのか。しかし、飼われているなど、私は一度も思ったことはなかった。

 先生はしょぼしょぼと目を細めて笑う。口ひげがもごもごと動いた。

「家族でしょうか猫殿は」

「先生と? 血の繋がりなどもない種族も違う」

「では、擬似家族というものでしょうかな」

「擬似とは偽物ということか」

「いえ、本物に非常に近いということですよ」

「本物ではないということではないか」

 外を降る雨がまた強くなった。遠くから、終電の電車が近づいて来る。光が窓から差し込んで、部屋に影が落ち、電灯が揺れ、家が揺れる。真下を電車が駆け抜けたのである。

「本物ではないから、切なく不安。本物ではないから、愛おしい。この感情は、恐らく一対のものでしょう。少なくとも私は」

 先生は軽く咳をした。

「猫殿と共に居られて、幸せであるのです」

 差し出された手に、私は黙って頭を擦りつける。顔を上げると、涙が溢れそうであった。



 気がつけば朝である。私は眠る先生を起こさぬように外へ出て、鎮守の森へと急ぐ。

 うろの中に落ちた木の葉を数えると、気がつけば九九枚。木の葉をくわえて、いつもよりも静かに境内の道を歩く。

 境内は静かだった。雨上がりの森に日差しが差し込み、滴がきらきらと輝いてる。緑の草が、地面から生えて、それを蛙が跳び越した。

 風のせいか、それとも目に見えぬものがいたのか、本殿の鈴が鳴る。

 森には神がいるという。そも神社は神のおわすところ。ならば、猫の神も山から降りているかもしれない。猫は気紛れな生き物である。

「さあ祈ったぞ」

 百度目、踏み終わった私は誰に言うでなくそういった。

 ふと振り返れば、そこに女がいる。それはいつも部屋の隅で座るばかりの女である。彼女を外で見たのははじめてだ。女は静かに私に頭を下げて森へ消えて行く。

 ああ。彼女は山に登るのだ。なぜか私はそう思った。


「ただの風邪でした」

 祈りのせいか、医学のせいか、先生の体調はみるみる良くなった。聞けば”こうせいぶっしつ”というものが良いらしい。つまり、医学のおかげで先生は救われたのだろう。

 ”こうせいぶっしつ”とは、えらく立派なものであるようだ。

「私が死んだ時、カマボコ板に、その言葉を刻んで貰おうか」

「猫殿にも心配をかけてしまって申し訳がない。休んでいた分、今から仕事をせねばなりません。あまり相手もできず申し訳無いが」

「猫は孤独に強い生き物だ。遊んで貰わねば退屈で死んでしまう犬と一緒にしないでほしい」

 私は欠伸を噛み殺して、いつもの座布団に丸くなる。先生は背を丸くしてまたいつもの書き物に戻った。

 部屋に居着いていた女は、あれ以来消えた。山に登り、また毛皮を替えて戻って来るのだろう。戻って来れば姿が変わる。私の母も、あの女にも、二度と会えぬ。

 いつも女が座っていた場所に光が差し込んで、窓の外にある木々が影になって降り注ぐ。その影は、濃い。

 気がつけば鼻先には夏が訪れていた。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 友人から、なろうに入るきっかけがこの小説と紹介され、どれどれと読んだ所。 つい何度も読みふけってしまいました 素晴らしいとしか出ない短編であり 自身が好きな話を全部詰まったような、まさに…
[良い点] 今の言葉であるにも関わらず、明治の頃の文章をスルスルと読んでいるかのような心地よさを感じました。 文体と言いますか趣と言いますか、とても心に響きます。 読み終えた余韻が此処まで残るとはな、…
[一言] とても面白かったです。 こういう設定の話だと、ひたすら泣かせにかかることも可能だと思うのですが、あえてそうしなかったところがこの作品の個性だと思います。 猫殿の心配のしかたがとてもかわいい。…
2013/10/31 23:14 退会済み
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